22 帝国の地に降り立つ
ゴウゥン ゴウゥン
ゴウゥン ゴウゥン
航行しながら高度を上げ予定の座標に到着したラースラン王国の
魔導飛行艦隊。雲の上に出たところで全艦が一旦停止した。
強い陽光が照らす蒼空。
そして眼下に広がる雲海を背景に飛行する大艦隊。
壮観な眺めだがかまわず艦隊は予定の行動を開始する。
ラゴル王朝征伐作戦『青』の司令官となったネータン王太女が乗る
旗艦マトゥの上部艦橋から人が乗るグライダーのような凧が勢い良く
上昇する。
グライダー凧には戦列艦マトゥと繋がるワイヤーと主目的に使う
ワイヤーの2本が延びており凧が充分に上昇し終えると主目的
ワイヤーを伝って10枚以上の旗が揚げられ均等に並ぶ。
十畳ほどの旗は色や模様、並び順などで艦隊行動の指令を
示す役割を持つ。
同時に大アルガン帝国支援作戦『赤』の旗艦ヴェーゼルも
指令通信の旗の列を揚げた。
戦隊旗を掲げた艦を中心に各部隊は統率された行動を取り
艦隊は2つの集団を形成する。
2つに分裂した艦隊はそれぞれの目的地、東のラゴル王朝と
西南の大アルガン帝国に向け進発して行く。
「ご武運を姉上。」
戦列艦ヴェーゼルの艦橋からラゴル王朝に向かう青作戦艦隊を
見送りながらユピテル王子は武運を祈る。
「殿下、少し宜しいでしょうか?」
「あまり宜しくは無いかな。護衛の仕事があるから手短に
頼むよミディ補佐官。」
特務武官に任命されたユピテルをサポートすべく補佐官として
王宮書記官ミディ・ミトラが同行していた。
そしてこの旗艦には護衛対象であるサリナと奴隷商アクーニンの
下働きだったスキッパーが搭乗している。
スキッパーは重傷を負っていた上に元々かなり身体に問題を
抱えており治療に時間を要しギリギリのタイミングでの乗艦だった。
気の逸った様子のユピテルにミディ補佐官は、
「幕僚一同と話し合い検討したのですがレクトール選帝侯領に
到着するまではユピテル殿下の身分と正体を偽装する必要があるかと
考慮いたしました。情報秘匿のため帝国人であるサリナ殿やスキッパ
ー氏にも『リヒテル』として接して頂けますか?」
「…理由を聞かせてくれるかな?」
「艦隊の目的の一つがサリナ殿の安全な護送。しかし我が国の王子が
乗艦していると知られれば帝国のザルク皇子派支援に来ている
ラゴルのドラゴン部隊の襲撃を誘発する恐れがあり本末転倒です。」
「うーん…」
普段の聡明な彼なら矛盾点の多いこの意見に違和感を感じていただろう。
しかしサリナ嬢に自分の正体が第三王子ユピテルでありメッサリナ皇女
の婚約者であると知られたくないとの思いからなのか彼の目は一時的に
曇ってしまったらしい。知られたらサリナとの淡い絆が断ち切られる気が
してユピテルの胸は痛む。
「そうだね。艦隊がドラゴン共と戦うのはサリナ殿を安全に
送り届けた後だ。」
元よりユピテルの特務武官任命は出帥の式典で国王が
突発的に決めた人事であり正式な辞令は書面が出来ていない。
緘口令次第では秘匿できる。
王子があっさり応じた事にミディ補佐官は内心ガッツポーズを
決めた。
(運良く両方が気が付いてないけれど一方的にどちらかが先に
相手の正体に気が付くとそれはそれで政治的失点になるのよね。
とにかく1番良いタイミングで同時に気が付いて貰わないと。)
ユピテルはミディ補佐官の心情を知る由もなくサリナの居る船室に向かう。
整えられた船室でサリナは専属メイドの世話になりながら壁際に座り
艦隊が空を征く眺めを窓越しに見ていた。
「いかがですか我が国の艦隊は?」
「ええ、随分と立派な…補給艦ですわ。」
サリナの瞳は後方で随伴している補給艦隊に向けられていた。
「補給艦ですか。」
また随分と変わった所に着眼するのだなと思いながら
ユピテルは応対した。
「そうですね、サイズだけなら大型艦になりますか。何せあの5隻で
この艦隊が2ヶ月間は戦えるだけの物資を積んでいますから。」
「まあっ。それ程のペイロードがあるのですね!」
かつて帝国軍の兵站を担い補給路確保に苦しんだサリナは
飛行艦による物資持参を素直に羨ましがった。
「搭載量が大きいですから1隻でも撃沈されれば喪失する補給物資も
多くなるデメリットはありますけれども。」
「一長一短という事ですわね。」
それからサリナは逡巡する素振りを見せながら意を決し
リヒテルに要請した。
「この戦いに勝った後にあの補給艦隊をお貸し願えませんか?戦火で
荒廃した帝都と国土を復興・復旧する物資の運搬に使用したいのです。」
