第二幕 不思議な骨董店(二)
凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。
(『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)
董屋に日本刀が置いてあるのは当たり前といえば当たり前なのだが、なぜか今までそれとこれとを結びつけては考えていなかったのだ。ま、そもそも誕生日プレゼントと日本刀自体がなかなか結び付くものではないので、それもやむからぬことである。
そっか。さっき、この店に入れば自分の探しているものが見付かるような気がしたのはこれだったのか……。
それでもあるいは潜在意識の奥底で、真琴はそのことを考えていたのかもしれない。
日本刀……世間一般から見て、極めて特異でマニアックなプレゼントではあるが、これならば本人の希望とも完全にマッチした、確実に松平がもらってうれしい代物だ。しかもなんと特価千円である! このお値段ならば、平凡な女子高生である真琴の財力でも充分に手が出せる。
……でも、いくらなんでも安すぎじゃない?
一瞬、そのお買い得プライスに心の揺らいだ彼女ではあったが、当然、その直後にそんな疑念が湧いてくる。確かに「特価! 一〇〇〇円」とは激烈に安すぎだ。真剣じゃなく模造刀にしたって、こんな値段、普通ならばあり得ないだろう。
「あ、あのう……この刀、ちょっと触ってみてもいいですか? あ! いえ、別に骨董が趣味とか、最近流行りの〝刀剣女子〟だとか、そういうんじゃないんですが……」
真琴はその疑惑を確かめるべく、振り返って老人に許可を求めた。訊いた後で「女子高生が日本刀触らせてくれだなんて、きっと痛い子に思われるだろうな」と後悔したが、最早、後の祭である。
「ああ、それかい。いいとも。いいとも。お嬢さん、なかなかいい物(´´´)に目を付けたね。それは掘り出し物だよ。贋物じゃないからね」
だが、老人は特に奇異の眼差しを真琴に向けることもなく、柔和な顔に付いた二つの目をさらに細めて愉しそうに答える。
「あ、ありがとうございます……ゴクン…」
許可を得た真琴はおそるおそる左手を伸ばし、刀掛の上段に置いてある黒鞘の方の刀を小さく色白な指でむんずと掴んだ。
持ち上げると、そのズシリとした重みが鞘の中程を握った手を通して腕全体に伝わってくる……どうやら、少なくとも竹光とかそういう非金属でできたハリボテの類ではないらしい。
……でも、さすがに真剣じゃあないよね?
そう思いつつ、今度は空いている右の手で黒い組紐の巻かれた刀の柄を掴むと、その手に少し力を込めて真横にぐっと引いた。
ガチャ…。
すると、金具の擦れる音とともに、その刀身が鞘の口から徐々に姿を現し始める……。
「…っ!?」
と、その瞬間。真琴の背中に何か冷たいものでも浴びせられたかのような、不気味な悪寒が突然走ったのだった。
……な、何? 今の? なんか、後に誰かいるような……。
彼女はその感触に慌てて背後を振り返る……だが、そこには当然、真琴以外の者は誰一人としていない。いや、そもそも店内には真琴を含めて二人の人間しかいるはずがなく、そのもう一人の人物――店主の老人もそこからは少し離れた帳場の床に座ったままだ。
……誰か後にいるような気がしたんだけど……気のせいかな?
一瞬、何か異様な感覚に囚われる真琴であったが、それもすぐに消えたのでそれ以上は気にすることもなく、彼女は再び手にした刀の方へと注意を向ける。そして、改めて鞘からゆっくり刀身を引き抜き、ようやく全身像を現わにしたその白刃を、隅から隅までまじまじと隈なく見渡してみた。
「………………」
その刃は幾分錆びているせいか、時代劇や博物館で見る刀のように鏡みたく輝いてはいない。むしろ灰色に近いような、少し黒ずんだ鈍い銀色である。
けっこう重たいは重たいけど……この色からしてやっぱり真剣じゃないんだろうな……。
それでも金属の塊だけあって、普段はあまり味わないような重みを真琴が右手に感じていると、老人が再び声をかけてくる。
「どうだね? なかなかのもんじゃろ? これで千円はお得じゃよ。いかがかね?」
なかなかのものって、なんかちょっと錆びてるみたいだけど……まあ、この値段だからなあ……それでこんなに安いんだな…っていうか、こんなに安いってことは、やっぱり本物の刀じゃなくて摸造刀なのかな?
