夏海の場合(1)
『ここでしょうらいをちかうとかなうんだって!』
『しょうらい?』
『いっしょういっしょにいようねってちかうの! ぼくといっしょにちかってくれる?』
これは、幼い頃の、幼馴染との記憶――
私の地元には、"願いが叶う池"と昔から言われている場所がある。
十四年前に立ち入り禁止となっているが、私からしてみれば何の変哲もないただの池だ。静かな場所にあるため景色としては一見神秘的であっても、近づいてみると汚くて臭い。
今ではもう、誰も近づかない場所だ。
「夏海、お前も行くだろ?」
成人式のために久しぶりに地元へと戻って来た私は、幼馴染である啓吾の言葉に頭を振った。
「あー……、うん。けど、その前に少し行きたいとこあって」
「え、どこ」
「ちょっとね。啓吾は先行ってて」
「ちょ、夏海! 待て――」
啓吾の静止を聞かず、一度家に戻って着替えを済ませた。
これから行く場所には、一人で行きたかったから。
立ち入り禁止の看板はあるが、それを無視して進む。
この場所に立つのは、十四年ぶりだ。
とても静かな場所で、自分の足音しか聞こえない。
当時の記憶と同じ池が、そこにはあった。
木々の隙間から光が差し込み、それが池に反射して眩しいくらいに輝いている。
あの時、誓っていれば何か変わっていただろうか。
誓っていれば、彼はまだ隣にいただろうか。
考えてもわからないけれど、考えずにはいられなかった。忘れたことなど一度もない。
――十四年前のあの日、私は彼の告白を断った。そんなつもりはなかったけれど、そういうことになるのだろう。
『ここでしょうらいをちかうとかなうんだって!』
『しょうらい?』
『いっしょういっしょにいようねってちかうの! ぼくといっしょにちかってくれる?』
『んー、それならけいちゃんもよぼうよ』
『ふたりじゃなきゃいみないの!』
『そうなの? でもそれだとけいちゃんがかわいそうだよ』
あの頃は、意味なんてわかっていなかった。ただ、私たちはずっと三人で一緒にいたから、啓吾もいた方がいいと思っただけで。
引き止めようとする彼を振り切って私は啓吾を呼びに行き、一人残った彼は――池で、溺れて死んだ。
遺体は、何故か見つからず、当時彼が履いていた靴だけが、池の中央に浮いていた。
池の前にしゃがむと、異臭が鼻をつく。水が濁っていて、底の様子はまったく窺えない。
暫く池を見つめたあとに持って来た花を足元に供え、手を合わせた。
ここに花を供えるのも、手を合わせるのもこれが初めてだ。
(薄情な幼馴染だよね)
忘れたことは一度も無かったのに、何度も行こうと思っていたのに、結局こんなに遅くなってしまった。
立ち入り禁止となっていても、こうして簡単に入れるのだから、それは意味のない言い訳だ。
遺体がないからか、幼かったからか、彼が死んだという事実が未だに上手く飲み込めない。
(こんなことになるなら、あの時誓ってればよかった)
今更思っても仕方のないことばかりが、頭の中でぐるぐると回っている。
それからどのくらいの時間が過ぎたのだろうか。
周りの木々が大きな音を立て、冷たい空気が肌に突き刺さった。
まるでそれが合図のように感じられ、目を開けた。
『その願い、叶えてあげましょうか?』
「!?」
目を開けた直後、耳元で、いや、それよりももっと近い所から声が聞こえた。
反射的に振り向いても、そこには誰もいない。ぶわりと全身に鳥肌が立ち、急速に指先が冷えていった。
空耳だと片付けるには、はっきりと聞こえすぎている。
『ああ、人間は姿が見えないと恐怖を感じるんでしたね』
「!?」
女性とも、男性ともとれる声が頭の中に直接響いているような感覚で、気持ちが悪い。
『久しぶりすぎて忘れていました』という言葉とともに、突然人が現れた。
効果音をつけるとしたら"パッ"と、本当に何もないところに一瞬で現れた。
銀色の長い髪に金色の瞳を持った中性的な顔立ちで、白を基調とした和装がよく似合ってるいる。性別も年齢もよくわからないが、明らかに日本人ではない。というか、確実に人間でもない。
音もなく現れた人物は、池の中央に沈むことなくふよふよと浮いているのだ。
(姿あっても怖いですけど!?)
