第100話「エピローグ」
あれから、ティタウィンの聖墓を訪れる冒険者の数は激減した。
何かに取り付かれたようだった冒険者は嘘のように迷宮から興味を失い、金のクロックローチの噂も眉唾物だと囁かれるようになった。
謎のりゅうゴンブームはそのままだったが、りゅうゴンに付与されていた呪いの効果は解除されていた。結局、あの呪いはなんだったのか……。
迷宮都市ラスアルゲティ、高級宿にて。
ベリウスは、ネーラとの戦闘後のやり取りを思い出す。
『なるほど、貴様がぬいぐるみに呪いを付与したわけではないというのは信じよう。だが、それが何者によってもたらされたものかは知っているのだろう?』
『あら、さすがですね』
『言え』
『いいえ、それを口にしてしまえば、ワタシはあなたに対する唯一の交渉権を失うことになりますから。ああ、殺すというならどうぞ。腐っても七魔皇が一人、ワタシはそこまで無価値ではないですよね?』
唯一の交渉権。そう言えるほどの、重大な情報なのか。ハッタリか。
どちらにせよ、その反抗心は邪魔だと思った。彼女は徹底的にわからせないといけないようだ。どちらが上で、下か。決して同格の魔族ではないということを。
「なあ、そうだろう? ネーラ」
その後、ベリウスは、ネーラと強制的に奴隷契約を結んでいた。
レベル差の関係でシグレよりは緩い契約になったが、奴隷は奴隷だ。ネーラはこれでベリウスを害することができなくなった。
「あらあら、これはあなたの趣味ですか? 可愛らしいことで」
「よく似合っているぞ、これからしばらくはこの恰好で過ごさせることにしよう」
「…………正気ですか?」
余裕綽々だったネーラの顔が青ざめる。
ネーラの太腿には奴隷紋が刻まれていた。
そして、彼女が身に着けているのは、機能性を追求した紺色の水着だった。装飾はなく、胸元に縫い付けられた白い名札には『ね~ら』と書かれていた。
俗に言う、スクール水着である。
原作の水着イベントで実装された衣装だが、まさかこちらの世界にも存在しているとは思わなかった。
「ぷくく、ネーラ様可愛らしいの。これは配下が増えてしまうかもしれないの」
「ああ、よく似合ってるぜ……ほ、本心だぜ? な、なあ、姉貴」
彼女の配下である、オデットとオディールはネーラの姿に笑いを堪える。
「……っ、彼女たちの前でこんな辱めるような」
胸元を隠すポーズを取り、顔を赤くするネーラ。悔しそうにこちらを睨め付けてくるので、一生彼女の衣装はこれでいいかもしれないと思い直す。
「後で覚えていてくださいね? オデット? オディール?」
ネーラの圧のある笑みに、二人は「ひっ」と息を呑む。
そういう、オデットとオディールはティアナディアのセレクトでバニーガールの衣装に身を包んでいた。彼女たちもベリウスと奴隷契約を結んでいる。
最初こそ、殺すつもりだったが、気が変わった。
七魔皇が一人、ネーラ・ビシオンセイスを手中に収めることに大きな意味がある。改めて対してみて、彼女の【改変】の力を目の当たりにした。
全国各地にいるという、彼女のお友達を利用しない手はないだろう。直属の配下だというオデットとオディールも案外使い勝手がよさそうだった。
「安心しろ、別にこれまで通り好きに行動して貰って構わない。俺の命令を何よりも遵守し、全てに優先して遂行する。それだけを守ってくれれば、な」
「ふざけんななの! それじゃ、まるで奴隷なの!」
「まるでじゃねえ、アホ姉貴。アタシら奴隷なんだよ」
「はっ、そうだったの! うぅうう、屈辱的なの。どうして、どうしてこんな……」
「ふえへへ……やった。立派な信徒に育てないと」
シグレは、後輩の奴隷が出来たことが嬉しいようだった。
ツルプルルは「じゅるりんちょ」と涎を垂らして、ネーラたちを見ている。新たらしいご馳走が増えたことを喜んでいた。
「でも、どうしてでしょうか……」
ネーラがベリウスに熱い視線を向けてくる。
それは恨み辛みや、怒りといったものではなくて、もっとねっとりとした、底知れぬ執着心を向けられたような嫌悪感があった。
「ワタシは自由を求めていて、今はこれほどまでに不自由なのにドキドキするんです。あなたに支配されて、あなたの気分次第で死んでしまう身だというのにおかしいですね? ベリウス様?」
「知るか。お前が勝手に自由に囚われていただけのことだろう」
言うと、ネーラは呆けたように口を開ける。
それから、しばらくして何かに気が付いたように目を伏せた。
「……なるほど。そうですか。そうなのかもしれませんね」
「あー! そう言えば!」
ベリウスの腕に抱きついて頬ずりをしていたティアナディアが、突然声を上げる。
「何か忘れていると思ったら! ルゥプちゃん縛ったままでした! ど、どうしましょう? 殺しますか? 魔眼持ちでしたらから、奴隷として有用かも?」
「ああ、そういえば……別に放置でいいんじゃないか? 逃げ出していたら、それで別にいい。死んでいたら、そういう運命だったというだけだ」
「ふむ、それもそうですね」
それから、ティアナディアはルゥプから興味をなくしてようで、「ところで、そのスク水はご主人様の趣味なんですか? わたしも来ましょうか! 胸に『てぃあ』と書いた名札を張りましょうか!」と迫ってくる。
