平安時代編第二十三話 : 神速、一閃
鬱蒼とした森の中、四体の山犬型物怪が唸り声を上げながら景行を取り囲んでいた。
赤黒い瘴気を纏い、飢えた獣の眼で獲物を睨む物怪たち。
その円陣の外側で、楓が両手に呪符と苦無を構え、木々の陰に身を隠している。
「行けッ!」
楓の鋭い声と共に、四体の山犬が同時に地を蹴った。
前後左右、逃げ場のない四方からの同時攻撃。
さらに楓は、山犬の巨体が死角を作ったその一瞬の隙を突き、音もなく三本の苦無を景行の急所へと放つ。
獣の牙と忍びの暗器が交差する、回避不能の連携攻撃――のはずだった。
「……浅薄な」
景行の口から漏れたのは、ひどく冷たい声だった。
彼はその場から一歩も動くことなく、最小限の動きで刀を翻した。
チィンッ! と甲高い音が森に響く。
飛来した三本の苦無は、刀の峰で正確に弾き落とされていた。
そして、その刀の軌道は止まらない。
苦無を弾いた反動をそのまま利用し、円を描くように背後から飛びかかってきた一体目の山犬を、脳天から顎にかけて真っ二つに両断する。
ドサリ、と嫌な音を立てて物怪が地に伏した。
「なっ……!?」
「次だ」
息をつく間も与えず、景行は自ら踏み込んだ。
右から牙を剥いて迫る二体目。
その開いた口の中へ、景行は刀を躊躇いなく突き入れた。
刃が後頭部を貫き、絶命。
そのまま刀を引き抜きざまに、身を沈めて左からの三体目の爪撃を躱し、下から斬り上げて腹を裂く。
流れるような剣舞。
無駄な力みや余計な動作が一切ない、極限まで研ぎ澄まされた太刀筋だった。
「くそっ、化け物が……!」
楓は舌打ちし、懐から新たな呪符を取り出して放り投げた。
呪符が空中で弾け、濃密な黒煙が周囲を覆い尽くす。視界を奪い、方向感覚を狂わせる。
「やっちまいな!!」
煙幕に紛れ、楓が最後の山犬と共に死角から襲いかかる。
山犬が景行の足を狙って地を這い、同時に楓が上段から小太刀を振り下ろす。
上下段の同時攻撃。
しかし、景行の眼は煙など見ていなかった。
彼は「気配」と「殺気」の線を正確に読み取っていた。
「小細工に頼るから、剣が鈍るのだ」
煙を裂き、白刃が一閃する。
地を這って迫っていた最後の山犬の首が、宙を舞った。
「あ……っ!」
頼みの綱だった物怪を全て瞬殺され、楓の動きが一瞬だけ硬直する。
振り下ろそうとした小太刀の軌道がわずかにブレた。
景行がその隙を見逃すはずがない。
景行は楓の小太刀を刀の鍔でガチンと受け止めると、そのまま手首を返し、相手の体勢を大きく崩した。 楓が体勢を立て直そうと身を捻った次の瞬間――。
ピタリ、と。
彼女の顎の下、柔らかな喉元の皮膚に、氷のように冷たい鉄の感触が触れた。
「……ッ」
楓の全身が凍りついた。
景行は、流れるような身のこなしで楓の背後に回り込み、その鋭利な刃を確実に彼女の頸動脈に添えていたのだ。
少しでも動けば、あるいは彼が指先に力を込めれば、容易く命が散る。
圧倒的な死の気配が、楓を支配した。
景行は感情の読めない冷徹な眼差しで、眼前で身動きが取れなくなった忍びを見下ろした。
「死にたくなければ、大人しく投降しろ」
静かな森に響いた低く凄みのある声に、楓は抗う術を失い、手から力なく小太刀を取り落とした。
草むらに落ちた刃の音が、この場における戦闘の終結を告げていた。
***
――そして薄暗い森の中。
木々の間を縫うように、二つの影が超高速で交錯していた。
「シッ……!」
迅助の動きは、まさに「神速」だった。
太い幹を蹴って加速し、岩場を蹴り上げて宙を舞う。
森のあらゆる地形を足場に利用し、上下左右、三次元の縦横無尽な波状攻撃を仕掛けていく。
振るわれる小太刀の刃は銀色の軌跡を描き、蒼龍の装甲へと幾度となく叩き込まれた。
ガキィンッ! カンッ、キィンッ!!
