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13 父上の毒殺未遂で北条家が崩壊しかけたのに、今度は武田が攻めてきました

 鶴姫の目が、スッと細くなる。殺気がジワリと漏れている。


「三郎。父上に毒を盛り、さらに侍医たちを脅迫して何事か! 佐伯から報告を聞いたぞ。貴様、公認の医師でもない身で、この寝所を汚しているそうだな!」

 俺は石鹸で泡立った手を休めることなく、ゆっくりと首だけで振り返った。

「兄上、声が大きすぎます。父上が驚かれる」

「黙れ! 佐伯、言え!」

 佐伯が前に出る。扇子を指し示し、ねちねちとした声で告げた。

「三郎殿。貴殿が侍医たちに命じた『空気の入れ替え』や『寝具の交換』、これらはすべて北条の慣例に反する無意味な行為であると、専門家たちは断じております。さらに、その『石鹸』なるもの。成分の根拠が不明瞭であり、万一のことがあれば、貴殿は切腹では済みませぬぞ。……今すぐその手を離し、我ら勘定方の管理下に入るべきですな」

(……出たよ。自分では何もしないくせに、他人の行動の『手続きの不備』だけを突く官僚主義の極致め。だが、残念だったな)

「佐伯殿。貴方の言う『専門家の意見』とやらには、父上の容態を三日も放置した責任は含まれているのですか? それと、貴方がたが用意した『薬湯』に、何かが混ざっていた可能性については、精査済みなのでしょうか?」

「な……っ!? 薬湯に不備などあるはずがない! 苦し紛れに言いがかりを申すな!」

氏政が叫ぶ。そのとき、寝台の上の氏康が、小さく、だがはっきりと目を開けた。

「……五月蝿いぞ、氏政」

 室内の温度が、一気に氷点下まで下がった。

「氏政、儂は三郎に救われたのだ。それが謀りだと申すのか」

「いかにも! 父上が倒れられたのは、私と爺が用意した薬湯に、こ奴が何かを仕込んだからです!」

(……墓穴を掘ったな、兄上よ)

「儂が倒れた時、三郎は小田原にいなかった。それでどうやって仕込めるのだ」

「ぐっ。……鶴です。鶴姫の手の者が関わっているのです。そう、父上が具合を悪くされた頃、怪しげな酒盆が出回ったのです」

「私、ですか?」

 鶴はここぞとばかり、儚い姫を演じている。騒ぎを聞いて駆けつけた幻庵は、無表情に一連の応対を見つめている。

 (兄上。じじいも敵に回したいのか、あまりに短慮だぞ)

 氏康はため息をついて場を収めようとする。

「氏政よ、少し、落ち着け。……三郎よ、このように言われているが、何か申せることはあるか?」

 

 氏康はこの場を丸く収めたかったであろう。氏政に家督を譲り約十年。相変わらず後見として氏康がいるし、氏政自身には派手な成果はないものの、着実に執務を遂行してきた。しかし、俺に冤罪を着せただけでなく、妻の鶴にまで侮辱したのだ。しかも俺の親父となった幻庵のじじいの前で。これでは俺の冤罪が晴れないと見せしめに処分されかねない。氏康には申し訳ないが、この場でうやむやには出来なくなってしまった。

 俺は静かに、彼らが用意した薬湯を指差した。

「この薬湯、これには『附子』が含まれていました。少量ずつ、長期間にわたり接収していたのでしょう。頭痛、嘔吐、胸の苦しみ――すべてこれによる中毒症状です。これを調合したのは、どなたですか?」

「……ばかな。爺、どういうことだ!」

氏政に呼ばれた安藤良整が、幽霊のように青ざめる。

「誓願寺で調合されたものでしたので……病に利くとの説明を信じ……」

(安藤良整……小田原の代官を束ねる重鎮か。宗教勢力に深く入り込まれ、知らずに善意で毒を盛っていたわけか。いるんだよな、細かいことにはチェックするのに、権威を相手にすると『確認など失礼だから』と、盲目的に信じ込むやつ。この件は人の命に関わるのでタチが悪い)

 

「今すぐ誓願寺を確認しに行く!」

 氏政が焦って動こうとするが、氏康の鋭い声がそれを止めた。

「お前は動くな。今動けば、お前が隠蔽工作を企てたと疑われるぞ」

 これまで黙っていた幻庵が鶴に問うた。

「……鶴、既に動いているな?」

「はい。間もなく報告が」

 

 果たして、報告内容は酷いものだった。

 誓願寺の僧侶たちは監禁、もしくは殺害されていた。そして黒幕はすでに逃亡したとのこと。

更に、追い打ちをかけるように八王子からの早馬がやってきた。伝令が息も絶え絶え叫ぶ。

「報告! 武田晴信、 滝山城を包囲。さらに二万の軍勢で小田原に向けて進軍しております!」

 一瞬の沈黙。

「……やられたな」

 低く氏康が呟く。そう、一連の事柄は武田によって仕組まれたことは明白であった。

「……私が撃って出ます! 氏照、氏邦と挟撃を!」

逸る氏政を、鶴に上半身を支えさせた氏康が、その眼力だけで威圧した。

「待て、行けば遭遇戦になる。そうなれば、我らが集合する迄に野戦で各個撃破を狙われる。……ならば、小田原で籠城する。遠征の武田は、長く陣を敷けない」

「それでは小田原の城下が蹂躙されますぞ」

 氏政が驚き反論する。 

「城下の者たちを急ぎ避難させよ。氏政よ。武田の兵は半分が農民だ。今は九月下旬、奴らは刈り入れのために甲斐へ戻らねばならぬ。包囲は長続きせん。引き上げる時こそが、叩き時よ。氏照、氏邦にもそのように連絡を」

(……凄まじいな。死の淵から戻った直後に、敵の弱点を突くか)

「ははっ! すぐに迎撃出来るよう準備を致します」

「……いや。氏政、そして良整。二人とも、暫し謹慎せよ。お前たちは疑われる状況だ。これはお前たちを守る為でもある」

「「ははっ……!」」

 氏康は幻庵に頭を下げた。

「幻庵叔父上。城をまとめ上げてくれませぬか」

「承知した。民の避難、城の守り、任せられよ」

「それから三郎。迎撃準備を手伝え」

「畏まりました」

 こうして北条家は、そして相模の虎と言われた北条氏康がギリギリで復活した。

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