【第24話 染物倉庫の密談】
夕方のグレイルは、昼間よりも色が濃かった。
染物屋の軒先に吊るされた布が、傾いた陽を受けて揺れている。
赤。
藍。
黄。
深い紫。
風が通るたび、布はゆっくりと波打ち、狭い通りに色の影を落とした。
その影の中を、人々が足早に歩いていく。
誰も長く立ち止まらない。
店じまいを急ぐ者。
荷車を押す者。
子どもの手を引いて路地へ入る母親。
通りの端に立つ警備兵。
そして、何も見ていない顔で周囲を見ている男たち。
グレイルの夕暮れは、静かに緊張していた。
王都の夕方とは違う。
王都なら、この時間は店が賑わい、酒場に灯りが入り、仕事を終えた者たちが声を大きくする。
だが、この町では日が傾くほど声が小さくなった。
夜が近づくことを、皆が恐れている。
夜に何かが動くと知っている。
それでも、その何かの名を口にしない。
アレックスは、銀兎亭から南区へ向かう道を歩きながら、何度もその空気を感じた。
見張り小屋の夜とは違う恐怖だ。
あちらは、襲撃という形で来る明確な恐怖だった。
こちらは、生活の中に染み込んだ恐怖。
誰かに見られている。
誰かに聞かれている。
余計なことを言えば消える。
助けを求めても握り潰される。
そういう恐怖が、街路の石にも、布の色にも、人々の背中にも染みついている。
「アレックス」
隣を歩くレクスターが小声で言った。
「はい」
「顔」
「出てる?」
「出ています」
「どんな?」
「この町をどうにかしたい、という顔です」
「それは困るな」
「困ります」
「直す」
「今すぐ」
「努力する」
「努力ではなく実行してください」
アレックスは一度深く息を吸った。
銀兎亭で少し休んだレクスターは、宣言通り三十分だけ目を閉じた。
正確には二十八分だったらしい。
本人いわく「十分です」。
アレックスにはまったく十分に見えなかったが、少なくとも歩き方に乱れはない。
ただ、目元の疲労は消えていなかった。
それでも、レクスターはいつも通りだった。
いや、いつもよりさらに警戒している。
通りの角。
屋根。
布の裏。
人の手元。
靴の向き。
視線の動き。
全てを見ている。
アレックスは、その冷静さに助けられていた。
自分ひとりなら、きっと何度も足を止めていた。
殴られた露店主の姿。
袖口から黒い筋を隠した男。
路地裏で膝を抱える子ども。
声を殺して泣く女。
見るたびに身体が動きそうになる。
けれど、今は動いてはいけない。
今助けるために動けば、もっと大きく救えるものを取り逃がす。
その判断は正しい。
正しいが、苦しい。
「……我慢するのも、戦いだな」
アレックスが呟く。
レクスターは横目で彼を見る。
「マーガレットがいない時に、それを理解しましたか」
「うん」
「遅いですが、進歩です」
「厳しいな」
「事実です」
「マーガレットなら、なんて言うかな」
「たぶん“殴りたい!”でしょう」
「言いそうだ」
「そして私が止めます」
「そこまで見える」
少しだけ笑う。
けれど、すぐに口を閉じた。
南区へ入る。
昼間下見した時よりも、人通りは減っていた。
染物屋の職人たちは布を取り込み始めている。
だが、全ての店が閉まるわけではない。
むしろ、通りの奥へ進むほど、表向きの店じまいの裏で別の気配が濃くなっていった。
閉じた扉の向こうから、低い話し声。
荷車の車輪が石畳を擦る音。
何か重いものを引きずる音。
そして、かすかな青白い光。
布の隙間。
路地の奥。
樽の影。
ほんの一瞬だけ光っては消える。
アレックスは目だけでそれを追った。
「欠片か」
「断片的な反応です」
レクスターが低く答える。
「町の中に複数ある?」
「可能性が高い」
「小分けにされた欠片」
「はい」
ラドナ村の地下で奪われた欠片。
それがさらに分けられ、人買いたちに渡され、被害者たちを蝕み、捨て場を作った。
そして今、町の中にも広がっている。
人を弱らせる道具として。
逃げられなくするための鎖として。
あるいは、もっと別の目的のために。
「……黒外套」
