01 チャン
宇宙空間に浮遊する軌道都市「空の島三号」ーー
どこかメルヘンな響きを持つ名前を与えられたその都市は、地球と軌道エレベーターで連結された人工の居住区だ。
「空の島三号」はその名の通り、ジェラルド・オニールの「島三号」型に酷似したデザインのスペースコロニーで、直径六キロ、長さ三十五キロのシリンダー型の居住エリアに約八百万人が生活している。
10年前に完成したこのスペースコロニーは人類の未来を切り開く為に造られた「希望の船」だった。
「昨晩、龍巣で『ハイソサエティ』のライマン監査役とマディソン補佐官、それと取り巻き達の死体が発見されたんだが」
宇宙軌道都市「空の島三号」の一角、廃れたビルの二階にある小さな貸し事務所で、男がテーブルの上に足を組んだまま煙草を吹かし、ぽつりと呟いた。
褐色の上着に、よれたYシャツ、無精髭を生やした冴えない男。ただ、その目は飢えた獣のような怪しさが光っている。
「それはご愁傷様ですね」
そう呟いたのは男と対面のソファに腰掛けた男。年は30過ぎ位だろうか、耳周りをすっきりと短く刈り込みチョップカットされた前髪に肉の薄い骨ばった頬、深い彫りの奥に光る目はどこか冷たい印象がある。
目の前の男とくらべても清潔感と気品が感じられる男、「便利屋」を営むリブが同じように煙草を吹かしながらそう応えた。
「リブ、仕事するときは連絡しろって言ってんだろ。後処理が色々と大変なんだよ」
「何の事を言っているのか判りませんね、チャンさん」
そういってリブは煙草を灰皿に押し付ける。だが、リブのその言葉にチャンと呼ばれた男の目に殺気が篭った。
「……おい、図に乗るなよリブ。お前がこの街で仕事ができてンのは誰のおかげだと思ってんだ?」
そう言ってチャンは煙草を口元から離すと、指でギリギリと握り潰す。普通であれば何のことは無いその動作だったが、それだけで威嚇効果は十分だった。
リブの目に映っているチャンの指は……人間のものではなかったからだ。
機械化された、ロボットのような指。
チャンはその身体の80%が機械化された「サイボーグ」だった。
機械化。サイボーグ化された者は一般的にそう呼ばれている。
機械化はその名の通り、身体の機能を人工物に代替するサイバネティック技術だ。その歴史は浅く、一般的に普及したのがスペースコロニーの完成と同じ10年前だった。
その技術が飛躍的に進歩した、いや、進歩せざるを得なかった10年前の忌まわしき出来事。
突発的に発生・流行したウイルス性の中枢神経変性疾患ーーフェルト病。
そのウイルス感染時の致死率は60~90%と非常に高く、不随意運動と急速に進行する認知症という症状がクロイツフェルト・ヤコブ病と酷似していた病だ。
フェルト病は不治の病だった。クロイツフェルト・ヤコブ病と同じく、根治療法は見つからず数千万、数億もの人命が失われた。
そして苦肉の対策として立案されたのが半導体素子メモリに脳機能を移植する「silicone state brain(SSB)」計画だった。
その計画で、成人する際に人間は例外なくわずか数センチの半導体に脳機能を移植され、そしてその身体は機械化される事になった。身体のすべてを機械化する。それはまさに人類が生き残る為に開けざるを得なかったパンドラの箱だった。
「チャンさんに歯向かうつもりなど無いですよ」
「俺の一声でお前のこのチンケな事務所は一日で無くなるっつー事を忘れんなよ」
そういってチャンはぐしゃりと、煙草を握りつぶし、その欠片をパラパラとテーブルの上に散らす。脅しとも取れるそれにつくづくこの男は刑事らしくないなとリブは思った。
このチャンという男、軌道都市の治安を守るために組織された「軌道治安警察」の刑事だった。所属は殺人課と言っていただろうか。この刑事らしからぬ風貌から判るように裏では色々な汚いことをやっているらしい。街の犯罪者達よりよっぽど裁かれるべき男だ、とその顔をみてリブはつくづく思う。
「……判ってますよ、チャンさん。次からはしっかりと連絡入れます」
諦めたようにリブが言葉を漏らすと、チャンの顔に笑みが浮かんだ。
「良し、分かれば良い。……あとは、判ってんな?」
ほら、とチャンがテーブルを指でコンコンと叩いた。判っています、とリブはため息を吐き、懐から封筒に入った札束をひねり出す。
「……まっ、持ちつ持たれつってトコだよな?」
「そうですね、チャンさん」
リブがチャンに渡した金はいわばこの街で仕事をするために収める「みかじめ料」のようなものだった。
口ではそう言いながらリブは心の中でこの狸親父が、と毒を吐く。
「お前の『便利屋』稼業のますますの発展を願ってるぜ俺は」
「……ありがとうございます」
立ち上がり渡した札束で頭をポンポンと叩きながらチャンが嫌味とも取れる一言を吐く。