硬質な金属音が森に木霊する。
しかし、蒼龍は一歩も退かず、また反撃に出ることもなかった。
未来の戦術AI・Karenの演算による絶対的な防御支援。
飛来する刃を最小限の動きで弾き、避け、受け流す。
ひたすらに防御の姿勢を崩さない蒼龍に対し、迅助の顔に苛立ちが浮かんだ。
「手加減してるつもりか? 舐められたモンだ!」
迅助はさらにスピードを上げ、息もつかせぬ連続攻撃を繰り出す。
しかし、彼の内心には焦りと驚愕が渦巻いていた。
(……なんて硬い鎧だよ。俺のこの小太刀は、鋼鉄よりも硬い物怪の皮膚だって貫通する切れ味なのに!)
まともに斬りつけても、青い装甲には傷一つ、火花一つ散らない。
打撃を与えているはずの自分の腕の方が、激しい痺れを訴え始めていた。
(どこかに弱点はあるはずだ……。人間が着ている鎧なら、必ず継ぎ目がある。首元、脇下、関節の隙間……少しでも刃が入り込めば!)
迅助の鋭い眼光が、蒼龍の装甲の『関節部』へと狙いを定めた。
スピードを極限まで引き上げ、防御に徹する蒼龍の懐へと深く、深く踏み込む。
全体重と最高速を乗せた、必殺の一撃。
「ここだッ!!」
しかし――蒼は、まさにその『決定的な隙』を待ち構えていたのだ。
蒼の目的はただ一つ。「人間を殺さず、かつ確実に捕縛する」こと。
そのためには、外せば120万円が文字通り消し飛ぶ新兵器『天之蜘蛛網』を、100パーセント命中する至近距離で撃つ必要があった。
相手から深く踏み込んでくるこの瞬間を、ひたすら防御に徹して待っていたのだ。
「――もらった」
バイザーの奥で蒼の瞳が鋭く光る。
迅助の小太刀が関節の隙間を捉える寸前、蒼龍の左手がブレた。 神速で踏み込んできた迅助の右腕を、蒼龍の手が万力のようにガシィッと掴み取る。
「なっ!?」
迅助が目を見開いた次の瞬間。
蒼龍は掴んだ腕を支点に、自らの体を沈み込ませ、Karenの運動サポートによる完璧なフォームで甚助の体を前方へと投げ飛ばした。
柔道の『背負い投げ』――だが、それは人間離れしたパワーとスピードが乗った、神業のような一撃だった。
(嘘だろ……俺を、投げた……!?)
空中に体が投げ出され、天地が逆転する。
スピードにおいて誰にも負けないという迅助の自負が、完全に打ち砕かれた瞬間だった。
ドスゥンッ!! 地面に背中から叩きつけられ、肺から空気が吐き出される。
「いっ、つ……!」
体勢を立て直そうと必死にもがく迅助。
しかし、彼を見下ろす蒼龍の左腕からは、すでにあの兵装が展開されていた。
(頼むぞ……一発120万!!)
心の中で祈るように叫びながら、蒼は射出トリガーを引いた。
「シュガッ!」という小気味良い音と共に、蒼龍の腕から白銀に輝く網が射出される。
『天之蜘蛛網』。
未来のナノマシンと平安の極上シルクが融合したその網は、地面に倒れ伏した迅助を頭からすっぽりと包み込み、瞬時に硬化してその体を地面へと縫い付けた。
「な、なんだこれ!? 斬れねぇ……引きちぎれない……ッ!」
小太刀を振り回そうにも、指先一本すら動かせない。
大の男がどれほど力を込めても、白銀の糸は一切の伸縮を許さず、完全に迅助の動きを封じ込めてしまった。
もはや抵抗は不可能。
身動きが取れなくなった迅助を見下ろし、蒼龍はゆっくりとブレイドを収納すると、静かに告げた。
「……降参だよな?」
「…………くそっ。完敗だ」
迅助は深々とため息をつき、地面に顔を押し当てたまま降伏を宣言した。
終始、迅助の波状攻撃を防ぎ続けていた蒼龍。
しかし、この最速の戦いは、たった一度だけ見せた『蒼龍の神速のカウンター』によって、完全に決着がついたのだった。