アレックスの声が低くなる。
「顔に出ています」
レクスターが即座に言った。
「分かってる」
「分かっていません」
「いや、今のは分かってる」
「なら抑えてください」
「……分かった」
染物倉庫が見えてきた。
昼に下見した通り、南区の外れにある大きな倉庫だ。
外壁は古く、ところどころ染料の跡が染み込んでいる。
かつては大量の布を保管していたのだろう。
今は使われていないように見える。
入口は閉ざされ、周囲に人影は少ない。
ただし、完全な無人ではない。
アレックスにも、それは分かった。
誰かが見ている。
屋根の上。
通りの角。
隣の建物の二階窓。
視線がある。
「囲まれてる?」
アレックスが小声で聞く。
「完全な包囲ではありません。監視です」
「エイナの?」
「あるいは裏市の」
「どっちだと思う」
「両方の可能性もあります」
「ややこしいな」
「この町で単純な構図は期待しない方がいい」
倉庫の前に立つ。
扉には鍵がかかっているように見えた。
だが、レクスターが取っ手に触れると、小さく音がして開いた。
鍵はかかっていない。
かかっているように見せていただけ。
「招待ですね」
「罠っぽい」
「はい」
「入る?」
「入ります」
二人は倉庫の中へ入った。
中は広かった。
天井は高く、梁がむき出しになっている。
壁際には古い棚が並び、使われなくなった染料樽や木箱が積まれていた。
床には染料が染みつき、赤や青や紫の跡がまだ残っている。
窓は高い位置にあり、差し込む夕陽が埃を照らしていた。
空気には、古い布と染料の匂いが混じっている。
そして、その奥に薄い鉄の匂い。
欠片の匂いだ。
アレックスは眉をひそめる。
レクスターは水の本を外套の内側で開きかけたが、まだ完全には出さない。
倉庫の中央に、椅子が三つ置かれていた。
そのうち一つに、エイナが座っていた。
昼間と同じ短い栗色の髪。
腰の短剣。
軽い笑み。
だが、昼間より少しだけ目が真剣だった。
「来たね」
エイナは椅子の背にもたれたまま言った。
「来ると思っていたのですか」
レクスターが問う。
「思ってたよ」
「根拠は」
「そっちのアレン君の顔」
アレックスは小さく息を吐いた。
「もう何度目だろう」
「本当に顔に出るんだね」
エイナは楽しそうに笑う。
「でも悪くないよ。少なくとも、この町じゃ珍しい」
「珍しい?」
「まだ誰かを助けたいって顔してる人間は、珍しい」
その言葉に、アレックスは返す言葉を失った。
エイナは立ち上がる。
「座る?」
「立ったままで」
レクスターが答える。
「警戒心強いね」
「当然です」
「罠かもしれないし?」
「はい」
「正解」
エイナは軽く頷いた。
アレックスの手が雷の刃へ近づく。
レクスターの視線が鋭くなる。
エイナは両手を上げた。
「今すぐ発動する罠じゃないよ」
「罠であることは認めるのですね」
「この町で密談場所を用意する時点で、罠と避難場所は同じものだよ」
「言葉遊びですか」
「現実だよ」
レクスターは沈黙した。
その言い方は、自分がよく使うものに近かったからかもしれない。
エイナは椅子の背に手を置いた。
「まず確認。橋を潰したのはあなたたち?」
「橋とは?」
レクスターが淡々と返す。
「そういうの、今はいいよ」
エイナの笑みが少し消えた。
「人買いの橋。檻があって、欠片の破片があって、ザイルの処理班が向かった場所」
アレックスとレクスターは互いに一瞬だけ視線を交わす。
隠しきる意味は薄い。
ただし、全てを話すわけにはいかない。
レクスターが答えた。
「人買いの一団と遭遇しました」
「倒した?」
「無力化しました」
「助けた人たちは?」
「安全な場所へ」
「ザイルは?」
「拘束しています」
エイナの目がわずかに見開かれた。
「ザイルを生け捕り?」
「はい」
「よくやるね。あいつ、裏市の処理役の中じゃそこそこ強いよ」
「そこそこでした」
レクスターが平然と言う。
アレックスは思わず横を見る。
「レクト」
「何ですか」
「マーガレットが聞いたら喜びそうだ」
