18 小机で妻と語ってたら、上杉家に乗り込む話になりました
小机での搾油事業と長槍部隊の編成。俺が始めたこれらは、今や北条家全体の国家プロジェクトへと昇華しようとしていた。
その引き継ぎのため、俺と鶴姫は久しぶりに思い出の地・小机へと戻っていた。
後任は安藤良整。奉行筆頭であり、実務能力にも長けた彼なら、俺の始めたことを北条家全体で取り組んできてるだろう。彼が二日後に到着するということなので、俺と鶴は束の間の休息を楽しんでいた。
「なあ、鶴」
「なんじゃ、旦那様」
二人きりの時、彼女は姫の仮面を脱ぎ捨てる。その飾らない口調に、積み重ねてきた時間が感じられて少し口角が上がる。
「この日の本で、本当に発展している港といえばどこだと思う?」
「ふむ……」
鶴姫は地図を広げ、指先でトントンと叩いた。
「やはり摂津の堺と博多かのう。いずれも大陸との交易拠点。あそこには富が集まっておる」
「そうだよな。以前、徳本先生の下で薬を作っていた時も、材料の多くは大陸由来だった」
すると、鶴姫がニヤリと笑って薬湯の準備を始めた。……頼むから、今回は「普通」の味にしてくれよ。
「織田家が堺を直轄地にしたという話を聞いた。あそこは火縄銃の生産地。富、銃、そして硝石が集まる……。正直、今のまま普通に戦って勝てる気がしないんだ」
「旦那様にしては弱気なことを。武田を退けた自信はどこへ行った? 少しは慢心してもよいのではないか」
彼女は茶化すように笑いながら、薬湯を煎じる。
「妻が夫を油断させてどうするんだ」
「この程度で天狗になるような器ではなかろう? ただの茶飲み話よ」
鶴姫はさらに続ける。
「港といえば、越後の直江津、越前の敦賀、伊勢の安濃津、薩摩の坊津……。色々あるが、三郎様は何を考えておる?」
差し出された薬湯を一口啜る。……苦い。だが、頭は冴える。
「なぜ北条には、これらに匹敵する巨大な港がないんだろうと思ってな」
「……ふむ。少し(成分を)入れすぎたか?」
「おい、やめろ」
冗談を飛ばしながら、彼女は真剣な眼差しで俺を見た。
「港なら神奈川湊も品川もある。だが、役割が違うのじゃ。博多や堺は『入口』。外の富を京へ運ぶ中継点。対して北条の港は、領内の物資が集まる『終着点』。北条は交易より陸の農業を重視してきたからな」
流石は俺の妻だ。この時代の人間には珍しい、俯瞰的な視点を持っている。
「旦那様は、関東に交易港を作る気か?」
「将来はな。だが、地理的に北条は不利だ。外海に面しているし、海流の関係で輸送効率が悪い」
「珍しい。旦那様が諦めるとはのう」
「だから――奪いに行こうと思ってな」
俺は地図の一点を指差した。鶴姫の動きが止まる。
「この世を面白くしてほしいんだろ? 一緒に来てくれ」
数日後、小田原城。
俺と鶴姫は、当主・北条氏政の前にいた。
「氏政様、上杉家との外交の件で、折り入ってお願いがございます」
氏政は苦い顔をした。相越同盟――北条と上杉の和睦。その条件の一つに「氏政の子を上杉の養子に出す」という項目があったが、子煩悩な氏政は実子を手放すことに難色を示していた。
「……考えてはいるのだがな」
煮え切らない義兄に、俺は畳み掛ける。
「同盟の縁は速やかに結ぶべきです。さもなくば、北条は不義理の家と指弾されましょう」
「わかっている!」
苛立つ氏政。だが、俺の本題はここからだ。
「……ならば、この三郎を上杉輝虎(謙信)殿の養子にお選びいただけませんか」
「……何だと?」
氏政の目が点になった。自分で自分を推薦する? 常識ではありえない提案だ。
事の重大さを察した氏政は、隠居の氏康、そして俺の義父である幻庵を招集した。
「三郎、説明せよ。お主の狙いは何だ」
氏康の鋭い視線が突き刺さる。俺は地図を広げ、迷いなく言い放った。
「目的は、天下取りです」
室内が静まり返る。
「現在、織田と徳川は勢力を急拡大させています。対して武田は先日の敗北で疲弊した。今、北条と上杉が強固に手を組み、武田の領地を実質的に管理下に置けば、織田に対する巨大な防波堤になります」
「それが一つ目か」
「はい。二つ目は、関東の静謐です。上杉の『格式』と北条の『実力』が合わされば、佐竹や里見も沈黙せざるを得ない」
幻庵が髭を撫でながら問う。
「だが、なぜお主が養子に行く必要がある」
「俺なら、越後と関東を陸と海で繋ぐ軍事経済共同体を作れるからです。単なる軍事同盟ではありません。俺が次代の上杉当主の座を盤石にすれば、北条は東海道から、上杉は北陸から、同時に京へ進撃できる。これこそが最強の布陣です」
沈黙。
誰もが、この若造が描く「上杉家乗っ取り……もとい、共同経営」という壮大なスケールの野望に圧倒されていた。
「……鶴はどうする。離縁させるわけにはいかんぞ」
「勿論、鶴は連れて行きます。上杉で富国強兵を成し遂げるには、彼女の力が必要不可欠ですから。輝虎殿には俺が直接納得させます」
俺の笑みに、氏康がようやく声を上げて笑った。
「……わかった。本人の希望でもあり、北条に益を生む話だ。北条家のみでは出来ないことを狙う意味もわかった」
氏康は了解した。
「同盟関係ということは、相模に帰ってくることもあるのだろうか」
珍しく弱気な発言をする幻庵に俺は答えた。
「勿論です、父上。俺は人質で行くのではありません。同盟の関係促進の為に行くのです。次代の上杉家当主としては、北条家との緊密な関係作りは欠かせないでしょう」
氏政も合意した。
「三郎よ、弟よ。是非、この同盟を確固たるものとしてくれ。輝虎殿との面会、儂も同席して、伏して頼むこととしよう」




