20 金の煙の向こう
モートン邸の一角。
金箔の装飾を施した黒檀の扉の奥に、葉巻の煙が滞る重苦しい空間があった。
壁一面には異国の勲章と金杯。
床には厚い赤絨毯。
獅子の彫刻を脚に持つ大理石のテーブルの上では、火の落ちかけたシガーが燻っている。
ランプの灯が琥珀色の煙を揺らし、室内は甘く、そしてどこか腐った匂いを放っていた。
大きな革張りの椅子に腰を下ろしているのは、モートン家当主――レイモンド・モートン。
肥えた指先に金の指輪を光らせ、グラスを傾けている。
その隣で笑うのは、次男のチャールズ・モートン。
まだ二十五に満たぬ若さだが、兄アランとはミルクティー色の髪以外、まるで似ていない。
その目には知性の光より、欲望の濁りがあった。
「父上、あの件はどうなりましたか」
「……あの件?」
レイモンドが灰皿にシガーを押しつけ、鈍い笑みを浮かべる。
チャールズはわざとらしく笑った。
「まさかお忘れで? 愚兄の婚約破棄の件ですよ」
「あぁ、あれか。まだ何も動いていないな」
「さすが、役所は動きが緩慢だ。もしも婚約破棄が通ってしまったら、父上はどうするつもりです?」
「セレーナをお前が娶ればいいだろう。それで万事解決だ。
長男を庇わない当主なんていないから、庇ってやってるだけさ。
ウィンダムだって、うちと縁付きたくて仕方ないだろうよ」
「それがいいですね。セレーナは美人だ。ぜひ私のものにしたい」
「美人は使い道が多い。大いに働いてもらおう」
チャールズはグラスを回し、下卑た笑いをこぼした。
「私の妻ですよ」
「我がモートン家の物だ」
「……ま、そうですね」
二人の笑い声が、煙の奥でくぐもって響く。
琥珀の光に照らされた金のボタンが、歪んだ炎のように瞬いた。
「それにしても、ロリコンの爺がいただろう?」
「ハドリー伯爵?」
「そう。イザベルにご執心だ。高く売れそうだ」
「それはそれは」
「アランの件が片付いたらと思ってたが、長引くようならさっさと渡してもいいかと思ってな」
「より高く売れる時期に売ったほうがいいのでは?」
「イザベルが“女”になったら興味なくすだろうさ」
「じゃあ急がなくては」
また笑いが弾け、氷の音がグラスの中で跳ねた。
それはまるで、この部屋の空気そのものが腐っていくようだった。
◇
――その扉の向こう。
薄暗い廊下の影に、ひとりの少女が立ち尽くしていた。
イザベル・モートン。
両手で口を覆い、声が漏れないようにしながら、震える足でそっと扉から離れる。
胸の奥で、何かが崩れていく音がした。
かなり離れたところで、耐えきれず走り出す。
足音が石の床にこだまし、ドレスの裾が乱れる。
自室の扉を閉めると、ベッドに飛び込んだ。
小さな肩が震え、目尻から溢れた涙がシーツを濡らす。
「お兄様……どこにいらっしゃるの……?
イザベルは心細うございます。寂しうございます。
お兄様……アランお兄様……」
彼女の手が寝具をぎゅっと掴む。
兄と同じ、柔らかなミルクティー色の髪が涙で濡れ、蝋燭の光を受けて小さく光った。




