6 得体の知れない怖さ
真っ直ぐ長屋に帰るわけではないらしい。来た道とは違う道を歩く丹弥に付いて行く。
大通りの両脇には色々な店がある。
足袋の形をした看板に、蝋燭に矢が突き刺さっている絵だけの看板、金文字が目を引く薬屋の立派な置き看板。工夫を凝らした看板に気を取られていると、丹弥に置いて行かれそうになる。
「欲しい絵具があるから、亀岡屋に寄るぞ」
足を止めた丹弥が一軒の店を指差した。店先にある紺色の長暖簾には、亀岡屋と屋号が白抜きされている。
主膳は丹弥に続いて中に入った。土間と座敷を合わせると、二十四畳くらいの広さがありそうな店だ。
通りに面する所は、細長い土間になっている。土間を眺めれば、手のひらに乗るくらいの大きさの品を眺めている男の人が目に入った。上がり框に座って、店の人と何か話している女の人もいる。繁昌している店のようだ。
座敷の帳場格子に目を移せば、三十代後半か、四十代くらいの男の人が恵比須顔で帳場机に向かって座っていた。
帳場格子の中にいる男の人が主膳をちらりと見てから丹弥に顔を向ける。
「旦那、犬猫じゃ飽きたらず、ついに人を攫ってきたんですかい。こりゃ器量の良い子供を攫ってきたもんで」
「攫ったんじゃなくて拾ったんです」
軽口を叩く店の人に丹弥が言葉少なに返す。途端に店の人が憐れむような顔で丹弥を見た。
「旦那、捕まらねえうちに、親元に帰してあげたらどうです」
店の人は、丹弥が冗談ではなく、本当に攫ったのだと思ったらしい。このままだと丹弥が咎人になるかもしれない。流れを変えねばと主膳は一歩、前に出た。
「寄辺野主膳と申します。行き倒れているところを丹弥さんに助けていただきました。攫われたのではございません」
「これはこれは、ご丁寧に。手前は亀岡屋の番頭、山本五兵衛と申します。どうぞ、よしなに」
五兵衛がぱっと満面の笑顔を主膳に向けた。
悪意のない笑顔だが、何故だか怖いと感じて体が強張った。目を合わせていると、じんわりと蝕まれていくような、得体の知れない静かな怖さを感じる。
「主膳、こいつ、怖いよ。なにか変だよ」
肩に乗っている山囃子の訴えに小さく頷きを返す。
「胡粉と緑青が欲しいんだが、他の色も、ついでに見せてください」
何も気付いていない丹弥が五兵衛に話しかけた。おかげで五兵衛の目が丹弥に向く。
丹弥に顔を向けている五兵衛をそっと盗み見た。
下がり眉のせいか、気が弱そうに見える。怖さの原因は、少なくとも顔立ちのせいではないようだ。
「外で待っていて」
肩に開いた右手を持っていくと、山囃子が右手に乗った。立ったまま、右手をできる限り下げると、山囃子が地面を目掛けて跳んだ。
ぽてんと地面に落ちた山囃子が一度、主膳を不安そうに見上げる。だが、すぐに、たったか走って店から出て行った。
「吉助、絵具を用意しておくれ」
五兵衛が壁際で何かを書いていた男の人に声を掛ける。顔を上げた吉助は、五兵衛とそう変わらない年に見えた。右眉の眉頭の辺りにある大きな黒子が目立つ顔だ。
すぐに筆を置いて吉助が奥に消えて行った。
「初めて見る顔ですね」
「最近、入ったんです。簾売り、唐辛子売り、鼠取薬売り、櫓直しに虫売りと、今まで色々な職を転々としてきたようで。とても器用な男でございます。ただ、運がねえようで」
丹弥の呟きに朗らかな声で答えていた五兵衛が、急に真剣な顔になる。五兵衛が声を潜めて、さらに言葉を続けた。