そんな姿も見てみたいと思いながらも、ベリウスは欲望に打ち勝ち彼女をあしらう。彼女への隠し事は近いうちに打ち明けようと再び決心しながら。
◇
後悔と己に対する憤りと、無力感だけが渦巻いている。
ここまで、ユーリは負け続けていた。命からがら村から逃げ出し、ベリウスには命を見逃され、ティアナディアに敗北し、プロトラドン戦でも足を引っ張るばかりで、オデットとオディールに手も足も出ず、戦う意味を否定された。
何も言い返せなかった。
違うと言いたかったのに、その力がなかった。
ユーリは無力だ。勇者なんて笑わせる。
ティタウィンの聖墓から帰還すると、空は白み始めていた。
人がまばらな街中を覚束ない足取りで進む。
そんな時。
「……ルゥプちゃん?」
正面に見覚えのある少女の姿を発見して、駆けだした。
今までどこに居たのか。自力で抜け出したのか。アゲートが見つけてくれたのか。なんにせよ、生きていてくれてよかった――そんな希望は一瞬にして砕かれた。
「……ルゥプちゃん、ルゥプちゃん!」
ルゥプの体には無数の傷跡があった。指は変な方向に曲がり、脚はズタズタに切り裂かれ、服は血で真っ赤になり、口や鼻、目などあらゆる場所から出血している。
いくら頑丈な獣人族と言えど、生きているのが不思議なほどだった。
「……お、おお、ユーリか。無事だったのじゃ、な」
うわ言のように呟き、倒れるルゥプをユーリは慌てて左腕で抱き留める。
目が覚めた時、何者がやったのかユーリの傷は癒えていた。ただ、斬られ、喰われた腕だけは戻らなかった。だが、そんなユーリと比較しても、ルゥプの傷は酷かった。
「よか、った……ユーリも捕まってたらどうしようって……思って」
目が見えていないのか、ルゥプは見当違いな方に手を伸ばす。
ユーリは必死にその手を掴んだ。
「ルゥプちゃんどうして……何があったの。誰がこんな」
「ベリウス……が」
「……っ」
それは高台で相対した魔族の名だ。
「ベリウスが妾を痛めつけたんじゃ……邪悪な笑みを浮かべて、指を潰し、刃物を突き立て、妾の悲鳴を楽しむためだけに拷問を」
ルゥプはその光景を思い出したのか、ひどく震えながら言った。
怯えたルゥプを前に、ユーリは腹の底が煮えたぎるように熱くなる。
「ごめ、ごめん……私はいつもずっと無力だ」
ユーリは誰も守れなかった。
大層な理想だけ口にして、成し得たことなど一つもない。
ならば、悪とはユーリの弱さのことを言うのではないか。
どす黒い感情の奔流が器から溢れ、思考がカチリと切り替わる。
何かを失って、失って、失って、それでも弱いままでここまで来た。ユーリは勇者じゃない。こんな紋章など関係ない。絶対に勇者ではない。
「……強くならないといけないんだよね」
改めて、ルゥプの姿を見る。
彼女はきっと助からない。
命の灯は既に消えかかっている。
「今ポーションの手持ちがなくて、買いに行こうにも多分ルゥプちゃんは間に合わないと思うんだ……このままだと死んじゃうと思う」
「……ユーリ?」
オディールの言葉を思い出す。
――お前の言葉は全部安っぽいんだよ! 抗う? 逃げない? ふざけろよ、お前は賭けられるもん全部賭けてここに立ってんのかよ!
「私、弱いからさ……私の心も全部賭けられるものは強さに変えようと思うんだ。仕方ないよ、もう間に合わないんだもんね?」
「……ユーリ? まさか、お主……そんな」
ルゥプの表情が恐怖に歪む。
まるでバケモノを見るような目でこちらを見る。
別にいい。勇者になれないなら、バケモノだっていい。
それで誰かを守れるようになるなら、それでいい。
「ごめんね、私今度こそみんなを守れるようになるね」
ユーリは、そっとルゥプの顔に指を這わす。
「どうして? 誰がお主をそんなふうにした? 何があった? ユーリ? 嘘じゃろ? ユーリ!」
「だから、最後にその眼、貰うね」
ユーリの指は彼女の右眼、アマイモンの魔眼の上で止まり、ズブリ――眼球を抉り、掴み取った。魔眼はユーリの手のひらの上で宝石のように輝いていた。
「……いや、やぁあああああッ!?」
ルゥプの絶叫。
遅れて、壊れたような笑い声が脳内に響く。自分の声だった。
「あは、あは、ハハハハハハハハハハハハハハハハ――ッ」
抉り取った眼球を大事に掌に載せて、掲げる。これは供物だ。ユーリがユーリを生まれ変わらせるための供物。弱い自分から脱却するための儀式がこれだ。
ユーリはこの瞬間に生まれ変わったのだ。
弱い自分を捨てて、勇者として誰かを守れるようになる。
ルゥプの悲鳴が途絶え、ユーリの笑い声だけが響き続けていた。
ネーラは最後の置き土産を想って、くすりと笑う。
ベリウスの奴隷となった最悪の結末。だが、不思議と心は晴れやかだった。自分は案外図太いらしい。これはこれで自由なのかもしれない。
だが、ただで転ぶ気はない。
ネーラの主人だと言うのなら、迫りくる障害の全てを打ち倒し圧倒的な強者として君臨することを求める。そうでないと、寝首を掻きたくなってしまうから。
「はてさて、ルゥプさんはどうなったでしょうか? ベリウス様に拷問された記憶に【改変】された彼女を見てユーリさんはどう思ったでしょうか?」
種は撒いた。
後は、彼女たち次第だ。
「ふふ、綺麗な花が咲いたら嬉しいなあ」




