第45話/99話 「笑う バケツ族」①
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9月13日(火)
「あ、おはよう!」
「……おはよ。アンタなにしてんの」
朝5時。
5年3組の教室。
金色のトランペットを構えたアキと、上靴以外は登山ルックのアタシ。
いつもの集合場所ではない。アタシの5年1組の教室でもない。
外は、もし晴れていれば多少は明るい時間だけれど、今日は雨が降っているので、暗い。
今日は小学校の野外活動――山を登り、集団宿泊施設に泊まり、キャンプファイヤーをしたり、レクリエーションをする何か――の日である。
集合時間は、校庭に6時なので、今日は日課のランニングはお休みにしておいた。
アタシはいつも始業時刻の8時30分よりずっと早く学校へ行くから、その習慣に従い、早めに来ただけだ。
だというのに、昇降口を抜けると、静まり返った校内に、かすかにラッパの音が響いていた。
アキの教室まで来てみれば、案の定、アキがラッパを吹いてそこにいた。
電気もつけずに。
アタシが電気を付けたところ、それにアキが気付いたのが冒頭の挨拶である。
「なんでこんな朝早くから吹いてるの」
「だって、今日は放課後に練習できないでしょ? 少しでもやっておこうと思って。……もうすぐみんな来るから、手入れして終わりにするよ」
「……何時からやってたわけ?」
「4時くらいかな? 少しやっておきたかっただけだし。こういう、遠足とか行事の時って、僕たち、みんな集合する時間早いでしょ? 先生たちって、もっとずっと早い時間から居るんだよ。だから朝早くから入れるの」
「……知らなかった。……ズルイ」
アキだって、野外活動は初めてのはずだ。
なぜ知っている。……昨年度より前の、遠足とかの時に学習して、推測したのか。
そしてなぜアタシにそれを言わない!?
「シオリは? 吹きに来たんじゃないの?」
「……フルート、メンテナンスで預けてある」
野外活動の話を師匠にしたところ、「ちょうどいいわ」と、オーバーホールをすることになった。
昨日、家に来た師匠がアタシのフルートをもっていって、明日のレッスンで受け取ることになっている。「大サービスで、ちょっぱやで、ちゃんと仕上げてくれるらしいから、期待していいわよ」とのことだ。
ちなみに費用は25000円。アタシの小遣いの50ヶ月分である。「診察費用の安い、腕の良いお医者さん」らしいが、費用の基準は分からない。
楽器はとにかく金がかかる。習い事なんてそんなものかもしれないが。
「そうなんだ。きっと全然違うと思うよ。楽しみだね」
「……うん」
少しの悔しさとともにアタシは返事をする。
これで1日分、アキに置いていかれた。
来年、そうだな……修学旅行の朝は、アタシも早めに来よう。そう思った。
〇
バスに乗ってたどり着いた先、桜山小学校からも遠くに見える、大きくきれいな山の麓。
そこから少し上がったところ。宿泊施設まで行くバスに着替えや荷物を預けたまま、カッパ姿のアタシたちは広場に整列する。
ものすごく弱い霧雨が舞っている。
朝、出発するときの桜山は、少し雨が降った後に止んでいた。
それでも山というのは、こういうものなのかもしれない。
学年主任の先生の声が響く。
「予定どおり、今から、山の中腹まで、沢登りをします。ただでさえ、足元がぬかるんでいる沢です。今日は視界が悪いので、十分注意してください。体調が悪くなった人は、必ず、先生に教えてください。沢の水は飲んでも大丈夫なことが多いですが、寄生虫が居る可能性はあるので飲まないように。それでは、いってらっしゃ~~い」
何が、いってらっしゃーい、だ。
悪天候の中で川を遡るなんて、鮭でもあるまいし。
……体調が悪くなった人は先生に、と言っていたな。怪我でもしたら嫌だし、体調が悪くなったことにしてしまおうか。
と。
アタシは先生に担がれるか、抱っこされて沢を登る自分を想像する。
……かっこ悪い。これは無し。仕方ない、疲れるだろうが、歩こう。
〇
沢を歩く。登る。
登るコースは、川底や河原周辺がほとんど、石でできた、浅くきれいな小川だった。
こんな、霧雨の中でもなければ、きっと澄んで底まで見えるだろう。
