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持ち帰られた異物

黒い結晶は何重にも重ねられた厚手の布に包まれ、厳重に回収された。

ベテランの冒険者たちですら、誰一人としてそれを素手で触ろうとはしない。

それほどまでにその物体が放つ気配は禍々しく、生理的な嫌悪を呼び起こすものだった。


「調査は一旦終了だ。これ以上は我々の手に余る。街へ戻るぞ」


バッシュの沈痛な声に異を唱える者はいなかった。

帰り道の空気は、行きよりも遥かに重い。

辺境の静かな森で起きていた異常。

そして、それが人為的に引き起こされた可能性。

誰もが口を閉ざし、背後に迫る見えない影に怯えていた。


ボーデンへ辿り着く頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。

家々の窓から漏れるオレンジ色の灯りが、濡れた石畳に滲んでいる。

酒場からは下品な笑い声や怒鳴り声が聞こえてくる。

いつもと変わらない無骨で活気ある辺境都市の夜。

なのに今のミレアナには、その光景が酷く遠い世界の出来事のように感じられた。


「一般冒険者はここで解散だ。今日の件は酒の勢いでも軽々しく口にするなよ。街の混乱を招けばタダじゃ済まさねぇぞ」


バッシュが低い声で釘を刺すと冒険者たちは一様に真剣な顔で頷き、闇の中へ散っていった。

その後ミレアナ、リオネル、そしてレーヴの三人だけがギルドの奥にある密室へと呼び出された。

重い扉が閉まり、外の喧騒が遮断される。

無機質な木の机の上には、先程の黒い結晶が置かれていた。

バッシュは深く腕を組み、椅子に沈み込むように座った。


「さて。……説明してもらおうか」

「何を? 俺はただ、お嬢様に付き合って散歩してただけだよ」


レーヴがしれっと、空ろな笑顔で返す。


「とぼけんな」


バッシュの隻眼がナイフのように鋭く細められた。


「お前あの結晶を見た瞬間、明らかに顔色が変わっただろ。……隠し通せると思うなよ」

「気のせいじゃない? 朝から飲みすぎたせいかも」

「俺の目を舐めるな」


ぴしゃりと言い切られ、レーヴは困ったように肩をすくめた。

だが、それ以上の否定もしない。

ミレアナはその沈黙を逃さなかった。

やはり知っているのだ。

それも本で読んだような生ぬるい知識ではなく、肌で覚えているような生々しい記憶として。


「……禁術に関連するものかしら」


ミレアナが静かに問いかけると、レーヴの視線が一瞬だけ彼女の瞳を射抜いた。


「何故、そう思うの?」

「魔力暴走という自然現象では、あの死後爆発や皮膚の硬化は説明がつかないわ。外部から特定の指向性を持った魔力を流し込み、個体のポテンシャルを強制的に引き上げる……これは『改良』ではなく『冒涜』よ」


彼女は淡々と、まるで実験結果を報告するように言葉を整理していく。


「少なくとも、これが偶発的に生まれた事故でないことだけは確かだわ」

「はは。……頭いいねぇ、アンタ」


レーヴの声は軽かった。

けれど、その瞳の奥は一滴の光も通さないほどに冷え切っている。

その時、バッシュが低く唸った。


「王都へ報告すべき案件だな。ギルド本部を通じて、魔導省に調査員を要請する」


王都。

その単語が響いた瞬間ミレアナの指先がほんのわずかに震え、止まった。

レーヴはその微かな反応を見逃さなかった。

けれど、彼はそれを指摘する無粋な真似はしない。


「……面倒ね。実に」

 

ミレアナがぽつりと零した独り言に、バッシュが意外そうに目を向けた。


「随分と嫌そうだな。出世のチャンスかもしれんぞ?」

「好きな理由が一つも見当たらないもの。官僚に説明を繰り返す時間は、人生の浪費だわ」


即答だった。

あまりに彼女らしい辛辣な物言いに、バッシュは苦笑を漏らす。

だがレーヴだけは、静かにミレアナの横顔を見つめていた。

感情を鋼のように抑え込んだ声音。

平静を装いながらも、心の深淵に消えない傷を抱えている姿。

レーヴは小さく溜息をつき、椅子の背もたれに深く体重を預けた。


「……あんまり、無理しないほうがいいよ」

「何が?」

「全部」


ミレアナがわずかに目を瞬かせる。


「アンタ、平気そうな顔して論理武装するの上手いけどさ。……傍から見てると、結構ボロボロじゃん」


軽い、いつも通りの調子。

なのにその言葉だけが、防護壁をすり抜けてミレアナの胸の奥へ真っ直ぐに落ちた。

部屋がしんと静まる。

ミレアナはすぐには答えなかった。

代わりに。


「……貴方こそ」


氷のように透き通った声で、彼女は言い返した。


「随分と、他人の欠落を見るのが上手いのね」


一瞬レーヴの唇から笑みが消え、時間が止まった。

本当に一瞬だけ。

けれど、ミレアナは確かに見た。

彼の瞳の奥に広がる、彼女と同じ───あるいはそれ以上に深く、暗い孤独の色彩を。


この男もまた語ることのできない「何か」を抱えて、この辺境を漂っている。

ミレアナは、初めてレーヴという存在に言いようのない共犯者のような感覚を覚えた。

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