プロローグ 怪物の左遷
雨の匂いが残る早朝だった。
地方支部・東部第七管区。
本部から遠く離れたその施設は、老朽化した外壁と色褪せた看板が、この組織の現状をそのまま映しているようだった。
門前に停まった黒塗りの車から、一人の男が降り立つ。
黒いコートの裾を風が揺らした。
まだ20代後半位に見える。
だが、その眼差しには年齢以上の冷たさと、静かな圧が宿っている。
神代 天音。
本部作戦統括室主任。
将来を嘱望されながら、三日前、突然この地方支部への異動を命じられた男だった。
名目は現場再建。
誰が聞いても分かる。
左遷だった。
出迎えに来た支部長の男は、脂ぎった額を何度も拭いながら笑った。
「いやぁ神代主任! わざわざこんな田舎までご苦労なことで!」
天音は男の差し出した手を見た。
和やかな口調だが、若造が何をしに来た?と目が言っている。
天音は男の手を握らなかった。
代わりに、背後の施設へ視線を向ける。
入口脇には割れた電灯。
放置された資材。
壁際で煙草を吸いながら談笑する隊員達。
救護車両のタイヤは一本だけパンクしているようだ。
「……現場再建、ですか」
低く落ちた声に、支部長の笑みが引きつる。
天音はゆっくりと歩き出した。
磨かれていない床。
積み上がった未処理書類。
挨拶一つしない職員達。
三分で十分だった。
この支部が腐っていることを理解するには。
「本部は何を見ていた……」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
その時だった。
施設奥の搬入口から怒号が響いた。
「救護班はまだか!」
「車両が出せません! 整備申請が通ってなくて……!」
「患者が保たないぞ!!」
空気が一変する。
天音の視線が鋭く細められた。
ストレッチャーに乗せられた若い隊員が運び込まれてくる。
腹部から大量出血。
顔面蒼白。
それでも救護車両は動かない。
支部長は青ざめながら部下に怒鳴っていた。
「な、なんで昨日のうちにやってないんだ!」
天音はゆっくりと振り返った。
その目には、もう温度がなかった。
「……昨日?」
支部長の喉が鳴る。
「命を運ぶ車両の整備を、昨日今日の話で済ませていたのか」
誰も何も言えなかった。
若き神代天音は、その瞬間理解した。
この組織は、外敵より先に内側から壊れている。
そして――
壊れているなら、壊すしかないと。
まだ名も無き怪物達 第2部 ー盟約の刻ー
この組織は、外敵より先に内側から壊れている。
その腐敗を前に、まだ若き怪物が静かに牙を剥いた。




