平安時代編第三十四話 : 平安刑事再び、平穏を割く紅翼
邸の蔵。
薄暗い蔵の中央に、楓は正座させられていた。
その両脇には腕を組んだ蒼と景行。
ひんやりとした古い土壁の匂いと、微かに差し込む薄明かりが、妙に本格的な取調室の雰囲気を醸し出している。
入口では迅助と葵が、不安そうにその様子を見守っていた。
蒼はなぜか目を鋭く細め、完全に“人情刑事”になりきっていた。
「さあ、白状しな。この札、一体どこから盗んだんだい?」
低く響く声に、楓の肩がびくりと震える。
一方、その隣に立つ景行は困惑しきっていた。
「……なんだ、この茶番は」
「景行! 真面目に鬼刑事をする気があるのか! 大事なことなんだから真剣にやれよ!」
(なぜ俺が怒られるのだ)
理不尽に抗議したい気持ちは山ほどあった。
だが蒼の妙に迫力のある演技に押し切られ、景行は「難しい顔で立っているだけでいい」と半ば無理やり隣へ立たされていた。
もはや物言わぬ仁王像である。
楓は脂汗を流しながら弁解した。
「い、いや……正直、昔の話で……都のどの陰陽師から盗んだのか曖昧で……」
「盗んだ相手を忘れちまったってのかい?」
蒼は深くうなずき、芝居がかった口調で続ける。
「そりゃ仏さんも報われねぇな……」
「罪状は窃盗ではないのか」
景行がぽつりと漏らす。
しかし誰も拾わない。
彼は諦めて、再び仁王像へ戻った。
「さあ! 黙ってねぇで、とっとと吐きな!」
蒼の熱演は最高潮を迎える。
楓の目には涙が滲み、今にも泣きそうになっていた。
そんな空気を破ったのは、葵だった。
「……蒼様」
穏やかな声に、蒼が振り返る。
「事情はまだよく分かっておりませんが、楓様もとても反省なさっているご様子です。私に免じて、どうか許して差し上げてもらえませんか?」
楓は救世主でも見るような目で葵を見つめた。
入口の迅助は「よく言ってくれた」と無言でうなずき、景行も心の底から同意するように目を閉じる。
蒼はようやく我に返った。
「……みんな、ごめん。」
「蒼様?」
「景行に鬼刑事役を頼んでおきながら、俺まで鬼刑事になったら尋問にならないよな。」
「「「いや、そこじゃねぇよ!(そこじゃありません)」」」
四人のツッコミが見事に重なった。
蔵の空気が一気に和らぐ。
景行は大きなため息を吐いた。
「……一体どうした。何を考えているか分からないのは今に始まったことではないが今日のお前は、明らかに様子がおかしい。」
「落ち着いて話してみろ。」
蒼は照れくさそうに頭をかいた。
「……実は。」
彼は笑みを消した。
そして、ここ数日のことを順を追って語り始める。ひんやりとした蔵の中に、真剣な声だけが響き渡った。
先日襲ってきた陰陽師の未来には存在しないはずの、自分の力の源――ケイオニウムと酷似した力。
そして、その反応が楓の持つ呪符から検出されたこと。
「偶然とは思えない。」
「未来の技術と、この時代の陰陽術。」
「何かが繋がってる。」
蔵の中から笑い声は消えた。
迅助も。
景行も。
楓も。
そして葵も。
誰もが息を呑み、蒼の言葉を静かに聞いていた。
「……え。蒼って未来から来たの?」
「え?」
今度は蒼が固まる。
葵は小さく頷き。
景行も腕を組んだまま当然のような顔をし。
楓も「聞いてるよ」という表情を浮かべる。
迅助だけが取り残されていた。
「俺だけ知らなかったの!?」
「除け者じゃん!」
思わず頭を抱える迅助。
重苦しくなりかけた空気が、再び少しだけ和らいだ。
すると葵の柔らかな声が蔵に響いた。
「蒼様。ずっとここで難しいお話を続けていては、心まで重たくなってしまいます。」
彼女は邸からも確認出来る村向こうの小高い丘を見る。そこは、青々とした若草が風に揺られる穏やかな場所だった。
「村の裏山に、小さな丘があります。」
葵は皆を見渡し、優しく微笑んだ。
「少し歩きませんか?頭を冷やして、それからまた考えましょう。」
その一言に、張りつめていた空気がふっとほどける。
「賛成。」
迅助が真っ先に手を挙げた。
「尋問より散歩のほうが百倍ありがたい。」
楓も苦笑しながら立ち上がる。
景行は少しだけ空を見上げたあと、小さく頷いた。
蒼は皆の顔を見渡し、肩の力を抜いて笑う。
「……そうだな。行こうか。」
***
薄暗くひんやりとした蔵から一歩外に出ると、初夏の眩しい陽光が一同を包み込んだ。
屋敷の裏手から細い獣道をしばらく登ると、視界が急に開ける。
そこは、柔らかな若草が風に波打つ、村を一望できる小高い丘だった。
吹き抜ける風が、むせ返るような緑の匂いを運んでくる。
そのあまりにも開放的な景色に、蔵で縮こまっていた仲間たちの顔にパッと明るい色が灯った。
