131.それぞれの居場所
ニールはキュービに向かって言葉を続ける。
「お噂にしか存じ上げませんが、こちらでもまた失敗してしまいましたね。どこまでも自分にしか興味がないのだから、可哀想なお方だ」
「お前は……邪神なんでしょう? わたしと同じく人と敵対する者なのに、なぜ――!」
「――ハハハハ」
キュービの言葉に、ニールは笑った。
「同じ? 対極ですとも。あなたは愚かな人間たちが憎らしい。しかし私は、その人間たちを愛しているのです。……愚かだからこそ」
ニールは心底おかしそうに笑った。
その笑みを受けて、キュービは顔をしかめる。
「……狂ってる」
「よく言われます。狂気は私の持つ属性のようなものなので。……まあ私は本体ではなく分霊のようなものです。たまたま狂気の方向性が人類への偏愛に向いた部分が、私という存在なのかもしれませんね」
キュービが手のひらに炎を生み出し、目の前のニールへと投げる。
ニールがそれをかわした瞬間、キュービは神人から飛び跳ねた。
どうやら神人を諦め、逃げだそうとしているらしい。
僕は百鬼夜行の闇に向けて、本を向ける。
「――其はこの国を護りしドワーフの剣聖、ジアン!」
言葉と共に百鬼夜行の闇の中から、剣士が生まれた。
ヒゲを蓄えたドワーフの姿をした影。
その顔は僕の知る姿よりも随分と若い青年だった。
彼はいち早く闇を抜けだすと、キュービの後を追って走る。
キュービは慌てて手の平に炎を生み出す。
「この――!」
キュービの狐火が列を組んで影を襲う――!
「――サラマンダー!」
同時に炎が飛来して、まるでそれはとかげが虫を捕食するかのようにキュービの狐火を呑み込んだ。
そしてそのまま、今度はキュービへむかって炎が放射される。
「ぎゃうっ……!」
炎の熱に煽られて、キュービの足が止まった。
その炎を打ち出したのは、火精霊の炎を纏ったイセ。
「にゃはは! 単純な火力ならこの世界の精霊の足元にも及ばないんじゃないかにゃあ?」
「……クソ猫!」
イセの言葉にキュービが反応するのと、爆炎の中からドワーフの影が現れるのは同時だった。
影はキュービに向けて剣を振るう。
「――このっ!」
背の低い剣聖が繰り出す足元への一閃を避けて、キュービは宙へと飛び上がる。
その体が空中に浮かぶと、九つの尾がまるで花びらのように広がった。
そして、陽の影が地面に落ちる。
……その声は、空から聞こえた。
「――京八流、八皇」
キュービが振り返る。
そこには白き翼を持つ、風の精霊がいた。
「崇徳!」
ジアンの影に宙へと追い詰められたキュービの体に、サナトの剣が突き刺さる。
九つの魔力の尾を切り裂きながら、その刃は螺旋を描くような軌道でキュービの腹を貫いた。
キュービはそのまま地面に叩き付けられて、串刺しとなる。
僕は走ってキュービへの下へと向かう。
神人はニールに任せておけば大丈夫だろう。
僕が駆けつけると、キュービはサナトに刺されたままこちらを睨み付けてきた。
「……お前もわたしを裁こうというのですか――下劣な人間のくせに」
その瞳には憎しみがこもっていた。
キュービのせいでマグはとんでもない目にあったし、何人もの人間が死んだ。
しかも聞けば過去にいろいろな悪事を働いた伝説もあるというし、彼女を見過ごすことはできないだろう。
キュービは汗を浮かべながらも、笑みを浮かべる。
「ふふ。わたしを殺したところで必ず蘇ってみせますわ……。そのときは覚えておいてください。末代まで地獄を見せつけてさしあげます」
死にかけの状態でここまで悪態をつけるのだから、大したものだ。
聞いた話によると、妖狐は死んでも石になっても生き続けるらしい。
ヴァンパイアみたいな話だ。でもそれなら――。
僕は契約の本を取り出す。
「……君との契約を破棄する」
それはニールに聞いた、『契約』に備えられたもう一つの枷。
「君の存在は、この世界に定義しない」
僕がそう言ったのと同時に、キュービの指先に青黒い空間が発生した。
それは手から徐々に広がっていき、キュービの体を呑み込んでいく。
キュービはその顔に焦りを見せた。
「ま、待ちなさい! これはまさか――」
「君の居場所はここじゃない。……君には元いた場所と時間に戻ってもらう」
それは妖怪召喚の逆パターン。
妖狐を、元の世界へと送還する。
僕の言葉にキュービは慌てて口を開いた。
「やめて! わたしは悪くない! 教皇は神の言葉が聞こえず悩み、第二王子も王になりたかっただけで……わたしは彼らの願いを叶えただけ! 直接誰も殺してない! 人間同士が勝手に……!」
キュービの腕が呑まれ、異世界への門が開いていく。
