第5話 出会いと代価-5
泉から現れたその美女は、
ヴァルカと視線が合うと、にっこりと微笑んだ。
まるで春の日差しのような柔らかく穏やかな笑み。
そして
スー......
彼女は水面の上を滑るように近づいてくる。
波ひとつ立たない
足跡すら残さない
まるで水そのものに愛されているかのようだった。
⚔「......」
ヴァルカは動けない。
警戒すべきだと頭では分かっている。
だが、その神秘的な姿から、
どうしても目を離せなかった。
やがて彼女はヴァルカの目の前で立ち止まる。
そして――
そっと両手を伸ばした。
ひんやりとした指先が、
包み込むようにヴァルカの頬へ触れる。
⚔「......!」
思わず肩が揺れる。
だが、不思議と嫌な感覚はなかった。
泉の水に触れた時のような、静かで優しい温もり。
その様子を、ヴァルカはただ呆然と見つめていた。
そして
麗しい唇がゆっくりと開く。
「さぁ......」
透き通るような声
歌うような響き
彼女はヴァルカの瞳をまっすぐ見つめながら、
優しく問いかけた。
「あなたは、何が欲しいの?」
⚔「......」
その瞬間、世界から音が消えたような気がした。
風も
水音も
白鳥の羽音さえも
ただその問いだけが、
静かにヴァルカの胸へ落ちていく。
――あなたは、何が欲しいの?
それはまるで心の奥底を覗き込むような問いだった。
⚔「...俺は」
ヴァルカが口を開きかけた、その時だった。
◆「おぉーい!」
⚔「!?」
突然響いた大声に、
ヴァルカはびくりと肩を震わせた。
◆「待て待て!」
◆「こいつぁ魔女さんに用があって、
俺が連れてきたんだよ!」
ガルドが大きく手を振りながら近づいてくる。
すると泉の美女はぴたりと動きを止めた。
先ほどまでヴァルカへ向けられていた視線が、
ゆっくりとガルドへ移る。
「......」
数秒の沈黙。そして。
「あら、そう」
先ほどまでの熱が嘘だったかのように、
あっさりと言った。
⚔「......?」
突然興味を失ったように、
彼女はヴァルカからすっと距離を取る。
その表情はどこか不満げだった。
そして、心底残念そうな顔で呟く。
「なぁんだ」
「つまんなーい」
⚔「......」
◆「がっはっは!」
ガルドだけが事情を知っているように笑っている。
ピチャンッ
美女の身体は水へ溶けるように沈み――
そのまま泉の中へ消えてしまった。
波紋だけを残して。
⚔「......なん」
⚔「......何だったんだ」
思わず呟く。
◆「がっはっはっは!」
◆「兄ちゃん!」
◆「まだまだ青いなぁ!」
⚔「......意味が分からん」
◆「そりゃそうだろうな!」
◆「あと数歩遅かったら、
今頃連れて行かれてたかもしれねぇぞ?」
⚔「......は?」
ヴァルカの眉がぴくりと動く。
◆「がっはっはっは!」
ガルドは答える代わりに、
楽しそうに笑うばかりだった。
◆「ほれほれ、先を急ぐぞ~」
ガルドはヴァルカの背をぽんと軽く叩くと、
ずんずんと先へ進んでいく。
⚔「......」
ヴァルカは夢から覚めたかのように何度か瞬きをした。
そして小さく首を振ると、ガルドの後を追う。
◆「兄ちゃん」
◆「悪ぃ女には気ぃつけろよぉ?」
⚔「......」
むっと眉をひそめる。
⚔「別に惑わされてない」
◆「ほぉ?」
ガルドが意味ありげに笑ったその時。
チャプンッ
⚔「......?」
振り返ると、再び泉から頭半分だけ顔を出した美女が、
こちらを覗いていた。
銀色の髪を濡らしながら、
くすくすと楽しそうに笑っている。
「でも」
「あなた、可愛かったわよ?」
⚔「なっ!?」
一瞬で耳まで真っ赤になるヴァルカ。
◆「ぶっ......!」
ガルドの肩が震える。
⚔「おい」
◆「がっ......!」
⚔「笑うな」
◆「がーはっはっはっは!!」
とうとう堪えきれなくなったガルドの豪快な笑い声が、
泉中に響き渡った。
⚔「......くそっ」
美女は楽しそうに微笑む。
「ふふっ」
小さく笑うと、再び泉の中へ姿を消した。
チャプン......
