これは救いですか。
神域から抜け出して、マオ君に手を取られながら空に降り立った。
随分久しぶりに浴びた気がする太陽光に目が眩む。
そんな眩しさとは裏腹に、眼下にはそれはもう壮絶だったであろう戦いの後が広がっていた。
地面はあちこちが割れて抉れ、薙ぎ倒された木々や疲弊した騎士たちを見ると、まるでここら一体にだけ終末が来たかのようだ。
それでも校舎にまで被害が及んでいないのだから流石である。
逆光に目を細めながらマオ君を見上げると、握っていた手が名残惜しそうにゆっくりと離れていく。
いつの間にかふわりと近付いてきたシロ君と何やら無言の会話をして、2人とも姿を消した。
一瞬驚いたけれど、何か考えがあるんだろう。マオ君はもう大丈夫、きっとまた後で会える。
それよりも、私の横で押し黙ったままのダグラスをどうにかしなくては。
徐々に地上へと降りていく私達を、騎士達が待ち構えている。
「捕えろ!!」
テオの掛け声を合図に、ダグラスは地面に組み伏せられ取り押さえられた。その両手には重厚な手枷がはめられる。
それでもダグラスは抵抗する気力も無いようだった。
「ロザリア様はこちらへ……!」
「……待って、少し彼と話をさせて」
「しかし……!」
私を安全な場所へ避難させようとする騎士の手を制す。
引くに引けず狼狽る騎士達には申し訳ないが、これが最後のチャンスなのだ。
「いいよ、彼女の好きにさせてやってくれ」
「ありがとう、テオ……」
許可をくれたテオにお礼を言って、ダグラスに向き直る。
騎士達が躊躇いながらもダグラスを解放すると、気怠げに身体を起こし口を開いた。
「……君の言う用って、こういうことか」
「教えてあげるから、歯を食いしばりなさい」
言うが早いか、鈍い音が響き周囲が静まり返る。握り締めた拳を、思いっきり顔面に叩き込んでやった。
「ロザリア!?」
「っ、てぇ……」
ふん、温室育ちな私のパンチがそんなに痛いわけないでしょ。私の手の方が痛いわ。
こんなことならもっと鍛えておけば良かった。
「あんただけはどうしても一発ぶん殴ってやらなきゃ気が済まなかったのよ!!散々人のこと引っ掻きまわしておいて、そう簡単に死ねると思わないで頂戴!!」
ビシッと指をさして高らかに宣言する。
ダグラスはあの場所で、あのまま死のうとしていたのだと嫌というほど分かってしまった。
非常に納得いかないが、私も同じことをしたから。
「ハッ、正義の味方にでもなったつもりかよ。君のそういうとこが嫌いなんだ」
「頭にきたから殴っただけよ。私だって、あなたのその自棄になってるところ嫌いだわ。私は慰めてなんてあげないわよ」
全く良くやってくれたものだ。本当はもっと上手く立ち回れたくせに、見せ付けるように歪な運命を作り上げて。
お陰で全部手放すところだった。今まさに、目の前のあなたみたいに。
睨み合った視線を、先に逸らしたのはダグラスの方だった。
「……誰が、君なんかに。用が済んだのなら、さっさと連れて行けよ」
「まだよ、まだあなたの話を聞いてない」
「話す義理はないね」
「このままでいいの?もう二度と聞いてあげられないかも知れないのよ!!」
膝をついて、目を背けるダグラスの肩を掴む。
人の過去を詮索する趣味などないが、これだけは、ここでこじ開けなければならない気がした。
だってこの先の未来で、私ほどダグラスのことを分かってあげられる人なんていはなしない。
例えそれが、自惚れだとしても。
「うるさいなぁ!!話したところで、君に何が出来るって言うんだよ!!今からでも処刑されてくれるのか?世界を滅ぼしてでもくれるのか!?全部ぶち壊したのは君の癖にさぁ……!!」
バシッと手を振り払われる。ダグラスがここまで感情的になったところを初めて見た。
いつもの貼り付けられた笑顔など見る影もなく、まるで癇癪を起こして当たり散らす子供のようだ。
「どうして、そんなに正しい未来を望むの?」
「……正しい未来しか、望めなかったから」
……そっか、やっぱりダグラスには、未来を変えられないんだ。
ずっと気になっていた質問だった。
