6お姫様になれなかった彼女
◎⚪︎◎
『ちょっと、待ちなさいよ!』
アンは、自分の意思とは関係なく行動するもう一人の自分の後を追う。
『え?』
しかし、ドアノブを掴むことができず、手がすり抜けてしまう。
『え? え? なんで?』
よく見ればアンの体は透けており、宙に浮いていた。
「……はぁ、まったく何なんだよ、アンの奴。他の女が都合つかない時にいつでも来てくれるから便利だったのに……」
『は?』
愛しの王子様の言葉に、アンは振り返った。
「そうじゃなきゃ、顔がちょっといいだけの女、誰が相手にするかよ……。まあいいか、新しい相手でも見つけて……」
『ちょっと、何言って……』
アンは王子様の耳元で騒ぐが、彼にはまったく聞こえていないようだった。そのおかげで、少し冷静になった。
『うう、こんなことをやっている場合じゃないわ。まずは自分の体を取り返さないと……』
アンは試行錯誤し、自分の体が壁やドアをすり抜けることを発見した。
もう一人の自分を探すが、すでに近くにはいないようだった。
そして、どうしてこうなったのかを考える。
『サウィン祭って、悪霊も冥界からこちらの世界にくるのよね……』
アンは、サウィン祭で毎年公演される人形劇を思い出した。
おそらく、この街に住む者なら、子供の頃から慣れ親しんでいる人形劇の一つだ。
その物語の中に、悪霊が生者の肉体を乗っ取り、本人と成り代わるというエピソードがあった。
悪霊に体を奪われた人物は悪霊の代わりに冥界に行くか、現世を彷徨うしかないらしい。
『それって、今のわたしと同じ状況じゃない!?』
アンはその考えに行き着き、急いで自分の肉体を探した。
しかし、見つからなかった。
『一体どこに……。あ、そういえば!』
アンは、見失う前に自分の体が言っていた事を思い出した。
『確かあいつ、子供のためにとか言っていたわね……』
アンは自宅へと急いだ。
◎
「かーさん、これ美味しい!」
「そうか、それは良かった」
「あっしもいただいてしまって良かったのかい?」
「魔女様のおかげで、子供を助けられますから。といっても、大したおもてなしもできず……。申し訳ないです」
「気にしてないよ。あっしも似たような生まれだったからね。懐かしい味だ」
自宅に戻ったアンが見たのは、自分ではない自分が子供と見ず知らずの黒髪の美女と団欒している光景だった。
『な、なによ、これ……』
「おや? ご本人のお帰りだ」
「あらまあ!」
もう一人の自分と黒髪の美女が、こちらに気付いた。
「どうしたの〜?」
「この子には見えないか」
「まあ、見える方が少数派だからね」
『え? わたしのことが、見えてるの?』
「そりゃねぇ」
「ええ」
もう一人のアンと、黒髪の美女はクスクスと笑い合っている。どう見ても、良い意味ではない。
子供は、久しぶりのまともな食事に夢中で、気にしていない。
『ちょっと、どういうことか説明しなさいよ!』
「食事が終わってからね」
そうしてアンは、彼らの食事が終わり、片付けが完了し、子供が昼寝をするまで放置されることとなった。
◎
「さて、そろそろ説明してあげてもいいかな?」
「そうですね」
子供が寝息を立て始めたところで、ようやく説明となった。
『……やっとなの?』
「さて。現在、君の体に入っているのは君の夫のジェフだ」
『は、はぁ!? どうしてっ!?』
「君が母親としての責任を、ちゃんと負わなかったからだねぇ」
「オレもアンが育児放棄をしなければ、ここまではしなかったんだけどなぁ」
そう言ってアンの体に入っているジェフは、以前と同じように紅茶に角砂糖を三個入れた。
アンは甘いお茶が苦手だ。ジェフの行動を見たアン本人は、顔を顰めた。
「君はあの子の面倒を見ないどころか、虐待までしているだろう? だから、こうなったんだ」
『こうなったって……』
アンは何かいい言い訳を考えようとしたが、うまくいかなかった。
「君があの子の面倒を見ないのなら、オレが面倒を見ようと思ってね。それで入れ替わった」
『でも、そんなこと、許されるわけないじゃない!!』
「あっしが許したので、問題ないよ」
『は? アンタ、何よ!?』
「申し遅れたな。あっしはジェットの魔女。あの世とこの世を行き来する魔女だ」
