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前夜祭

 六月の雨は、蛇の吐息に似ている。

 夜蛇村(よへびむら)へと続く山道は、湿り気を帯びた生温かい風がねっとりと首筋を撫でていく。久世 蓮(くぜ れん)は、二十年ぶりに踏む故郷の土に、言いようのない吐き気を覚えていた。

「……気持ち悪い村ね」

不意に横からかかった声に蓮は肩を揺らした。

隣に立つ1人の女――御子柴 凛(みこしば りん)は、場違いなデジタル一眼を首から下げ、ぬかるんだ一本道を見つめている。

「悪いな。こんな不気味な場所に付き合わせて」

「別にいいわよ。仕事だし、それにこの村には『存在しないはずの空白』が多すぎる。私みたいなライターには絶好の餌場。」

 凛は淡々と言った。彼女は事故物件や未解決事件を追うライターで、今回、蓮が村へ帰る理由を知って「同行」を申し出た、奇妙な協力者だった。


 村の入り口、巨大な注連縄が巻かれた鳥居の前で、白装束の女が二人を待っていた。

その女は2人を見つけると静かに頭を下げた。

「おかえりなさい。蓮さん、お待ちしておりました。」

「ああ、巳神(みかみ)さん。お久しぶりです。」

村の巫女――巳神サキは蓮の隣に立つ女に気づいて挨拶をした。

「新しいお方もいるようですね。初めまして、この村の身体からだを守り、古い皮を預かる者の巳神でございます。」

その言葉に凛はどこか腑に落ちていないようだ。

「みかみ?水上ってこと?」

「干支の『巳』に神様の『神』だよ。この村の神職を代々続けてきている家系だよ。」

 隣で雨傘を差す凛は巫女を値踏みするように見つめ、小さく鼻を鳴らした。

「随分と大層な名前なのね。今時、神様なんて流行らないでしょ。」

 サキは凛の無礼な言葉を気にする様子もなく、2人をどこか薄暗い風に満たされた村の中へ誘った。


サキに促され、村の境を一歩踏み出した、その時。

 激しい雷鳴が鼓動を打ち消し、視界が真っ白に染まった。

 

「――あ」

 蓮の喉から、かすれた声が漏れる。

 閃光の中、道端の古い地蔵の陰に、一人の少年が立っていた。

 黄色いレインコートに、泥だらけの長靴。

 それは、二十年前、蓮の目の前で崖から転落し、帰らぬ人となった双子の兄・蒼の姿そのものだった。

「兄さん……?」

 蓮がふらふらと歩み寄ろうとした瞬間、凛の冷たい指先が彼の腕を強く掴んだ。

「待って、蓮。行っちゃだめ」

「でも、そこに蒼が……!」

 地蔵の影で、少年がゆっくりと首を傾げた。その口角が、耳元まで裂けるような不自然な笑みを描く。

『ねえ、蓮。僕の皮、返しに来てくれたの?』

 少年の声は、雨音に混じって蓮の脳髄を直接揺らした。同時に、背後のサキがくすりと笑った。

「ようこそ、夜蛇村へ。失われたものは、ここで再び形を成します。」

 そう言って村の神社へ向かおうとしたサキはふと思い出したかのように凛を見つめ、ただ淡々と、しかし確かな重みを持って告げた。

「この村の神は『流行り』ではありません。この地で脱皮し、再生を続けて永遠にこの地にとどまり続ける。そういう『宿命』なのです。それに、名前など人を区別するためにつけただけのもの。神を前にすればどうでも良いものです。」

そう告げたサキの瞳は感情の色がなく、汚れなく磨かれた鏡のように凛を映していた。

少し前に無視されたことを急に言及され、凛は一瞬なにの話をしているのかと戸惑った。

「それに、あなたのお名前もかつては長野で多くみられた『神子柴』が由来とされておりますよ、御子柴様。あなたの名前も元を辿れば私と同じように『神』という文字が使われております。これは一つ、何かの運命なのかもしれませんね。」