未来が見えたなら、なんて、誰でも一度は考えることだ。そしてその理由は大抵、自分が望む未来を手に入れるため。
だけど彼は真逆の行動をしていた。それは、分かってても変えられない、回避できないということを嫌というほど経験してきたからだ。
そんなダグラスの目に、私はどう映ったのか。
「……なら、私があなたの未来も変えてあげる」
「はぁ……?君いまの話聞いてなかったのか!?」
「聞いてたから言ってるの、私が全部悪いんでしょ!!だったら責任とってやるわよ!!!」
「なんでっ……!!なんでだよ!!!見捨てればいいだろ、憎めよ!!!君がそういう風に綺麗でいると、余計に自分が惨めになるんだよ……!!」
綺麗なんかじゃない。
私には、側にいてくれる人達がいたから前を向けただけ。
1人だったらとっくに挫けていたよ。
「……いいわ。そうして欲しいならしてあげる。それであなたは満足するのね?」
「それは……っ」
「ダグラス」
俯くダグラスの顔に両手を添えて、視線を交わした。これを最後の問いかけにする。だから、答えて。
「あなたが本当はどうしたいのか、教えて」
ダグラスの瞳が揺れる。何かに葛藤しているようだ。ぐっと眉間に力が入り、何かを決意したかのような表情に変わった。
「……終わりに、したい……」
ぽつりと呟かれたのは、今度こそダグラスの本心。
「もう、一人で生きていくのは嫌だ……みんなが、決められた台本通りに動く舞台に見えるんだ……虚しくて、辛い……」
それを聞いて、ぞっとした。
ダグラスにとっては人の行動から言葉のひとつまで、全てが見覚えのある未来の再現でしかない。
そんな時間を、何千年も彷徨ってきたの。
「違う、俺に、そんなこと言う権利なんてない……俺は、償わなきゃ……」
「……どうして?ゆっくりでいいから、聞かせて」
「……あの日、俺が出掛けなければ、もっと早く帰っていれば、妹の側に居てやれてたら……死なせずに済んだのに……」
断片的にだが語られる過去は、酷く優しい後悔だった。
これが全ての始まりの、一番最初の記憶か。
「未来を変えたかったんだ。妹を殺したあいつらも、綺麗事を並べて俺と妹を裏切った英雄も、俺から憎しみを奪おうとした黒の神も、何千年経ったって許せないけど……一番許せないのは、あの子を助けてやれなかった俺自身だから……」
爪が食い込むほど強く握り締められた拳にそっと手を重ねる。
ダグラスはずっと、自分のことを責めて生きてきたのかと思うと悲しくなった。
「凄く頑張ったんだよ、それこそ命がけで。だけどこの世界に生まれた俺には、理に逆らうことは出来なかった……だったら世界だって、運命に従って滅びるべきだろ……俺に出来なかったことが出来る君が、羨ましくて妬ましくて、大嫌いだ……」
「……いいよ、それでも。私もきっと未来が変えられないままだったら誰かを憎んでいたもの。だから大丈夫」
「……なんでそんなに強いんだよ……」
「強くなったのよ、誰かさんのおかげでね。それに私は残してきた側の人間だから、あなたのこと放っておけないみたい」
ふと、前世の家族のことを思い出した。
お別れも言えなかったけれど、私は楽しくやってるから。少しだけ悲しんだあと、乗り越えて進んで欲しい。
それを伝えられない分、私はダグラスに寄り添いたい。
「……君も、死んだ、のか」
「ここにいるんだから当たり前でしょ。私はある日突然、事故にあって死んだのよ」
「恨んで、ないのか……?」
「思うところがないわけじゃないけど、それも含めて今を生きようって思ったの。だけど、あなたを見てちょっとだけ家族が心配になったわよ。しっかりしてよねまったく……」
薄情かもしれないが、そんなものだ。過去でも未来でもなく、人は今しか生きられないのだから。
わざとらしく溜息を吐いた私の肩に、ダグラスは顔を埋めた。
「……ごめん」
「うん」
「……っ、ごめん」
「うん……いいよ、許してあげる」
これが何に対する謝罪だとしても受け入れよう。震える体を抱き締めて、そっと撫でた。
「守って、やりたかった……何にもしてあげられなかった……!」
