第一幕 平凡な少女(二)
凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。
(『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)
「――お疲れさまでしたーっ!」
部活を終え、男女それぞれの部室で道着から制服に着替えると、剣道部員達は互いに挨拶を交わし、それぞれに家路へとついて行く。
「先輩、お疲れさまでしたあ!」
同じく部のジャージから日新高指定の濃紺セーラー服姿になった真琴と民恵の二人も、傾きかけた西日を浴びて、鮮やかな橙色に染まる校門の前で松平達と挨拶を交わす。
「ああ、お疲れ!」
どこか旧日本海軍の軍服を思わす紺の詰襟制服に身を包んだ松平は、同じ剣道部の同輩・堀田正志とともにいつもの爽やかな笑顔で真琴達に挨拶を返す。
「はぁ~……♡」
その笑顔を見る度に、真琴の心には何か温かいものが湧き上がり、自然と自身の顔にも笑みが零れてくるのだ。
「ふう…腹減ったな。何か食ってくか? かけそばとか、とろろ飯とか」
「松平、そこは普通、ハンバーガーとか中華まんとかだろ?」
……だが、だからと言って、それ以上会話が弾むわけでもない。家路を急ぐ松平は同輩達とともにそのままあっさりと前を向き、さっさと歩いて行ってしまう。
普段、親しく挨拶を交わしたり、毎日のように話したりはするが、それはあくまでも同じ部の先輩と後輩、もしくは選手とマネージャーの間柄でのことである。今の真琴と松平との関係はそれ以上でもないし、それ以下でもない。
「………………」
そう思うと不意にまた、悲しいような、淋しいような、どうにも言い表すことのできない苦しさが真琴の胸に込み上げてくるのだった。
「なあ、そう言えば来週、おまえの誕生日だったよな?」
そんな時、松平と堀田のかわす何気ない会話が、後ろにいる真琴達の耳にも入ってくる。
「ああ、そうだけど……あ、もしかして何かくれるのか?」
堀田の質問に、松平は顔色を明るくすると淡い期待を込めて尋ね返す。
「ま、腐れ縁のよしみだ。粗品ぐらいのもんならプレゼントしてやるよ。何が欲しい?」
ちょっと偉そうに堀田が胸を張ってそう答えると、松平は腕を組み、天を仰ぎながらしばし考え込む。
「うーん……そうだなあ? 今欲しいと言えば、日本刀かな?」
「ああ、日本刀か。そんじゃ、そのご希望に沿って日本刀を誕生日プレゼントに……って、ぜんぜん粗品じゃねーじゃん! 買えるかっ! んな高価な代物!」
さらっと答える松平のアバンギャルドな発言に、堀田はノリよく一人ボケツッコミをする。彼らは真琴と民恵の関係に同じく、そんな親友の仲なのだ。
「いや、別に真剣じゃなくて摸造刀でもいいんだ。その内、居合の方も始めてみようかなって思っててさ。それに剣道の形練習するのも木刀よりそっちの方がよりリアルでいいしさ」
「なるほどな。さすが剣道バカなおまえだけのことはあるプレゼントの要望だ。けど、摸造刀だってけっこう高いぜ? 特に居合の練習に使えるようなしっかりした頑丈な造りのやつは」
「まあ、そうだろうな。でも、別にそれを買ってくれなんて言うつもりはないよ。今欲しい物は何かと訊かれたから、ただ正直に一番欲しいものを答えただけの話さ。そうだなあ……それじゃ、プレゼントには日本刀の手入れに使う打粉がいいかな? ほら、あのポンポンって刃に付ける白い粉だ」
松平はそう言いながら、右手で刀を持ち、その架空の刃に左手で粉を打つようなエアお手入れ(´´´´´´)の仕草をしてみせる。
「またマニアックな物を……いや、その前に今年は受検もあるんだから、そういう趣味は大学受かって、時間にゆとりができてからにしろよ」
