7 安っぽい鵺
湯屋から出ると、空が赤々と焼けていた。あちこちから妖の気配を感じる。夜がもうそこまで来ていた。
家路につく丹弥は、今までで一番、足が速かった。一刻も早く描きたい気持ちに突き動かされているのかもしれない。
主膳を気にしてか、時折、僅かに歩みが遅くなる。気を遣わせているのが申し訳なくて、主膳は早足で背中を追いかけた。
長屋に着いて早々、丹弥が草履を脱ぎ捨てて、板の間に上がる。主膳も板の間に上がり、自身と丹弥の草履を揃える。その間に山囃子が勢いよく主膳の肩から降りた。
丹弥が筆の入った箱と硯を拾い、文机に向かって座る。
硯に残った墨がまだ使えると気付き、墨を磨る手間が惜しくなったのだろう。墨を置いて、筆を手に取った丹弥は、もう目の前の紙しか眼中にない。
絵に集中する丹弥を見ていれば、部屋に紙と絵具が散らばっていたのも頷けた。
一心に描いている丹弥に声を掛けるのは、躊躇われる。
手持無沙汰になった主膳は、丹弥が借りてきた妖の本のうちの一冊を手に取った。
選んだ本を開けば、恐ろしく描かれた妖ばかりが並んでいた。どの妖も人を食って暮らしていそうな顔付きだ。少なくとも山囃子と掛け離れた見た目をしている。
不意に、山囃子の尾が主膳の腕に巻き付いた。どうしたのかと山囃子に目を向ければ、伸び上がって本を覗こうとしていた。
山囃子も見やすいように、本を床に置いて開く。
「お前とは似ても似つかないね」
ちょうど開いた一面には、身の丈ほどもある、大きな錫杖を持った妖が描かれていた。にたにたと残忍そうな笑みを浮かべて主膳たちを見ている。
書かれている文字は流し読みしつつ、次々と紙を捲っていく。
殺したり、書物で見たり、きっかけは様々だが、知っている妖も描かれていた。
描いた人には妖が見えていたのだろうか。それとも、人から聞いて想像で描いたのだろうか。主膳が知っている妖と見た目が違うのもいる。
「こんな感じか。まだ荒いんだが」
しばらく山囃子と妖の絵を眺めていると丹弥が声を掛けてきた。顔を上げ、丹弥から紙を受け取る。
山囃子と一緒に紙を見れば、さっきの本で見たような怖い顔の妖が描かれていた。
「上手なのですけれど、山囃子は、目がまんまるで、もう少し可愛い見た目ですよ。こんな人を取って食うような顔付きをしていません。それと、猫のような尾もあります」
「狸の体なのに猫の尾があるのか。安っぽい鵺みてえだな」
真面目な顔で丹弥が変な例えをするから、主膳は笑いを堪えきれなかった。
「安っぽいと言えど鵺だなんて、大仰ですね」
主膳が絵を返すと、丹弥は黙然と絵を見詰め始めた。
すぐに考えが纏まったらしい。丹弥が顔を上げた。
「尾は短いのか長いのか、太いのか細いのか、普通の尾なのか、それとも、尾曲がりとか、他とは違う形なのか」
丹弥の畳みかけるような問いに、主膳はとりあえず親指と人差し指で丸を作った。作った丸と山囃子の尾を見比べる。太さは、おおむね同じくらいだ。
「太さは、これぐらいで、長さは八寸(約二十四cm)くらいでしょうか。形は普通の、しなやかな尾です」
文机に再び向かった丹弥が筆を手に取る。
絵の上手な人は、どうやって描いているのか見たかった。だが、邪魔になるかと思い、我慢した。
「体より尾が長いのか」
描きながら丹弥が確かめるように呟く。
「少し長いですね。両手は常にびんざさらを持っていますから、手の代わりとして、尾を使っているようです。きっと、長いほうが使い勝手が良いのでしょうね」
「片時もびんざさらを手放せねえのは不自由だな。いや、思い立った時にすぐ演奏ができるから、理に適っているのか。俺にも山囃子みてえな尾があったら、常に紙と絵筆を持ち続けていただろうな」
まだ短い付き合いだが、常に紙と絵筆を持っていたいなんて丹弥らしいなと微笑ましく思った。
「真に丹弥さんは絵が好きなんですね」
「許されるなら、ずっと描いていてえ程度には好きだな」
そこまで熱中できるものがあるのは幸せだろうなと、ほんの少し丹弥を羨んだ。
丹弥の幸せな時を邪魔しないように、大人しく本を読んで待っていよう。
先ほど見ていた本に手を伸ばしかけた時、山囃子が絵巻物を尾で持ち上げた。
「主膳、巻緒をほどいて」
尾だと上手く解けなかったらしい。巻緒を解いて広げようとした時、筆を置く音が聞こえた。
「こんな顔だと間抜けすぎるか」
迷った素振りで丹弥が紙を差し出す。紙には、先ほどとは違って、つぶらな瞳の妖が描かれていた。
「丹弥さんは、やはり絵が上手ですね。山囃子が見えているのかと思うくらいです。ほら、お前と、そっくりだよね」
山囃子の眼前に絵を持っていくと、山囃子は目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いた。目を大きくしたまま、山囃子が二度三度、ゆっくり瞬きをする。
絵を見てから一言も発さない山囃子が、何を思ったのか、紙の裏側を覗き込んだ。
「一匹だと、合奏ができない」
項垂れている山囃子が、消えそうな声で呟いた。
山囃子は一匹で暮らす妖ではなく、群れをなす妖だったと思い知らされる。