残ったのは、いつまでも響くガルドの笑い声だけだった。
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泉の庭園をしばらく進むと、
再び目の前に石橋が現れた。
◆「よし、次だな」
⚔「......」
ヴァルカはもう何も言わない。
言ったところで無駄だと悟っていた。
2人は迷うことなく石橋を渡る。
コツ......
コツ......
静かな足音が響く。
そして
ぐにゃり。
再び視界が歪んだ。
景色が溶ける
空が消える
湖が消える
そして――
気付けば。
⚔「......?」
2人は椅子に座っていた。
◆「おっ」
いつの間にか、そこは劇場のような空間になっていた。
赤い絨毯
幾重にも並ぶ観客席
天井には豪華なシャンデリア
まるで王都の大劇場を思わせる壮麗な造りだった。
しかし、観客は誰もいない。
静まり返った空間。
そこに響くのは、時計の針の音だけ。
⚔「......」
ヴァルカはゆっくりと前を向く。
目の前には巨大な舞台。
そして、スポットライトの中心に立っていたのは――
一匹の白うさぎだった。
⚔「......」
◆「......」
⚔「......?」
◆「......」
白うさぎは、
ちょこんと立っている。
頭には黒いマジシャンハット
首元には真っ赤な蝶ネクタイ
⚔「......なんだあれは」
◆「うさぎだな」
⚔「そんなのは見れば分かる」
ヴァルカたちは立ち上がり、
舞台へと歩みを進める。
静まり返った劇場
足音だけが響く。
やがて舞台の目前まで来ると、
白うさぎは愛らしい赤い瞳でじっとヴァルカを見つめた。
⚔「....?」
数秒の沈黙。
そして。
白うさぎは頭のマジシャンハットを取ると、
ぺこりと丁寧に一礼した。
まるで観客を歓迎する役者のように。
続いて、どこからともなく小さなステッキを取り出す。
⚔「......」
その仕草は妙に洗練されていた。
ただの動物とは思えない。
その時。
◆「兄ちゃん」
⚔「......?」
◆「気ぃ抜くなよ」
先ほどまでとは違う、
珍しく真面目な声だった。
ヴァルカの表情も引き締まる。
⚔「何が始まるんだ」
◆「見りゃ分かる」
ガルドは短く答えた。
その直後。
白うさぎがステッキを高く掲げる。
くるり。
軽やかに一回転。
そして――
「これより、1次試験を開始します♪」
⚔「......!」
次の瞬間だった。
無数の魔法陣が空中に展開される。
パァァァァァッ!
幾重にも重なり合う光。
その中心から、
大量のトランプが一斉に飛び出した。
バラララララッ!!
⚔「!」
赤。
黒。
無数のカードが、
嵐のように劇場内を舞い始める。
ヴァルカはとっさに剣の柄へ手を添えた。
だが――
「武力行使は禁止です♪」
ポンッ
小気味よい音が響く。
⚔「...!!」
次の瞬間。
ヴァルカの剣が白い煙に包まれた。
⚔「なっ...」
一瞬で煙が晴れる。
そこにあったのは――
可愛らしい1輪の花だった。
⚔「......」
⚔「......は?」
手に残された花を見つめる。
振ってみるが、そよそよと花弁が揺れ甘い香りがするのみ。
どう見てもただの花だった。
その後ろで。
◆「うぉっ!?」
今度はガルドの驚いた声が響く。
振り返ると。
⚔「......」
◆「......」
ガルドの巨大な大斧は、
見事なバラの花束へと変わっていた。
真っ赤なバラ
丁寧に束ねられた豪華な花束
まるで誰かにプロポーズでもするかのような。
◆「おいおい......」
◆「俺のぁ随分ロマンチックだなぁ......」
ガルドはぽりぽりと頭をかく。
その手には、筋骨隆々の大男にまったく似合わない花束。
⚔「......」
◆「......」
⚔「......似合わないな」
◆「お互い様だろ?」
その様子を見ていた白うさぎは、
「ふふっ♪」
楽しそうに笑った。
赤い瞳が細められる。
そして、ステッキをくるりと回す。
「試験官である私に攻撃した時点で失格となります♪」
「おふたりとも、仲良くルールを守ってくださいね♪」
そう言うと、白うさぎはヒクヒクと髭を揺らした。
⚔(....嫌な予感がする)
再び白うさぎがステッキをひと振りする。
すると、宙を舞っていた大量のトランプが、一斉に集まり始めた。
バララ......