「晴れていれば、サンショウウオが見られるかもしれないんだがなあ~~」
獅子戸先生の嘆く大きな声が聞こえる。
大きな岩がごろごろしていたり、小さな石だけで地面が形成されていたり。まあ、とにかく石、石、石だ。たぶん水より石の方が多い。
列は自由、と言われているので、めいめいが勝手に進む。
少し、横に広がって。
ぼ~っとしていると、みんなどんどん進むので、川の上を見ながら、一歩、一歩、進む。首がずっと上を向いているので、原人になった気分だ。
……と、なんだか、他の子たちの歩く速度が、少しずつ遅れているような気がする。
みんな、疲れているのかもしれない。
少しずつ、少しずつ、意識せずとも勝手に、列の前の方へアタシは押し出されていくような気がする。
河原の石はどれも形が違っていて、歩くのに、しっかり踏むところを確認しなければいけない。
うっかり川に入ってしまったら、川底の石はつるつる滑る。
川はくねったり、上下移動もあるから、列の前と列の後ろでは、途中から全く互いが確認できない。
「こりゃあ、大人でも大変な行進だなあ~~。みんな~~、大丈夫か~~? 疲れたら少し休んで、それからでいいからな~~。無理するなよ~~」
姿は見えないが、獅子戸先生の大きな声が響く。
もしかすると、大声を出すことで、疲れた子たちを鼓舞したり、安心させているのかもしれない。
……ゆっくり進んできたつもりが、いつの間にか、進む列のだいぶ前の方にアタシは来ていた。
おそらく先頭だろう場所で、座っている子と、それをはげましているらしいスズちゃんが見える。
と、座っていた子が、後で行くから、という風にスズちゃんに手を軽く振った。
スズちゃんはそれを受けて歩き出す。
ひょい、ひょい、と。
不安定な足場を、別になんでもないかのように。
整備された道路を散歩するように。
そういえば、スズちゃんは桜山より自然豊かな、海も山もある所から来た子だ。
こんな、小さな小川程度はたとえ遡上でも、なんでもないのかもしれない。
友達の、知らなかった、変わった一面を発見して、アタシはうれしくなってしまった。
〇
沢登りがおわり、宿泊場所に挨拶をして、昼食のために、みんなで大きな木の屋根のある、一角へ。
屋根の下には木でできた大きなテーブルがいくつもあり、椅子代わりの丸太に腰掛けられるようになっていた。
スズちゃんと、イサオと、トモクニと、アタシ。
行動する班は、いつもの教室と同じだが、今日の昼食は家から持ってきた弁当と水筒。
霧っぽくて天気は良くないのが残念だけど、外で食べるのはなんだか楽しい。
スズちゃんもイサオも、それぞれごはんとおかずが段々になった弁当箱に、きれいな弁当を詰めてきていた。
スズちゃんのおかずは、卵焼き、きゅうりのちくわ、チーズのちくわ、ミニトマト。
それに対し、野球をやる男の子といった感じの、一面茶色のトモクニの弁当。冷凍食品混じりのそれ、パワーの源は揚げ物と肉。運動する男子はとにかく茶色だ。
……アタシは、2人よりも一回り大きい、イサオの弁当箱に目が行く。
ごはんとは別のおかずの箱の中には、タコさんになったウインナー、水気をしっかり切って少しのかつおぶしをまぶしたほうれん草のおひたし。煮た里芋、きんぴらごぼう、お花の形になった人参、そして、デパートにあるバームクーヘンみたいな卵焼き。
「うわ……」
アタシは思わず声に出てしまう。きれいだった。
「……おふくろ。……ああ、おふくろ、料理好きでさ」
少し、なにかを言い直すイサオ。
……それより、アタシは弁当箱を開ける本人の方も気になる。
「なんでアンタ、びしょぬれなの?」
イサオはカッパの中まで全身びしょびしょだった。
「それがさ、こいつ、疲れてゼエゼエ言ってたのに、突然走り出したと思ったら、『サンショウウオ!』とか言って、川に飛び込んだんだよ」
トモクニが解説する。
「いや、ほんとにいたんだって」
「いたことは疑ってねえよ。なんで飛び込むんだよ」
「先生が言ってたから、みんなに見せてやりたかったんだ。でも逃がしちゃったよ」
悔しそうに、ちぇっと舌を鳴らすイサオ。
「カッパの意味ないじゃん。てか、サンショウウオってすごく大きいんじゃないの? 成長すると、岩の下から出られなくなっちゃうやつでしょ? 逃がさなくない?」
