53 母の名前
53 母の名前
銀灰妃目線
ジョシーから手紙が来た。
修道院の印が押されていた。
初めの手紙には、ウィリアムに会いたいと書いてあった。
次の手紙には、会えなくてもよいから返事が欲しいと書いてあった。
今日の手紙には、わたしへの詫びがあった。
デイジーの名前を勧めたのは、自分だったこと。
わたしの家族に頼まれながら、わたしを嘲っていたこと。
自分の子を奪われた時に、少しだけわかったつもりになり、その後また忘れたこと。
『あなたがわたしを助けてくれたのに、わたしはサイモンにまで、あの呼び名を教えました』
綺麗な文字だった。何度か書き直した跡がある。
わたしは、手紙をウィリアムに渡した。
「あなた宛ての部分もありますよ」
ウィリアムは最後まで読んだ。
それから窓の外を見た。
「お返事は?」
「まだ、しません」
「そう」
わたしは手紙を箱にしまった。
ゴードン伯爵は、サンダース家の帳簿に名が出た後、取り調べを受けた。サイモンの死に至った毒の手配も調べ直され、伯爵とジョシーがウィリアムを狙っていたことが記録に残った。
伯爵の財産は被害の償いと不正な取引の清算に使われ、彼自身は王都を離れた監視付きの屋敷に置かれた。
ウィリアムへ先に譲られていた鉱山は、息子が自分で管理していた。伯爵がそれを返してほしいと願っても、返事は来なかったという。
「ママは、返事をする?」
ウィリアムが聞いた。
「会いには行かないわ。そう書きます」
「うん」
わたしたちは、その話を終えた。
しばらくして、アレクとマイクがやって来た。
今日は相談があるという。
「母上の呼び名を、変えたいのです」
アレクが言った。
わたしは、思わず背筋を伸ばした。
ずっと前にも、同じようなことを言われた。
アレクはすぐに気がついた。
「こちらで決めるつもりはありません。申し訳ありません」
椅子に座って、わたしを見た。
「わたしが即位すると、母上のお立場も変わります。そこで、どうお呼びすればよいのか、母上に伺いたくて」
わたしは、自分の指を見た。
「エミリー」
口に出すと、少し変な感じがした。
「エミリー・スコット。わたしは、その名前でした」
誰も、別の案を出さなかった。
マイクが紙に書いた。銀灰妃でも、デイジーでもない、わたしの名前。
「では、このように」
紙を渡された。
わたしは頷いた。
その夜、三人と一緒に庭へ出た。
石の前に花を置いた。明日、家族の墓へ持って行く分と、同じ花だ。
「終わったのかしら」
わたしが聞くと、アレクは首を傾げた。
「終わりにしたいですか」
優しい問いだった。
望めば、もっと続けてくれるのだろう。この子たちは、そのために産まれた。
「あなた、初めにこの国を滅ぼそうと言ったわね」
「言いました」
「王様になるのでは、滅びないわ」
アレクは少し笑った。
「燃やしましょうか」
「この宮も?」
「母上を連れ出してから」
「わたしの焼き菓子の型も、本も、あの石も持ち出すの?」
「それは、かなり荷物が多いですね」
マイクが口を挟んだ。
わたしは笑った。声を出して、長く笑った。
「もう、いいわ」
笑い終わると、言葉が出た。
家族の死を許したのではない。死んだ人たちを恨まなくなったのでもない。
ただ、明日の朝にも焼き菓子を作りたいと思った。
「わたしが頼んだ復讐は、ここまででいい。まだ泣くことも、腹を立てることもあるでしょうけど、そのたびに誰かを殺してもらわなくていい」
ウィリアムが、わたしの手に触れた。
「俺たちが、嫌になった?」
わたしは驚いて息子を見た。
黒髪の下に、青い目があった。
家族の棺の前でも泣かなかったこの子が、わたしの返事を待っていた。
「嫌になったら、明日の朝ごはんに、なにが食べたいかなんて考えないでしょう」
ウィリアムは、わたしの手を強く握った。
「ケーキがいい」
「朝から?」
「小さいのならいいだろう」
マイクが言うと、アレクまでうなずいた。
「では、わたしも」
わたしは三人を見た。
「あなたたちは、復讐が済んだら、どうなるの?」
聞くのが、少し怖かった。
集まった怨念が、人の形を保つ理由をなくしたら。この子たちも、いなくなるのではないかと。
アレクが、わたしの肩を抱いた。
「腹が減るでしょうね」
「それから眠くなる」
マイクが言った。
「朝には母上のケーキを食べる。今までも、それで暮らしてきました」
わたしは、三人の腕を順番に撫でた。
血も、肉も、骨もある。温かかった。
「そうね。怨念と悪意だけでは、お腹は膨れないものね」
あの日、わたしに話しかけてきた声が笑った。