 サキの発した言葉に凛の眉がピクリと跳ねる。

「……私、初対面ですよね?なぜ私の名前を知ってるんですか?」

「この村に降る雨は、外から来る方の声も運んでまいりますの。さあ、こちらへ。儀式が始まる前に、身を清めていただかなくては。」


 サキが背を向け、社の方へと歩き出す。その足音は驚くほど静かで、まるで地面を這う爬虫類のようだった。


その時、蓮の視界の端に、再び「彼」が現れた。

 ずぶ濡れの黄色いレインコート。

 社へ続く回廊の影から、幼い頃の兄・蒼がこちらを指差している。


 サキが案内した社務所の客間は、カビと線香が混ざったような、古い家の匂いがした。

「村にいる間はここで寝泊まりしてください。2人一部屋になってしまいましたが、蓮さんはそういう人ではないと存じております。ご夕食の時間になりましたら蓮さんに連絡させていただきます。どうぞその時間まで村の中をみるなりしてください。失礼致します。」

 彼女が去った後、凛は即座に部屋の四隅をチェックし、鴨居の上に置かれた古い鏡にかけられた布を、躊躇なく捲り上げた。

「おい、凛!この村では今の時期に鏡を見るのは禁忌なんだって。」

「馬鹿ね、蓮。犯人にとって一番都合がいいのは、誰にも『自分の顔』を確認されないことよ。……見て」

 

 剥き出しになった鏡には、激しい雨の音に怯える蓮と、冷徹な瞳をした凛が映っている。だが、凛が指差したのは鏡の隅、木枠にこびりついた半透明の何かだった。


「これ、何だと思う?」

「……糊か何かか?」

「いいえ。これ、医療用の接着剤よ。それも、皮膚を接合するときに使う、最新の生体組織用」

 その時、隣の部屋からミシミシと、床板が軋む音が聞こえてきた。

 子供が走り回るような、軽やかで、けれどどこか粘り気のある足音。

2人は、慌てて鏡に布を被せると廊下に出て、音のした部屋の襖を少し開けた。

 

 襖の隙間から、黄色いレインコートの裾がひらりと見えた。

『ねえ、蓮。中身がなくなると、人間ってすごく軽くなるんだよ』

 幼い笑い声とともに、廊下の明かりがパチリと消える。

 暗闇が二人を包み込み、蓮は咄嗟に凛の腕を掴んだ。柔らかな肌の感触が、雨に濡れた彼の指先に生々しく伝わる。


 凛がカメラのフラッシュを焚いた。

一瞬だけ白く照らされた廊下の突き当たりに「それ」は姿を見せた。


人の形をしているはずなのに、どこか輪郭が定まらない。

表面は光を受けて鈍く濡れたように見え、奥に何か別の色が透けていた。

 

その「何か」は首と思われる部位を傾げながら、ついさっき社に2人を案内するときに見たサキと同じような歩き方で近付いてきた。


 蓮はさらに強く凛の腕を掴んだ。

「ちょ、ちょいちょい、流石に痛いから」

凛は声を抑えつつも蓮にそういい、腕を振り解いた。

凛の腕には蓮が掴んだ痕がくっきりと残っていた。

「あ、ごめん。とりあえずあの変なやつに気づかれないようにどこか逃げよう。」

そう言うと蓮は凛の手を掴み引っ張りように自分の体に寄せ、共に小走りでその場を去った。

去り際に見た肉塊の腕と思しきところにはどこかで見た覚えのある痕を表すかのように黒く変色していた。


 暗闇に包まれた廊下で出会った「肉の塊」から逃げるため、2人はただ一心に廊下を駆け抜け、建物の外にあった蔵へ逃げ込んだ。

狭く埃っぽい蔵の中で、二人は密着して息を潜めた。

蔵の外からはまだあの足音が聞こえる。

2人は恐怖からもっと体を近づけた。

静寂の中、蓮はただ恐怖に怯えながらも指を通して全身に伝わる凛の身体の熱を感じていた。

そして、凛もまた、冷静を装いつつも蓮の鼓動に呼応するように、自分の欲望に近い本能を自覚していた。


 最初に口を開いたのは凛だった。

「――声を、出さないで」

 凛の冷たい指が蓮の唇を塞いだ。

 外では、あの「肉の塊」が、湿った音を立てて這いずっている。その音は廊下で聞いた時よりも大きくなっていた。ズズッ、ズズッ、と、皮膚を失った生身が床板に吸い付くような、生理的な嫌悪感を誘う音だ。

