007 月明かりに照らされて
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「ぇ?180万ウォル?」
提示された金額に俺は驚きの声を上げた。取り分けられた石は、俺の見積もりでは120万程だ。一店舗としては少々多過ぎる量じゃないかと思ったが、次にいつ来て貰えるか分からないので10年以上の在庫分を見込んだらしい。更にこの町では売れるか怪しい位の少し大きめの石をひとつ混ぜて。それにしても高過ぎじゃないか?と思っていると、エスピーヌが俺の顔を見て察したのか、苦笑いする。
「う~ん。トゥルース君は少し石の相場を低く見ているね。それは村での卸値なのか、古い情報なのか、それとも只の弱気なのか...。 稀少な商材なんだから、もっと強気でも良いと思うよ?まあ、今回は間がかなり開いているってのあるし、ウチだからこその値ではある。それに将来、損はさせないからまた立ち寄って欲しいという希望も含むけどね。さて、この値で良ければ用意させるけど、金額が大きいから白金貨でも良いかい?それとも使い易いように金貨や銀貨を混ぜようか?」
異論なんて無いよね?とばかりにエムを立たせ取りに行くよう促すエスピーヌだが、勿論異論なんて無い。予想の1.5倍を提示してきたのだ、これ以上何を要求すれば良いのか全く思い浮かばない。普通ならここでもっと上げろ、いや高過ぎる、と喧嘩腰の白熱した議論が始まるのがセオリーなのだが...。
暫し放心していると、エスピーヌが声を掛けてきた。
「今日はもう移動するには遅いから、食事も含めて今夜の宿はこちらで手配するから。そんな物を持って安宿じゃ安心出来ないからね。私やサフランたちも護衛の為に同じ宿に泊まる事になる。二人は別々の部屋が良いかな?」
「ぇ?あ...俺は別々でも良いんだけど...ニーが二人の方が良いって...」
狼狽えつつもそう答えると、エスピーヌは頷いて手配して来るからちょっと失礼するよ、と部屋を出ていった。ふぅ、と大きく息を吐いて椅子の背もたれに体を預ける。
「何だ、この程度の事に疲れたんかい?アンタは殆ど何もしてないじゃないか。」
眠くなったのか、トロンとした目をしたシャイニーの頭に頬を擦り当てているサフランが声を掛けてくる。確かにサフランの言うように、荷物から石の入った袋と暗幕を取り出しただけだ。にも関わらず、この疲弊感と言ったらどうだろう。エスピーヌに出会ってから、まだ半日...路銀稼ぎに四苦八苦していた筈が、一気に数ヶ月分の稼ぎを得ようとしている。それも想定の1.5倍の金額を。手持ちの石の評価を上方修正しないといけなさそうだが、今日の内にそれは出来るのだろうか甚だ疑問だ。
「そうは言いますけど...引っ張り回された挙げ句にポンポンと話が進んでしまって...こんな事は初めてなので...」
「ははははは!それもひとつの経験だ。将来、何もせずに儲けた!なんて笑い話になるだろうから、忘れるなよ?」
ニヤリとするサフランに、はぁ...と気の抜けた返事をしていると、部屋を出ていた二人が戻ってきた。席に着くと手に持ったトレイをテーブルの上に置き、こちらに差し出してきた。
「お待たせ。じゃあ、確認して貰えるかな?」
その上には白金貨や金貨、銀貨が何枚も乗っていた。...白金貨を扱っているところは珠に見る事があったが、実際に手にするのは初めてだ。
「...ルー君、大丈夫?」
その様子を見ていたシャイニーが、意識を取り戻したのか声を掛けてきた。その眉はハの字に垂れ下がり、その視線は俺の目と震える指先を交互に。そう、俺の手は初めての白金貨に震えていた。一度、手にした白金貨を置いて息を深く吸い、ゆっくりと吐く。よし、震えが止まった。シャイニーに大丈夫、と頷いて再度白金貨を手に取り枚数を数えながら積み上げる。10万ウォル白金貨10枚一山に端数が6枚、1万ウォル金貨が15枚と5千ウォル銀貨が10枚で全部で180万ウォル... これが自分のお金?流石に少し重みがある。