同じく剣道部員で彼の親友であるとは言えど、その世間一般とはだいぶかけ離れた松平の要望を聞き、堀田も少々呆れ気味である。
「フフン。堀田君、わかっていないねえ。この剣術と日本文化に対する我が飽くなき探求心を」
だが、そんな親友の反応も気にせず、松平は胸を張って鼻を鳴らすと、なぜだか得意げにそう嘯いてみせる。
「はいはい。左様ですか。そんな飽くなき探究心の欠片もない、ごくごくフツーなしがない一般人ですみませんでしたねえ――」
「……そっか。松平先輩の誕生日ってもうすぐなんだあ」
夕日に細長い影を二本引きながら、ますます呆れ顔の堀田とともに松平が遥か向こうへ遠ざかって行くと、なんとなく彼らの会話に聞き入っていた民恵がぽつりと呟く。
「うん。確か四月二九日とか言ってたかなあ……」
その呟きに、憂いを秘めた瞳で松平の背中を見送る真琴は、そうしたごく一部の者でしか知りえない個人情報を何の気なしに思わず口走ってしまう。
「お! さすが恋する乙女はちゃんと押さえるとこ押さえてるねえ~」
そんな、あからさまに恋煩いしている純情少女なディア・マイ・フレンドに、民恵はいつものイヤラしい眼差しをセクハラおやじのように向け、ワイドショー好きのおばちゃんが冷やかすように言った。
「も、もう! 民ちゃん、からかうのはやめてよ! た、ただ、前に偶然、先輩達が話してるの聞いただけなんだから!」
「それでも、ちゃんと忘れずに憶えてるってのが恋の力のなせる技なんだよ。普通、好きでもない相手の誕生日なんかぜったい憶えてないって……んで、どうすんの?」
いつもの如く顔を真っ赤にして慌てふためく真琴だが、民恵はそれを無視すると、この機を逃すまいとさらにたたみかける。
「え? どうするって?」
「だから、松平先輩の誕生日だよ。もちろん何かプレゼントするんでしょ?」
「え⁉ あ、あたしが?」
民恵の思わぬ言葉……といっても、思わなかったのは真琴本人だけなのだろうが、その予想外の問いに彼女は驚きの声を上げる。
「あったり前でしょう! 他の誰があげるっていうのよ? これはチャンスだよ! チャ・ン・ス! かのクリスマス、バレンタインと並ぶ逃しちゃならない世界三大チャンスの一つだよ! 何か先輩が気に入るような良さげなものをプレゼントして、一気に先輩との距離を縮めるんだよ!」
「あ、あたしなんかがプレゼントしたってどうせダメだよ。きっと、先輩、受け取ってなんかくれないよ……」
奥手な彼女を諭し導こうと熱く語る民恵だが、やはりいつものことながら、真琴はひどく後ろ向きな態度を示す。
「ま~た、真琴の〝どうせ〟が始まった。あんたのそういう超ネガティブ・シンキングよくないよ? 人生なんだってやってみなきゃ、どうなるかなんてわからないんだから」
「そんなこと言ったってえ~……あたし、ほんと自分に自信が持てないんだよう……」
強い口調でお説教をするやや怒り気味な民恵に、真琴は今にも泣きそうな顔をしてなおも弱音を吐いてみせる。
「とにかく! こんなチャンス滅多にないんだから、何がなんでもプレゼントするんだよ!? 松平先輩、趣味はちょっとアレだけど、基本いい人なんだから。真琴からのプレゼントなら、ぜったいによろこんでくれるって。それに真琴が思っているほど、真琴はそんな魅力なくなんかないし、けっこうカワイイんだからね!」
「ううう、でもぉ~…」
「でもじゃない!」
「だってぇ……」
「だってでもない!」
それでもなお、ぐちぐちと言い訳を続ける真琴に取り付く島もなく、鬼教官のように民恵はぴしゃりと言い聞かせるのだった。
つづくでござる…。