 彼は改めて目の前で自分を見る小さな女を見つめた。

雨と汗で濡れたブラウスが体に密着し、彼女の美しいボディラインが強調されていた。

そして、狭い蔵の中には彼女から発せられているであろう石鹸の香りが広がっていった。


 蓮は、極限の恐怖の中にありながら、自分の腕に触れる彼女の二の腕の柔らかさや、耳元にかかる吐息に、場違いな高揚を覚えていた。死がすぐそばにあるからこそ、隣にある「生の熱」が、狂おしいほど鮮明に脳を焼く。


 凛が僅かに体勢を変えたとき、彼女の太ももが蓮の膝に深く沈み込んだ。蓮が息を呑むと、彼女は警告するように彼の胸を強く押さえる。その手のひらを通して、お互いの狂ったような鼓動が共鳴し合った。

 2人ともがお互いの鼓動の速さに気づき、改めて顔を見つめあった。薄暗く、視界が不確かな中だったが、蓮は凛の顔が僅かに火照っているのを見た。


 凛が身をよじるたび、薄いブラウス越しに彼女の柔らかな胸の膨らみが蓮の腕を圧迫し、逃げ場のない熱が下腹部に溜まっていく。

「……心臓、うるさいわよ」

凛が耳元で囁く。彼女の唇が蓮の耳たぶをかすめ、濡れた吐息が鼓膜を震わせた。恐怖で震えているのか、それとも目の前の女を壊したいという衝動で震えているのか、蓮にはもう判別がつかなかった。


 驚いたように目を逸らした凛が壁の棚に置かれたものに気づき指差した。

「見て。」

そこには、大量のガラス瓶が置いてあった。

 中身は赤い液体や琥珀色の液体が入っていた。

「これ、ホルマリンと蜜蝋かしら?」

そう言って凛は近くで見ようと体を動かした。

より一層密着した体は本当に自分と同じ、人間のものなのか疑いたくなるほど柔らかく蓮には感じられた。

「やっぱりそうね。何かを保存しているんだわ。もう大体察しはついているけど、信じたくないわね。」

凛はそう言うと黙って体を離していった。


 いつのまにか外からしていた不快な音は消えて雨の音と2人の少し荒い吐息だけが静かになっていた。

「多分、もういないよな。凛、動けるか?部屋に戻ろう。」

「動けるに決まってるでしょ。」

そう言うと、2人は立ち上がり、静かに蔵の戸を開けた。

小さく空いた隙間から外を見渡す。外にはなにもおらずただ雨粒が落ちていくだけだった。


 2人は小走りで部屋に戻ると部屋の中には食事と布団が用意されていた。

 蓮は部屋に携帯を置いていたことに気づき、着信履歴を確認すると、サキからの不在着信が多く溜まっていた。


 食事を終えた凛は長旅の疲れもあったのか、30分もしないうちに布団を広げ、寝転がった。

 蓮も布団を広げて寝ようとしたが、今日起きたことがどうしても気になって寝付けずにいた。

「そういえば、この村は蓮の地元なんだよね。ご家族はどこにいるの?」

ふと凛がそんな疑問をかけた。

「家族は、みんな死んじゃったんだ。」

蓮は静かに答えた。

「そう、変なこと聞いて悪かったわね。じゃあどんな人だったかだけでも教えてよ。」

凛は悪びれる様子はなく、淡々と質問をした。

「まず、お父さんは僕が生まれる前から蒸発しちゃって記憶にないんだ。お母さんは、ずっと静かで落ち着いた人だったよ。沈丁花の香りが好きだったらしくて、部屋の中とかずっと匂いがしてた。蒼は、僕を守ってくれた優しい人だったよ。」