『怖いですか? おかしいですねぇ…。この世界で好まれる容姿と言葉遣いを選んだつもりなのですが…』
池の中央とは距離があるのに、声は変わらず頭の中に直接響いている。
現実味のない光景だからか、的外れな発言に力が抜けたからか、恐怖が若干薄れた。
(それ以前の問題でしょ……)
『それ以前とは?』
「えっ!?」
『え?』
(え、今心読まれた……? 偶然……?)
声に出していないことに返事を返され、再び鼓動が速く動きだす。
ただ、こっちの気も知らずに目の前の人(?)は、事もなげに言った。
『思考を読み取っているので声を出さなくても伝わりますよ。耳は飾りのようなものですから』
「……」
急に何を言っているのか分からなくなった。いや、最初から分かっていなかったかもしれない。
というか、なんで私はこの人(?)の話を真面目に聞いてるんだろう。変な人(?)には関わらないのが一番だ。うん。そうだ。逃げよう。
『ちょっと! 待ってください! 変な人呼ばわりは酷いんじゃないですか?』
くるりと池に背を向けた瞬間、頭の中に声が響いた。池の中央にいたはずの人(?)が、帰り道を塞ぐようにして立ちはだかっている。
(思考を読むんだったっけ……)
思考を読むとか意味が分からないけれど、実際先回りされてしまっている。
『私はあなたたちの言うところの神です』
「………………紙?」
『違います! そのイントネーションではありません! 神様です! カ・ミ・サ・マ!』
(神様……っているの? これもしかして夢?)
『夢ではありません!』
そう思った方が色々と納得できるのに、自称神様に呆気なく否定されてしまった。
間抜けなやり取りに、少しだけ肩の力が抜ける。なんだか戦々恐々としているのが馬鹿らしくなってきた。
何が目的かは分からないけれど、何かされるのならとっくにされてるはずだ。身の危険はないだろう。たぶん。きっと。
『目的は初めに言いましたよね?』
「……?」
『"その願い、叶えてあげましょうか?"と』
「願い……?」
最初に言った、と言われてもあの時は声にびっくりして何を言われたかなんて覚えていない。そして自分の願いとやらも、驚きと一緒にどこかへ飛んでいってしまった。
『"あの時誓っていればよかった"と言っていたじゃないですか』
――そうだ。あの時、誓ってほしいと言われた時、誓っていれば彼はまだ隣にいたかもしれない。だから、もし戻れるなら――
「戻れるの!?」
『いえ、戻れません』
両手でバツを作りながらあっさりと否定された。イラっとしたのは私だけだろうか。
『戻れませんが、彼のいる場所に送ることは可能です』
「……死後の世界、ってこと……?」
『いえ、異世界ですね』
異世界。
異世界……?
『あれ、こちらでは今流行っていますよね?』
流行っては……いる。けれど、それは小説や漫画の世界だ。それを流行っているといっていいものかどうか。……とりあえず、話を聞こう。
「……異世界に、転生した…ってこと?」
『いえ、転移の方ですね』
「え……、ってことは六歳が一人で何も知らない世界に……? 過酷すぎない!?」
『そう言われましても、彼が選んだことですので』
「選んだって……、六歳の子にそんな……」
――あ、違う。その選択をさせたのは、私だ。
彼がどこまで本気で言ってたか分からないけれど、あの頃なら後先考えずに勢いだけで決めてしまってもおかしくない。
ましてや非現実的な世界に行けるなど、面白がる確率の方が高そうだ。
「……ちゃんと、生活できてるの……?」
『どうでしょう? "ちゃんと"の定義は人によって違いますし、そもそも異世界を覗き見る権限は私にはありません。生きていることは分かりますが』
(無責任な……)
しまった、と思った時にはもう遅かった。知られたくないから声に出さずにいたのに、意味がないなんて厄介すぎる。
けれど、自称神様は気分を害した様子もなく、当然のように首を横に振った。
『私も万能ではありませんからね。なので、彼の現状が知りたければあなた自ら異世界に行くしかありません』
「私が……?」
『はい。私には送ることしかできませんので。ただ、一つだけ注意点が』
金色の瞳が細められ、形の良い唇に立てた人差し指が触れる。先程までの軽々しい雰囲気ががらりと変わった。
知らず、喉が上下する。
『一度異世界に行ってしまえば、もうこちらには戻ってこられません。それを踏まえた上で、今、決断してください』
(戻ってこられない……?)