「吉助は、小さいながらも自分の店を持っていたそうなんですよ。しかし不運にも、うちから暖簾分けした手代も、同じ時に同じ商売を始めてね。それも吉助の店の近くで」
「手代って庄蔵さんですよね。あの人と商売敵になるなんて、運がねえですね」
丹弥の言葉に、五兵衛が痛ましそうな顔で頷いた。
「うちが暖簾分けした庄蔵の店は繁昌して、吉助の店はあっと言う間に潰れちまったそうです。それを知った大旦那が憐れんで、吉助を雇い入れたんですよ」
五兵衛が、にんまりと大仰なまでの笑みを浮かべた。相変わらず怖く感じて、主膳はさっと顔を逸らす。
「大旦那は、たまに路頭に迷っている人を拾ってきますよね。とうとう、商売敵まで拾うとは。さすが人がいいと評判の亀岡屋さんだ」
「人がいいのは、大旦那の美質としてよく言われますねえ。けれども、よすぎるのも悪いと思うんですよ。手前は大旦那の尋常ではねえ善心を気に入っていますがね。ただ、過ぎたるは猶及ばざるが如し。たとえ善であっても、過度だと良くねえもんです。運命が中庸を保とうと、反対のものを引き寄せますからね」
不機嫌な顔をした吉助が、長手盆を持って戻ってきた。長手盆には、絵具が入った包み紙が小山になるくらい沢山、載っている。
丹弥を見れば、もう絵具を熟視していた。
「五兵衛さん、何か俺の悪口でも言っていたんですか」
「いやいや。吉助は様々な仕事を転々としてきたから色々できる、面白い男です、とね、話していたんだよ」
吉助が長手盆を丹弥の前に置くと、丹弥が上がり框に腰掛けた。主膳も長手盆を挟んで丹弥の隣に腰を下ろす。
絵具の包み紙を手に取って考え込む丹弥の横で、主膳も長手盆に目を落とした。丹弥の部屋に散らばっていた絵具と同じ名前の物も、いくつか混じっている。
「旦那、今度は何を描くんですかい」
「妖を描こうと思っているんです」
「今まで草花と動物しか描いていなかった旦那が妖を描くなんて珍しい。何にせよ、描ける絵が増えるのは良いですねえ。妖の噂話もよく耳にしますから、題材に困ったら、いつでも聞いてくだせえ」
「五兵衛さんの元には色々な噂話が集まりますからね。頼りにしています」
丹弥は五兵衛と話しながらも、真剣に絵具を選んでいる。丹弥の邪魔をしてはいけない。主膳は顔を上げて、何とはなしに店内を見渡した。
店の奥の壁の中央にある柱が目に留まる。周りの柱と同じような柱なのに、いやに目を引いた。
「逆柱が気になるんですかい」
五兵衛に話しかけられた主膳は、思わず身構えた。
「何か、他の柱とは違って見えて。逆柱だったんですね」
「逆柱は火事を招くなんて言いますけどね、まだ火事が起きたことはねえんですよ」
しどろもどろに答える主膳を気にした風もなく、五兵衛は普通に接している。
五兵衛から感じる怖さの正体は、まだ、わからない。主膳は、目が合わないように、五兵衛の顔を見ないようにした。
「描きたくなってきたな。五兵衛さん、これ、いくらですか」
勢いよく立ち上がった丹弥につられて主膳も立ち上がる。半歩下がって勘定が終わるのを待った。
「主膳、一度、湯屋に寄ってから長屋に帰るぞ」
「湯屋って初めて聞くのですが、どういったところですか」
問いかけると、丹弥は何かを考えるように僅かな間、目を閉じ、首の後ろを触った。
「上方では銭湯と言うんだったか。違ったか」
「銭湯を江戸では湯屋と言うのですね。言葉も、やはり京とは違いますね」
丹弥に続いて店を出る前、振り返って五兵衛を見ようかと思った。だが、やはり怖さが勝って振り向けなかった。