「そう思ってくれる人がいるだけで幸せだわ、きっと」
ずっと我慢していたものを吐き出すように、ダグラスは謝罪を繰り返す。
落ち着くまで何度でも声を掛け続けた。
「……妹も、許してくれるかな……」
「その前にこっぴどく叱られることを覚悟した方がいいと思うわ」
私もめちゃくちゃ怒られたからね、でもそれも私を想ってくれてるが故だから。
自分の時を思い出して唸っていると、微かに笑った声が聞こえた。
「罪は、償う……この後どんな罰が降ろうとも従うよ。……だから、次、生まれ変わってもまた君に会いに行っていいかな」
「それはいいけど、私は生まれ変わるとしたらどっちの世界なのかしらね」
「何処にいても探し出す。時間だけは無限にあるからね」
きっと彼はまた転生を繰り返す。私はそのとき、側にいてはあげられないだろう。
この約束が少しでも彼の支えになればいいのだけど。
「ダグラスのこと、覚えてなくても拗ねないでよ」
「……全部忘れた君を籠絡するのも楽しそうだ」
ダグラスは私の耳元で囁くと顔を上げた。
なにか不穏な単語が聞こえたのだけど。本人はいつもの爽やか笑顔に戻ってにこにこしている。
まぁ軽口が叩けるくらいにまで回復したってことか。
「ねぇ……名前、教えてよ」
これはきっと、私の本当の……前世での名前を聞いているのだろう。
忘れたことはない、けれど教えてあげない。彼と出会った私はロザリアとしての私だもの。
立ち上がって服についた砂を払い、ダグラスに手を差し出した。
「……ロザリアよ。私はロザリア・エルメライト」
「ははっ、あっそ。……じゃあね、ロザリア」
「へ」
握られた手を、ぐいっと引っ張られた。
何事かと思ったときには、唇ギリギリのところに暖かくも柔らかい感触が。
一瞬、思考回路が停止した。私が動けずにいる間に、ダグラスの端正な顔が離れていく。
「なっ……、な、な、何するの!?」
「何って、嫌がらせ」
いい笑顔で何言い放ってくれてんの!?
さっきまでの殊勝な態度はなんだったのか。
驚愕する私を放って、ダグラスは一人でさっさと立ち上がった。こいつ、この、人の好意を……!!
いや、それよりも後ろがやばい。ブチ切れ寸前のオーラを感じる。
「い、いたいいたい、アレン、擦らないで!!口じゃない!!ギリ口じゃないから!!」
折角いい子で見守ってくれていたアレンが、無言で私の口を拭い始めた。摩擦が痛い!!!
「そういう問題じゃないんだよ。地下牢に連れて行け!!早く!!」
「あはは、数千年の時を生き続けるより辛い拷問があるなら楽しみにしてるよ。あの続きはまた来世でね、ロザリア」
そうしてダグラスは突っ込みづらい自虐ネタと爆弾を残して連行されて行った。最後まで人騒がせな奴だわ。
……けど、吹っ切れた顔をしていた。またいつか、会えるよね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お身体に異変はありませんか?痛むところは?悲しいことや辛いことがあれば全部話してください!!」
「大丈夫、なんともないから……」
「本当ですか……?」
事後処理の合間、私はルチアによる怒涛のカウンセリングを受けている。
えらく精神面の心配をされているが、そんなに情緒不安定に見えただろうか。
「……そういえば、マオ君とシロ君はどこ行ったの?」
「お姿を隠しているだけで近くにはおられるかと……あとでテオドア様と処遇について話し合われるそうです」
「そっか……」
気安く呼んでるけど神様だものね。
そうひょいひょい顔を出すわけにはいかないか。マオ君との再会はまだもう少し先になりそうだ。
「ところでロザリア、君の見た未来の結末は変わったんだよね」
「ん?そうね」
例によって後始末の指揮を取っていたテオがひょっこりと顔を出した。
魔王を倒してハッピーエンド、なんてことはもう起こりはしないだろう。というか起こさせない。
つまりゲームのシナリオは今後無いも同然ということだ。
「ならもう僕との婚約を拒む理由はないよね?」
「そっ、そう……?」
そう、かな……?