「流石に大白金貨はないので白金貨で用意させて貰ったから。金貨を白金貨に代える事も出来るけど、どうする?」
「...いえ。これで良いです。でも...本当にこの金額で良いのですか?」
「説明はしたよ?将来、また立ち寄って欲しいからだって。あまり直ぐに石を持ち込まれても困るけど、国内外を往き来する時、こちらの方を通る際に小遣い稼ぎがてら立ち寄ってくれれば良いから。ウチは何でも扱うから、石だけじゃなくて国外の物だって扱えるしね」
あくまでも売れそうな物だけだよ?とおどけるエスピーヌ。エムも異論はないようだ。確かにここまで良くして貰っておいて素通りは出来ないなと思い、頷いてそれを受け取ると、別の小袋に入れて残った石と共に荷物に仕舞う。
「さあ、それじゃあ宿に移ろうか。今日は早めに休んで、明日は朝から移動だよ?馬車は一台になるけど良いよね。もう一台は通常の業務をして貰うから一緒には行けないからね。彼らには苦労を掛けるけど、こういう事は珠にあるから気にしないでね?」
それから店を出て、王都へ運ぶ品物に積み替えた馬車に乗る。エムとはここでお別れだが、さよならではなく、またね、だ。差し出されるエムの手を握る。
「良い取引をありがとう。これで我が支店も変色石を取り扱う一流総合店の仲間入りだ。それも屑石ばかりでなくまともな石を取り扱う、ね。また会える日を楽しみにしておくよ。その時にはもうこんな小さな石を扱わなくなっているかもね。」
クスリとそんな冗談を言うエムに苦笑ながら俺は本心で答える。
「"俺なんかじゃそんな事にはならない”ですよ。何れまた来た時は同じように助けてくださいね」
「...助けて、か。対等の取引をしたつもりでいたから、そんなつもりは無いんだけどね。まあ、何か困った事があれば何時でも頼って貰って良いよ。お金の貸し借りと命のやり取り以外なら力になるから」
「その時は本当に頼らせて貰いますので、お願いします」
それから少しだけ馬車に揺られ着いた宿は、これまで泊まり歩いたような家族経営のような小さな所ではなく、それなりの規模の所だった。流石に旅を始めてからこの規模の宿に泊まるのは初めてなので腰が引ける。何よりこういった宿は個人経営の所よりお高いから避けてきたので尚更だ。エスピーヌにもっと安い宿で十分だと訴えたものの、石も大金も持っているので却下だ!と一蹴された。食事も部屋へと持って来させる徹底ぶりに、いくら掛けてるんだ?と冷や汗が出る。だがシャイニーがいるので、それも助かるって事も事実だ。シャイニーの顔はこれまでも宿毎にトラブルを引き寄せていた。俺の性格から売られた喧嘩を買う寸前にまで何度陥った事か...。 サフランをシャイニーから引き剥がすのに苦労したのはご愛嬌だ。
廊下では警護の為に一人立つと言うが、それにはサフランがフルタイムで対応すると言い出した。通常なら数人で交代するところを、だ。明日に響くからと皆で説得したが、今日半日サボったのと、明日も似たような状態になるからと自己申告された。二人で部屋に入る時、サフランに何かあったら声を出せ、ドアをぶち破ってでも助けに入るから、と顔をドアップにして言われたが、何故か俺の方に異様な圧力を感じた。うん、シャイニーにはあまり声を出させないようにしよう。普通に喋っている分には大丈夫と思いたいが、彼女が何か小さな悲鳴でも上げれば間違いなく突入してくるだろうから。くわばら、くわばら。
「...ねえ、ルー君。ルー君の持ってる石って、そんなにも価値のある石なの?」
「ん?まあ、世界三大変色石って呼ばれてるし、村の出身者しか持ち出す事は許されていないから世の中にはあまり出回らないと思う。宝石としての価値は高いって聞いてるし、そう言う意味でも希少価値が出ていると思うな。興味ある?」
