似た者同士
すべての聴取が終了した頃には夜の帳はさらに深く降り積もり、既に深夜を回っていた。
ギルドの上階は、騒乱の渦中にある一階とは切り離されたかのように静まり返っている。
遠くから微かに響く怒号や軍靴が石畳を叩く硬い音だけが、外の世界の緊迫を伝えていた。
避難誘導、そして水路の封鎖。
眠らぬ街ボーデンの鼓動が、不穏な速さで脈動している。
「はぁー……疲れた。肩こるわ、これ」
会議室の重厚な扉を出た瞬間、レーヴがこれ見よがしに両腕を回した。
「やっぱ、ああいう気難しそうな『お偉いさん』相手ってのは、柄じゃないんだよなぁ」
「貴方の場合、その不遜な態度を少し改めれば、大抵の摩擦は解決すると思うのだけれど」
「え、俺そんなに失礼だった? 結構頑張って猫被ってたつもりなんだけど」
「非常に、かつ絶望的に」
ミレアナの即答にレーヴが不意を突かれたように吹き出した。
「ははっ、容赦ないなぁ……。まぁアンタがそれだけハッキリ言える元気があるなら、良しとするか」
そんな軽口を交わしながら、薄暗い廊下を歩く。
その時間が、驚くほど自然なものに感じられた。
ミレアナはふと、自分が以前ほど「会話」という行為に対して身構えなくなっていることに気づき、微かな戸惑いを覚える。
王都での言葉は、常に研がれた刃を隠した駆け引きだった。
誰がどの派閥に属し、どの発言がどの利権に繋がるのか。
失言一つが自身だけでなく公爵家すべての命取りになる、硝子細工のような世界。
だから心を許して誰かと軽口を叩くなど、彼女の人生には存在しなかった。
「お嬢様」
リオネルが、影のように寄り添いながら低く声をかける。
「流石にお疲れでしょう。今日はもう、宿へ戻ってお休みください」
「……そうね」
偽らざる本音だった。
肉体の疲労もさることながら精神の磨耗が激しい。
王家の介入という不穏な言霊が、かつて捨て去ったはずの過去を逃れられぬ現実として引き戻そうとしている。
───どこまで逃げても、あの檻からは逃げられない。
そんな冷たい予感が、目に見えぬ蔦のように首筋へ絡みついていた。
その時。
「なぁ、ミレアナ」
不意に、レーヴがいつもより少しだけ真面目なトーンで名を呼んだ。
「何かしら」
「アンタさ。……昔、かなり『偉いところ』にいたでしょ」
廊下の空気が瞬時に凍りついた。
リオネルの視線が、抜剣に等しい鋭さでレーヴを射抜く。
だがレーヴはひるむ様子もなく、淡々と言葉を継いだ。
「今日ので確信したよ。立ち振る舞いもそうだけど、政治や権力が絡む話になった時だけ、アンタの反応が明らかに『当事者』のそれなんだ」
「……観察眼が、お節介なほど鋭いのね」
「アンタの隠し方が下手なだけだよ。俺ほどじゃないけど」
彼は軽く笑う。
けれどその瞳にはぐらかしの色はなく、ただ真っ直ぐにミレアナを見つめていた。
「……何故、聞かないの?」
ミレアナが静かに問い返す。
「無理に聞き出したいとは思わないよ。別にアンタの過去を査定しに来たわけじゃないし」
「……随分と、あっさりしているのね」
「だってアンタ。今、思い出したくもなさそうな顔してるし」
あまりにも自然な返答に、ミレアナは思わず目を瞬かせた。
王都の人間なら誰もがその正体を暴きたがっただろう。
利用価値があるから。
弱みになるから。
だが、レーヴという男は知ろうとしているのに、決して境界線を超えて踏み込もうとはしない。
「その代わりさ」
「?」
「アンタがどうしても、一人じゃ抱えきれなくて話したくなった時は、ちゃんと聞くから。……その権利くらいは、俺に予約させといてよ」
押し付けることのない、柔らかい声音。
突き放しもしないが、無理強いもしない。
絶妙な距離感の優しさに、ミレアナはたまらず視線を逸らした。
「……貴方、本当に変な人ね」
「あ、また言ったな。今日で何回目?」
「数えるのも馬鹿馬鹿しいほど、事実でしょう」
「失礼だなぁ。これでも街の女の子たちには『聞き上手なレーヴさん』で通ってるんだけど?」
笑い合う空気が、重苦しかった胸の奥を少しだけ軽くする。
だがその安らぎを切り裂くように、廊下の奥から慌ただしい足音が迫ってきた。
「いた!! ギルマスが探してたぞ、お前ら!!」
若い冒険者が肩で息をしながら叫ぶ。
「北区画でまた暴走者が出た! 今度は正気じゃねぇ、武器を持って手当たり次第に暴れてる!!」
一瞬で空気が反転した。
レーヴの目から陽気さが消え、研ぎ澄まされた冷徹な光が宿る。
「場所はどこだ」
「旧水門の近くだ! 騎士団が抑えてるが、魔力の余波が強すぎて近づけねぇ!」
ミレアナは考えるより先に踵を返していた。
「行くわ」
「お嬢様、しかし───」
「放置すれば汚染が広がる。ここで食い止めなければならないわ」
迷いのない鋼のような意思。
リオネルは短く溜息をつき、無言ですぐ隣へと並んだ。
そして。
「……アンタさぁ」
後ろからレーヴの呆れたような、けれどどこか切ない声が響く。
「本当に躊躇がないよね。自分の安全なんて二の次だ」
「必要だから動くだけよ。合理的な判断だわ」
「それ、自分を壊す奴の考え方なんだよなぁ……」
ミレアナの足が、その一言で一瞬だけ止まった。
「壊れるほど、柔ではないわ」
「そういう問題じゃないんだけどな、全く……」
レーヴはぼやきながらもすぐに彼女を追い抜き、先頭に立って夜のボーデンへと駆け出した。
冷たい風が頬を叩き、遠くで短い悲鳴が上がる。
その瞬間、レーヴの表情が完全に変わった。
軽薄な仮面は剥がれ落ち、そこにあるのは冷徹に標的を見据える研ぎ澄まされた刃そのものの顔。
ミレアナは、隣を走るその横顔を盗み見る。
気づいてしまった。
自分と彼は、きっと似ているのだ。
本心を隠し平気なふりをして、必要とあれば迷わず自分を削って盾になる。
なのに、自分以外の誰かが壊れることだけは、どうしても許せない。
───似た者同士。
その奇妙な共感の言葉が、冷たい夜風と共にミレアナの胸を静かに通り抜けていった。