主膳の身勝手な判断で山囃子を救ったが、正しかったのだろうかと迷いが生じた。
あの時、仲間と共に殺していれば、山囃子に無用な悲しみや苦しみを与えずに済んだのかもしれない。
「山囃子は気に入っていねえのか」
主膳の様子から何かを察したらしい丹弥が問う。
「あまりに上手なので、仲間を思い出したみたいです」
「仲間も同じ姿か」
「姿は同じですが、持っている楽器は違うそうですよ」
主膳が知っているのは、そこまでだ。他の山囃子が何の楽器を持っていたかまでは、わからない。
思い返してみたが、主膳が実際に見たのは、目の前にいる山囃子だけだ。他の山囃子については、討伐した陰陽生たちが色々話をしていたが、楽器の話は出なかった。
山囃子に聞けば間違いないのだろうが、山囃子の傷をさらに抉るのは憚られる。
主膳が口を噤むと、丹弥が山囃子に目を向けた。恐らく、主膳の目の動きを見て、居所を推知したのだろう。
「山囃子、他の奴らは、どんな楽器を持っていたんだ」
「楽太鼓、笙、篳篥、魚板、鐃鈸、大鉦鼓、能笛、和琴」
山囃子が楽器の名前を一つずつ大切そうに、ゆっくりと挙げる。
主膳は丹弥に伝えるため、山囃子の後に楽器の名前を復唱する。
「楽琵琶、龍笛、箜篌、神楽鈴、法螺貝、鞨鼓、三ノ鼓、大鼓、小鼓、笏拍子。びんざさらを持っているこの山囃子も入れて十九匹ですね」
主膳は聞いたまま楽器の名をすべて丹弥に伝えた。丹弥は顔を上げず、さらさらと手早く紙に書き付けていく。
「数が多い上に、よくわからねえ楽器もある。雅楽以外の楽器も混じっているよな。師匠から楽器の本も借りていて、よかった」
またすぐに描き出すのだろうと思っていたのに、丹弥は真っ直ぐに主膳を見ていた。
「主膳は何が引っ掛かった。良い絵を描くためだ。忌憚なく言え」
丹弥の強い眼差しに耐えられなくて、主膳は俯いた。
「絵は上手でした。山囃子が仲間を思い出すくらいですから。ただ、絵を見ている山囃子が痛々しいくらいに悲しそうだったんです。だから、救ったのは正しかったのかと迷いが生じました」
「救う以外に、どんな道があったんだ」
「一匹だけ残るくらいなら、仲間と一緒にあの時、殺していれば良かったのかもしれません。妖を殺したくないなんて俺の我儘のせいで、山囃子を苦しめているんじゃないかって」
山囃子を救った判断が果たして正しかったのか。誰かの答えが欲しくて、言葉が纏まらないまま吐露した。
「山囃子が、そう言っているのか。俺だけ残されるのは嫌だ。殺してくれって。たぶん、違うよな。生きたくて、絵を描いてほしいと願うくれえだから」
丹弥の問い掛けに、恐る恐る山囃子を見た。
「主膳、まだ生きていたいよ」
山囃子が不安そうに主膳を見上げている。揺れる瞳に、初めて会った夜を思い出した。殺してと乞われても、きっとまた殺せないだろうなと漠然と思った。
「救ったことが正しかったのか、間違っていたのかは、わからねえ。ただ、間違いにならねえように、今、山囃子の願いを叶えようと、お前なりに精一杯やっているんだろ」
山囃子は、主膳に殺す気がないと判断したのだろう。丹弥の話など聞かずに絵巻物や本などを触り出した。
顔を上げ、丹弥を正視しながら口を開く。
「俺は許されなくてもいいんです。救ったことが間違いだったと謗られても構いません。どれだけ償っても、償いきれない残虐な行いをしてきたのですから。ただ山囃子が幸せだと思っているなら、それでいいんです」
「山囃子が救われたせいで不幸になったかもしれねえと罪悪を感じているのか。ならば、一生を懸けて山囃子を幸せにしてやれ。それが罪滅ぼしだ」
「そんなことが罪滅ぼしになるのでしょうか」
答えを求めるように山囃子を見れば、先ほど解いた絵巻物を尾で持ち上げていた。
「主膳、絵巻物をいっしょに見ようよ」
答えはたぶん、すぐに出ないだろう。だが、たとえ罪滅ぼしにならなくても、山囃子を幸せにしたい気持ちは変わらない。とりあえず、山囃子の今の願いを叶えるために、絵巻物を広げた。
丹弥が再び絵を描き始めたため、山囃子と一緒に絵巻物を眺める。
しばらく山囃子と絵巻物を見ていると、次第に手元が暗くなってきた。このままだと絵巻物は読めなくなる。
「続きは、また明日、見ようね」
もうすぐ夜になると思った途端、睡魔が伸し掛かってきた。体が崩れ落ちる寸前で目が覚める。
「眠いなら先に寝ていて構わねえ。布団は朝、使っていたやつを使え。元々急な客用だ。俺は、もう少し絵を描く」
目上の人であり、家主である丹弥より先に寝るのは躊躇われた。逡巡している間に、また睡魔に体を乗っ取られそうになる。
このままだと、気絶するように寝て、余計に迷惑を掛けそうだ。主膳は大人しく床に就いた。
「明日、納豆を買ってくれ。茶碗は、そこの棚にあるのを持っていけばいい。支払いには、この銭を使え」
丹弥が腰に下げていた巾着を文机の上に置いた。会ったばかりの人間を、ここまで信用する丹弥の不用心さを恐ろしく思った。人の銭を勝手に触るのは怖くて、手持ちから出そうと決める。
「お水は、どこにあるのでしょうか」
「土間の甕にあるから使え。もし」
まだ丹弥が何か言っているが、睡魔に耳を塞がれて何も聞こえなかった。