いやまだ王妃になるの嫌なんだけど……ていうか、それを言いに来たのか。
「……前向きに検討します」
「ほんとにっ……!?長かった……ついにロザリアが肯定的な発言を……!」
わぁ、こんなに嬉しそうなテオ初めて見た。
天に向けてガッツポーズまで決めている。罪悪感が凄い。
「あいつは断りたい商談のときも同じことを言っていたぞ」
「……今は、浸らせてやろうぜ……」
嘘はついてない、嘘は。
ひとまず私が断るひとつの理由が無くなったのは事実だ。頷くかどうかはともかく。
「ロザリア、父様も母様も領地も僕のことも好きだよね?」
「うん、勿論よ」
「ずっと家にいたい?」
「そりゃあ出来ればね」
「僕と結婚すれば家から出なくて済むよ」
「はっ……たしかに……!」
盲点だった。いやけど、血は繋がってなくともアレンは私の可愛い弟……しょうもない引き籠り人生のための犠牲にするわけには……!!
「ね、だから僕と結婚しよ」
「折角ロザリアがその気になったのに邪魔しないでくれるかな弟くん」
「……この期に及んで検討するって言われただけでしょ……いい加減諦めたら……?しつこい」
ああ、またバチバチ火花が散り始めた。人を挟んで喧嘩するのはやめてくれ。
「オズ〜……助けて〜……」
「お前すぐこっちに逃げてくんな」
だって私の安全地帯だもの。あとガード兼ストッパーでもある。
くしゃっとした顔で笑うオズは、傷だらけでボロボロになっていた。
痛々しくて、痣になっている口元へと手を伸ばす。
「痛そう……」
「こんくらいなんでもねぇよ。お前が帰ってくるって信じてたからな」
わざわざ屈んでくれたオズの頰を撫でると、自分の手を重ねて擦り寄ってきた。
健気な奴め……!!
「跡が残っちゃったら私が責任持って貰ってあげるからね……!!」
「あ!?いや、それ普通逆じゃ……」
「オズが私のこと貰ってくれるの?」
「……責任は、とる」
顔が真っ赤でいまいち格好がつかないが、頑張って答えてくれて嬉しい。
まぁ私には傷一つついていないのでオズが責任をとることは何もないのだけど。
「へぇ〜、オズワルド君はなんの責任をとるのかな?」
「……どさくさに紛れて消せば良かった」
「ちょ、待て!!俺怪我人……!!!」
喧嘩をしていたと思ったテオとアレンにオズが引き摺られていった。元気だなあ。
「全く、騒々しいな……」
「あ、そういえばユリウス。貰ったネックレス壊れてあの中に置いてきちゃったの、ごめんね」
「その為に作ったのだから構わん。……が、お前にはネックレスよりも首輪を着けた方が良さそうだな……」
首筋を撫でられてぞわっとした。
本気なのか冗談なのか分かりづらいのよ!!
いつか本当に首根っこ捕まえられそうで怖い。
「ペット扱いか……」
「誰彼構わず尻尾を振らない分ノストラダムスの方が賢い」
私だってそんなことしてません!!
抗議の意味を込めてじと目で睨んでもユリウスは明後日の方向を向いている。
「素直じゃありませんね」
「……何のことだ」
「ロザリア様、私にロザリア様の容体を聞いてくるように仰ったのは誰だと……」
「それ以上言ったら家が更地になると思え」
穏やかに微笑むルチアと不機嫌になったユリウス。この2人、いつの間にこんなに仲良くなったんだろ。
対照的な表情をしたユリウスとルチアがいて、周りを見回すとテオとアレンとオズが取っ組み合っている。
なんだかそれが可笑しくて、笑顔になった。これがみんなで守った世界、だからかな。