「了解しました。ステッセル司令官に具申しましょう。司令官も
否とは言うますまい。しかし…」
「しかし?」
「貴方は既に勝つ事を前提にしておられるのですね。」
「これだけ強力な援軍を得て負ける事などありえませんわ。
それに彼等という切り札も居る…」
メッサリナの真紅の瞳は補給艦隊に影のように随行する
異形の艦艇に向けられた。
時空戦闘機ハイドル8機を搭載した異形の改造艦。
レーダやセンサーを増設した艦橋には急遽用意された
特殊ファイバー繊維で作成した旗が掲げられている。意匠は
黒地に赤でガープの紋章『ガープ・アイ』を象られていた。
艦橋の特等席にて足を組み頬杖をつくナルシストなスタイルの
ウオトトス。その彼に話しかける存在が居た。
「ちょっと聞きたいんだけどねウオトトスさんや。」
「これは魔術師ギルドを率いておられるバーサーン最高導師殿。
この身で答えられる事ならば何なりと。」
戦争をちゃっちゃと終らせると宣言し手伝いと称してバーサーン最高導師が
本来参加する予定の魔道師に替わってガープ艦に乗り込んで来たのだ。
「アンタ相手は何か調子が狂うね。聞きたいのはアンタを含めたガープの
人員が定期的にハイドルって飛行艇に入るのは何故だって事さね。」
「それはこの身体のメンテナンスのために。そう、この身は普通の食事を
取る事も出来ませんからね。」
機内の培養槽で改造人間や戦闘員に栄養補給し老廃物を排出する。その間は
意識の方を全感覚の電脳仮想空間に委ねられて。
ガープ要塞の『ガープ横丁』のような大規模な電脳空間街は容量的に
不可能だがハイドルにも小規模な電脳空間街が用意されている。
街とは言っても内容は居酒屋チェーン1店とゲーム部屋にカプセルホテル
だけ。あと1店舗ほど余裕があり作戦行動に参加する者の投票で入れる保養
施設が決まる。今回決まったのはあらゆる酒が揃ったBARレモンハットと
言う店だ。
説明を聞いたバーサーン最高導師は興味深そうにし、
「それはアタシも入ってみたいね!」
「よろしいですとも。未改造の方にもご利用できる電脳接続ユニットの
座席もありますゆえ時間が有る時にご招待しましょう。」
「そりゃ楽しみだ。しかし残念だね。アンタを喜ばせようとカエルを
用意してたんだが飲食しない身体とはね。」
「フフフ、カエルで釣り上げですか。面白い図式になったかもですな。」
ここでウオトトスは実に優雅に肩をすくめて、
「冗談はさておき、魔術師ギルド長たるお方がギルド本部を離れ
現場に赴いて問題は無いのですかな?」
「問題は有るよ。けどその為にナンバー2ってのが居るんでね。」
あっけらかんと言い放ち最高導師は言葉を続ける。
「例の芝居だってヒラ魔道師よりはアタシの方が信憑性も出るだろう?
それに魔術が必要な場面があった時、アタシがいれば百人力さね!」
ここで芝居と呼ぶ偽装工作とは何か?
今回の援軍派兵はあくまでラースラン王国が行う事。
いまだ帝国と正式に国交を結んでおらず認知すら
されていないガープが作戦参加するのは無理があり
へたをすると攻撃対象にもなりかねない。
むろん、メッサリナ皇女が陣営に帰還し全権を掌握すれば
問題は消えるのだがその前の段階で既にガープは来てしまっている。
そこで今回参加したウオトトスたちガープ戦闘部隊は全て
魔術師ギルドが召喚し使役するデーモンの軍勢だという建前で
芝居を打つ事になったのだ。
メッサリナ派の帝国側上層部には真実を伝えているが余計な
混乱を避けるため国交を結ぶまで帝国軍将兵に対しては芝居で
押し通す事になっている。
「デーモンなどという異形の存在の芝居など上手く出来るか
どうか…」
「……そのまんまで大丈夫だと思うよ。」
額に手を当てるキザなポーズで憂えるウオトトスに最高導師の
ツッコミが入るのだった。そして、
「あと、芝居に徹するならアレ何とかしなさいな。ガープの旗を
堂々と掲げちゃ不味いだろうに。」
艦橋からもよく見えるガープの紋章旗を指差しながらバーサーン
最高導師は指摘した。
「フフッ、ご懸念は無用です。あの特殊ファイバーの旗はディスプレイ
に過ぎません。染物や刺繍ではなく画像を表示しているだけですので…」
ウオトトスは座っている椅子の肘掛に多数設置されているボタンの
一つを押す。
「ポチっとな。」
ポチ。
すると旗は一瞬でラースラン空中軍の戦隊旗に様変わりした。
それを見たバーサーンはどちらかと言うと呆れ顔で指摘する。
「いや、普通に旗を畳んで取替えりゃ良いんじゃないのかい?
