90 ヤシマ商会の誕生──戦国は終わり、世界が始まる
数ヶ月後、漆黒のガレオン船『大洋丸』。
俺たちは、琉球との交易を確保する為に出航準備を行なっていた。
船出の直前、桟橋からこちらに向かってくる立つ信忠と、甲板で采配を振る松の目が合った。
信忠は小さく頷き、松は微かに微笑んで、すぐに次なる号令のために前を向いた。もはや未練はない。二人は今、同じ『商事』という巨大な夢を分かち合う、対等な立場なったのだ。
「旦那様、織田株主が、蝦夷の東に列島を発見したと。どうも新大陸と繋がってそうなのでちょっと行ってくるって伝言がありました。その件で、信忠執行役が相談に来ております、織田株主は蝦夷に持っていった物質、軍船、兵をほぼ全て持って行ってしまったと……」
すぐに胃をさすっている信忠が現れた。
「景虎殿! 蝦夷に至急、物質を送らねばならない。今、動かせる艦船はお主の艦隊だけだ。琉球行きをとり辞めて、蝦夷に向かってくれぬか」
「……ようこそ、信忠殿。まあ、これでも飲んで。良く効く胃薬ですよ」
信忠がしかめっ面をしながら胃薬を数粒飲む。
「蝦夷の件だが、無理だ。琉球とは会談の日程が決まっている。直前で変更など出来るものか」
「それを何とかするのがお主の仕事であろう、総纏殿」
「……ああ、ちなみに信忠殿。先ほどお渡しした胃薬、実はうちの製薬部門が蝦夷の野草を配合して作った新製品です。商品名は『ケシトラ(景虎)』。……今、世界中の野心家たちに飛ぶように売れているんだとか」
「……ふん。自らの苦しみを商売にするとは、相変わらず悪趣味な男よ」
「信忠殿。ふと思ったのだが、蝦夷地に今すぐ物質を送らなくて良いのではないか」
「何故だ」
「蝦夷地には、信長株主が連れて行った人員がいないから」
「……」
「現在、蝦夷地に我らの資産は無い。それで物質を運んでも、貯蔵も防衛も出来ない。だから、信長株主は、全員連れて行ったのでは?」
「……あの毒父め。……わかった。琉球に向かうがよい。その代わり直ぐに帰ってこい。京、鞆の浦とものうら、大陸、奥羽、西国、九州……いずれもきな臭い話が聞こえてきている」
京 朝廷の奥深く
火鉢で焼かれたはずの書状の写しを手に、公卿たちが声を潜める。
「……武士が土地を捨てたか。ならば、その土地を最後に拾い上げるのは、千年の伝統を持つ我らよ」
その声は抑えきれぬ喜悦で震えていた。
「景虎とやらは、海の向こうに夢中らしい。ならば、我らは足元を掬えばよい。あやつらが外つ国にかまけている間に、日の本の根を取り戻すのだ」
「四百年ぶりかのう、武士をまた傅かせるようになるのは」
公卿たちは、火鉢の炎に照らされた薄笑いを交わした。その笑みは、千年の闇が蠢くように冷たかった。
鞆の浦
足利義昭が、南蛮の宣教師から贈られた十字架を握りつぶす。
「輝虎め、景虎め、信長め。余を無視したことを後悔させてやる。海の向こうには、上杉のような行いを悪魔の業と呼ぶ国がいくらでもあるのだ。日本国王としての親書を送ってやる……余が日本国王として親書を送れば、あやつらは必ず動く」
義昭の目は、もはや正気の光を失っていた。日の本の未来ではなく、自分を無視した者たちが滅びる光景だけが関心となっていた。
大陸 北方
大明帝国の国境。景虎がバラ撒いた銀貨を検分する北の騎馬民族たち。
景虎がばら撒いた銀貨を、騎馬民族の長が無表情に検分していた。
「この日の本の『新しき貨幣』か。これがあれば、これまでの計画よりも遥かに早く、大明帝国を内側から崩壊させられる。……この貨幣は奪い取るべきだ」
銀貨を指で弾く音が、乾いた草原に吸い込まれていく。
「明の官僚どもは銀に飢えている。この貨幣を流し込めば、奴らは互いに疑い、争い、やがて自滅する」
長は、遠くの大地を見据えた。
「大明帝国は、腐らせてから拾うのだ。この銀を奪う準備を始めよ」
その声には怒りも憎しみもない。大明帝国を壊すことを、まるで狩りと同じ感覚で淡々と語っていた。
奥羽(伊達)
後に 独眼竜と呼ばれ始めた若者が、景虎から届いた定款を地図の上に広げる。
「蝦夷へ向かう航路……。その補給拠点がこの奥州にある限り、上杉の喉元は、常に俺の目の前にある」
西国(毛利)
海に生きる者たちが、上杉のガレオン船を見上げる。「……商売のルールは景虎が決めたかもしれんが、瀬戸内の潮の流れを知るのは我らよ。海賊の牙はまだ抜けておらぬよ」
九州(薩摩)
南蛮貿易の利権を奪われた島津の義弘が、巨大な種子島を磨き上げる。
「景虎。すべてを海の底へ沈めてやる。琉球から南の海、そこは上杉の法が届かぬ、我らのものぞ」
マカオ。
