第56話「七魔皇ネーラ・ビシオンセイス」
そこは異様な空間だった。
暗闇を塗りつぶすかのように所狭しと魔石灯が置かれている。
王座のような豪奢な椅子から簡素な木製の椅子、教会にあるような長椅子まで様々な色、形の椅子が放られていて、部屋の中心には椅子がうずだかく積まれている。
その積み上がった椅子の天辺に七魔皇が一人、ネーラ・ビシオンセイスがいた。
闇を濾したような黒髪と新雪の肌。すらりと伸びた手足に、淫魔種特有の尾と、蝙蝠の羽根を想起する感覚器官。その雰囲気は妖しく、尊大で、艶やかで。
ネーラは長い脚を組んで考える。
魔族は生まれながらに呪いを背負っている。
魔族の本能を決定づけ、縛る忌々しい呪いだ。
多くの魔族はそれが呪いだと気づいていない。
魔力を集め、赤き竜に捧げろという個人の自由を侵す呪い。
個人差はあるが、誰もがそのことに疑問を持っていなかった。
ネーラは早い段階から疑問と怒りを覚えた。なぜ、見ず知らずのナニカのために己の意志を決められなければならないのか。
自由を求めた。
自由になる方法を考えた。
幸い、そのためのチカラはあった。
自由とは。ネーラにとって、自由とは、つまり――。
「例の物が手に入ったよ。これだけあれば十分かな?」
金髪の冒険者は、ネーラにとあるレジェンド級アイテムを手渡してきた。
間違いなく、ネーラが要求した品だった。
それが三つ。想定より少ないが、レジェンド級となれば一般的に流通しているものでもないし、それ一つで家が建つほどだ。贅沢は言えないだろう。
「ええ、ご苦労様です。とても助かりました」
「礼には及ばないさ。君には村を救って貰った恩があるからね……君がいなければ、きっと妹や村のみんなは魔族に殺されていた」
「……そうでしたね」
そういう設定だった、とネーラは思い出す。
この男は人族で、この一帯では名の知れた上級冒険者だ。
弱者にも優しく、人望が厚く、勢いがあり、多少自信過剰なところはあるが、それを差し引いても優秀な冒険者だと思う。
だが、彼はネーラが魔族で、ましてや七魔皇だとは気づいていない。
そう設定したからだ。
下がっていいと言い付けると、冒険者の男は疑問を持つことなく部屋を後にした。
彼はこれからいつもの冒険者業に戻る。それでもし、また何か頼みごとがあれば快く聞いてくれるはずだ。その時に、彼の人脈も、腕っぷしも役に立つ。
ネーラには、そういうお友達が全国に点在していた。
「ネーラ様ッ! オデットのお手柄なの! ヤバい情報が手に入ったの!」
「ちっげえよ、アタシだ! アタシの手柄だからな! ネーラ様!」
冒険者の男が去ると、入れ替わりで双子の少女がやってきた。
オデット・ブレッツェルと、オディール・ブレッツェル。黒精種の少女で数少ない配下の魔族である。
「ヤバい情報もいいですが、頼んでいたアイテムは手に入ったのでしょうか?」
「そ、それは……もうちょっと待って欲しいの」
「…………」
ネーラの笑顔に何を感じたのか、オデットはピンと背筋を伸ばす。
「ち、違うの! サボって甘い物食べてたとかじゃないの! そっちもちゃんと進めてて、でも、ヤバい情報はマジでヤバいのでそれの遅れも多少許されるかなあ……なの」
「そうですか。では、その情報を聞いてから判断するとしましょう。ね?」
すると、オデットは祈るように両手を合わせて早口で答えた。
「実は勇者の居場所を突き止めたの! 迷宮都市ラスアルゲティで、白虎種の仲間と合流するつもりなの!」
想定外の情報に思わず息を漏らす。
こういうときのオデットは大抵、しょーもない話を持ってくるのだが今回は違った。
「う、嘘じゃないぜ! 確かな筋からの情報だ!」
オディールが補足する。
「別に疑ってはいませんよ」
ネーラに嘘が通用しないことは知っているはずだから。
「……ふむ」
勇者の討伐は魔族の悲願だ。
百年に一度赤き竜の封印が緩むと共に、七魔皇が選定されてきた。
しかし、何度繰り返しても赤き竜の完全復活は叶わなかった。たった一度の例外もなく勇者に阻まれてきた。
勇者の居場所を突き止めることのアドバンテージは想像以上に大きい。
ここで忌々しい勇者を狩ることができれば、更にその先で赤き竜をも利用して――そんな未来の計画を夢想して、ネーラはニコリと笑った。
「いいことを思い付きました!」
「いいこと……なの?」
「ええ、ワタシの【改変】を使って――」
「それは止めておいた方がいい。君の企みは必ず失敗するよ」
ネーラの言葉を遮って、女性の声が響く。
オデットでも、オディールのものでもない声だった。
