証言
翌日の午前、王宮の小さな控室に入った。
石の壁が湿っていて、匂いが鼻の奥に残る。バルクハルト経由で席だけは用意してもらった。正面に、木の椅子が一脚。
最初の証言者が扉を開けて入ってくる。輸送優先権の手続きを回したと聞いた、若い文官だった。
「この命令書の代わりになる指示を、誰から受けましたか」
「閣下のご指示と、承りました」
「どの閣下ですか」
「それは——書記課長から、そう伝えられて」
俺は頷きもせず、次の名前を紙の上に書いた。
二人目に侍従が入ってきた。紺の詰襟。聞き方を変えずに同じことを聞くと、「侍従長の補佐からのお話です」と答えた。
三人目は宮廷衛兵。具足の金具が一度鳴った。
「上が、そう言っていたと」
「上、とは」
「朝の詰所で、誰かが、そのように」
四人目、五人目、六人目。扉が開いて閉まるたびに、同じ形の言葉だけが残った。
全員、視線に揺らぎがない。嘘をついている眼の動きではなかった。
昼近くになった頃、紙の上に証言の鎖を書き出した。
書記課長を呼んで、次席書記官から回ってきたと聞く。次席書記官を呼んで、侍従長の補佐から聞いたと知る。補佐を呼ぶと、侍従長からと答える。侍従長は、この日の出勤予定が変更になっていて、まだ控室には来ていない。
鎖を辿っていくと、次の相手は必ず存在する。だが辿っていくほど、最初に口を開いた人の輪郭が薄れていった。
嘘ではない。全員が本当に、前の誰かから聞いている。その前、のその前、までは覚えている。だがさらに一段前へ行くと、誰の記憶にも顔が残っていない。
一人だけ、鎖から外れている証言があった。三人目の衛兵。「誰から聞いたかは、思い出せません」と言った。詰所で命令が流れていて、気がつけば動いていた、と。
俺は紙の上で、鎖が途切れる点を丸で囲んだ。そこから出所が、蒸発している。
衛兵の「覚えていない」が嘘なのか、本当にそうなのかは、俺には判定できない。DB は入っていない情報を検索できない。人の口は、空白を前の誰かの声として運ぶ。
喉が乾いていることに、その時初めて気づいた。
控室を出て、廊下に入った。
王宮の廊下は、覚えのある長さだった。靴音が石の壁に跳ね返る。光が高窓から落ちている角度まで、前にこの廊下を通った時と変わっていなかった。
バルクハルトの執務室に着いた。灰色の目が報告書から上がる。
「聞き取りを六人。鎖は追えましたが、最初の一人が消えています。自分が発信したと自覚のない発信者がいる可能性が高い」
「看破で見抜けと」
「はい」
バルクハルトが、ペンを置いた。紙の端を揃える指の動きに、迷いがない。以前、この執務室で報告書を引き出しにしまった時と、同じ手つきだった。
「三人目の衛兵が、出所を覚えていないと証言しました。その一人から始めたい」
バルクハルトは頷かなかった。灰色の目が、俺の顔に止まった。三秒、五秒。以前、「高速演算です」と言った後の沈黙と、同じ長さだった。
「その前に、一つ聞かせてもらう」
机の上に、石が一つ置かれた気がした。
「お前のスキルは、何だ」
あの日と、同じ問いだった。だが今度は、逃げ場が用意されていない。
「あの時、俺は聞かないと言った。聞かないのは、アイゼンベルクを片付けるまでだ。片付いた」
机の木目が、掌の下で一度だけ湿った。
貸しの期限が、今、ここに降りた。
「お前に看破を貸す。証言者の出所を特定する。だが、その前だ」
「……」
「嘘は聞かない。もう一度聞かん」
喉の奥で、息が短くなった。看破は要る。出所を覚えていない証言者の中に、事件を解く鍵がある。だがここで答えれば、あの日からしまってきたものが、王太子の側近の手に渡る。答えなければ、事件は動かない。
セレナの指が机を叩かなかった朝の記憶が、頭の奥をよぎった。だがここは、事務所ではなかった。
「急ぎはしない。今日でなくていい」
声は丁寧だった。だが、その丁寧さごと押しつけてくる。
「少しだけ、時間をください」
「長くはやれん。事件は動き続けている」
執務室を出た。
廊下が、往きよりも長く感じた。途中で立ち止まって、石の柱に手を置いた。柱の冷たさが、掌の熱を吸った。
秒針の音を、どこかで聞いた気がした。実際に鳴っていたのか、自分の中の音なのかは分からなかった。
答えるしかない。だが、答え方は選べる。
何をどう渡すか、どこまで見せるか。そして、事務所に戻ってセレナに、どう伝えるか。
高い窓から昼の光が落ちて、廊下の石に、細長い影を一つ引いていた。




