アリアと人形
坂の手前で、レンが足を止めた。
「左の方が乾いてる」
俺はそちらへ寄った。
一歩上ると、背中の人形が揺れる。
「ランド、背負ったものまで跳ねさせない」
エレナさんの声に、歩幅を縮めた。
「人形だからって雑にしないで。ちゃんと一人の仲間だと思って運びなさい」
「はい」
人形を背中へ引き寄せ、抱え直す。
「……アリア、もう少し我慢しろよ」
「誰がアリアよ」
後ろから声がした。
レンが振り返る。
「ランド、アリア揺れてる」
「分かってる。悪いな、アリア」
「私はこっちにいるでしょ!」
俺は笑いを堪え、次の足を置いた。
「アリア、暴れるな。落ちるぞ」
「暴れてるのは私で、そっちは人形!」
前を歩いていたレンが振り返った。
「ランド、気をつけて。後ろに怖い人がいる」
「おい、こら、ガキィ!」
「ほら」
ルシオンが後ろで吹き出した。
「ルシオンまで笑わない!」
「す、すみません……」
「ランド、喋る余裕があるなら、足元を見なさい」
エレナさんに言われ、口を閉じた。
脚には、まだ力が残っている。
だが、自分一人の時と同じ勢いで上ると、人形が跳ねた。抱え直すたび、腕へ余計な力が入る。
レンが先を歩き、足を置く場所を確かめる。
その跡を追って、坂を上りきった。
折り返し、下りへ向いた途端、人形が肩へ覆いかぶさってきた。
「っと!」
前へ出かけた足を踏ん張る。
レンが横から人形を支えた。
「今、速くなった」
「ああ。助かった」
「下りは重さに押されるわよ。そのまま駆け下りないこと」
俺は頷き、慎重に足を置いた。
平らなところへ戻ると、ようやく大きく息を吐けた。
◇
「そこで交代して」
エレナさんに言われ、俺はしゃがんだ。
レンと一緒に人形を下ろす。
「アリア、着いたぞ」
「まだ続けるの?」
アリアが俺を睨んだ。
レンは人形の横へしゃがみ、その頭を支える。
「次は僕が運ぶからね、アリア」
「二人とも、私の名前で遊ばないで!」
人形を支え、レンの背中へ移す。
レンが立ち上がると、人形の腕が垂れた。
「アリア、ちゃんとつかまって」
「人形がつかまれるわけないでしょ!」
「そうだった」
俺は堪えきれずに吹き出した。
アリアが俺の腕を叩く。
「最初に言い出したの、あんたよね?」
「仲間だと思えって言われたから」
「私以外にもいるでしょ!」
エレナさんが手を叩いた。
「はい、そこまで。レンは背負った位置を確かめて。アリアは前で道を見てあげて」
アリアが坂を見た。
それから、俺たちへ振り返る。
「分かったわ。ちゃんとついてきなさいよ」
レンが人形を背負い直す。
「アリアのために頑張る」
「その名前、もう禁止!」
◇
レンは軽々と立ったが、歩く速さは抑えていた。
アリアが前を歩き、足場を指す。
「そこ、端が崩れてる。もう少し内側」
「うん」
レンが足を置き直す。
俺は横から人形の腕を支えた。
自分で背負っていた時には、前と足元を見るので精いっぱいだった。
横からなら、背中でずれていく人形も見える。
「レン、一度止まって。少し右へ寄ってる」
「分かった」
止まってもらい、位置を直す。
坂を越えて戻ってきた時には、人形はほとんど傾いていなかった。
◇
アリアとルシオンには、短い距離で交代が入った。
アリアは平らなところなら運べたが、坂へ入る前に足を止める。
「……これ以上は、背負い直せなくなりそう」
「なら、今のうちに交代」
エレナさんが横につき、人形を下ろさせた。
ルシオンは立ち上がるところから苦労した。
数歩進んだだけで、人形がずれる。
俺が支えると、悔しそうに息を吐いた。
「すみません。一度、下ろしたいです」
「一緒に下ろすぞ」
「はい」
二人でゆっくり地面へ戻す。
ルシオンは腕を休ませてから、坂へ目を向けた。
「運ぶ人が通りやすいように、土を固めるのはいいですか?」
「やってみなさい。ただし、支えている手を黙って離さないこと」
次に俺が背負った時、ぬかるみの脇に細い道ができた。
踏んでも沈まない。
それだけで、人形を抱え直す回数が減った。
「ここ、通りやすい」
「もう少し先まで固めます」
ルシオンが前へ杖を向ける。
アリアは俺の横につき、ずれかけた人形の腕を戻した。
「いったん止まって。先に位置を直すわ」
「ああ」
止まる時も、動き出す時も声をかける。
最初よりゆっくり歩いたのに、戻った時の腕は少し楽だった。
「次は、私が追いかけるから」
エレナさんがハリセンを取り出した。
俺はレンへ木剣を渡す。
「今度は俺が運ぶ。後ろ、頼む」
「分かった」
アリアとルシオンが前へ回った。
背中へ重さが乗る。
立ち上がると、後ろでハリセンが鳴った。
「まだ始めてませんよ!」
「だから、今のうちに相談しなさい」
俺たちは急いで顔を寄せた。
◇
その日から、同じ訓練でも条件が変わるようになった。
障害物を越える順番が逆になる。
旗が二本になり、守る方と取る方を途中で替えられる。
人形を運ぶ途中で道を塞がれ、引き返すこともあった。
朝の鬼ごっこも続いた。
「ルシオン、左!」
「そっちは塞がってる。こっち!」
声が重なると、かえって迷わせる。
誰がどこを見るか、走り出す前に決めるようになった。
木人への打ち込みも、毎日やった。
疲れると切っ先が下がる。
気づくたびに構え直し、次の一振りへ移る。
レンとの練習では、初めは間に合わなかった二撃目を、続けて防げた。
「もう少し速くしていいぞ」
「いいの?」
「ああ」
次の一撃は、脇腹へ当たった。
「……少しって言っただろ!」
「少しだよ」
横でアリアが笑った。
◇
屋敷へ来て、一週間が過ぎた。
朝、廊下で会ったアリアは、もう壁へ手をついていなかった。
ルシオンも靴を履き終え、先に外へ出ている。
俺は腕を回した。
張りがなくなったわけじゃない。
それでも、動き始めてから身体がほぐれるまでの時間は短くなっていた。
食堂へ入ると、エレナさんが四つの包みを用意していた。
隣には、水筒と縄もある。
「食べ終わったら、出かけるわよ」
「どこへ行くんですか?」
「森。今日は外でやるわ」
俺は窓の向こうの訓練場を見た。
壁も丸太も、今では位置を覚えている。
森なら、次の足場も自分で確かめなければならない。
「何を持っていけばいいですか?」
「普段の武器。ほかに必要だと思うものがあれば、自分たちで選んで」
俺は三人へ顔を向けた。
「飯の後、荷物を合わせよう。全員が同じものを持っても重くなる」
「食べ物は僕が持つ」
レンが言った。
「干し肉とパン。あと、チーズと干した果物も」
「そんなに持っていくのか?」
「足りなかったら困るから」
「持っていく前に食うなよ」
「途中で食べる分も入れてる」
「帰るまでの分、ちゃんと残せよ」
アリアが呆れたように笑った。
レンが言った。
「私は薬と包帯ね」
「僕は水筒を確認しておきます」
エレナさんは口を挟まず、パンをちぎっていた。
俺も席へ着く。
今日は、訓練場で覚えたことが森でも使えるか、試してみたかった。
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