蓮は当時のことを思い出しながら語った。

凛は何も言わずにただその話を聞いていた。

「そうなんだ。いい家族だったのね。さぁ、もう寝ましょう。夜更かしすると体内時計が狂うわ。」

そう言って凛は静かに眠りについた。


 無理矢理に寝ようと目を閉じていると廊下から自分を呼ぶ声がすることに蓮は気づいた。

「寝付けていないようですね。それに、何か悩んでいることがあるようです。どうぞこちらにおいでなさってください。」

 その声は昨夜の化け物ではなく、聞き馴染みのあるサキの甘々とした声だった。

 言葉に反応するように蓮の体は部屋の外へと導かれた。

部屋の外ではサキが落ち着いた顔で正座していた。

「巳神さん。こんな夜にどうしたんですか?」

「今は私たち2人しかいませんよ。巳神さんなんて堅苦しい言い方はよして。前みたいに呼んでいいのですよ。」


 サキはゆっくりと立ち上がり、廊下の灯りの届かない位置へ蓮を招いた。

近づいたはずなのに、足音はほとんど聞こえなかった。

「昔からあなたはこういう夜が苦手でしたね。」

 何気なく発したであろう一言に蓮の脳には20年前の記憶と取り戻したくもなかった罪の意識を再びこびりついた。


 気付けば、声はすぐ耳元にあった。

耳に彼女の甘い吐息が触れた、と思った次の瞬間には、もう距離の感覚が曖昧になっていた。

「あなたは今日、思い出したくないものを見た。そうじゃありませんか?」


 彼女が言うことが何のことなのかはすぐにわかった。村に来て何度も蓮の目に映った少年。

 あれは確かに20年前の兄――蒼だった。

「あなたはあの時の呪いだと思っているかもしれません。ですが、それは違います。彼は……蒼さんはあなたに皮を返して欲しいだけなのです。」

 彼女は甘い声で囁くと少し爪を立てて蓮の首筋をなぞった。

 蓮は己の首筋をなぞるサキの手を見た。暗い中でも見えたのは彼女の袖口についている半透明の膜のようなものだった。

 そして、腕の真ん中は一点だけ不自然に黒ずんでいた。


「私はあなたに再び会うことができて、ひどく高揚しております。それはあなたもではありませんか?私に対してなのか、共にこの村に来たあの女性への高揚かはわかりませんが。」

 より一層甘くなった彼女の声が蓮の耳を刺激する。

 蓮の心には恐怖と違う感情があり、鼓動を早くさせているのもそれなのかもしれない。


 「明日から前夜祭が始まります。それまでに体を清めておくべきです。」

 そう言うと彼女は自分の着物の結び目を緩めた。

 サキがゆっくりと帯を解くと、衣擦れの音が闇の中で蛇の這う音のように響いた。はだけた胸元から露わになったのは、月光を吸い込んで陶器のように白く発光する肌。だが、その瑞々しい双丘の谷間には、不自然なまでにどす黒い「穴」のような深淵が口を開けていた。


「蓮さん、もっと私に触れてください。」

彼女は蓮の手を取り、己の剥き出しの鎖骨へと導く。指先に触れた彼女の肌は、人間とは思えないほど滑らかで、同時に驚くほど冷たかった。

不気味な快楽が蓮の指先から脊髄へと駆け抜ける。


「すみません、久しぶりの再会で少しからかってみたくなっただけです。忘れてください。それでは、明日からの祭りをどうぞ楽しんでください。」

 そう告げると彼女は着物の結び目を戻し、闇に包まれた廊下に消えていった。


 蓮はしばらくサキの進んで行った廊下を見つめ立ち尽くしていた。

 その時、廊下の奥で時計の音がなった。その音で蓮は思っていたよりも時間が経っていたことに気づき、部屋に戻った。


 部屋に戻った蓮は唐突に襲ってきた眠気に耐えられず、眠りについた。


 






 「蓮、起きて。」

蓮は自分の名前を呼びながら体を揺さぶる凛に起こされた。

「巳神さんが朝食ができたってよ。」

時計に目をやると既に8時を回っていた。

服を着替えて食堂に向かう。食堂の机には昨日と同じ格好をしたサキが静かに座っていた。

「おはようございます。昨晩はごゆっくり休めましたでしょうか?」


 彼女は笑顔で蓮の方を向いて話した。

「今日はこの村の20年に一度の祭――『脱皮祭』の前夜祭です。本格的に始まるのは18時をすぎてからですが、村民はみな張り切って用意しております。今日はぜひ村の中を見て回ってください。御子柴様は脱皮祭についてご存じないようですし、一度村長のもとへ伺ってみてはどうでしょう。」