「彼女は調子に乗るので言いません」
エイナが首を傾げる。
「マーガレット?」
「同行者です」
「三人旅ってわけだ」
エイナは、昼間の言葉を思い出したように笑う。
「やっぱり一人足りない顔してた」
「彼女は別行動です」
レクスターが言う。
「安全?」
「今のところは」
「そう」
エイナは少しだけ真面目な顔で頷いた。
「ならいい」
アレックスはその反応を見た。
エイナが本当に心配したのか。
それとも情報を探っただけなのか。
まだ分からない。
だが、少なくとも彼女はマーガレットの存在を敵としては扱わなかった。
「あなたは、裏市の味方ではないと言いました」
アレックスが口を開く。
「うん」
「なら、何者ですか」
「さっきも言ったでしょ。小間使い」
「誰の」
「この町の困ってる人たちの」
エイナの声は軽い。
でも、その目は笑っていなかった。
「表に出られない人。訴えられない人。逃げたいけど逃げられない人。そういう人たちの使い走り。連絡役。時々、金貸し。時々、遺言係」
「遺言……」
アレックスの声が沈む。
「グレイルでは、消える前に言葉を残したい人がいるんだよ」
エイナは淡々と言った。
慣れたように。
慣れてしまったことが、何より痛かった。
「それを届けるのが、あなたの役目?」
「全部は無理。できる範囲だけ」
「なぜそんなことを」
アレックスが聞く。
エイナは少しだけ笑った。
「助けたいから、かな」
アレックスの目が揺れる。
「あなたも?」
「も?」
エイナは首を傾げる。
「アレン君もそうでしょ」
「……」
「でも、この町じゃ助けたいだけだと死ぬ」
「昼にも言いましたね」
「本当だから」
レクスターが一歩前へ出た。
「裏市の構造を教えてください」
「急だね」
「時間が惜しいので」
「ほんと、あなたは切るね」
「情報が必要です」
「嫌いじゃないよ」
「私は好きではありません」
「それも二回目」
エイナは肩をすくめた。
そして、倉庫の床に置かれていた古い布を広げた。
その布には、グレイルの簡易地図が描かれていた。
雑だが、要点は押さえられている。
門。
銀兎亭。
南区。
染物倉庫。
地下水路。
旧市場跡。
警備隊詰所。
そして、南区のさらに下に、黒い丸。
「裏市はひとつの場所じゃない」
エイナが言った。
「市場って名前だけど、実際は網。入口はいくつもある。取引場所も変わる。人、薬、武器、情報、欠片。扱うものごとに場所が違う」
「欠片も取引対象?」
アレックスが問う。
「最近ね」
「誰が持ち込んだ」
「黒外套」
エイナは即答した。
空気が冷える。
「やっぱり」
アレックスの声が低くなる。
「ただ、裏市の連中は最初、黒外套を利用できると思ってた」
「違った」
「うん。逆だった」
エイナは地図の黒い丸を指で叩く。
「黒外套は欠片を売ったんじゃない。撒いた。人買いに渡した。薬師に渡した。警備隊の一部にも渡した。使わせた」
「何のために」
レクスターが問う。
「見てるんだと思う」
「見ている?」
「誰がどんなふうに壊れるか。欠片を持った人間が、どんな欲を出すか。欠片を当てられた人間が、どう弱るか。町が、どれくらいで腐るか」
アレックスの拳が握られる。
「実験か」
「たぶんね」
エイナの声は苦かった。
「グレイルは、ちょうどよかったんだよ。元々腐ってた。裏市があった。役人も警備も穴だらけ。人を隠す場所もある。だから、黒外套にとっては使いやすかった」
「町全体を、実験場にしている」
レクスターが言った。
「そう見ていいです」
「裏市の中心人物は?」
「三人いる」
エイナは指を三本立てた。
「一人目。バルザック。表向きは交易組合の顧問。実際は裏市の金を握ってる」
「商人系ですね」
レクスターが言う。
「二人目。ドルガン。警備隊副長。取り締まる側なのに、裏市の護衛もしてる」
「腐敗役人」
「警備だから役人とは少し違うけど、まあ似たようなもの」
「三人目は」
アレックスが聞く。
「リゼット」
エイナの声が少しだけ低くなった。
「薬師。欠片を“馴染ませる”方法を試してる」
