第54話/99話 「囲む 聖夜の食卓」①
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12月24日(土)
「ここね、敵の本拠地は」
「そうです。行きますよ、師匠」
桜山団地から道のりにして約5キロメートル。
桜山団地の北にある環状線を西に上り、環状線を外れて、少し北に行ったところに、それはある。
リーニャ先生の家。
毎日走りこんでいるアキの脚なら、往復の平均時間20分くらいだろうか。
平均、というのは、桜山団地北の環状線は、西方向へ急坂になっているからだ。鍛えた今なら自転車に乗ったまま登れるだろうが、昔は登れず、降りて押すしかなかった。
よって、行くための自転車での体感時間は、行きは30分、帰りは10分くらいの感じである。
「駐車場あるから、大丈夫だよ」とのアキの言葉に従い、指定の住所の駐車場に、師匠の車を止める。師匠の、ではなく、今日の車は代車だが。師匠の車は、1年の半分くらいは壊れて、車屋にある。
師匠の手荷物は、一升瓶が6本。全部違う種類の日本酒らしい。「実家から急遽送ってもらったわ。足りるかしら。ソビエト人なら、死ぬほど飲むんでしょうね」とのことだ。アタシの家は誰も酒を飲まないので、訊かれてもわからない。師匠の本来の緑の車だと、アタシの膝の上に乗せるしかなかっただろうな、ということしかわからない。
地面は少し凍った部分もある。とはいえ、環状線を上ってこれた、ということは大した日ではない。環状線は、冷えと積雪が酷い時は登るのに苦労するし、下りで玉突き事故が起こっているのを見たときもある。
冬のピンと張りつめた空気の中。そびえたつ、白い洋館。
……いや、そびえたつというほど大きくないな。屋根だけはそれっぽいけど、普通の日本家屋だな、これ。
ピンポーン!
「は~~い!」どたどたどた。
あ、アキの声。続いて、廊下を走る音。
「メリークリスマース!!!」
そんなことを言いながら、開かれる扉。
いつものアキの顔。シャツにジーンズ。
の、頭の上にサンタの赤い帽子が乗っている。
「なにそれ」
アタシは思わず訊いてしまう。
その視線に、気づいたアキが笑顔のまま答える。
「いや、せっかくだから被ろうって、リーニャ先生が。入って入って!」
やけに高いアキのテンションに釣られるように、師匠とアタシは玄関に入った。
「「おじゃましま~す」」
ふわっと、野菜を煮た後みたいな匂いを感じた。
入ってすぐのところは、普通の、食事をとるためのテーブルと、椅子の台所になっていて、上下グレーのスエット姿のリーニャ先生が出てきた。頭は、きれいな銀髪を三角巾で束ねてある。……うちのママと変わらないな。すごい美人なのに。
「オウ! シオリさん! お久しぶりですネ!」
「はい、今日はよろしくお願いします」
っと、アタシの後ろにいた師匠が、一升瓶が4本入った袋をもったまま、前に出てきた。
そのまま、師匠は、ゴン、と少し音を立てながら、持っていた一升瓶の入った袋をテーブルの上に置くと、リーニャ先生に向き直る。ちなみに、一升瓶の残り2本はアタシがもったまま。
「初鳥シオリのフルートの教師をしてます、小村崎です。はじめまして」
そう言って、師匠は、リーニャ先生に向かって、アタシを背中に置くような位置関係で挨拶をし、握手を求める。
声には少し威圧的な響きが混ざっている。
「ハイ! リーニャって呼んでくださイ」
「よろしくね、クライシーヴァさん。コムラサキって呼んで」
リーニャ先生の、明るい声の提案を無視して、師匠は続ける。
ちょっと、やめてくださいよ。険悪な雰囲気になられても、困るじゃないですか。
そんなアタシの心のつぶやきは、次のリーニャ先生の一言でひっくり返った。
「わかりました、コムラサキ。でも、『はじめまして』ちがいまス。あなた、昔、私の楽屋に来てくれましタ。花束持って。握手もしましタ」
あくまで、ニコニコとした明るい調子のリーニャ先生の一言。
師匠の背中が揺れる。
「……失礼しました。覚えていたとは思わず……。今日はよろしくお願いします」
少しだけ、声が震えていた。
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「アキタカ、案内してあげてくださイ」
「は~い、こっち、こっち!」
リーニャ先生の呼びかけに応えるアキの案内で。
そういえば、去年は「アキタカさん」だったのに、呼び捨てなんだ。
案内された先の部屋。
少しの戸惑い。
台所から廊下を抜けた先の洋室。そこには、『リーニャ先生の手料理』が並んでいた。
フローリング。大きなテレビのモニターとビデオデッキ。
雑にボウルに入った複数のピロシキ。アタシが知っているロシア料理はこれだけだ。
魚と根菜っぽいスープが鍋に入って、透明な蓋から湯気を立てている。
でかい鳥、ローストチキン。これはロシア料理ではない。多分。この後で師匠が「ガチョウじゃあないのね」なんて言っていた。そんなものどこで買うんだろう。
ボウルに入ったままのポテトサラダ。我が家のものと少し色が違う。
緑の草が入ったプラスチックのピッチャー。後で聞いたら、レモンの茎だった。