──そして。
ヴァルカたちの目の前に、4×4に並んだ16枚のトランプが静かに展開される。
⚔「....?」
◆「なんだぁ?」
白うさぎはマジシャンハットのつばを軽く持ち上げ、優雅に一礼した。
「ルールは簡単です♪」
「この中から、“1枚だけ”安全なカードを選んでください♪」
⚔「......」
ヴァルカは目を細め、目の前の16枚を見つめる。
どのカードも裏向き。
模様ひとつ見分けがつかない。
⚔(記憶力を試す試験か......?)
慎重に問いかける。
⚔「仮に、間違ったカードを引いた場合は?」
白うさぎは一切ためらうことなく答えた。
「即死です♪」
⚔「...!」
あまりにも軽い口調。
まるで「残念賞です♪」と言うかのような笑顔だった。
ヴァルカはとっさに手元へ視線を落とす。
そこにあるのは──
幾度となく命を預けてきた片手剣ではない。
ただの1輪の花。
⚔(......どうやら)
⚔(ここでは常識は通用しないようだ)
ヴァルカはゆっくりと息を吸った。
「今回はおふたりいますので、1人につき1回まで選択可能とします♪」
「それでは──」
「試験、スタートです♪」
カチ...カチ...カチ...
どこからともなく、
時計の針が時を刻む音が響き始めた。
⚔「……制限時間付きか」
ヴァルカは目を細め、
目の前に並ぶ16枚のトランプへ視線を向ける。
どれも裏向きで見た目に違いはない。
⚔(焦らせて判断を鈍らせるつもりか……)
静かに思考を巡らせる。
だが──
◆「おっ!」
ガルドがのっしと前へ出た。
⚔「……?」
◆「運試しかぁ!」
◆「こんなのは変に考えすぎても仕方ねぇ!」
◆「勘ってやつも大事だからな!」
⚔「っ!待て──」
制止するより早く、
◆「よし!これだ!」
ガルドは迷いなく1枚のカードを指さした。
⚔「……!」
ヴァルカが手を伸ばす。
しかし、その指先は届かない。
ペラリ……
静かな音を立てて、カードがゆっくりと裏返った。
そこに描かれていたのは、
不気味に笑うジョーカーの絵柄。
「……残念、ハズレです♪」
白うさぎは笑顔のまま、ステッキを軽く振る。
シュッ──
次の瞬間。
ガルドの体から、力が抜けた。
◆「……あ?」
グラッ……
その巨体がゆっくりと傾き、
バタンッ
鈍い音を立てて床へ倒れ込む。
⚔「おい!!」
ヴァルカは慌てて駆け寄り、その肩を揺さぶった。
⚔「しっかりしろ!」
返事はない。青白く、生気を失った顔。
閉じられたまぶたはぴくりとも動かない。
嫌な予感が胸をよぎる。
ヴァルカはとっさに首元へ指を当てた。
⚔「……!」
脈が、ない。
続けて耳を口元へ近づける。
──呼吸も止まっている。
⚔(脈が……無い……)
⚔「っ!!」
ヴァルカの表情から血の気が引いた。
「残り1回です♪」
まるで何事もなかったかのように、
白うさぎの明るい声だけが劇場に響いた。




