平安時代編第二話 : 孤独な目覚めと静かな混乱
どれほどの時間が経ったのか。
丸一日以上の深い昏睡から蒼がようやく重い瞼を開けたのは、古い木材の香りと淡い香が漂う、静まり返った和室の中だった。
「……う、あ……? ここ、どこだ……?」
のっそりと上体を起こすと、ズキリと全身の骨や筋肉から鈍い痛みが走る。
ぼやける視界に飛び込んできたのは、見慣れたゼタクト本部の無機質な金属壁でも、メディカルモニターの光でもなかった。
薄暗い木目の天井、畳の匂い、そして和紙の貼られた障子戸。
「……なんだこれ。旅館……? いや、俺は確かにあの宇宙で……」
自身の記憶を必死に巻き戻す。
宇宙での決戦。
敵の巨大な光波。
限界突破した天羽々矢の一撃。
そして――衛星ネットワーク『高天原』の大爆発と、ねじ切れるような光の渦。
「――っ! そうだ、蓮は!? Karen! おいKaren、返事しろ……!」
熱の残る頭を振りながら、左腕のK-GEARを操作するが、バングルからは微かなノイズが漏れるだけ。
傷だらけのインターフェース・モニターには、無情にも真っ赤なエラーログが並んでいた。
[ SYSTEM CRITICAL DAMAGE ]
... HIGH-ORBIT SATELLITE "TAKAMA-GA-HARA" : NO SIGNAL
... FLUID COGNITIVE FRAME : UNRECOVERABLE
... AI "KAREN" : SLEEP MODE (RECOVERY TIME : UNKNOWN)
「う、嘘だろ……。高天原との通信ロスト……流体思考フレーム大破……? Karenまで、スリープモードって……」
まだ本調子ではない身体の鉛のような重さと、頼れる相棒・Karenとの接続が切れた現実に、蒼の血気が冷えていく。
「……どうなってんだよ、これ。親父たち、あの戦いのあと……意識のない俺をどこに運んだんだ……?」
混乱する思考を落ち着かせ、ともかく現在の状況と場所を確かめるため、蒼は重い体を引きずり、壁に手をつきながらゆっくりと障子を開けて縁側へと出た。
早朝の冷たく澄んだ空気が、火照った蒼の頬をなでる。
ふと中庭の砂利の向こうに目をやると、一人の武士――源野景行が、真剣を振るって黙々と稽古に励んでいる背中があった。
蒼は縁側の柱に寄りかかりながら、ぼんやりとその光景を見つめる。
息を呑むほど無駄のない、美しい剣の軌道。
身に纏う装束の質感も、庭先の古い庭園や建造物の佇まいも、とてつもなく本格的だった。
(……すごいな。あの人、所作が本物の侍みたいだ。あの凛とした佇まい……もしかして、どこかの有名な俳優か……?)
ぼんやりした頭で、蒼は状況を自分なりに「論理的」に解釈し始める。
(この寸分違わぬ昔風の建築……時代を感じさせる本物の道具類……そして、あんなに気合の入った俳優さんがいるってことは……。 そうか……ここ、大河ドラマの撮影現場か。 親父たちの手配した医療チームか保護部隊が、近くの撮影ロケ地を臨時で借りたのか……?)
自分なりに納得しかけた蒼の視線に気づいたのか、景行が鋭い眼光を振り向かせた。
腰に刃を携えたまま、足音もなく縁側の蒼へと歩み寄る。
その全身から放たれる本物の殺気と、ズシリと重い真剣の威圧感に、蒼は息を呑んだ。
「……気がついたか。ここは藤原の末姫、葵様の邸だ。俺は葵様を守護する源野景行。……貴様は何者だ。どこの間者だ」
(……すごい。休憩中も役に入りきってるのか、この人)
蒼は感心しながらも、自分の身元を伝えればすぐに本部のスタッフに繋いでもらえるだろうと考え、咳払いをして口を開いた。
「あの、撮影中すいません……。俺は、対ゼノフォーム特務機関ゼタクト(Z-TACT)システム適合主任研究員、兼・戦術実証装着者、東雲蒼です。……少し頭がぼーっとしてて。本部のスタッフか、医療チームの人って近くにいますか?」
「…………は?」
景行の眉間にとてつもなく深い皺が寄る。
「ぜ、たく……? 何を訳の分からぬ念仏を唱えている! やはり貴様、異国の術士か、山から下りた物怪の類だな!」
「いやいや、念仏じゃなくて正式な所属だって……。え? 物怪って何……?」
どこまで会話を進めても一向に噛み合わない問答。
時代劇のセリフを返し続ける相手に、蒼の顔に徐々に焦りの色がなくなり、本気の戸惑いと困惑が浮かび始めた。
「……あれ? ちょっと待って……。カメラもないし、スタッフの人影もない……。これ、ドラマの撮影現場じゃない……のか……? ここマジでどこなんだよ……?」
悪寒に似た違和感を覚え、蒼が自分の左腕のK-GEARを痛む手で押さえていた、その時だった。
「――お目覚めになられましたか?」