鈍らな色の刃に視線を落とし、心の中でツッコミを入れる真琴だったが、老人のその言葉に先程からの疑念の答えがわかったような気がした。
……それに本物の刀を買う時って、確か役所に届け出とかすると思ったんだけど……あのお爺さん、そんなこと何も言わないし、第一、あたしみたいな女子高生に真剣の刀を買えなんて勧めるわけないよね? ってことは、やっぱり本物じゃないんだろうな……いや、摸造刀でも女子高生に勧めるのはどうかと思うけど……。
しかし、そうであっても真琴の心には「この刀を買おうかな?」という衝動がじわじわと湧いてきてる。いや、真剣でない方が買うには何かと気軽だし、それ以前に彼女にとっては「真剣であるか? 摸造刀であるか?」などという違いはさほど関係ない。
彼女にとって大切なこと――それは、これが松平の欲しがっている〝日本刀の形をしたもの〟であるという、ただその一点だけなのだ。
しかも、特価千円……あたしのお財布と相談しても余裕で買える。これ、誕生日プレセントに送ったら、先輩、よろこんでくれるかなあ……。
「それは超特価品じゃからの。もう残るはあと二本だけじゃよ? 早くしないと売り切れちゃうよ?」
揺らぎ始めた真琴の心に追い討ちをかけるかのように、老人がそんな殺し文句を言ってくる。
うーん……どうしようかなあ……買っちゃおうかなあ……いつも、やっぱりやめようと思って買わないと、後ですっごく後悔したりするからなあ……。
「――すみません。これ、ください」
いつもながら優柔不断に長いこと悩んだ末、結局、真琴はそう老人に向かって答えていた。
「はい、毎度あり」
購入したのは黒鞘と朱鞘の二本の内、さっき真琴が手にとった黒鞘の方である。と言っても特に選んだのに拘りはなく、ただ派手な朱鞘よりはシックな黒鞘の方が松平に似合うかなあと思った程度である。
「お嬢さんには特別サービスじゃ。これもおまけに付けてあげよう」
商品と財布から取り出した千円札を帳場で手渡すと、老人はそう言って少々くたびれた藍色の細長い布袋にその刀を入れてくれる。
おまけにもらってもあまりうれしいとは言えないような代物ではあるが、それでも裸のままこの刀を持って帰るわけにもいかないので、その点では大いに助かる。
「……あ、ありがとうございます」
一応、礼を言って、真琴は古い布袋に包まれた刀を重そうに受け取った。
「ホッホッホッ。どうじゃね? ちゃんと探し物が見付かったじゃろう? うちは品揃えがいいからの。また何か心より欲しいものができたら、ここへおいでなさい」
そして、愉しげに笑う老人の声に見送られながら、真琴はどこか夢でも見ているかのような心持でその店を後にした。
「……ハァ…思わず買ってしまった……」
店を出た後、真琴は改めて、今、買ったばかりの刀の袋を見つめながら大きく溜息を吐く。
衝動買いを…しかも日本刀なんて代物を買ってしまうなんて、いつも「どうせ、あたしなんか…」とネガティブに考えてしまう後ろ向きな真琴としては、信じられないくらいポジティブな彼女らしからぬ行動である。骨董店に満ちる不思議な雰囲気にでも中てられたのか? 今日の真琴は少し変になってしまっているのかもしれない。
……でも、これで先輩へのプレゼントもできたし、民ちゃんにも怒られなくてすむな……それに、これなら先輩もよろこんでくれるかもしれない。そして、もしかしたら、あたしのことも……。
やはり今日の真琴はいつもとどこか違い、そんな前向きな考えを持てるようになっている。
……それにしても、あのお爺さんが言った通り、ほんとに〝何か欲しいもの〟が見付かっちゃった……品揃えがいいのかなんなのか、なんか不思議なお店だったな。
そんなことを思いつつ、もう一度振り返って「時空堂」の看板を見上げてから、真琴は夕日に染まるオレンジ色の商店街をもと来た大通りの方へと歩き出した――。
「――ただいいまあ!」
いつになく浮き浮きとした様子で、真琴は玄関のドアを開ける。
「あら、お帰りなさい。どうしたの? 今日はやけに楽しそうね。何かあったの?」
「あ⁉ …ん、ううん。な、なんでもない。なんでもない」
出迎えた母・珠子にその明らかな変化を見咎められると、彼女は慌てて持っていた布袋を背中の後に隠し、手をバタバタと振ってその場を誤魔化そうとする。
