第2話 夜明けの兆し
天音達が地方支部に来て1週間。
天音が支部全体の改善予算を組み直し、橘がどこに予算を多く当てるか見直し、同時に物資申請ルートを整理していく。
鷹宮は隊員達の指導にあたってくれている。少しずつだが、頭角を表す者がいると報告があるのは喜ばしい。
少しずつ、だが着実に再建は進んでいた。
しかし、それを良く思わない支部長達はなかなか決裁を通さず、訓練も厳しすぎると文句の嵐だ。
だが、天音達も黙ってはいなかった。
「決裁が通らないなら、通る形に変えるだけだ」
天音は淡々とそう言い放つと、山積みにされた書類へ視線を落とした。
どこに無駄な経費が流れ、誰が私腹を肥やし、何が現場を圧迫しているのか。
一週間で、ほとんど把握し終えていた。
「接待費、会食費、用途不明金……随分と余裕があるじゃねぇか」
橘が皮肉混じりに笑いながら、帳簿を机へ放る。
「その分を医療備蓄と車両整備に回す。異論あるか?」
支部長達は顔を見合わせたが、誰も口を開けない。
口を開けば、自分達の不正まで暴かれると分かっていた。
その頃、訓練場では鷹宮の怒号が響いていた。
「遅ぇ!!そんな足で有事に何守る気だ!!」
倒れ込みながらも食らいつく若い隊員達。
その目は、先週までの死んだようなものではなかった。
強くなりたい。
変わりたい。
そう願う者が、少しずつ増えていた。
再建は確かに進んでいる。
だが同時に、腐った者達も追い詰められていた。
失う椅子にしがみつく人間ほど、醜く牙を剥く。
そしてその夜。
天音の机の上に、一枚の速達伝令が置かれていた。
ー神代天音 本部への即時帰還を命じる。
部屋の空気が静かに凍りついた。
橘が舌打ちする。
「始まりやがったな」
天音は紙を手に取り、わずかに笑った。
「支部長達の仕業かな」
伝令を天音は破り捨てると、すぐに帰還準備を進めた。
橘には引き続き、使途不明金の内容と支部長達の同行を調べるように命じ、鷹宮には訓練内容を毎日メール報告するように指示すると、電車に飛び乗った。
電車に揺られながら、天音は澪へ連絡を取る。
ープルル…プルル…プルル…。
『もしもし?』
元気そうないつもの澪の声だった。
「本部帰還の伝令があったから、戻ってる。明日、家によるよ」
『そう、分かった』
短い電話だった。
電話が切れる直前に蒼真の鳴き声が聞こえた。
起こしてしまったのだろうか…と電話ではなく、メールにすれば良かったかと後悔したが、澪と蒼真の声が聞きたかった。
電車を降りた頃には、空はすっかり白み始めていた。
本部庁舎へ向かう足取りは迷いなく、速い。
だがその胸中には、地方支部のことでも、支部長達の思惑でもない感情がひとつだけあった。
……蒼真は、まだ寝ているだろうか。
本部へ顔を出し、形式だけの帰還報告を済ませる。
露骨な嫌味も、探るような視線もあったが、天音は一切気に留めなかった。
気にした所で考えに変わりはない。
この腐った組織を壊す。
ただそれだけの事。
「以上です。では失礼します」
必要最低限だけ告げると、そのまま庁舎を後にする。
向かう先はただ一つ。
自宅だった。
玄関を開けると、朝食の香りが漂っていた。
台所では澪が味噌汁をよそっている。
「あれ?早かったね」
振り返った澪が少しだけ笑う。
その何気ない表情に、天音の肩からようやく力が抜けた。
「報告だけ済ませてきた」
居間の奥、小さな布団の中で蒼真が眠っている。
規則正しい寝息。
小さな手。
柔らかそうな頬。
天音は無意識に歩み寄り、その顔を見下ろした。
「昨日、電話のあと泣いてたよー」
澪の声に、天音の眉がわずかに寄る。
「……やはり起こしたか」
「違うわ」
澪はくすりと笑った。
「父親の声がしたのに、いなかったから怒って泣いたの」
その言葉に、天音はしばし黙り込んだ。
そして珍しく、困ったように息を吐く。
「……そうか」
澪はそんな天音を横目に見ながら、湯呑みを差し出した。
「抱っこしてみる?」
「起きるだろう」
「もう起きる時間よ」
そう言った直後、布団の中の蒼真がもぞりと動いたと思ったら、両手を伸ばしてぐいーんと背伸びをする。
赤ちゃんは背骨まで柔らかいのか?と思うほど、よくしなる背中だ。
ゆっくり目を開け、ぼんやりと天井を見つめる蒼真。
次に視線が動き、天音を捉えた。
数秒の沈黙。
そして――。
「……あー」
小さな手を伸ばしてきた。
その瞬間、地方支部の問題も、本部の思惑も、何もかもどうでもよくなった。
天音はそっと蒼真を抱き上げる。
軽い。温かい。小さい。
蒼真は父の胸元を掴むと、安心したように再び目を閉じた。
澪が笑う。
「完全に負けてるわね」
「何に?」
「蒼真に」
天音は答えず、ただ静かに赤子を抱いたまま立ち尽くしていた。
その姿は、地方支部を揺るがす改革者ではなく。
ただ、不器用な一人の父親だった。
名残惜しいが、今日中に地方支部に戻らなければならない。
次に帰ってくるのはいつになるだろう…。
すやすや寝息を立てて眠る蒼真の頭を撫でる天音。
「君の未来の為に、パパは仕事してくるからね」
天音が声をかけたその時、夢でも見ているのか、蒼真が微笑んだ。
まるで、パパ行ってらっしゃいとでも言うかのように。