「巳神さん、おはようございます。ええ、僕のいない20年で何か変わったところがあるかもしれない。今日は村の中を探索しようと思います。」

 食卓についた蓮は無理矢理に作った笑顔でそう答えた。

 食事は味がしなかった。彼の脳内を巡る情報の中でかき消されてしまった。


 朝食を終え、部屋の荷物を整えた2人は村の探索に向かった。

 最初に訪れたのはこの村の村長――竜彦(たつひこ)の家だった。

「お前さんは、蓮くんかいな。よう戻った。祭りじゃからか?」

 竜彦は蓮が生まれるずっと前から村長だった。そのため、この村の住人のほとんどを覚えているのだ。

「お久しぶりです。今日は、とあることの調査を……自分にけじめをつけるために来ました。」


 村長は蓮の隣に立つ女性に気づくと驚いたように口を開いた。

「隣におるのは、よそ者の娘か。辺鄙なところなのによう来たの。わしはこの村の村長を80年やっておる。竜彦っちゅう者じゃ。お前さんも何か調べに来たのじゃろう。この村に何かあるとは思わんが気が済むまで調べてみ。」

 竜彦の話を聞いた凛は深く頭を下げた。

「はじめまして、御子柴 凛と申します。お言葉の通り、私の気が済むまでとことん調査させていただきますね。」

 挨拶をされた竜彦はしわくちゃの顔を動かして笑顔を作った。

「よそ者にしては礼儀がしっかりなっとる。お前さんは脱皮祭についてよう知らんじゃろ。蓮くんもや、長くおらんかったから曖昧になっとろ。わしが説明してやろう。」

 そう言うと竜彦はこれから前夜祭、本祭と行われる「脱皮祭」について話し始めた。


 脱皮祭とは、大昔にこの地に降り立った「蛇神様」への感謝を込めて行う祭りであること、この脱皮祭で蛇神様は脱皮をし、それによりこの村全体が再生するということ、祭りの間は鏡を見ることが禁忌とされることを聞いた。


「なんで、鏡を見ることが禁忌なんですか?鏡を見ると何かあるんですか?」

凛は、笑顔で祭りの説明をする竜彦に質問した。

蓮自身も村にいる頃になぜ鏡を見てはいけないのかを聞いたことはなかった。

疑問に思ったことはあったのかもしれない。

「脱皮したばかりの魂は不安定なんじゃ。不安定な魂はあちら側に行ってしまいやすい。そして、脱皮祭の時期に鏡を見てしまうと蛇神様に視線を送ってしまう。そうすると、お前さんの両目を取られてしまうぞ」

