3.どうして寂しさから愛を求めてはいけないのでしょうか
王国最後の日。
西の大国の将軍が、軍で王宮を囲み、選び抜いた側近を率いて王座の間に踏み込んだ。
腰の低い宰相がへこへこと王座と王妃の座へと案内する。
第8、第9妾妃の降伏勧告は、残念ながら王宮をまとめることはできなかった。
降伏を勧める王太子派。
断固として戦うと宣言する王と宰相。そして騎士団。
最後には決裂し、王太子と医師は監禁された。
将軍は特に信頼する側近を連れ、王と王妃、王太子を捜す。
側近は目深に被った帽子のつばを掴み、痛ましそうに王宮のなれの果てを見回し歩く。
王座の間に着くと、案内してきた宰相はブタのように騒ぎ出し、自分の身の安全と戦後の分け前を要求した。
そして、幼い第二王女の身柄までも要求する。
将軍が冷たい一瞥くれて後ろに指示を出した。2人の兵士が大臣を両端から掴み、運び去る。
ブタの悲鳴がホールに響いた。
監禁されていた王太子と医師がまず先に連れてこられる。
そして王妃が引きずり出される。自室のベットの下に隠れていたらしい。
「やだ離して! 痛い!」
「お久しぶりです、母上」
将軍の隣に立つ側近が帽子を取る。
それは死んだはずの第一王子だった。
ある日塔から落ちた第一王子は、瀕死の重傷を負い、一時的に記憶を失った。
助けたのは第一王女。
彼女はすでに心が不安定であったが、心の安定を支えていた乳母に、「母の影響のないところへ」と託す。
そして唯一の心の拠り所を失い、残りの正気を急速に失っていった。
そして彼が落ちたのは自殺からではない。
赤子を守ったからだ。
第一王子は、ずいぶんと若く、幼くなってしまった母親を哀れみながら見下ろした。
「あの子は元気ですよ」
「……何を言っているの? あの子ってなあに?」
「どんなに【恋人】の条件を満たせなくても、貴女の子供であることに代わりはないではないですか」
王妃の顔が嫌そうに歪む。
「やめてちょうだい。私にそんなものはいないわ。
だって————ちゃんと塔の窓から捨てたんだもの」
◇◇◇◇
王は分からなかった。
とても寂しそうな瞳の少女に求婚した時、彼女が大好きなひまわりの畑が欲しいと言ったから。
故郷と同じような、地平線まで広がるひまわり畑が欲しいと言ったから。
王は用意することにしたのだ。
しかしこの国の貧しい土では、ひまわり畑を作ることはできない。
この黄色い巨大な花は、莫大な栄養を消費する。
肥沃な大地か、大量の肥料を作れる土地が必要だった。
王は王妃のために肥沃な大地を求めた。
国を空け、紛争を繰り返していく日々。
帰ると会う度に幼く還っていく妻と、虚ろな子供たち。
何が間違っていた?
何がいけなかった?
王はただ、あの寂しい瞳をもった子を、喜ばせてあげたかっただけなのに。
◇◇◇◇
「貴女はあの子をどうしたって?」
医師が初めてここで口を開く。
「あれ、先生?」第一王子は医師が王族の家庭教師だった男だと気付くが、医師はそれどころではない。
王妃に詰め寄る男を兵士が慌てて止める。
「貴女は、あれだけ子供が産まれるのを楽しみしていたじゃないか。なぜ、殺そうとした」
————あれは、俺の子かもしれなかったのに。
喉元まで出かけた叫びを、寸前で止める。
王妃は初めてまともに、医師を見た。
焦点のぶれる瞳で、ようやく過去の男の顔を思い出したようだ。
「あら貴方だったのね。なら、貴方も見たでしょう? ———あの子は欠けていたじゃない」
それこそが医師、いや、男が医師を目指そうとしたきっかけだった。
あの子を助ける方法がないのか、調べたかったから。
王妃は困った顔で言う。まるで、頑是ない子供に言い聞かせるように。
「私を甘やかしてくれない子はいらないの。
大きくなって抱きしめてもくれない。
恋人どころか私にたくさんのものを要求する。
愛情を私から奪おうとする存在なんて、いらないの」
王妃は一人で塔に登り、赤子を投げ捨てようとした。
その後ろ姿に嫌な予感がした第一王子は後を付け、投げられる弟を助けようと、もみ合いになる。
全ては結果でしかないが。
バランスを崩した兄が弟を抱き止めて、塔から落下したのだ。
王太子は初めて知る事実に、血の気が引いていく。
将軍は王妃の独白する様子に、深くため息をついた。
何かを思い返すように苦々しい表情を浮かべ、後ろの兵士たちに移送の準備をするように指示を出す。
王妃は小首を傾げた。
「どうして? どうしてみんなで私をいじめるの?」
「母上」
「ねえ。私頑張っているでしょう?
