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38 陽だまりの別れ

 夜明け前の王都は、まだ霧に包まれていた。

 アラン・モートンは薄い外套を羽織り、モートン邸の裏門からそっと中へ入った。

 この時間に帰宅するのは、もはや珍しくない。

 酔って帰る放蕩息子――誰もがそう思って、見て見ぬふりをする。


 アランは鞄にいくつかの私物を詰め、静かに廊下を抜けた。

 止まった時計の音だけが響く。

 向かった先は、屋敷の西棟――イザベルの部屋だった。


 扉を開けると、淡いカーテン越しに少女の寝息が聞こえる。

 アランはその傍らに膝をつき、そっと肩を揺すった。


「……イザベル」

「お兄様……?」

「イザベル、この家を出よう。突然でごめん。今しかないんだ」


 まだ夢の続きのような顔で、それでもイザベルは小さく頷いた。

 アランは彼女をぎゅっと抱きしめる。

 同じミルクティー色の髪が頬に触れ、温かな香りがした。


「もうここには戻らない。お気に入りのものや、宝物はある?」

 イザベルは小さく首をかしげ、小走りで机に寄ると、その上の小箱を開けた。

 中から、木彫りの花の髪飾りを取り出す。

 ――それは、アランが庶民街で働きはじめた頃、自分の稼ぎで買って贈った安物だった。


「これだけでいいです」


 その言葉に、アランの目が潤む。


「……行こう。散歩のふりで外へ」


 二人は手を取り合い、静かな廊下を抜けた。

 裏門には一台の馬車が待っている。

 御者台にはウィンダム家から派遣された侍女。

 その傍らには、黒い外套を羽織った男――エドガー・レイブンズが立っていた。


「間に合いましたね」

 エドガーが時計を見て言う。

 アランは息を整え、イザベルと手を繋いだまま馬車に乗り込んだ。


 車輪が静かに回り出す。

 霧の街を抜け、夜明けの光が東の空を染めていく。

 エドガーは簡潔に状況を説明した。


「イザベル様。安全のため、ノルドレア公国に一時避難していただきます。

 滞在先は僕の知り合い――ノルデン公爵閣下のご紹介によるご家庭です。

 しばらくは身を伏せていただきますが、状況が落ち着けばアルストリア王国へ戻ることも可能です」


 イザベルは静かに頷いた。

 アランは彼女の手を握り、何度も頷き返す。


 やがて駅に着く。蒸気の匂いと鉄の響き。

 空が明るみ始め、汽笛が鳴った。


「お兄様……お手紙は届きますか?」


 アランは困ったように笑う。

 エドガーが代わりに答えた。

「僕あてに送ってください。必ず、彼に届けます」

「……はい。お手紙書きます。お返事、絶対くださいね」

「書くよ。たくさん書く」


 アランはイザベルを強く抱きしめた。

「イザベル、君は俺にとっての太陽だった。君がいたから、俺は今日まで頑張ってこれた」

「お兄様こそ、イザベルの陽だまりでした。お兄様がいたから、イザベルはあの家で息ができたのです」


 汽車の鐘が鳴る。

 イザベルは侍女に促され、ゆっくりと立ち上がる。

 窓際の席に座り、侍女が窓を開ける。


 イザベルが手を伸ばし、アランと指を絡めた。

 汽車がゆっくりと動き出す。


「お兄様! お兄様! 大好きです!」

「イザベル! 兄様も君を愛してる!」


 離れていく手。

 白い指が、霧の中で小さく揺れた。


 汽車の影が遠ざかる。

 アランは膝をつき、嗚咽をこらえきれずに泣いた。

 その背に、エドガーが無言で手を置く。


 冷たい朝の光が二人を包む。

 そして、彼は静かに言った。


「……頑張りましたね」

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