第12話:異能力『陰丹外法』
耳の穴を小指で掻いた後、指先についた耳垢を「ふうっ」と吹き飛ばす。
「柝雷班だっけ? イヤラシイ目で見るんじゃないよ、気色悪い」
両手を腰にあて、久多良木は心底うんざりした声でぼやく。
参番倉庫に入ると、黒装束の男たちがぞろぞろと出迎えてくれた。30人ほどいるだろうか。
「この様子だと、小豆畑のダンナと伊久磨のとこも、同じ状況かねえ」
目の前にたむろしているだけで、すぐに襲い掛かってくる気配がない。不思議に思っていると、
「本当にこいつが山野辺を叩き伏せたのか?」
奥にいる黒装束の男の1人が、怪訝そうに声を上げた。
「嘘みてえだな……骨も折れそうにねえ女じゃねえか」
集団が波のようにざわついて、久多良木は眉を寄せる。
「ああ、サキガケ堂で投げた奴の話か」
記憶を辿り、久多良木は頷いた。その様子を見て、ますます柝雷班は騒然となる。
「山野辺は体重100キロは超えているんだぞ……信じられんな」
「けどよ……見ろよ、着物の下の線……」
黒髪を耳隠しヘアにし、白い細面が映える紫色の着物にはインパクトのある赤や白い椿の大柄模様。どこからどう見ても、街を歩く粋な婦人だ。そして面倒そうに立つ姿からも、どこか匂い立つような色気が漂っている。
もう32歳になるが、まだまだ男を惹きつけてやまない美しさ。
そんな久多良木を見て、よからぬ方向へ思考を切り替えるものたちが出始めたようだ。
「……あんたら、下卑た想像を膨らませているだろ。顔に出てるんだよ」
顔の半分は黒い布で覆われていて表情が判りづらいが、興奮した目つきで大体想像はつく。
「ちっ、命令じゃ仕留めるだけのはずだが……勿体ねえ話だな」
「どうせ始末するんだ、少しくらい遊んだって罰は当たらねえだろ」
「ハハ、思わぬ拾い物だぜ」
ムラムラした気配を感じ、久多良木は顔が歪むほど強く舌打ちした。
「頭の中が桃源郷へ入っちまったよ、クソが」
色情狂が30人、一斉に襲い掛かってきた。
「『建御雷神』なんて御大層な部隊名でも、結局中身はただの雄ってことだね」
自分と大して体格差のない男が目の前に迫る。
久多良木は伸びてきた男の手首を掴むと、思い切り自分に引き寄せた。
「なっ」
そしてそのまま男を軽々と持ち上げると、目の前に迫る男たちへ向けて叩きつけた。
続いて左右からくる男たちの胸ぐらをつかみ、引き寄せて互いに頭突き合わせる。そして放り投げ、後ろから抱き着こうとした男の腕を掴んで背負い投げた。
久多良木の射程圏外にいる男たちは、同じ目に遭うまいと距離を取って止まった。
「ま…まじか…」
「山野辺の話、本当だったのか…」
足元で気を失っている男の頭を踏みつけ、久多良木は拳の関節をポキポキ鳴らした。
「どうしたい、あたしを押し倒して好きにしたいんだろう!」
威勢よく啖呵を切ると、それだけで柝雷班は怯んだ。
「これでも売れっ子娼妓だったんだよ。なんせ、元は華族のお姫様だったからねえ」
久多良木男爵家。事業に失敗した男爵は、途方もない額の借金に恐れ慄き、絶望する妻共々首を括った。
幸い一家心中にならず一人娘の美桜は助かったが、借金のカタに娼館に売られてしまった。
まだ8歳だった。
没落華族の出身だということだけで高値が付き、客たちの興味を惹けた。子供心に現実をしっかり受け止め、年季明けで自由を手に入れる時のために、覚悟を決め腹を括って仕事に精を出した。
「あたしの性技は最高峰だよ。味わってみたいと思わないかい?」
白く細い指が、男たちを誘うように蠢く。目を細め、不敵に笑んだ。
ゾクッとする艶めかしい笑顔。久多良木の顔を見ただけで、柝雷班は色欲が抜けたように顔を弛緩させた。
「なんだい、もうやる気がなくなったのかい。だらしないねえ」
はあ、と息をつき、久多良木は唐突に両肩をはだけた。
白い剥き出しの肩に、男たちの視線がギラリと集まる。
「色情狂相手にちんたら時間を取ってる暇はないんだよ。これで極楽へ行かせてやるよ――異能力『陰丹外法』」
久多良木の身体から、ブワッと桃色の香気が噴き出した。
本来目に見えない筈の香気は、煙のような実体を伴って、一瞬で倉庫内を埋め尽くした。甘く強烈な匂いが満ち、視界が桃色に染まる。
「なんだ、この甘ったるい匂い」
「うう…頭が」
男たちは突如白目を剥いて、口から唾液を垂れ流して次々にその場に倒れた。次第に身体が激しく痙攣して、口から泡を吹き続けた。
「娼館で生き延びるために開花した異能力『陰丹外法』のお陰で、あたし目当ての客が殺到したもんさ。薄く香らせりゃ夢見心地、濃くすりゃ地獄行き――『陰丹外法』ってのはそういう代物さ」
軽蔑も露わに、久多良木は着物を整えた。
「『陰丹外法』の噂を聞き付けた社長が、あたしを引き取ってくれて、ちゃんとした社員に雇ってくれた。身体を売らなくていい人生を、新しく手に入れたんだ」
そこで出会った彬子。
「あたしにとって、彬子は初めての友達なんだよ。お互い底辺から必死に這い上がって、まっとうに生きようと足掻いてる」
子供と引き離されたことは聞いていた。
一日たりとも子供のことを忘れたことはない、いつの日か会いたい、それが心の支えだと。そう彬子は常々言っていた。
その子供――直秀と運命の再会を果たした。
まるで自分の身に起こったことのように久多良木は嬉しかった。大事な友達の願いが叶って。
しかしすぐに幸せに水を差された。それも特大の鉄砲水を。
「男の身勝手で泣かされるのはいつも女さ。――彬子と直秀の間を裂くなら、あたしゃ容赦しないよ!」
桃色の香気は久多良木の肌に溶けるように消え、倉庫には微かな甘い余韻だけが漂っていた。