私を褒めて。頑張ってる良い子だって私を褒めてよ」
第一王子はすがる母を拒絶した。延ばしてきた手を払う。
「母上! もうやめてください! 私は、貴女の父親ではないのです!」
「嘘よ!」
「やめろ妃よ」
ガチャリと、王座の間に金属音が響く。
炎と血で赤黒くすすけた鎧を着込んだ王が現れた。
手に持った血にまみれた剣からは、ぽつぽつと赤い滴が滴っている
王は、確保しようとする西の兵士たちを切り捨て、王妃の元に歩いてきた。
将軍の側近である第一王子は、上司の安全を優先する。
王は剣で周囲を威嚇をしながら妃を掴み、引きずり戻した。
王妃は勢いで地面に転び、顔を切る。
その痛みで、王妃の幼い顔に憎悪が灯る。
「何をするの!? 痛いじゃない!」
「もうやめろ。我らの子らを自由にしてやれ」
「自由? 自由って何? 私はずっとずっと寂しいから、家族を作っただけでしょう!?」
「子供はお前のものじゃない。そして、孤独を癒す道具でもない」
「何を言っているの? 他人は私を裏切るわ。
でも私の子供なら絶対に母親を裏切らないでしょう?」
王妃の言葉に、皆絶句した。
それを、自分の話を聞きたいのだと勘違いした王妃は、語り続ける。
「だって私はお母様とお父様を絶対に、絶対に裏切らなかったもの」
「お父様が私で人形遊びをしても、私は我慢したわ」
「お母様が私を何度殺しかけても、私は耐えたわ」
「お父様の言うようにこうして結婚をして、お母様の言うとおりに帰らない人をただ待って。
貴方が何をしてくれなくとも、こうして良い子にしていたでしょう?」
少女は王を睨んで叫ぶ。
王はただ、黙っている。
「抱きしめて欲しいから抱きしめてくれる人を作ったのよ! 何が悪いの!?」
王は静謐を湛えたまま、ぐしゃぐしゃになって泣き叫ぶ子供を見下ろした。
「貴方が何をくれたというの!?」
そうか、と王は剣を高く掲げた。
「では私からそなたには、死をくれてやろう」
その剣を振り下ろし、后に斜めに切りつけた。
鮮血が弾ける。
唖然としてする周囲。
王は倒れた王妃の横に座り込む。
溢れ出る王妃の血が鎧のマントにしみこんでいく中、王はかつて愛したはずの女の顔を眺めながら、自らの頸に刃を当てた。
「安心しろ、道連れは私だ。
私はつまらない男だが、いないよりはましだろう」
血の気が失せていく王妃は、目を見開く。
そして王は、何も言わずにたたずむ将軍に告げた。
「これをもって我が王家の誠意とさせてもらう。どうか、子供と民に温情をお願いしたい」
そう言って、刃を滑らせた。
吹き出した赤が王妃に掛かり、王妃の白い美貌を浮き立たせた。
大きな体躯が王妃の前に崩れ落ちる。
焦点がぼやけた王妃は、低下していく体温の中逡巡を繰り返した。
そして最期の力を振り絞り、震える手を伸ばして事切れた男のマントを掴み。
かすかに微笑み、目を閉じた。
微笑んだ王妃の心を、誰も知ることはない。
人は誰かの孤独というものを、完全に共感することなどできないのだ。
茫然としていた王太子は、すぐに気を取り直し、将軍の前でひざまづき、国の降伏を宣言する。
元王太子はそんな弟をまぶしく見つめ、抱き起こした。
この国の西の大国による併合が決まり、しばらくして。