警戒心を引き上げ、気配を探ると、それはネーラが座る椅子の山の中からひょっこりと姿を表した。
赤く柔らかそうな体。デフォルメされた竜の形。
迷宮都市で流行している、りゅうゴンと呼ばれるぬいぐるみだった。
「君の思考は決められた物語に沿って動く茶番に過ぎない」
魔力は感じない。
だが、間違いなくぬいぐるみが喋っていた。
「オデット」
ネーラが短く呼んだ。
それだけで意図は伝わった。
オデットは流れるような動作で弓を引く。矢は喋るぬいぐるみを貫いた。
しかし、ぬいぐるみはごぽごぽと中の綿を溢れさせると、また新しい個体を作り、喋り出した。
「いきなり酷いじゃないか。親切心で忠告してあげたというのに。それとも、死にたがりさんなのかな? それはちょっと僕としても困るなぁ」
「…………」
「君は、今から勇者とその付き人に【改変】を使うことで、迷宮都市で合流する仲間を誤認させ、パーティーに潜り込む。実は昔会ったことがあるなんてチープな運命付きの記憶を受け付けるんだ。そうなれば、後はやりようなんていくらでもあると考える」
ネーラは思わず目を剥いた。
それは今しがたネーラが思い付いた計画と全く同じだった。誰にも話していないどころか、考えついたのすらつい数秒前の案だというのに。
「……あなたは何者でしょうか?」
「僕はりゅうゴン。繰り返される絶望の歴史に終止符を打つ者。勇者が魔族を討つ忌々しい物語を終わらせることが僕の使命だ」
「魔族……アタシらの味方って言いたいのか?」
オディールが問う。
「そうだね、魔族の味方で勇者の敵だとも。つまり、君たちとはお友達だ。ああ、ちなみに、ネーラちゃん、君は勇者パーティーに潜入した後に、ベリウス君に殺されるよ。多分……いや、ここは言い切った方がいいのかな。絶対?」
七魔皇の一人の名前が出たことで、ネーラは内心動揺する。
彼女の言葉がどれだけ信用できるのか。彼女の目的は何か。正体は?
冷静に情報を吟味して振る舞いを考えるべきだろうが、それができない程には混乱していた。
「……なぜ」
「ベリウス君が君を狙う理由について聞いているのかな? それとも、何故僕がそれを知っているのかという根拠の話かな? まあ、ベリウス君がどうやってヤツの思惑を回避したのかは知りたいところだけど……」
ヤツ?
不可解な要素が増えたことに、ネーラの混乱は益々極まった。
「おっと、少し話過ぎてしまったな。別に胡散臭い僕の言葉なんて信じなくてもいいんだ。初めに言った通り、僕は善意でここにいる。それを無下にするというのなら、本当は嫌だけれど君たちが死んでしまうのも仕方がない」
ぬいぐるみはふわりと浮かぶと、ネーラの正面の椅子に座した。
「きっと、ベリウス君は君が勇者と合流すると踏んで君を攫おうとするだろう。もし、本当にそうなったとしたら、検討してみて欲しい――ベリウス・ロストスリーを殺すことを」
声音は平坦。
表情のないぬいぐるみでは、感情は読めない。
そのくせ、彼女の無機質な瞳はこちらの全てを見透かしているような気がした。ネーラが何を選択しても、全てが彼女の手のひらの上なのではないかと錯覚するほどに。
「幾つか質問しても?」
「聞くだけならどうぞ」
「あなたは魔族の味方だと言いました。それなのにベリウスを殺そうとするのですか?」
「魔族が人族に勝利するためには、彼は死んだ方がいい。尊い犠牲というヤツさ。それに君だって他の七魔皇とは対峙するつもりだっただろう?」
質問に答えているようで、答えていなかった。
それにコイツはどこまでネーラのことを知っているのか……。
「勇者を殺すのが手っ取り早いのではないですか? ワタシが考えた策が使えないとして、また別の策で勇者を陥れる分には問題はないでしょう?」
「いいや、大問題だ。勇者の運命に関する修正力は異常だ。何かしらの手段で死を回避し、更なる力をつける。そういう風に決まっている。少なくとも、今の段階では絶対に死なないよ。僕や君がどんな手段を取ろうがそれは決まっているんだ」
わけがわからなかった。
煙に巻こうとしているのか、本心かも判断がつかない。
「信用はできませんね」
「それでも問題ないと初めから僕は言っているよ? でも、そうだな……君が僕の言葉を理解できないのは、この世界の真実を欠片も知らないからだ。だから、その一端に触れられる場所を教えてあげよう」
ぬいぐるみは耳元でネーラにだけ聞こえるように囁いた。
「金のクロックローチを倒して扉を開き給え。その先にあるのが真実に繋がるヒントだ。多少、実用的な助言もしてあげられるよ。ベリウス・ロストスリーや、ティアナディアのスキルについて――とかね」