「君の言う通り、人間は愚かだ。それに僕と君とでは、生まれた世界が違う。――だから僕は君を裁くつもりはない」
僕の言葉にキュービは震えるような声を出した。
「いや……! あっちはもう……居場所も、味方も、何一つ……!」
キュービの言葉を遮るように、青い闇は彼女の体を包み込んだ。
「あ……ああ、あああ! いやああああっ――!!」
キュービの顔が呑まれ、声が途切れた。
そしてすぐに全身が呑み込まれたと思うと――ぷつん、とその空間は跡形も無く消えてしまった。
どうやらこれ元の世界へ送り返されたらしい。
見上げれば、女神ディオーヌとなったニールの剣が神人を真っ二つにするところだった。
主を失った白銀の人形は倒れ、銀色の粉末へと還っていく。
「……おわった」
僕はそういってその場にへたり込んだ。
……いろいろあったので、ここからが大変なのだろうけど。
「――お疲れ様でした、主様」
すると後ろからやってきたハナが、隣に座ってくれる。
僕は少しだけ体重を預け、二人でよりかかる。
なんだかんだハナには頼りっぱなしだ。
――彼女の居場所は守れてるといいな。
僕はそんなことを思いながら、しばらく二人で神人の亡骸を眺めるのだった。
☆
「イヤッホゥー! 脱げー!」
「エロいぞねーちゃん! いいぞいいぞー!」
神人の騒動があってから一週間。
僕はそんな汚いヤジが飛ぶ喧噪の中、王都の歓楽街にある酒場の中にいた。
一人で王都名物の芋のお酒をちびちびと飲みつつ、ステージ上の踊り子たちを見つめている。
……一応断っておくと、裸になった女の子が出てくるような店ではない。
客が熱中しているだけで、ここは健全な酒場のはずだ。たぶん。
……でも今の子は可愛かったな。おっぱいも大きくてサナトぐらいあったぞ。
僕がそんな不埒なことを考えていると、会場内の拍手が一際大きくなるのを感じた。
――お、きたきた。
ステージの奥から、可愛い女の子が出てくる。
僕がここに来たのは彼女に誘われたからだった。
楽器隊の演奏に合わせて、彼女は踊り出す。
それは決して激しくはないながらも、どこか色気を感じさせる優雅な踊りだった。
彼女は腹部や太ももなどやや露出が多めの衣装を華麗に着こなしつつ、その兎耳を揺らす。
――「あたしはここに残るよ」。
一連の事件のあと、無事無罪放免となったマグが言ったのはそんな言葉だった。
この街は彼女にとって決して良い思い出があるとは言えない。だから僕は「ロージナに来ないか」と誘った。けれど振られてしまったようだ。
きっと彼女にとっては、この騒がしい街こそが自分の居場所なのだろう。
それに彼女曰く、「あのバカ王子、変にやる気出して『獣人への差別をなくす』とか言いながら法律変えようとしてるからさ。まあそれが終わるまでは見てようかなって……」とのこと。
兄上から聞いた話によると、第一王子は亜人だろうがなんだろうが婚姻したり契約したりする権利を持てるよう奔走しているとのこと。
この国ではそのうち、モンスターと結婚する人も現れるかもしれない。
……マグをお嫁さんにする為に国を根本から覆そうと考えているのだと思うと、第一王子は本当に欲望に忠実な人なんだなと思う。
まあ結果幸せな人が増えるなら、それはいいことなのだろう。
僕がそう考えながらマグの踊りを見ていると――。
「よお兄ちゃん! 久しぶり!」
突然声をかけられたかと思うと、僕の座っていたテーブルの向かいの席に突然座る男性がいた。
だがその姿に見覚えはない。
「……えーと、誰?」
僕の言葉に男はガハハと豪快に笑うと、手に持っていた芋酒を煽る。
「忘れたか? ほら、スラムで会ったろ。一緒に飯食ったじゃねぇか」
「……あー、炊き出しのときの」
スラムで炊き出しをしていたときに出会った、浮浪者のリーダー格のような人だったようだ。
あのときより少し身なりが整っており、いたって普通の市民といった姿だったので一目で気付けなかった。あと顔に特徴がない。
正直誰かわかった後でも、あのときの人と同一人物かどうか判断できなかった。
彼は断りもなく僕の席の前に座っていることを特段気にする様子もなく、ぐびぐびと酒を飲む。
「どうしたよ一人静かに飲んで。なんか世間じゃいろいろ大変なことがあったみてぇだけど、酒が美味くて綺麗なねーちゃんが見られりゃそれでいいじゃねぇか。女神ディオーヌ様に乾杯だ」
おじさんは随分と美味しそうな表情でお酒を味わっていた。
……まあ第二王子が捕まってどんどん悪事が明るみに出たせいでアルマ姫や兄上たちは大忙しらしいけど、そんなことは庶民に関係ない。
結局人々が笑顔でいられるなら、それが一番いいのかもしれない。
僕も笑っておじさんの言葉に頷く。