 竜彦から先ほどまで見えていた笑顔が消えていた。


「あの村長もなんかおかしいわね。」

 村長の家を出た凛は真っ先に蓮に向かってそう言った。

「昨日からいろんな人を怪しい怪しいって、村がちょっと不気味なだけでみんな普通だよ。」

 蓮はしばらく離れていたとはいえ、自分の故郷の人間を蔑まれている気がして少し腹が立っていた。

「いや、私が言いたいのは怪しいとかじゃない。あのおじいさんは何かに怯えているの。無理矢理笑顔を作って、」


 蓮はそんなことを考えたことは一度もなかった。少ない記憶だが、この村にいた頃も村長は村のみんなをまとめて何かがあったときは勇敢に立ち向かっていた。

 しかし、凛は人を見る目は長けている。もし凛の言っている通り、彼が何かに怯えているのなら、それは一体何なのか……

「まあ、そんなこと考えても何にもなんないか。とりあえず村を探索しましょう。」

 凛は自分の頬を両手で叩き早足で歩き始めた。


 2人はそれぞれ村の探索を始めた。

 蓮は村の広場へ向かった。

広場には何人かの村民がいた。彼らはずっと何か言葉を発しながら作業をしていた。

「あの、少しお話しいいで……す…か、」

 話を聞こうと身をかがめた蓮は言葉を失った。

彼らは「脱皮せよ……脱皮せよ……」と唱えながら生きた蛇の皮を無理矢理に剥いでいた。

その顔は無表情で、目には光が点っていなかった。

また、彼らの肌には鱗のような模様が付いていて、それがまた蓮の恐怖心を増幅させていった。

蓮は尻餅をつき、立ち上がることもできないまま、後退りをした。

改めて周りに目をやると家屋の外の至る所に血のついた蛇の皮が吊るされていた。



 凛は村長の隣の民家を訪ねた。

「すみません。誰かいらっしゃいますか?」

声をかけると、薄暗い廊下からぬっとおばあさんが現れた。

「はいはい、どなたさんですかい。」

おばあさんはめんどくさそうにこちらを見た。

凛を見た途端、一瞬真顔になった。

「この村のことと祭りついて教えて……」

「よそ者が来たって言っていたのはほんとだったんだね!!!」

 

 凛の言葉を遮っておばあさんは声をあげた。

そのおいぼれた体からは想像できない大きさの声だった。

「なにか、お気に障ることがありましたでしょうか?」

凛は大声に驚きつつも相手を刺激しないよう、落ち着いて質問した。

「ああ、いや。なにもないさ。昨日、よそ者の娘が来たって噂を聞いたんじゃよ。まさかほんとだったとはね。ワシは志津(しづ)じゃ。」

 目の前の老婆は先ほどの狂乱とも言える雰囲気をなかったものにするようにまた話し始めた。

「あぁ、えっと、私は御子柴 凛です。この村の出身の蓮くんと一緒にこの村についての調査をしに来ました。」


 凛の目的はそれだけではなかった。

彼女の本当の目的は「姉の捜索」だ。

彼女の姉は2週間前、趣味である山登りをしにこの村のある地域の付近に出発してから行方が分からなくなってしまったのだ。

この村に姉がいるとはもとより思っていなかったが何か手掛かりが見つかるかもしれないと思い、蓮についてくることにしたのだ。

「そうね。今年はいい年じゃね。蛇神様へに供物が豊富なんじゃよ。こんなにいっぱいの中から選別せないかんのかて主人がいっとったわい。」

 供物……おそらくここまでくる道中で見た家に多く吊るされていた蛇の皮だろう。

たしかに、明らかに大量の皮が吊るされていた。

おそらく志津さんの旦那さんがあれらから1番供物に相応しい皮を選ぶのであろう。


 「すまないが、ワシは今から畑に行くんじゃよ。今夜の皮焚きのための草を取りに行くんじゃ。」

そう言って志津さんは家の裏に回って行ってしまった。

「皮焚き……」

聞いたことのない言葉だったが何をするのかはなんとなくわかった。

選ばれなかった蛇の皮を火の中に入れて焼くのであろう。

 また、村長と志津さんと話して1つ気づいたことがあった。

彼らの顔や体には鱗のような赤い模様が浮かんでいた。

あれが一体何かはわからない。ただ、この村はやはり何かに侵されているのであろう。


 

