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鳴り響く警鐘

───ゴォンゴォン、と。

腹の底を揺さぶるような重く低い警鐘が、夜のボーデンへと鳴り渡った。


酒場の喧騒は一瞬で凪ぎ、酔客たちは杯を止めて顔を上げる。

通りを行く人々は足を止め不安げに互いの顔を見合わせ、ざわめきが波のように広がっていった。

魔物との境界に近いこの街で、騒ぎそのものは珍しくない。

だが、この音は明らかに異質だった。


切迫し、近く、そして禍々しい。

まるで街のすぐ隣で、世界の均衡が音を立てて崩れ始めているかのような響き。


「……緊急招集だな」

 

レーヴの声から、いつもの軽妙さが完全に消えていた。

ミレアナは無言で黒い空を見上げる。

胸の奥に澱のように溜まる不吉なざわめきが、急速に形を成していくのを感じていた。


「ギルドへ向かうわ」


即座に、迷いのない声で告げる。


「御意。お嬢様から離れません」

 

リオネルが短く、鋭く頷いた。


「……俺も行く」

「貴方は休むべきでしょう、レーヴ」


ミレアナが隣の男を真っ直ぐに見る。

額の傷、滲んだ血。

そしてどんなに冗談で塗り潰そうとしても隠しきれない、濃い疲労の色。

水路での激闘は、彼の生命力を確実に削り取っていた。


「アンタさぁ……」

 

レーヴがどこか呆れたように、けれど愛おしそうに笑う。


「人の怪我は人一倍気にするくせに、自分のことは平気で棚に上げて無茶するよな」

「必要なら動く。それだけよ」

「そういうとこなんだよなぁ……」


彼は小さく息を吐いた。

けれど、結局それ以上は止めようとはしなかった。

ただ、吸い寄せられるように自然な動作でミレアナの半歩前へと立つ。

その無意識の「壁」となるような動きに、自分自身が気づいているのかは分からない。

彼はそのまま、迷いのない足取りで歩き出した。


三人は急ぎ足で冒険者ギルドへと向かう。

道中、抜剣した冒険者たちが次々と横を駆け抜けていく。


「北区画だ! 急げ!」

「また変異種が出たのかよ!?」

「違う、住民たちが倒れてるんだ! 数が多すぎる!!」

「魔力暴走らしい! 結界がもたねぇぞ!」


 不穏な叫びが夜風に乗って耳を打つ。


「……人が倒れている?」

「地下水路の黒結晶による汚染が、地表まで拡大している可能性がありますね」

 

リオネルが低く、険しい声で言った。

ミレアナの脳裏にあのノアの姿が蘇る。

黒く侵食され理性を粉砕され、最後には救う術すらなく散っていった少女。

───救いたいと願うことすら、許されなかった命。

胸の奥が冷たい毒に浸されたように鈍く痛んだ。


「……いや」

 

不意に、前を歩いていたレーヴが立ち止まらずに呟いた。


「今回、ちょっと違う気がするんだわ」

「違う? どういうこと?」

「上手く言えないけどさ……『匂い』が違うんだよ」


その真剣な横顔に、ミレアナは目を細める。

この男は時折、理屈を超えた直感で異変を察知する。

それは単なる経験則ではない。

もっと本能的で、もっと凄惨な「何か」に慣れきっている者だけが持つ感応力。


やがて辿り着いたギルドの扉を開けた瞬間、熱を帯びた混沌が肌を刺した。

騒然。

その言葉すら生温い。

受付嬢たちは蒼白な顔で書類を抱えて走り回り、冒険者たちは怒号混じりに断片的な情報を叩きつけ合っている。


「落ち着けッ!!」

 