「きっと女神ディオーヌ様も喜んでますね」
そういえば女神ディオーヌ――の姿をしたニールだが、この地にディオーヌとして居座ることにしたらしい。
なんでも彼は元々妖怪のっぺらぼうや邪神が混ざった姿らしいのだけど、一度善神というのをやってみたくてこの世界にやってきたんだとか。
でもそのまま来るのでは邪神としての性質が強すぎて人間を滅ぼしかねないので、妖怪を善なる存在として定着させる為に何重にも回りくどい召喚術を仕込んでいたとのことだった。
……僕としては結果的にハナやアズたちと出会えて良かったんだけども。
何にせよこうしてニールは女神ディオーヌを吸収する形で善なる神となれたので、目的達成ということだった。
少なくともしばらくはこの地で新たな信仰を人間たちに受け続けることになるだろう――。
僕がディオーヌになりかわったニールのことを考えていると、おじさんは「たしかに」と笑った。
「ディオーヌは人間を愛した。今じゃ神殿の教義から忘れられているかもしれんが、神としてのディオーヌの原点はそこだ。酒を飲み、共に笑い、愛を語り、未来を見る。――生きることを楽しむ人間のありのままの姿が好きだったんだ」
おじさんは昔話を話すように、しみじみと語りだす。
「誰かに扇動されて悪事に走ったり、必要以上に教義や身分に縛られたり――そんな特殊な状況の人間ばかり見てちゃ、それこそ人間の本質からは遠ざかっちまうわな」
おじさんは何やら難しいことを言い出す。
でもなんとなく言いたい事はわかる気がした。
おじさんはため息を吐く。
「あの教皇もバカな奴だよ。あんなお高くとまってちゃあ、神の声なんて聞こえるもんも聞こえなくなる。神が天の上にいるわけでもないのにな」
そう言って天井を見上げるおじさんは、どこか悲しげだった。
――というかこのおじさん、もしかして元司祭とかなのかな? 教皇とは知り合いなんだろうか――。
僕が尋ねようとしたその時、後ろから声がかけられた。
「これはこれは我が主よ。ここにいましたか」
僕が振り返ると、そこには色黒な肌に漆黒の服に身を包んだニールの姿があった。
「ニール! ……神様がこんなところにいていいの?」
僕が小声で尋ねると、彼は笑う。
「むしろ新米の神だからこそです。きっちり国の人々のことを学んでおかなければ」
笑みを浮かべたまま答えるニールに、僕は苦笑した。
そういえばロージナでは彼にお世話になりっぱなしだったっけ。
「……僕のことをまだ主と呼んでくれるんだね」
「ええ。べつにディオーヌとなる前後で私の人格は変わりませんしね。とはいえ、ディオーヌ神に染まっていくでしょうから、こうした変身は徐々にできなくなっていくとは思いますが――」
彼の言葉に僕はキュービのことを思い出していた。
他者を犠牲にしてでも自分を変えたくなかった妖狐と、善神になる為なら自己の変革すらいとわない邪神と。
妖怪や神様の形もさまざまだ。
「じゃあこれからはあんまりこうした場にはこられなくなるのかな?」
僕の問いに彼は首を横に振る。
「いいえ、変身しにくくなるだけですからね。信仰を集めて大神となり上位存在になったとしても、分霊でも飛ばして麗しい女神の姿でこっそり見に来ますよ。今からそのときの為に変装術を練習しておかなくては」
冗談めかしてニールは笑う。
女神そっくりな美人が酒場にやってきたら、それはそれでおおごとになりそうだ。
僕は振り返って、おじさんにニールを紹介する。
「えっと、怪しげな笑みのこっちの人は――」
しかし、いいかけてやめた。
振り返ったら、それまで目の前にいたおじさんが煙のように消えてしまっていたからだ。
「――おや。誰かとご一緒でしたか?」
後ろからニールが不思議そうな声を出した。
どうやらニールは、誰も見ていないようだ。
――ふむ。
僕は少し考えてから、ニールに尋ねる。
「その分霊ってやつさ。もしも本体が消滅したらどうなるの?」
突然の僕の質問に、ニールはいぶかしげな顔をしながらも答えてくれた。
「それはもちろん――分霊が本体になります。植物の株分けみたいなものですからね」
「……なるほど」
僕は消えたおじさんに思いを馳せる。
本来誰もしらないはずの神様の事情に詳しい男――か。
僕はグラスを傾けつつ、テーブルに残されたもう一つの空のグラスを眺めた。
「どうかしました?」
ニールの言葉に僕は笑う。
……僕の勘違いかもしれないけど。
「――いや、役に立たないスキルだなって思って」
まあそれは、ハナたち妖怪と出会わせてくれた能力ではあるんだけれども。
僕は自身の精霊や神霊の言葉を聞けるスキル――”霊感”を自嘲しつつ、しばらく酒場でニールと話を続けるのだった。





