赤い悪魔は、誰……
ついにランスの手に落ちたアリア。ミツキの懸命な呼びかけは虚しく雷鳴に呑み込まれていく。
※ランス視点です。
「は……軽いな……」
この腕の中で、アリアの呼吸が微かに震えている。
それが生きている証だと思うと、胸の奥が何故か痛んだ。
「ランス様!奥様をどこへ連れて行く気ですか!?」
ミツキの叫びが響く。
しかし廊下はすでに混乱していた。
外では馬車の車輪が滑り、侍徒たちが傘を取りに走り回る。
雷鳴、怒号、雨音。
それらが渦を巻いて、現実をかき消してゆく。
(誰か……誰か!このままでは奥様が……!!)
ランスは足早に、だが静かにその渦を抜けた。
まるで嵐がランスのために道を空けたかのように。
門番も、誰一人として気づかない。
男の肩に掛けられた黒いマントが雨を吸い、滴を落とした。
「……ん……」
少し濡れてしまったのだろう。アリアの小さな吐息が漏れた。銀白色の髪がそこに触れ、白い花弁のように張りついた。
「大丈夫だよ、あの"赤い悪魔"はもう来ないから。俺はアリアを解放するためにやって来たんだ……」
"赤い悪魔"とは誰のことだったのか……
カリス?それともーー
その時のランスはもう正気を失っていた。侯爵でもなんでもない、ただの欲と毒に堕ちた哀れな男がそこにいた。
ランスは誰にともなく『もう大丈夫だ』と何度も何度も呟く。
その声は、祈りのようでもあり、懺悔のようでもあった。
遠くで、鐘が鳴った。
嵐に溶けるようなその音の中、二度とランスは振り返らなかった。
*
「……アリア……」
ランスは馬車までの道のりで一つの名前を呼ぶ。
その声はことさら柔らかく、優しく、今までどんな女にもかけたこともないほどの愛情に溢れていた。
止まらない雷鳴に映し出されたランスの顔はまるで、宝物をやっと手にした少年のように輝いていた。
雨は止まない。
そしてその夜、ヴァレンティ侯爵邸からひとりの奥方が姿を消した。
赤い悪魔とは誰の事だったんでしょうね。カリス?それとも……
雷鳴と怒号で現実が掻き消えてゆく描写ですが、私のお気に入りの一文です。一度でも流れ出した時間は残酷にも過ぎていくんですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。