 しばらく村の中を歩いた後、蓮は何もすることがなくゆっくりと社務所の方へ向かっていた。

神社の敷地に入る直前、社務所の中から大柄な男が何かを持って走り去っていくのを見た。

「泥棒か何かが侵入したのかもしれない」 そう考えた蓮は急足で建物に入った。

廊下には赤黒い液体が間隔をおいて落ちている。これが何か、蓮はすぐにわかった。

蓮は廊下を走るようにしてサキの部屋に向かった。

襖を開けるとサキはこちらを怯えた目で見つめていた。


「れ……蓮さん。あ、ああ、あの人はどこに……」

蓮は目の前で蹲っているサキに近づいた。

「今、神社から怪しい男が走っていくのを見たんです!何かあったんですか!?」

サキの体に手をかける。

背中についた手から肌とは違う質感と熱を感じた。

 蓮は驚いてサキの背中から手を離した。

自分の手のひらを見ると廊下に落ちていた赤い液体がついている。

蓮の予想通り、その液体はサキの血液だった。


「あの人は、私の親戚の巳神 辰造(みかみ たつぞう)です。」

止血をしている時、サキは蓮にそう伝えた。

彼女の背中は大きな切り傷ができていて幸い、命に関わるほどの深さではないため、蓮が止血することにした。

あの男――サキの親戚という男が神社から走り去る時に見えたものは、おそらくナタだったのだろう。

男は、ナタで彼女の背中を切りつけて走り去ったのだ。

「親戚って、なんでサキさんがそんなことをされないといけないんだ。」

蓮には理解できなかった。

なぜ親戚であり、この村をすべる神を祀っている巫女を傷つけるのか。

この村の人間は側から見ると狂っているかのように『蛇神』を信仰している。その村の住民がその神を祀る神社の巫女を傷つけることはおかしい。

「彼は、この祭の管理をしています。ただ、彼にはある野望があるのです。この村を自分のものにする……という強い野望を持っています。おそらく私をここで殺して、生贄として蛇神様に捧げる気だったのでしょう。」

彼女は涙ぐみながらそう話した。


 蓮は自分のことのように思い、辰造への怒りをつのらせた。

ただ、自分に今できることは彼女の手当てをすることだ。そう考えて心を落ち着かせて手当てを続けた。

「あとは包帯をすれば大丈夫だと思います。失礼ですが、着物を脱いでください。」

蓮は彼女のことを昔のように「仲のいい幼馴染」ではなく「1人の女性」として見ていた。

それは彼女も同じなのであろう。

言葉を聞いたサキは少し顔を赤らめた。そして、着物の帯をほどき上半身を露わにした。

彼女の背中には村の広場で見た人間と同じように鱗のような模様が浮かんでいた。

蓮にはこれが何か見当もつかず、深く考えていなかった。

だが、村の全員の体にこの模様があるということは祭の時期になると体のどこかにこの模様を入れるのが慣習なのであろう。


 凛は志津の家を出てから村の奥にある小屋を見つけた。

誰かの家ではないことは一目瞭然だった。

「誰もいないわね、入ってみるか。」

凛は静かに戸に手をかけた。

鍵はされておらず、古い木の扉は軋む音を大きくあげながらゆっくりと開いた。

中は農業用のナタや鋏などが散乱していた。

光が奥まで届かず、入り口しか見えなかったため、凛は中に入って携帯電話のライトをつけた。

「これは……」

 凛が目にしたのは壁に吊るされた動物の皮だった。

なんの動物のものかは分からない。ただ、鹿や猪ではない。

もっと大きな生物の皮だった。

なにか液体が塗られ、吊るされている。

その皮からは何回も嗅いだ匂いがした。神社の倉庫でも嗅いだ防腐剤の匂いだ。

壁の隣に目をやると大きな作業台があった。

上には床と同じく包丁などの刃物が置いてある。ただ、その中に凛の目を疑うものが置いてあった。


 そこには血まみれの肉の塊が置いてあった。

血は乾燥して固まっていた。

その肉の塊がなんなのかは一目では分からなかった。

だが、その肉の中心についているものを見て凛はすぐに気づいたのだ。

「嘘でしょ……お姉ちゃん……」

その肉には星と三日月の形の飾りがついていた。

彼女が行方不明の姉に誕生日プレゼントで渡したピアスだった。


 彼女は信じがたいものを目にして、早くここを出ようと扉へ急いだ。

扉から出た瞬間、彼女は大きな何かにぶつかり、尻餅をついた。

「おいてめぇ、ここで何してた。」

顔を上げると大柄な男が彼女のことを睨みつけている。

彼女は直感で彼の気に触ることを言ってはいけないと感じた。

「えと……この村の調査をしていて……間違えてこの小屋に入ってしまいました。」

そう言っても男の顔はしかめたままだった。

「中にあったもんを見たのか?」

「いえ、誰もいなかったので何も見ずに出てきたんです。」

彼女はすぐに答えた。「見た」と言ったらダメだということがすぐにわかったからだ。

また、彼女自身が中にあったものを信じたくなかったからだ。

「そうか、余所者は余計なことはせずにあいつのところに戻れ。」

 そういうと男は小屋の中へ入って行った。

凛はこれ以上詮索するのは危ないと思い、社務所へ戻ることにした。

 