「馴染ませる……」
捨て場の光景が蘇る。
黒い筋。
熱。
弱った身体。
ユミの小さな手。
アレックスの胸の奥で、怒りが燃え上がる。
レクスターがそれを察して、小さく言った。
「抑えてください」
「分かってる」
「分かっていません」
「……抑える」
エイナは二人を見た。
「見たんだね」
「何を」
「欠片に馴染まなかった人たち」
沈黙。
アレックスは答えなかった。
答えられなかった。
その沈黙が答えだった。
エイナは目を伏せる。
「ごめん」
「あなたが謝ることではありません」
レクスターが言った。
「でも、知ってた」
「止められなかった?」
「止められなかった」
「なら、今から止めればいい」
アレックスの声は静かだった。
エイナは彼を見る。
驚いたように。
少しだけ痛そうに。
「……簡単に言うね」
「簡単じゃないと思います」
「じゃあ、なんでそんな顔で言うの」
「そうしたいから」
「死ぬよ」
「死なないようにする」
「この町で、そういう人間から死ぬ」
「何度も聞きました」
「それでも?」
「それでも」
エイナは長く黙った。
倉庫の中に、夕陽の赤が差し込む。
埃が光の中で揺れる。
外の通りからは、遠い荷車の音が聞こえた。
「……黒外套は、あなたに興味を持ってる」
エイナが言った。
「なぜ」
「分からない。でも言ってた」
「何を」
「“優しい王子様は、どこまで見ても優しいままでいられるかな”って」
アレックスの呼吸が止まった。
レクスターの目が一瞬で鋭くなる。
「王子」
エイナは二人を見る。
「違う?」
沈黙。
ここで否定しても意味がない。
少なくとも黒外套は知っている。
エイナも疑っている。
アレックスは静かに言った。
「元、です」
レクスターは何も言わなかった。
止めなかった。
この場では隠し切れないと判断したのだろう。
エイナは、少しだけ息を吐いた。
「やっぱり」
「怖くなりましたか」
アレックスが聞く。
「逆」
エイナは苦笑した。
「少しだけ納得した。変なぐらい真っ直ぐだから、どこの世間知らずかと思ってた」
「それは褒めていますか」
「半分」
「もう半分は」
「危なっかしい」
「よく言われます」
「だろうね」
レクスターが低く問う。
「黒外套はどこにいますか」
「分からない」
「本当に?」
「本当に。町のどこにでも現れるし、どこにもいない。裏市の連中も探してる。でも捕まえられない」
「目的は」
「町を壊すこと、ではないと思う」
「では?」
「壊れ方を見てる」
エイナの声がかすかに震えた。
「この町が、どこまで人を荷物にできるか。どこまで名前を奪えるか。どこまで見て見ぬふりできるか。そういうのを、楽しんでる」
アレックスの中で、何かが冷えていく。
怒りが熱を失い、刃のように研がれる感覚。
黒外套はただの人買いではない。
裏市の一員でもない。
もっと歪んだ視点で、この町を見ている。
人の苦しみを、実験のように。
観察のように。
「会わせろ」
アレックスが言った。
レクスターが横を見る。
エイナも眉を上げる。
「黒外套に」
「無理」
「なぜ」
「向こうが会いたい時にしか現れない」
「なら、現れさせる」
「どうやって」
アレックスは静かに言った。
「裏市を潰す」
倉庫の中が静まり返った。
エイナはしばらくアレックスを見ていた。
それから、片手で額を押さえる。
「……本気?」
「はい」
「この町に来て一日も経ってないよね」
「はい」
「裏市の全部も知らないよね」
「だから教えてください」
「無茶苦茶だ」
「よく言われます」
「でも、やる顔だ」
「やります」
エイナはレクスターを見る。
「止めないの?」
「止めても無駄です」
「仲間苦労してるね」
「非常に」
「即答」
「ただし」
レクスターは地図を見る。
「潰すなら順番が必要です。感情で突撃すれば失敗する」
「同感」
エイナが頷く。
「最初に狙うべきは薬師リゼット」
「なぜ」
「欠片を扱ってるから。あいつを押さえれば、被害者の処置方法も分かるかもしれない」