それと、とりわけ用の食器にコップ、いっぱいの箸とフォークとスプーン。
あったかそうな料理は、どれも時間ピッタリに作りましたよ、というホスト側のもてなす心を感じる。
ただし、置いてある場所は、フローリングの上にそのまま設置された座卓。大きなちゃぶ台で、周りを囲むように大きな座布団が4つ。
ロシアの人って、こんな感じなのかな……。
「ヤーパンスタイル、だってさ。座ってよ」
「う、うん」
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4人で囲む座卓。アタシの右にアキ、左に師匠、正面にリーニャ先生。の座る予定の空席。
と、リーニャ先生がやってきた。アキが普段トランペットを入れているケースと同じくらいの大きさの、少し古そうな黒い革のケースを持って。
「アキタカ、ご飯の前に渡しておきまス。クリスマスプレゼントでス」
そう言ったリーニャ先生は、座ったままのアキにそのケースを渡す。
アキは両手で、推し抱くようにそれを受け取った。
「? なんですか、もしかして……開けてもいいですか?」
もちろんでス、と言われて、アキは床に置いたそのケースの留め金を外し、開ける。
中からは、トランペットが1本。組み立てられてはいない。普段アキが使っている物の金色を少し鈍くして、渋い色にしたような。カッパーほど鈍くはない、鈍い金色。
「私の、モスクワで最後に使っていた物でス。私は他にもあるから、あげまス。日本一2回なりましタ。上げられるもの、あまりないでス。ごほうびだとおもってくださイ」
リーニャ先生の、少し重い声がフローリングに響く。
アキは少し、そのトランペットを見つめていて。
顔を上げる。
リーニャ先生を見て、笑顔で。
そのまま、お礼を言うのかなと思ったら、少し息を吸い込んで、吐いて。少し黙った。
何度か、息を、吐いて、吸って、吐いて。
「……ありがとうございます」
それだけ言った。
「喜んでくれれば、うれしいでス」
「組み立てて、今日吹いてもいいですか?」
「ダメでス。聴かせられるようになってからにしましょウ」
「ちぇー。でも、ありがとうございます。本当にうれしいです」
アキの気持ちは、アタシにも想像できて。
――本当に、美しく、羨ましくなってしまう。
ツンツン。
呆けてアキを見つめているアタシを師匠が指先でつつく。
「なんですか、今いいところなんですよ」
あ、今の言い方ちょっと、師匠っぽかったな。うつったかも。
つんつんされて、横を見たアタシは。
「……はい」
……一升瓶を両手でアタシに差し出す師匠を目撃する。
「なんですか、これ」
「クリスマスプレゼントよ」
「要りませんよ。アタシ、お酒飲めないし。アタシも、すごいフルートとかがいいなあ……な~んて」
本選会場で見た、そこにいた人たちのフルート。師匠から聞いて、どれもアタシの、ママのお下がりより高価なものであることを知っている。ちなみに、カヤの使っていたのは、アタシの4倍くらいの値段らしい。
「……あんたも、全日本で2連覇したらあげるわ」
「高いの買ってくれたら、勝てるかもしれないじゃないですか」
ゴン!
「いてっ」
頭にゲンコツが飛んでくる。師匠は基本、手が早い。
「生意気いうんじゃない。今のアンタのフルートだって、使いこなせばジュニアの日本一くらい余裕なんだからね。高い楽器使えばうまくなるなんて幻想。試しに、100万円のフルート持ったあんたと、あんたのフルート持ったあたし、どっちが上手いか想像してみなさい」
「……師匠です」
「わかればよろしい」
大人に、すごいトランペットをもらったアキの横で、一升瓶を持った大人に説教されるアタシ。
これが格差社会か。ぐぬぬ。
「まあまあ。乾杯しましょウ」
リーニャ先生がそう言ってくれる。
すでに変な空気だけど、大丈夫だろうか。
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「「「「乾杯!!!!」」」」
アキとアタシはジュース、師匠とリーニャ先生は日本酒。
「日本のお酒大好きでス」
「あ、そう?持って来てよかったわ。まあ飲んで飲んで」
師匠とリーニャ先生、大丈夫かなあ……。
特に師匠。
そんなことを考えながら、アタシは、謎の魚のスープに手を付ける。おいしい。素朴な味で、野菜も煮られているのに、なんだか生命力を感じる。
「ありがとうございまス。……あの、さっき、あなたに言った、楽屋で花束もらったの、あの時本当にうれしくて覚えていたんでス。いつも私のファン、オッサンばっかりだったかラ。同い年くらいのかわいい女の子、すごく珍しくてうれしかったんでス」
「あら、そうですか。じ、実はあれ、父にお使いで、他の人に受付から渡すように言われて、持って行ったんです。でも、クライシーヴァさんの、トランペットソロが本当に良くて、つい感動しちゃって……」
「ありがとうございまス。演奏褒められるのもうれしいでス」
大丈夫そうだ。
隣のアキと、顔を見合わせる。アタシたちはそのまま微笑みあった。
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