20
防波堤の上で携帯電話を耳に当て、遼二は何度目かのコールを聞いていた。
出るわけない。最低と言われた自分からの電話に、莉奈が出るわけない。
それでももう一度だけ話せるなら、莉奈にちゃんと伝えたかった。
自分が間違っていたって、気づいたことを。
今さら謝っても、どうにもならないとは、わかっていたけれど。
突然コール音が途切れて、懐かしい声が耳に響く。
「……はい」
莉奈の、ちょっとかすれがちな声。
遼二の頭に、午後の教室の、けだるい授業風景が浮かぶ。
英語教師に名前を呼ばれて、立ち上がる莉奈の背中を、後ろの席からいつも見ていた。
教科書を読む、控えめな声。
自分だけに見せてくれた、はにかんだ笑顔。
キスをする瞬間の、目を閉じた表情。
白くて柔らかい、肌の感触。
そんな莉奈の全部が、好きだった。
「遼二くん?」
「うん……」
電話越しの莉奈の声に、何も答えられない自分がいる。伝えなければならないことが、あるはずなのに。
「どうして……」
莉奈の声が途切れがちに聞こえる。
「どうして電話なんてしてきたの?」
「……もう一度、話したいって思って」
「私は話すことなんかない。もう切るから」
はっと顔を上げて、電話の向こうの莉奈に言う。
「待って……切るな。莉奈……」
「私の名前を呼ばないで!」
耳元の携帯をぎゅっと握りしめる。
「遼二くんに名前を呼ばれたら、付き合ってた時のことを思い出しちゃうでしょ? 私はもう忘れたいの。楽しかったことも、嬉しかったことも全部……思い出すと、もっとつらくなるから」
莉奈の声を聞きながら、こんな想いをさせているのは自分だと思った。
「ごめん……莉奈」
「今さら謝ったりしないで」
「わかってる。謝ったって、どうにもならないって」
「だったらもう二度と、電話なんかしないで」
深く息を吸い込んでから、それをゆっくりと吐き出す。潮の匂いが鼻先をかすめる。
「莉奈、俺さ……」
目を閉じて、莉奈の笑顔を思い出す。
「俺、莉奈のこと、好きだった。本当に」
もっと……もっと、大切にしてあげればよかった。もっと、「好き」って言っておけばよかった。
女の子から付き合ってと言われて、付き合ったことは何度もあったけど、自分から告白したのは莉奈が初めてだった。
自分の前で莉奈が小さくうなずいて、付き合い始めたあの日。
二人で並んで歩いて、少しずつ相手のことを知っていった。
初めて莉奈と手をつないだ時は、馬鹿みたいにドキドキして……女の子とは、とっくにセックスだって経験済みだったくせに。
「大事にしてあげられなくて、ごめん。莉奈のことも……俺たちの……子供のことも」
莉奈は何も言わなかった。その代わりに、震えるような吐息がかすかに聞こえる。
また自分が、莉奈を泣かせてしまった。
「悪いのは……全部俺だ」
晴れ渡った夏空の下、港を出て行く船が見えた。そんな光景を見つめながら、いつか聞いた雫の言葉を思い出す。
――ここに立ってると、女の人の霊に引き込まれるのよ。
馬鹿馬鹿しいと思っていた。そんなふうに一途に人を愛するなんて……いつまでも未練たらしく相手のことを想っているなんて……。
それなのに今の自分は、ただの未練たらしい男じゃないのか?
「遼二くん?」
莉奈のかすれる声を聞きながら、ゆらゆらと揺れる水面をのぞきこむ。
頭の上から降る、強い日差し。波が水面を揺らし、眩暈がしてくる。
ああ、そうか。ここに飛び込めば会えるんだ。
死んでしまった、自分の子供に――。
「遼二くん!」
莉奈の声にはっとする。体がぐらりと揺れて、コンクリートの上にしりもちをつく。
「何やってんだ……俺」
手に持っていたはずの携帯がない。まさかと思って海の中を覗き込むと、小さな波紋が波に流されていくところだった。
「嘘だろ……」
莉奈と自分をかすかに繋ぎ止めていた糸は、海の中へ引き込まれ消えてしまった。