「いいね〜これだけよく見渡せたら見張にはもってこいだ!」
迅助が興奮気味に言う。
彼はさっそく草むらに寝転がり、両手で枕を作って青空を見上げた。
「あ〜!やっと重い空気から解放された!」
楓が思い切り背伸びをして、凝り固まった肩をぐるぐると回しながら言った。その横では、景行が静かに目を閉じ、心地よさそうに風を浴びている。
皆の穏やかな様子を背中で感じながら、蒼は丘の縁に立ち、眼下に広がる景色を見下ろした。
「こんな場所があったんだ…」
この村に来て一か月になるが、まだ知らないところがあったんだと、蒼は小さく呟いた。
戦いと未知の事態に追われるばかりで、ゆっくりと周囲を見渡す余裕など、これまでの自分には全くなかったのだと思い知らされる。
丘の上からは、箱庭のように小さな村の営みが手に取るように見えた。
眼下には、手ぬぐいで額の汗を拭いながら、笑顔で畑仕事をしている吾作達。
広場の隅では、居候の商人である吉次が、村の娘達を相手に身振り手振りを交えて狩りの道具の説明をしている。
まるで現代の実演販売のようなその大げさな動きに、娘たちがコロコロと笑う声が、風に乗って微かに届いてくる。
そして、あぜ道を駆け回り、泥だらけになって元気に遊んでいる子どもたち。
そこにあったのは、蒼がずっと守りたかった、ただひたすらに平和な村の光景だった。
(百鬼夜行を呼び寄せたのは結果自分ではなかったが、あの陰陽師や忍びの軍団は間違いなく自分を狙って襲ってきた。俺が絶対に守らないと…)
蒼は無意識のうちに、固く拳を握り締めていた。
この穏やかな日常を壊す原因は、未来からやってきた自分自身だ。自分がここにいる限り、村の平穏は常に脅かされ続ける。
だからこそ、自分が盾にならなければならない。自分の力で、この村の人々を――。
そこまで思い詰めた時だった。
背後から、草を揺らす微かな足音が近づいてきた。
ふわりと、藤の花のような優しい香りが蒼の鼻先をかすめる。
「蒼様。また、自分一人で背負おうとしてませんか?」
背中越しに掛けられたその声に、ドキッとする蒼。
そこには、真っ直ぐにこちらを見つめる葵が立っていた。
少しだけ眉を下げた困り顔。
けれどその潤んだ瞳には、蒼が心の奥底に隠そうとしていた焦燥も、孤独な覚悟も、すべてを見透かした上で、なおも彼を丸ごと包み込もうとする深く熱い情愛が溢れていた。
「未来のことや、あなたの抱えている戦いのすべてを、私は理解できないかもしれません。……でも、あなたが一人で傷つき、深く悩んでいらっしゃることくらい分かります」
葵の小さな手が、蒼の手をきゅっと力強く握りしめる。
蒼を失うことを恐れるように、その手は微かに震えていた。
「私たちを守るために、どうかご自身を犠牲にしようなどと考えないでください。……どうか、私を頼ってください」
切実な響きを帯びた声。蒼を見つめる葵の瞳の奥で、隠しきれないほどの想いが静かに、けれど熱く揺れている。
「ここには景行も、迅助さんに、楓さんもいます。――そして、私がいます」
葵はふっと柔らかく、愛おしげな微笑みを浮かべた。
「あなたの重荷を、半分……私にも背負わせていただけないですか? 私はただ守られるだけでなく、蒼様の傍で、あなたの力になりたいのです」
風が、二人の間を優しく吹き抜けていく。
包み込むような体温。嘘のない好意と、祈りのような言葉。
それは、頑なに張り詰めていた蒼の心を、春の陽だまりのように温かく溶かしていった。
(……ああ、そうか。俺は、一人じゃないんだ)
知らず知らずのうちに入っていた肩の力が抜け、息苦しいほどの重荷がスッと軽くなるのを感じる。
蒼は小さく息を吐き出し、迷いの晴れた顔をあげて、目の前にいる葵の、潤んだ真っ直ぐな瞳を見つめ返そうとした。
その、瞬間だった。
葵の背後。
抜けるような青空のずっと奥、遠くの方に、とても小さい……いや、遥か遠方の大きな鳥が見えた。
(鳥……?)
蒼の脳がその光景を処理しようと停止する。
はじめは、木立の隙間に浮かぶ小鳥ほどの赤い点に見えた。だが、それは小鳥などではない。
何十里も離れた山脈の向こう側に巨大な、鳥の形をした…人だった。
不穏な空気は一切なかった。
鳥のさえずりも、草笛の音も、眼下で遊ぶ子供たちの声も、何一つ変わらない平穏な日常のまま。
それを蒼が認識した時には――既に目の前を巨大な炎が覆い尽くした。
絶対的な熱量。
視界を白く染め上げる、圧倒的な死の閃光。
日常が、一切の前触れもなく、唐突に暴力によって消し飛ばされる。
「葵っー!」
紅蓮の炎の中で、蒼の張り裂けるような絶叫だけが空しく響き渡った。