アレックスの表情が変わる。
「ユミたちを治せる?」
「可能性はある」
エイナは断言しなかった。
それでも、その言葉だけで十分だった。
可能性。
それがあるなら、動く理由になる。
「リゼットはどこに」
「南区地下の薬房。入口は旧市場跡から」
レクスターが地図へ印をつける。
「警備は?」
「表は少ない。裏が多い。あと、欠片に馴染みかけた人間を番犬みたいに置いてる」
「人間を?」
マーガレットがいたら、今すぐハルバードを握っていたかもしれない。
アレックスも、雷の刃へ手を伸ばしたくなった。
「はい」
エイナの声が重くなる。
「意思が残ってるかは分からない。でも、動く。痛みを感じにくい。命令に反応する」
「汚染兵」
レクスターが低く言った。
「そう呼ぶべきでしょうね」
「助けられるか」
アレックスが聞く。
「状態によります」
レクスターが答える。
「完全に侵食されていれば困難です。ただし、欠片への接続を断てば可能性はあります」
「なら、断つ」
「簡単ではありません」
「分かってる」
「分かっていません」
「でもやる」
「でしょうね」
レクスターはため息をついた。
「だから、方法を考えます」
エイナはそのやり取りを見て、少しだけ笑った。
「いいね、あなたたち」
「何がです」
レクスターが問う。
「無茶をする人と、無茶を現実に落とす人」
「もう一人います」
アレックスが言った。
「今はいないけど」
「どんな人?」
「明るくて、強くて、怒ると地面がかわいそうになる人」
エイナは一瞬きょとんとした。
「地面が?」
「はい」
「会ってみたいね」
「そのうち」
その時だった。
倉庫の奥で、木箱が小さく揺れた。
全員が同時に反応した。
アレックスが雷の刃に手をかける。
レクスターが水の本を開く。
エイナが短剣を抜く。
倉庫の奥。
積まれた染料樽の陰。
そこから、ゆっくりと人影が出てきた。
痩せた男だった。
目が虚ろで、口元から涎が垂れている。
腕には黒い筋。
首にも。
服はグレイルの警備兵のものだった。
ただし、目に光がない。
「……嘘でしょ」
エイナの顔色が変わる。
「見張りに置いてた?」
レクスターが低く問う。
「違う。こんなの知らない」
男の身体がびくりと跳ねた。
青白い光が、黒い筋に沿って走る。
次の瞬間、倉庫の別の場所からも音がした。
一人。
二人。
三人。
同じように黒い筋を浮かべた者たちが、影から現れる。
レクスターの顔が険しくなる。
「汚染兵です」
「罠か」
アレックスが刃を抜く。
エイナが歯を食いしばる。
「私じゃない」
「分かっています」
レクスターが即答した。
「あなたを含めて、まとめて試すつもりでしょう」
倉庫の天井近くで、軽い笑い声が響いた。
アレックスの目が鋭くなる。
梁の上。
夕陽の逆光の中に、黒外套が座っていた。
足をぶらぶらさせ、楽しそうにこちらを見下ろしている。
「こんばんは、優しい王子様」
軽い声。
ラドナ村の地下。
森の橋。
そして今。
三度目の声だった。
アレックスは雷の刃を握りしめる。
「降りてこい」
「やだよ。まだ見ていたいから」
黒外套は笑った。
「ねえ、どうする? その人たち、まだ生きてるよ」
汚染兵たちが、一歩ずつ近づいてくる。
苦しそうに呻きながら。
意思があるのかないのか分からない目で。
アレックスの胸が軋む。
斬れば止まる。
でも、殺せない。
殺したくない。
黒外套は、それを分かっている。
「優しいまま、止められる?」
黒外套の声が倉庫に落ちる。
「それとも、ここで少し壊れてみる?」
アレックスは深く息を吸った。
怒りを飲み込む。
雷の刃に、静かな光が走る。
「壊れない」
彼は言った。
「このまま止める」
レクスターが水の本を構える。
「面倒な難題ですね」
「できる?」
「やります」
エイナが短剣を逆手に構えた。
「私も手伝う。これ、私の町の問題でもあるから」
黒外套が楽しそうに笑う。
汚染兵たちが、同時に動いた。
夕陽に染まる染物倉庫で。
人を救うための戦いが、また始まろうとしていた。