『え? それって、サウィン祭の時に、死者を導くっていう巫女ってこと……?』
「さてね。冥界的には生者と死者が入れ替わっても問題はなかったりする。人はいずれ死ぬものだからね。死後、現世をいくら彷徨っていても、最終的に行き着く場所は冥界しかないのだから。
だが、それだと寿命やらの兼ね合いで問題が出るから、入れ替わりなどは禁止されているのだね」
『だったら、ジェフのやっていることは問題でしょう!?』
「しかし、冥界では恩赦が出ることもある。大きな罪を犯していない者に限るがね。今回はジェフがその恩赦を受けることになった。クジ運が良かったねぇ」
『何ですって……?』
「まあ、あの子が独り立ちできるまでだけどね」
「そういうわけで、君はジェフの代わりに冥界に行ってもらうことになるな。君の場合は彼を毒殺しているし、浮気やネグレクトに虐待までしているので、恩赦はないと思うが……」
『そ、そんなの、嫌よ……』
「それなら、現世を彷徨うこともできるが、ジェフとその子供には今後近付けないよ? そういう魔法をかけさせてもらうからね」
『いいわよ! アンタらになんて、興味ないもの!!』
そう言ってアンはどこかへ去ってしまった。
「……まあ、こうなるとは思ってましたよ」
「よくあんなのと結婚したね?」
「見た目が良かったですから。オレも若かったんです」
「そうかい。まあ、現世を彷徨っても、冥界で受ける罰の期間が短くなるわけではないけどね」
その後、ジェットの魔女はジェフが入ったアンの肉体と、その子供に悪霊除けの魔法をかけた。
ジェフはその後、アンの霊魂を近くで見かけることはなかった。
彼は慣れない体で、我が子を必死に育て上げた。
人形劇団で雑用として雇われたことは僥倖だった。
そうしてジェフは我が子が成人するまでアンの肉体で生きていたが、その翌日にベッドの上で眠るように亡くなったという──。
◎⚪︎◎
『体に戻れないのなら、王子様の近くにいるわ』
一方、アンは愛しの王子様にまとわりつくことにした。
そして分かったのは、アンは彼に良いように利用されていたということだった。
そして、王子様だと思っていた相手は、事業が成功して金を持っているだけの女好きだった。
彼は多くの愛人を囲っており、彼女たちとの間に子供も設けていた。
自分の子供であれば面倒を見ていたというのは本当のようで、彼は愛人たちにそれぞれ与えた家で、幸せそうに過ごしていた。
それは、アンには見せたことがない表情だった。
『なによ、こいつ。最低じゃない……』
肉体を失い、アンはようやく現実が見えてきた。
そして、自分を良いように使い、自分だけ幸せそうな目の前の男が憎たらしくてたまらなくなった。
そう自覚したアンの姿は、まるでいつか見た人形劇『サウィン祭の夜に』に出てくる悪霊のように変化していった。
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それからアンは、彼が他の女と仲良くしようとすると、不可思議な現象を起こして邪魔をするようになった。
彼女は悪霊として覚醒し、ポルターガイスト現象を起こせるほどの力を得ていたのだ。
彼女の愛しの王子様だった男はアンの姿を見ることはできなかったが、自分の身に起きていることは次第に理解していった。
彼には面倒を見ている女が複数いるが、同時に不幸にした女も多数いた。その中には、すでにこの世にいないものもいるかもしれない。その怨念だと彼は思い至ったのだ。
アンの王子様だった男は様々な魔法使いや占い師、霊が見える者を訪ねたが、彼の周りで起きる不可解な嫌がらせを止めることも、その本当の正体を突き止めることもできなかった。
そうして、いつしか王子様自身もノイローゼとなり、商会の会長を続けることが難しくなった。そして、彼が若い時に作った子供に商会を奪われることとなった。
『ずっとそばにいてあげるわ……』
「あ、ああ……」
アンの言葉は彼には聞こえなかったが、嫌な気配はずっと感じていた。
そして、王子様と呼ばれた男に最後に残ったのは、小さくて汚い一軒家と、彼に永遠に纏わりつく悪霊だけだった……。