大国から女王が、新しい領土の視察に訪れた。
元王太子は最後の仕事として、西の大国から派遣された官僚と共に、君主を歓待する準備をする。
会食の席で、医師も重要人物として近くの席に侍った。
女王は元王太子に訊ねた。
「王はどうしてあそこで亡くなってしまったのかしら。貴方のご意見が聞きたいわ」
「王妃が寂しくないよう、共に逝ったのだと」
女王は軽く目を開き、そう、愛していたのねと呟いた。
その言葉に、医師は王の死の記憶を探る。
彼女を愛していたのだろうか。
自分を最期までつまらないと評した、不器用な男は。
心が幼なすぎるファムファタール。
ただ子供でいたかった、寂しい少女。
そんな彼女への慕情と憐憫によって、心を狂わせる子供たち。
そして少女の寂しさに惹かれ、人生を狂わせた男たち。
その一人だった医師は、王の死を想った。
元王太子は女王に頭を下げる。
「私たちは、この国を滅ぼしました。その責任はすべて、何もできなかった私たち王族にあります。
どうぞ私たちが出来なかった善政を、民にお与え下さい」
そして顔を上げ堂々と女王を見据える王太子の態度に、将軍の側近は瞑目し、女王は感心した。
「若いのに立派ねえ。うちの子とは大違い」
「いいえ、私たちの王子は実に立派ですよ。最近は乗馬も一人でできるようになりましたし」
女王のダメ息子への愚痴に、将軍が必死にフォローする。
「ようやく乗れるようになったの間違いでしょう? まったく、あなたが甘やかすから」
「そんなことはありません」
「そうよねえ、第10妾妃はベタ甘なお母さんだもの。わがままいっぱい育てちゃったのよねえ」
「第10妾妃は本当に使えないわねえ」
「もう俺にその名前はやめてください!」
同行していた第8、第9妾妃のコメントに、将軍が慌てる。
確か将軍は女王の愛人だと聞いていたが、他の妾妃とも仲が良いのだな。
医師はつい先ほどまで戦争をしていたはずの相手の和気あいあいとした様子を見ながら、酒を飲む。
そして彼らの様子をまぶしそうみる王太子を、医師は優しく見つめるのだ。
医師は、西の大国に行くと決めていた。
元気に暮らしているというあの子に会いたいからだ。
そして、大切な患者で、本当の子供のように大切に思っている元王太子に聞いた。
元王太子は迷わなかった。
「先生、僕は貴方について行きます。どうか弟子にしていただけませんでしょうか」
「お姉さんと妹さんはどうするんだ」
「姉は療養が必要ですが、むしろ塔が見えないところで暮らした方が良いと思います。
妹は、女王が養子縁組をしてくださることになりました。僕が余裕なく養うよりは、愛情深い彼女の元にいる方が良いでしょう」
心の傷は簡単には消えない。
だからこそ、時間をかけて癒せる場所が必要なのだ。
「お兄さんとはどうなったんだ?」
「この間ようやく話をしました。そしてずっと逃げて、いえ帰らなくて悪かったと謝罪されました。もう、いいんです」
「そうか……。じゃあさっそく、お前今この瞬間から禁酒な。
あと数年経ったら許可を出してやる。だからそれまでは、しっかりと俺が監視をするからな」
「! 先生、それって」
「ああ、一緒にいこう。西の大国へ」
医師の弟子となった少年は、ひまわりような本当の笑顔で喜んだ。