21
海沿いの堤防に腰かけ、拓海はぼんやりと海を眺めていた。
そういえば小さい頃もこうやって、何時間も座っていた。雫と一緒に。
そして雫は時々、拓海に手紙を見せてくれた。会ったこともないという、雫の父親からの手紙だった。
「私いつかきっと、お父さんの所に行く」
大事そうに何通もの手紙を読み返しながら、少し寂しそうに笑った雫の顔を、なぜか今ごろ思い出す。
そんな雫が、妊娠していると遼二から聞いたのは数日前。その途端、頭の中がぼうっとして、すぐに大輔に対する怒りが沸いてきた。
だけど遼二は拓海に言うのだ。
「兄貴には言うなよ?」
「何でだよ。相手はあいつしかいないだろ」
「雫が言わない限り、俺たちが口を出すわけにはいかねぇよ」
ぎゅっと右手を握り締める拓海の前で、遼二が小さく息を吐く。
「俺だって腹が立ったよ。あんたの兄貴を殴ってやろうかと思ったよ。だけどあんな家族の姿を見たら、何にもできねぇじゃん」
拓海の頭に、大輔と水紀、そして翔太の笑顔が浮かぶ。
「それに雫だって、そんなの望んでない。だからあんたが、雫を大事にしてやれって言ったんだ」
唇を噛みしめ、遼二から顔をそむける。雫の気持ちを想像して、どうしようもなく胸が痛くなる。
「しっかりしろよ、拓海」
遼二の声を聞きながら考える。
自分はそんな雫に何ができるのだろうか。何をしてあげればいいのだろうか。
夕方のチャイムが鳴る。あたりは夕陽の色に染まり、どこからか豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。
だけど雫は、まだ帰ってこない。
――雫が戻ってくるまで……俺、ここで待ってるから。
待つよ。いつまでもここで待つよ。だから……だから早く帰ってこいよ、雫。
「拓ちゃん!」
名前を呼ばれて振り返る。薄闇の中を、水紀が大きなお腹を抱えて駆け寄ってくる。
「大変なの……お義父さんの具合が急に悪くなって……早く、家に戻ってあげて」
蒼ざめた水紀の顔を見て、父の容態がずいぶん悪いのだということがわかる。
「拓ちゃん、早く!」
水紀に腕を掴まれる。だけど拓海はぼんやりと突っ立ったままつぶやく。
「兄貴は……父さんのそばにいるの?」
「ええ」
「じゃあ俺は行かない。俺はここにいなくちゃならないから」
「何言ってるの? 今行かないと……もうお父さんに、会えなくなるかもしれないのよ。それよりも大切なことが、あるっていうの?」
それよりも大切なこと……。
「……うん」
答えた瞬間、頬に鈍い痛みが走った。目の前で涙を流す水紀の顔を見て、自分が彼女に殴られたことに気づく。
水紀は何か言いたげに唇を震わせていたけれど、すぐに拓海に背中を向けて、小走りに今来た道を戻っていった。
「ごめん……水紀さん」
水紀の姿が、拓海の前から消えていく。
「父さん……ごめんな」
薄暗いこの町が、闇に包まれる。明るい照明も、騒がしい音もない。ただ真っ暗な中に、波の音が聞こえるだけ。
水紀が消えた道路の向こうに人影が見えた。
朝と同じ姿の雫が、そこにぽつんと立っていた。