アタシは、昆虫はそこそこ好きだけど、爬虫類のことは良く知らない。
あれ、両生類だっけ。
「シオリちゃん、普通のサンショウウオはそういうんじゃないよ」
「イモリとか、陸でいうとカナヘビとかわらないよ。……ほらな、シオリでさえ知らないだろ? だから見せてやりたかったんだよ」
「それにしたって、お前なあ……」
「まあいいじゃん、食おうぜ」
五色に輝くおかず入れの前で、びしょぬれの、県営住宅の子はニカッと笑った。
なお、アタシの弁当はママの作ったでかいおにぎり3個。弁当箱を洗わなくて良いから大好きだ。
〇
昼食を終え、『杉焼き』とかいう、謎の、文字を掘った板――だいたいは表札にするらしい――を焦がし、ひたすら磨く作業をさせられ、今夜の寝床にする宿泊室へ。
髪と服に染みついた煤が焦げ臭い。
8人部屋と聞いて、想像していたのはだだっ広い旅館の大部屋。けれど入ってみれば、簡素な二段ベッドが4つある、床がフローリングの、掃除がしやすそうな部屋だった。
仲良くない子に両隣を挟まれたりしたら嫌だな、と思っていたけれど、同じ班の人が必ず一緒になる編成で、スズちゃんと一緒のベッドを使うことになった。
スズちゃんに、私は上がいいな、と希望を出されたので、下へ。スズちゃんの家は、妹がいてもそれぞれ部屋は別だ。二段ベッドは初めてらしい。
明るいライムグリーンとイエローの2色のおそろいの体操着に着替え、ベッドメイクを済ませ、集合時間まで待機。この体操着で今日は寝るらしい。
下の段はクッションやシーツを運ぶのも楽でベッドメイクが捗った。帰ったらシュンに下の段を譲れ、と真面目に交渉してみようか。
メイキングを済ませたベッドへ横になる。同じ部屋の子たちは、他の部屋へ遊びに行ってしまった。遊ぶ機会なんかいくらでもあるのに、何が楽しいんだろう。
目を閉じる。……静かだな、と思う。
と。
何かの気配に気づき、アタシは目を開ける。
「あ、おきた」
「うわあっ」
思わず変な悲鳴を上げてしまう。
上の段からスズちゃんが、手すりに手足をひっかけ、上下逆さのコウモリみたいな姿勢でアタシを見下ろしていた。
「びっくりした?」
けらけらと、そのまま笑うスズちゃん。
なお、上下逆さでもこの子はかわいい。
「びっくりした。てか、いたんだ。アタシだけだと思ってた。危ないよ。折れるかもしれないじゃん」
「これ、手すり、鉄だから平気だよ」
スズちゃん、身軽だなあ。アタシは思わず感心してしまう。
そういえば、さっきも沢登り、男子より早く一番にゴールしてたっけ。
思い出した光景をそのまま口に出す。
「スズちゃん、さっきすごかったね。あんなに、簡単そうに川を登っていくなんて。アタシ、びっくりしちゃったよ」
「生まれたところ、元いたところより、ゆるやかな沢だったから。あのくらいなら、大したことないよ。……私は、ゴールして後ろを見たら、シオリちゃんがいたからびっくりした」
「え、そ、そう?」
「うん。体育、できないと思ってた。いつも、マラソンとかだって最後の方だったでしょ」
「……走ってるから、体力ついたのかな。水泳もやってるし」
そういえば、朝走るようになって、……9ヶ月くらいか。
「へえ。がんばってるんだねえ」
「うん。……アタシ、がんばってるの」
褒められて、素直に口に出す。
なんか、前にも似たようなことがあった気がする。
自分が横になって、上から話しかける人に、「頑張ってる」と口にしたシチュエーションに、既視感を覚える。
まあいいか。
「そういえば、外、雨だから、キャンプファイヤー中止だってね」
スズちゃんが話題を変える。
その表情は、少しアヒルみたいな唇の閉じ方をして、残念そうだ。
「ああ。アタシ、初めてだから楽しみだったんだけどなあ」
さっき、「星がきれいだって聞いたのに!」とカースト上位の男女に囲まれながら、ユミちゃんが嘆いているのを見た。女子はリアリストの方が大多数なのに、リーダーの彼女は案外ロマンチストだ。星じゃ飯は食えないぞ。
「まあまあ、代わりのキャンドルサービスもきっと楽しいよ」
「……うん、そうだといいね」
アタシは、キャンドルサービスも初めてだ。
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