「ふうん……なんだか変な子ね。あ! そうそう。それより、お母さんの頼んでた『バクフノオワリ』のニューアルバム買って来てくれた?」
「ああっ! ご、ごめ~ん! すっかり忘れてた。明日、学校の帰りに必ず買ってくるから今日のところは許して!」
母に言われ、真琴は今更ながらにそのことを思い出す。そのCDを買うためにわざわざ商店街まで行ったものの、あの骨董屋を見つけたせいですっかり忘れてしまっていたのである。
「ええ~! そうなの? もう、ほんとに今日はどうしちゃったのよ? あ、もしかして、好きな人からプレゼントもらったとか?」
「な!? ……そ、そんなことあるわけないじゃない! ほ、ほんとになんでもないんだったらあ!」
訝しがる母の当らずとも遠からず、微妙にニアミスな冗談に真琴はさらに慌てふためくと、背後の細長い布袋をなんとか隠すよう努力しながら、二階にある自分の部屋へと一目散に逃げ込んだ――。
「――よし、あたしも離脱ストンプっと……ふぁ~あ…さて、そろそろ寝ようかな……あ、でも、その前にもう一度……」
自分の部屋に潜んでほとぼりを覚ました後、表面上はいつものように夕食を家族とともにとり、お風呂に入り、だらだらとなんとなくテレビを見たり、スマフォを弄ったりして過ごした真琴は、就寝前にふと、もう一度、例の刀が見てみたくなった。
淡いピンクのパジャマ姿に着替えている真琴は、自身の部屋のカーペットの上にちょこんと座り、くたびれた藍色の布袋を見つめながら独りニヤける。
「……先輩、よろこんでくれるかなあ?」
あの骨董屋でこの刀を買って以降、彼女はそのことばかりを考えている。基本ネガティブ・シンキングな真琴であるが、今日はなぜだか自然とその顔には笑みが零れてきてしまう。
「先輩、刀が欲しいって堀田先輩に言ってたからなあ……これあげたら、もしかして先輩、あたしのこと……」
さらにいつもの彼女らしからぬ妄想を膨らませると、頬を桜色に染めて買ってきた刀を布袋から取り出す。
ガチャ…。
そして、夕方、あの骨董店でした時と同じように、右手を黒い組紐の巻かれた細長い柄にかけ、ゆっくりとその刀身を鞘から引き抜いてみた。
「やっぱ重っ! ……こんなの、よくお侍さん達は振り回してたな……」
前回同様、ズシリとした金属の重みが柄を掴んだ右手を介して伝わってくる。
この本物の刀っぽい重さ……これなら摸造刀でも、先輩よろこんでくれそうだな。
そう思い、よりいっそう顔をだらしなくニヤニヤさせる真琴は、黒漆塗りの鞘を床に置き、両手で柄を握って真っ直ぐに刀身を立てると、まるで鏡でも覗き込むかのようにその刃をまじまじと眺めてみた。
若干錆び付き、やや黒ずんだ鈍い銀色の刃……鏡のようにはっきりとは映らず、ぼんやりとその表面に自分の顔が浮かんでいる……
「…っ!?」
と、その矢先のことである。刃を見つめる真琴の視界の隅に異様なものが映ったのだ。
それは、ぼんやりと鏡像を映す刃身の中……真琴の背後に紺色の着物に灰色の袴を穿き、腰には二本の刀を差した丁髷頭の男が立っていたのである。
「ハッ…!?」
真琴は慌てて背後を振り向く……だが、今見た男の姿は部屋のどこにも見あたらない。
そこでもう一度、刀の方に視線を戻してみるのだったが、その刃の中にも今の侍の姿を再び見付けることはできなかった。
……気の…せい?
まるでキツネかタヌキにでも化かされているかのような、どこか納得いかないものを残しながらも、常識的に考えればそうとしか思えない。
この現代の日本に…それも、ごく一般的な中流階級の家の、ごくごく平凡な女子高生の部屋の中に、丁髷結ったお侍なんかがいるわけがない。こんな日本刀なんか持ったりしてるから、きっと前に見た時代劇の一シーンか何かを脳が無意識に思い出して、そんなおかしな幻影を誤って見せたのだろう……。
「あたし、疲れてるんだな……なんか今日は変なお店に行ったり、こんなマニアックな買い物したりしたからなあ……」
とりあえずそのように結論づけると、不思議と体が本当にだるくなり、両の瞼もとろんと重くなってくる。
「ふぁ~あ…明日も学校だし、もう寝なきゃ……」
急に眠気のさしてきた真琴は刀をもとのように袋へ納めると、早々、ベットに潜り込んで夢の世界へと旅立って行った……。
つづくでござるよ…。