『便利屋』。それがリブの生業だ。人探し、物探しから暗殺、死体処理までなんでも引き受ける非合法の『何でも屋』。その仕事が成立するほど、この宇宙軌道都市「空の島三号」は非常に血なまぐさい欲望が渦巻く魔都と化していた。
なんとも皮肉なものだ。人類の平和と幸せの為に造られたスペースコロニーが今や欲望と犯罪が跋扈する無法地帯に成っているとは。
このチャンという汚職刑事の後ろ姿を見て、己の事を棚に上げるようにリブはそう思った。
「あ、そうそう」
「まだ何か?」
「昨日ハイソサエティのサーバがハッキングされた事件があってな。その容疑者の確保を手伝ってもらうかもしれん」
「ハッカーですか?」
「……また連絡する」
リブの質問には応える気もなく、用件だけを伝えたチャンは振り返ることもなくリブの事務所を後にした。
サーバがハッキングされる事などそう珍しいことでもない。そのような犯罪であれば、軌道治安警察内の電脳対策課が処理して終わりだろう。だが、チャンがリブにその話をしたということは……それ相応の内容だということだろうか。
思わずリブは重い溜息をついた。
――と、チャンが去った部屋の扉がぐにゃりと歪んだ。そしてそれが合図になったかのように今まで息を止めていたかのように突然呼吸が荒くなり、冷や汗が額から滴り落ちる。顔は青ざめ、力なく何かにむさぼりつくように一脚だけ設けられたデスクにリブは倒れこんだ。
強引にデスクの一番下の引き出しを開け、そこにあった小さな黒いアタッシュケースから針が付いていない注射器を出す。赤い粘着性の高い液体が入った注射器だ。
朦朧としている目でその中身を確認し、左の手首にあてがうと、プシュという射出音とともにその赤い液体がリブの体内に挿入される。そのままだらりと突っ伏すように机にうなだれたリブだったが、次第にその顔に血色が戻り、滴っていた汗が引いてくのがはっきりと判った。
「……クソッ」
誰に向かってでもなく、小さな黒いアタッシュケースに書かれた「抑制剤」という文字を見つめ、リブはそう言葉を吐いた。
リスクの無いリターンなど無い。リターンが大きければ尚更だ。
リターンが大きいリブの「不死」にはそれ相応の「リスク」が存在している。そのリスクがそれだった。
リブの不死の正体はその身体に埋め込まれた、合成ポリマーによって真核細胞を形成し、人工的に細胞を生成する「アダムの林檎」と呼ばれる人工細胞生成装置だった。破壊された細胞を瞬時に人工的に生成された細胞が覆い、瞬時にその傷を修復する魔法のような技術。だが「アダムの林檎」はその名が差す通り食べてはいけない「禁断の果実」だった。その装置を身体に埋め込まれた者は永久的に生成される細胞を抑制するために「抑制剤」を六時間毎に投与しなくてはならない。もしそれを怠ってしまえばその先に待っているのはあっけない死。リブの不死は「忍び寄る死の足音を常に感じる必要がある泡沫の不死」だった。
だがそれは自分で選んだ道だ。その選択に後悔はない、と抑制剤を打つたびにリブは思う。
そして抑制剤を打つ度に思い起こされる忌まわしき記憶と喉奥に蘇る血の味――
と、事務所に呼び鈴の音が響き渡った。
何の色気も無い、無機質なブービー音だ。頭の中をまさぐるようなその音を聞くたびに、リブは苛立ちが募ってしまう。
よろよろと起き上がったリブが玄関に向かった。反応が無いと思ったのか、もう一度呼び鈴が鳴らされた。
リブは眉間にしわを寄せ、壁にもたれかかりながら無造作に扉を開く。ギイと哀しげな音を立てて開いた扉から差し込む日差しに一瞬眉を潜める。
この事務所へ直接訪れる来客者は決まっていた。訪れるのは切羽詰まった状況に苦しみ、「便利屋」に解決を求める人々。そして証拠が残ってしまう電子メールや電話では話すことが出来ない血なまぐさい依頼。
だが、目の前に立っていた「それ」にリブは目を丸くした。
長い腰まである栗毛を風になびかせて佇む幼い少女。彼女の背後から差す光と端整な顔立ちが相まって、一瞬天使が迷いこんだのかと思ってしまうほど儚く美しく、血生臭さとは無縁と言って良い清楚な雰囲気を纏った少女だった。
「……私の命を守ってくれませんか」
だが、少女の口から放たれた言葉はリブが依頼主から良く聞くそれと同じだった。その小さな眉を潜め、懇願するように言い放つ少女。
天使が漏らしたその言葉と少女の甘い香りが「空の島三号」で人工的に造られた風に乗り、リブの耳と鼻腔をくすぐる。その耳と鼻から受け取った危険信号に「ソリッド化されていない」リブの脳が鈍い痛みを放った。
泡沫の不死を持つ男と天使の風貌を持つ少女。決して交わることが無かった二つの小さな歯車が出会い、その二つの歯車は静かに、そして確かに動き出した。