バッシュの咆哮が、天井を震わせた。

一瞬だけ、真空のように静寂が訪れる。


「北区画外れで住民三名が倒れた! 全員、深刻な魔力暴走状態だ!」


その言葉に、再び空気が凍りつく。


「暴走……? 黒結晶の仕業か!?」

「感染してんのかよ……! 街中に広がるのか!?」


恐怖が伝染しパニックが広がりかける。

その真っ只中、ギルドマスターが地図を机へ叩きつけた。


「倒れた連中の共通点は一つ。全員が“地下水路付近”へ立ち入っていた」

「……非効率ね」

「え?」


隣のレーヴが不意を突かれたように振り向く。

ミレアナは無言で人だかりを割り、中央の机へと迷いなく近づいた。

そして、広げられた地図を無造作に引き寄せる。


「避難経路が重複しているわ。このままでは北通路で深刻な滞留が起き、救護が遅れるわ」

「な、なんだ……嬢ちゃん……?」

「負傷者搬送班はこちらの広場へ集約。封鎖線は一つ減らして、余剰人員を東側へ回すべきよ。現状、人員配置が著しく偏っているわ」


淀みなく、冷徹なまでの正確さで書き換えられていく指示図。

それを見守る職員たちの目が、驚愕に見開かれる。


「これなら……導線が被らない! 混雑が解消されるぞ!」

「搬送速度が上がる! 助かる人数が変わるぞ、これ!」


バッシュが息を呑み、まじまじとミレアナを見つめた。


「嬢ちゃん、アンタ……」

「時間がないのでしょう」


ミレアナは筆を置き、淡々と言い放つ。


「なら、感情論に浸る前にまず整理を。パニックは死者の数を増やすだけよ」


静まり返るギルド。

その中でレーヴだけがどこか誇らしげに、妙に楽しそうに目を細めていた。


「……やっぱアンタ普通じゃないよなぁ。つくづく面白い」

「お嬢様」

 

リオネルが低く呼ぶ。

彼も肌で感じているのだ。

これはもはや、一都市の自警レベルで済む問題ではないことを。

その時。


「お、いたいた。探したわよ」

 

軽い、けれどどこか重みのある女の声。

振り返ると、ギルド奥の階段からサラが降りてきていた。

昼間見せた陽気な笑みは鳴りを潜め、その表情は硬い。


「レーヴ。アンタら、呼ばれてるわよ」

「俺ら?」

「ええ。……王都騎士団と、あと───魔術院の連中にね」


その瞬間ギルド内の空気がさらに一段、密度を増して重くなった。

ミレアナの指先が僅かに、けれど確実に強張る。

魔術院。

王都にあっても異質の権力。


「なんでまた、あいつらが」

 

レーヴが、隠そうともせず露骨に嫌悪感を顔に出す。


「さあね。でも『最優先で連れて来い』ってさ」

 

サラがちらりとミレアナを見た。


「……アンタら、相当ヤバい案件に首突っ込んでるでしょ。今の空気、普通じゃないわよ」

「今さらね」


ミレアナが鉄の仮面を被るように返す。

ミレアナの心臓は不快な拍動を刻んでいた。

リオネルの目が鋭利な刃のように細まる。

一方でレーヴだけは静かだった。

ただ静かに、ミレアナのことを見つめている。

まるで、彼女が今この場から逃げ出したくなっているのをその指先の震えごと見透かしているかのように。


「……行くわ」

 

ミレアナは言った。

逃げられない。

ギルドもこの街も、既に自分の事情など関係なく巻き込まれている。


だが歩き出そうとした瞬間。

不意にレーヴの大きな手が、ミレアナの手首を優しく、けれど確実に掴んだ。


「!」

 

びくり、と肩が揺れる。

レーヴは少しだけ眉を下げ、困ったように笑った。


「そんな、今にも世界が終わるみたいな顔しないでよ」

「……していないわ」

「してる。嘘つけ」


即答。

そして彼はいつもの軽い声音のまま、けれど心の奥底に直接届くような低さで、ぽつりと言った。


「大丈夫だ。アンタが嫌がる結末には、多分ならないから」


根拠のない無責任な言葉だ。

けれど不思議と、その声は凍りついていたミレアナの胸を溶かすように落ちてきた。

 

王都にいた頃。

正解を出すことだけが価値だった場所で「安心していい」などと言ってくれる者はいなかった。

理由もなくただ「心」を庇われるという感覚に、彼女はまだ名前を付けられずにいた。


「……貴方、本当に変ね」

「知ってる。よく言われるよ」


レーヴが笑う。

その歪なようでいて温かい笑顔に、ミレアナの強張っていた呼吸がほんの少しだけ緩んだ。

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