鈴の音のように澄み渡った、驚くほど美しい声が縁側に落ちてきた。
蒼がゆっくりと顔を上げ、声のする方へと振り向く。
そこに立っていたのは、朝の柔らかな光を背に佇む、一人の姫君だった。
少しあどけなさを残しながらも、気高く澄んだ瞳。
ふわりと風に揺れる艶やかな黒髪と、淡い色の装束。
未来のホログラムアイドルや、作られたデジタル映像など全てが色褪せてしまうような、圧倒的な透明感と美しさがそこにはあった。
周りの空気そのものが、彼女を中心に清められているかのような錯覚。
「…………あ……」
思考の混乱も、身体の傷の痛みも、その一瞬だけ完全に消え去った。 目が離せない。
呼吸の仕方すら忘れたように、蒼はただ呆然と彼女を見つめ続けた。
そんな蒼の視線に気づいた藤原の姫・葵は、わずかに目を丸くし、心配そうに小首を傾げる。
「あの……もし? ひどいお怪我でしたけれど……やはり、まだお加減が優れないのですか?」
「…………綺麗だ……」
「……えっ?」
自身の置かれた状況も全て吹き飛び、蒼の口から無意識の感嘆がポツリと漏れ出た。
葵の頬に、ぽっと薄紅色の朱が差す。
思いがけない直球の言葉に、姫君はパチクリと瞬きをし、どうしていいか分からず衣の袖で口元を隠して戸惑った。
「き、きれい……? あの……それは、どういった……」
「あっ! い、いや……! 違うんです! その……あまりに現実離れしてて……綺麗すぎて……って俺は何言ってんだ……」
我に返った蒼が、熱っぽさと恥ずかしさで顔を赤くして弁明しようとするが、時すでに遅し。
「――貴様ァァァァッ!! 葵様になんたる無礼を!!」
横から鬼の形相になった景行が激怒して割って入った。
「この不届き者めが! どこの馬の骨とも知れぬ怪しき輩が、葵様の御尊顔を直視した挙句、たわけた世迷い言を……! 今すぐその目を斬り抜いてくれるわッ!」
「ひっ……! ご、ごめんなさい悪気はゼロなんです……! 思わず本音が出ちゃっただけで……!」
怒り狂って太刀を抜こうとする景行と、手で顔を覆って照れる葵、そして弱りきった体で謝罪する蒼。
あまりに濃すぎる情報の濁流と、未回復の極度なエネルギー枯渇が重なり、ついに蒼の脳と肉体が限界を迎えた。
「あ……ダメだ。急に、視界がぐらぐらする……。地球の重力って……こんなに、重かったっけ……」
ふらりと蒼の身体が大きく傾き、縁側の床へ崩れ落ちそうになる。
「――っ! 危ないっ!」
それを見た葵が、頬の赤みも忘れて自ら衣を揺らし、咄嗟に細い腕で蒼の体を支えようと駆け寄った。
「大変、やっぱりまだ熱が……! 景行、怒ってないで今すぐ奥の間に――」
「葵様、いけません! 其奴のような怪しき不届き者に、その清らかな御手で触れるなど……! チッ、俺が運びます!!」
「――えっ、うおっ!? ちょっ、うわっ……!?」
景行は葵を安全な場所へと突き放すやいなや、驚くべき武士の筋力で蒼の体をひょいっと持ち上げ、まるで米俵か何かのように、あるいは無骨すぎる『強引なお姫様抱っこ』の姿勢でガシッと抱え上げた。
「お、おい……! ちょっと待てイケメン侍……なんで俺がお前なんかに姫抱っこされて……。おろせ、自分で歩け――」
「黙れ間者! 舌を噛むぞッ! 葵様への無礼、後でたっぷり問い詰めてくれるわ!!」
美しい平安の姫君に心配されながら、屈強な侍に抱きかかえられて奥の部屋へと連行されていく未来の戦士、東雲蒼。
(待て待て待て、なにこの展開……!? 俺、あの宇宙の爆発で実は死んでた……!? まさかの異世界転生……!? しかもお姫様に転生したの!? 俺、乙女ゲーの主人公かよ……ッ!)
痛みと混乱に意識を揺らされながらも、心の中でツッコミを叫び続ける蒼―― 未来科学と平安の情念、そして妙な勘違いとときめきが交差する、東雲蒼の過酷でドタバタな平安サバイバル・新章の幕が、ここに切って落とされた。
あとがき
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
未来で地球の命運を懸けた戦いを終えた蒼ですが、
自身の置かれた状況を「大河ドラマの撮影現場かな?」と本気で思っているのに、景行からは「怪しき間者」、葵からは「傷ついた旅人」と見られているので、三人の会話がことごとく噛み合わないのを書いていてとても楽しかったです。
もう少しギャグ回が続きますが、
未来の常識は通じず、衛星のリンクは切れ、Karenも眠ったまま。 頼れるのは、自分自身の頭と度胸だけ。
平安の人々との勘違いだらけの出会いが、どんな運命へ繋がっていくのか、お楽しみください!
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