大した手間じゃないんだし。」
さすがに好奇心旺盛な彼女から見ても高い技術力の無駄使い
なのは明白だ。
そして旗で敵味方識別や合図を行う周囲のラースラン艦隊を
仰天させながらマイペースにガープ艦は航行するのだった。
さて艦隊航路は問題無く、順調に行軍は進みこの日の内に国境を
抜き帝国領に到達。
早くも翌々日にはレクトール選帝侯領の領都ククファバード
上空に到着した。
帝国側から古風なワイバーンに乗った竜騎兵が飛んで来て
領都郊外に整備された飛行艦発着場へと先導する。
上空から見るに多くの人々の姿が見て取れる。その整然と並んでいる
様子に全て軍勢であるらしかった。
その帝国軍将兵の目前でラースラン艦隊は綺麗に隊列を
保ったまま艦種ごとに一糸乱れず着陸して行く。
巨大な空中艦が計ったようにピッタリの間隔を空けて
並んで見せた乗組員の技量に帝国軍から感嘆の声が上がった。
「まず名目としているのはサリナ殿の護衛。なのでまずサリナ殿を
帝国側にお送りする。こちらの名目は護衛だが本来サリナ殿は帝国の
外に居てはいけない立場。なので外の帝国軍にはサリナ殿が我ら
援軍艦隊を迎えに国境まで出向いた事にしている。皆もそのつもりで。」
ステッセル司令官が旗艦ヴェーゼルの降乗口の前に揃った全員に
言い含めるのとユピテルにエスコートされたサリナがやって来たのは
ほぼ同時だった。時は至ったと判断した司令官は下艦の指令を下す。
「降乗扉を開放せよ!」
ガコン!!
巨大な二枚貝が口を開けるように分厚い装甲扉が開くとその中に海の
軍艦のような頑丈な扉付きの出入り口が現れる。
与圧機能もある扉が開き一行は艦外に出て用意されていたタラップを踏んだ。
そこに広がっていたのは圧巻の光景だった。
きらめく鎧で整えられた完全武装の帝国軍がおよそ5万。
此方を前にきちんと整列し林立する戦旗を掲げる大軍勢。
中央には何かの式典をするかのような天幕が張られ、ひと際
巨大な帝国国旗とレクトール選帝侯旗が立っている。
サリナ、いやメッサリナはタラップを降り、万感の思いで
帝国の大地に歩を進めた。
(遂に帰って来た。)
胸を張り真っ直ぐ前を見つめ進む皇女。その後に続くのは
艦隊司令官とユピテル。そしてラースラン側の幕僚たち。
やってくる先頭の女性が何者か気が付いたのだろう。帝国軍から
歓声が上がり始め、すぐに潮の如き勢いで大歓声に変わる。
(ようやく始められる。祖国を救う戦いを!!)
天幕が目前に来た時、華麗な鎧に身を包んだ者がメッサリナの許に
駆け寄り身を投げ出すかのような勢いで足元に跪いた。
「メッサリナ皇女殿下ぁ!!よくぞ、よくぞ無事にご帰還あそばさ
れました。おお、天の神々よ!心より感謝いたします!!」
「ああ!!騎士ゼノビア!!貴方も無事に帝都を脱出できたのね!」
メッサリナは涙を堪えきれぬ様子の女騎士の手を取り立たせながら
再会を喜んだ。
『メッサリナ皇女殿下バンザーイ!!』『アルガンに栄光を!!』
歓声はいつの間にか声を揃えた歓呼に変わり天幕中央から
レクトール選帝侯が進み出る。
両肩にスパイクの付いたごつい鎧を装備し眼光鋭く顔に刀傷が
ある強面は選帝侯というより山賊の大親分といった風情だ。
レクトール選帝侯は豪快に笑いながら帰還を祝した。
「うわはははは。帝国の継承者たる方が遅刻とは感心しませんな!
ご無事な帰還おめでとうござる。しかし手土産が空中艦隊とは
豪快ですなメッサリナ殿下。」
「ええ、叔父上。いえ選帝侯。ただいま戻りました。さあいよいよです。
軍勢が整いラースラン王国の援軍を得た今この時より我々の反撃が始まる
のです。」
そこまで言ったところでメッサリナはハッと気が付き
後ろを振り返る。
「…サリナ殿が…メッサリナ皇女殿下?…」
(リヒテル様…)
ハトが豆鉄砲を食ったような様子のリヒテルに何と言葉を
掛けようかメッサリナが逡巡しているとレクトール選帝侯が
そちらを見るなり、
「おおお。これはユピテル王子ではありませんか!確か親衛騎士団の
副長に就任されたとか。立派になられましたな。今回は婚約者の
護衛を自ら引き受けられましたか?いやぁ若さとは良い物ですな!」
親ラースラン派として王国との折衝役を長年勤めてきた選帝侯は帝国に
表敬訪問した幼い頃のユピテルを迎えるホストとして会った事があった
のである。
「…リヒテル様が…ユピテル第三王子殿下?…」
今度はメッサリナが豆鉄砲を食う番だった。
王国、帝国において群を抜いて聡明な若い男女。
しかし彼らは今、お互いを指差しながら口をパクパクさせる
ばかりであった。