香炉の煙が揺れる教会の奥で、スペインとポルトガルの宣教師たちが、景虎が作った「八洲商会の定款」の写しを前に沈黙していた。
「……武士が土地を捨て、海へ出ると?」
「しかも株式と契約で国を動かすと……? 東洋の民が、神の摂理を知らぬまま、このような仕組みを作れるとは思えませんな。いずれ我らが導いてやらねばならぬ」
宣教師の一人が、十字架を握りしめながら呟く。
「これは、危険だ。日の本が商いで団結すれば、アジアの交易と利権が奪われてしまいます」
別の宣教師が、静かに笑った。
「いや……逆に利用できます。あの国には、まだ魂を我らに預けている信者がおります。教会と王権の力を見せれば、いくらでも揺らぐでしょう。……日の本の者たちは、まだ知らぬ。帝国を丸ごと呑み込む王権と教会があるということを」
その横で、スペインの武官が地図を広げる。
「日の本の南、琉球の海……。 あそこは、我らが神の王国を広げるための要衝だ」
武官は、景虎のガレオン船の絵を指で叩いた。
「上杉三郎景虎。あの男が海を支配する前に、我らが神の旗で海を染めねばならぬ」
「祈りましょう。日の本の者たちの無知を、揺らぎを、愚かさを。そして我らの知略を、献身を」
その祈りは、救いではなく征服の先触れであった。
「……旦那様。今、背筋が寒くならんかったか?」
「ああ。誰かに狙われている気がするよ」
鶴は、少しだけ目を細めた。
「結局、誰も旦那様を倒せない代わりに、誰も旦那様を助けてはくれんのう」
「……いいんだよ。俺は王様になりたいんじゃない。……ただ、この世界を少しだけ、便利で楽しい場所に変えたいだけなのだから」
俺は、遠ざかる日の本を見つめたまま、ほんの少しだけ肩を落とした。
「旦那様。その願いを弱さだと思っておるのは、旦那様だけじゃ」
俺は、ゆっくりと振り返る。
「……鶴?」
「吾は知っておる。旦那様が救った命の数を。旦那様が、誰よりも戦を終わらせようとしてきたか」
鶴は、静かに微笑んだ。
「……胃が痛い。世界って、こんなに敵だらけなのか」
「旦那様……世界は、思ったよりずっと広くて、ずっと騒がしいのじゃな」
鶴は、遠ざかる日の本を見つめながら、そっと俺の手を握った。
「……旦那様。世界が敵だらけなら、吾が隣に立とう。なに、旦那様の背中を守るのは、いつでも吾じゃ。その広さも騒がしさも、旦那様となら、きっと面白い旅になるじゃろう」
俺は、握られた手を握り返した。
「……ああ。鶴を飽きさせないほど、この世を面白くすると約束したからな」
風が吹き抜け、進取丸は静かに海へ滑り出す。
俺たちは、戦国の終わりから、世界の始まりへと踏み出した。
第一部 完
【完結御礼】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
本作が私、みなとにとって初めての小説投稿でした。
毎日、思考錯誤の連続で、「自分の文章は下手くそだな……」「なんで思っていることを文章で表現出来ないのだろう」「筆が遅い」とよく落ち込みました。
それでも、毎日見にきてくださる皆様のPVや、ブックマークや評価に支えられて、こうして無事に第89話まで完結させることができました。
私の書いた物語を読んでいただけて、本当に、本当に嬉しかったです。
もし、この景虎たちの結末を喜んでいただけたのなら、またいつか彼らのその後の物語(続編)も書いてみようと思います。
「初めての挑戦、お疲れ様!」「面白かった!」と思ってくださったら、最後に画面下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にタップして、本作への『最終決算(評価)』をいただけますと最高に励みになります。
「ここが良かった」「こうした方が良い」という感想やいいね(リアクション)も是非お気軽に置いていってください。
これまで一緒に走り抜けてくださり、本当にありがとうございました!!
【新作投稿開始】
そして本日、みなとの新たな挑戦として、新作ロマファン『ゆきとのん ~魔術触媒の暖かさに男たちは狂い、溺れ、華麗に置いていかれる~』を投稿いたしました!
魔法と物理、そして理不尽が渦巻く世界を舞台に、本作でも練りこんでいました「知略での立ち回りと逆転」を詰め込んでいます。画面下の私の名前(作者マイページ)から、あるいは以下のリンクから、ぜひ新しい世界ものぞいてみてください!
▼ 新作はこちらからお読みいただけます。
https://ncode.syosetu.com/n8957mm/
『ゆきとのん ~魔術触媒の暖かさに男たちは狂い、溺れ、華麗に置いていかれる~』