行く選択をすれば、家族にも、友達にも、…啓吾にも、もう二度と会えないってこと……?
そうなる未来が全く想像できず、考えが纏まらない。
ただ、行かない選択をした場合は、後悔するであろうことが容易に想像できた。
そもそも、あの時のことをずっと後悔しているのだ。戻れるのなら戻りたいとずっと思っていた。
友人と楽しいひと時を過ごしていても、彼が頭をよぎり、心から笑えたことなど一度もない。
それが当然だと思っていた。それが私の償いだと。
でも、今回は術があるのだ。
このままここにいても引きずって生きていくしかないのなら、異世界に行き彼の無事を確かめた方が余程健全じゃないだろうか。
(――もう、後悔だけの人生は嫌だ)
『決まりましたか?』
「……行きます。異世界に」
『分かりました。では池に入ってください』
「え゙」
こっちは一世一代の決断をしたというのに、余りにもあっさりと続けられた。それも、耳を疑うような言葉とともに。
(きt……っじゃなくて、この池に……?)
『汚いのは我慢してください。誰彼構わず入らないようにするためですので』
せっかく濁したのに、伝わってしまったようだ。
ただ、汚いのには理由があったらしい。確かに、これでは入りたがる人はいないだろう。
(……これに入らないで済む方法はないのかな……)
『安心してください。臭いのは最初だけです』
(益々安心できないんですけど……。ってかこの時期に池なんて入ったら異世界に行く前に死ぬのでは……?)
『水はそれ程冷たくないので大丈夫ですよ』
疑いつつも意を決し、恐る恐る靴を履いたまま右足を入れてみる。
すぐに水が入り込んできたが、確かにそれ程冷たくはなかった。
とはいえ、ずっと浸かっていれば流石に寒いので、早々に終わらせたい。臭いし。
『頭まで浸かって、息が苦しくなったら上がってください』
「頭まで……!?」
やっとの思いで入ったというのに、更にとんでもないことを言われた。
池の底に両足がつくと、水面が腰の上辺りまである。纏わりつく水が、心なしか滑りけがあって既に気持ち悪い。頭まで浸かったら吐くんじゃないだろうか。
だとしても、ここまできて止めるという選択肢はない。
鼻をつまみ、一気に頭を沈めた。ヤケクソだ。
(ゔぅー……)
呼吸できないので勿論臭くはないけれど、何かが顔に絡みついてきてかなり気持ちが悪い。
当然目も開けられないので、唯一分かるのは自分の心臓の音が速くなっていくことだけ。
(苦しくなるまでってアバウトじゃ……)
そして、私は気づいてしまった。
(これ、上がる時が一番の恐怖では!?)
池に浮いている何かが全身に纏わりつき、呼吸することによって臭いを嗅がなければいけなくなる。
上がった後の自分の姿を想像してぞっとした。
『それでは、良き異世界ライフを!』
私が恐怖と戦っていることは分かっているだろうに、のんきな声が頭に響いた。ちょっとイラッとした。
だが、急に足が地面から離れたことで、苛立ちは長く続かなかった。
私が移動したわけではない。
まるで地面が無くなったかのようで、苦しくなってきたのもあって水面を目指した。




