終章 『また……』
「あはっ♪アタシは天才だからな♪」
「まさか?」
店内が静かになった。
「嘘だろ……」
「昨日の子?」
「全然わからなかった」
昨日は誰も話しかけなかった男が、グラスを持って近づいてくる。
「よかったら、一緒に飲まない?」
「えっ……」
別の男も笑顔で割り込む。
「俺も実は昨日、話してみたかったんだよね」
「昨日は緊張してた?」
ひよりは困ったようにノアールを見る。
ノアールはそっと手を握り、大きく頷いた。
山木だけは笑っていなかった。
昨日まで。
交流会で一番地味だった女。
誘えば喜ぶと思っていた女。
それが今は。
男たちの輪の中心にいる。
「……なんだよ、それ」
思わず山木から小さく漏れる。
「お、おい……山木もやってもらえよ」
男の一人が肘で山木をつつく。
山木は男を腕を組み睨んでいる。
「そんなに変われるなら、俺もやりたいわ」
「そうだな」
ノアールは腕を組んだ。
「いいぞ!」
全員がノアールを見る。
「マフィア向けの擬態なら」
「四万三千USドルじゃ」
「えっ」
「ひよりの友達だからな」
少しだけ考える。
「端数は切ってやる」
「四万USドルじゃ」
「高っ!」
男たちが一斉に叫んだ。
「なんじゃ」
「安くしたぞ?」
「いや、そういう問題じゃねぇ!」
「俺、そんな金ねぇよ!」
「あはっ♪」
ノアールは胸を張る。
「世界一の擬態アーティストは、安売りせん♪」
ひよりは、そのやり取りを見て吹き出した。
「ふふっ……」
ノアールはその笑顔を見て、小さく頷く。
(うむ)
(ニコニコじゃ)
(今日は、それでよい)
「あはっ♪」
ノアールが腰に手を当てた。
「だから言ったじゃろ♪」
「擬態とは」
「顔を変える技術ではない」
「認識を変える技術じゃ♪」
男たちは黙った。
誰も反論できない。
今、その証拠が目の前にいるからだ。
「ノアールさん」
「なんじゃ」
ひよりの声に振り返る。
アタシを見ている。
ひよりが見つめてくる。
なんだ?
また泣く?
泣かない。
周りがなにか言っている?
アタシ、いやアタシたちを見ている。
そんなことはどうでもよい。
ひよりが見つめているのが、問題なのだ。
近づいてくる。
ゆっくり。
カワイイ?
そうじゃない。
作品?
もっとそうじゃない。
ひよりは、小さく息を吸った。
一歩だけ前へ出る。
ひよりのくちびるが、重なる。
「んっ……」
初めて、ひよりの鼓動だけが聞こえる。
また、アタシから変な声
なにか周りが騒がしい。
周りのノイズ
聞こえなくなってゆく。
ゆっくり
そ~っと
ゆっくり……
まぶたを閉じた。
◇
それから——♡
「あんっ♡……ノアールさん待って……」
「キャハー♪待てんっ!待てんのじゃ♡」
雪色のツインテールが、激しく揺れる。
「ゆっくり、落ち着いて、私は逃げませんから」
その弱々しい小動物のような困った目!
ポカポカした身体!
そしてモゾモゾしている太もも……
「キャハ♪ゴートゥーヘブンじゃ♡」
ガチャッ!
ドアの開く音が聞こえた。
「キャッ!」
ひよりが悲鳴を上げている。
「お前……またか……」
野太い老人の男の声が聞こえる。
ちっ! また邪魔しやがって!
白い羽毛布団を蹴飛ばして飛び起きる。
「邪魔するな!ハマキング!土に還すぞっ」
ハマキングは頭の後ろをかきながら、ため息ついている。
土に埋めちゃえばもう、不快なため息などすぐに吐けなくなるだろう。
「南米行きの搭乗時間だ」
「ハマキング」
「……」
「南米をここに持って——」
「無理だ」
「今、アタシは、ひよりと——」
「済ませておけ」
ハマキングはそう言うと部屋を出ていった。
フハハハ!ハマキングめ。
帰りおった。
では——
ひよりを——
ひより?
ひよりがアタシを潤んだ目で見ているぞ。
「今日……行っちゃうのですよね」
「えっ……ああ」
「だっ、大丈夫じゃ!仕事なんて二秒で終わらせて、すぐ帰ってくれば……あの……その……」
ひよりが泣きそうだ。
どうしよう。どうする?
アタシは天才だ!切り抜けられるのだ。
そう。天才は目玉焼きを作れて、
ジャムは沢山つけすぎてはいけない。
それから……
ひよりが抱きしめてきた。
裸?
そう。今は裸かどうかは問題ではない。
「いってらっしゃい……」
「そして」
「またね」
「!?」
今度は、その意味を知っている。
「うん……」
「またな」
———おしまい