蓮が部屋で休んでいると凛が走って部屋に戻ってきた。

「蓮!大変、明らかに怪しい男を見つけた。」

蓮は誰のことを言っているか想像がついた。奴への怒りがあった蓮は凛が話し始めるより先に言った。

「辰造だろ。サキさんの親戚らしい。」

凛は唐突な蓮の発言に戸惑った。

「大柄で顔に大きな傷がある男だろ。サキさんがあいつにナタで切られた。」

凛は驚きを隠せなかった。あの男は自分の姉だけではなく、この村の人間にも危害を加えていた。

彼女はあの男が村の外の人間を嫌っていてそのせいで姉が殺されたのだと思っていた。だが、男はこの村の人間である巳神 サキを切った。彼女は半信半疑で先の部屋へ向かった。


 2人はサキの部屋に入った。

「サキさん、調子はどうですか?」

蓮はサキに近づいていった。

凛はその時に気づいたのは2人の距離感が近くなっていることだった。

 幼馴染なのだから当たり前だとも思うが、今朝よりもずっと近くで密着しているように見える。

彼女はそれを見てやり場のないモヤが心の中に広がっていくのを感じた。

「ええ、痛みはまだありますがもう動けそうです。」

サキは落ち着いた口調でそう言った。

「あの、すみません!私、あなたのことを疑っていました。なにかこの村に来た時から怪しい雰囲気があって」

凛は頭を下げてサキに伝えた。

ずっと怪しいと思っていたが、こんな状況になってしまっている。

もしも、本当に彼女が何かを企んでいるならこんなことをされるのはおかしい。

「いえ、お気になさらないでください。私も心のどこかであなたを村のものではない余所者として思ってしまっていました。」

サキは笑顔で伝えた。

その瞬間、凛はなぜか涙が溢れた。

「本当に……すみません。」

凛は涙を拭いながら伝えた。

サキは静かにうなづきながら聞き、優しい口調で伝えた。

「お二人とも、今日は動き回られて疲れたでしょう。私がこんな状態なのでご飯を作って差し上げることができません。お手数ですが、自分たちで作っていただけますでしょうか?」

凛は立ち上がり答えた。

「じゃあ、私がサキさんの分も作りますよ。」

それを聞いて蓮は彼女の方を見て言った。

「じゃあ、僕はサキさんの包帯を変えてから手伝うよ。先に行っておいてくれ。」

そういうと彼女はうなづいて部屋を出て行った。

 

 包帯を変えている時、泣きそうな声でサキは話した。

「私は、怖いのです。あの人にいつか本当に殺されてしまうのではないか、と考えてしまい、夜も眠れない日があります。見てください。」

そう言って彼女は体をこちらに向けた。

鱗の模様以外に彼女の体には多くの青黒いアザができていた。

「これは……許せない。」

ここまで酷い暴力を受けていたとは思ってもいなかった。

蓮の中ではどんどんと怒りが大きくなっていった。

「ええ。ですが、あの方は力も強く、村を牛耳っています。……蓮さん、お願い。私を、この村から連れ出して……。それとも、いっそ、私があの方の皮を……」

 そう言って彼女は蓮の首に顔を近づけた。

そしてペロリと、湿った舌で蓮の肌を舐めた。

「すみません。2人に優しい言葉をかけていただき、元気が出たので少し冗談を言って見ました。忘れてくださいな。さぁ、御子柴様が用意してくださったご飯が冷める前に行きましょう。」

呆然とする蓮を笑顔で見つめ彼女は部屋を出た。

しばらくしてハッとした蓮も急いで彼女のあとを追った。


 食卓ではサキに起きたことには触れずに3人で祭りについて話していた。

部屋で改めて会話をしたおかげもあり、サキも凛も笑顔を織り交ぜながら会話していた。


 部屋に戻ってからは2人とも疲れていたこともありすぐに寝てしまった。



 翌朝、先に目を覚ましたのは蓮だった。

昨日のことが忘れられず、あまり眠れなかった。

 食事の直前にサキが発した言葉がどこか本当の気持ちのように思えたからだ。

 巳神 辰造、彼が何のために彼女を狙うのか。サキの言っていた通り、彼女を生贄にする気なのか。

 蓮は半信半疑だった。もし、彼女を生贄とするのならそれは何の生贄なのか。この村を自分の手中に収めるためなら村長になればいいだけのことだ。


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