「...あまり宝石には興味ないかな?でも...その変色石って何?」
「ああ、あまりじっくりとは見せた事が無かったな。いつも店で出す時は日光の光で見せて、その後に暗幕を出してその中で見せてただろ?蝋燭の光や月の明かりで元の色とは違って見えるんだよ。いつも見てる色は何だったか覚えている?」
「赤色?」
「そう、太陽の光だと赤く見えるけど...」
俺はごそごそと荷物を漁り小袋を取り出すと、中から石の入った包みを摘まみ出し広げシャイニーに見せた。
「...ぇ?これ、青く見える...」
既に日は暮れて燭台の光となっている。この色を見せる為に暗幕を持ち歩いているのだ。へぇ~と首を傾げながら触りもせず見ているシャイニーに、俺は石を手に取って窓際に移動すると手招きをした。
「ちょうど月が高い位置に上がっているから、翳かざしてみて。カーテンで室内の光を遮った方が良いよ。」
そう言ってカーテンを捲りシャイニーを窓際に立たせると、石を翳した。
「...こ、これ!さっきの青も綺麗だったけど、この透き通るような青い光...とても綺麗...吸い込まれそう...」
「...ぇ?」
ウットリとしだしたシャイニーと共に石を月明かりに翳して見ていたのだが、ふとどんな顔をして見ているのだろうとシャイニーの顔に目を走らせた俺は思わず驚きの声を漏らした。月明かりに照らされたシャイニーの顔から禍々しい火傷のような痕が無くなって見えたからだ。
一か月前、シャイニーに出会った日の夜の事、別々に寝ようとしたところを半強引にくっ付いてきたシャイニー。俺の胸にしがみついた手は僅かに震えていて、絶対離さない!と言うかのように強く握られていた。恐らくこうして一緒にいてくれようとする人が今までいなかったのだろうと察して髪を優しく撫でていると、じきに寝息が聞こえてきたので、自分も寝てしまいそうになりながらもそっとその顔を覗き込んでみたところ、まさに今と同じようにシャイニーの顔から火傷のような痕が消えていた。そこには誰が見ても美しいと言わざるを得ない少女の顔があったのだ。長いまつ毛に細く伸びた眉、透き通るような白い肌にすらりとした鼻。その整った顔に金色の長い髪が相まってとても美しい姿が俺の胸の中で寝息を立てている。これは夢か幻か...そんな事を思いつつ、微睡の中に俺も落ちていったのだった。
翌朝起きた時には出会った時の火傷のような痕のある顔の彼女がいた。それ一度きり、二度と見ていなかったその姿が、今すぐ隣で月明かりに照らされて立っている。幻ではと思っていたが、そうではなかった!と目だけでなく慌てて顔をそちらに向ける俺に気付いた彼女がこちらを向く...が、どうしたの?と聞いてくる彼女の顔は元通りの火傷のような痕のある顔だった。
「...ぁ」
怪訝な顔を彼女に見せてしまったのか、シャイニーが眉をハの字にし首を傾げる。俺はと言うと、目を瞬かせ彼女の顔をじっと見つめるだけだ。
...今、何が起こっていたんだ?また俺は幻を見ていたのか?いや、今のは紛れも無く実際の彼女の顔だ。
...え?今、俺は何を考えた?実際の彼女の顔?
じゃあ、今のこのシャイニーの火傷のような痕のある顔は何だ?
じっと見つめ合う二人だったが、どうして見つめられているのか分からないシャイニーが、首を傾げながら声を掛けてきた。
「どうしたの?ニー君。ウチの顔に何か付いてる?」
「...ぇ?あ。ご、ごめん。月明かりに照らされたシャイニーの顔が美しく見えたから...」
慌てて目を逸らしてそう言ってみるが、その言葉はシャイニーにはちょっと軽率だったかも知れない。彼女の顔には明らかに美しいの言葉とはかけ離れた痕があるのだから。彼女の顔がその言葉によりみるみる曇って俯く事で、失言だった事に漸く気付く。
「...ウチの顔が美しいだなんて...ある訳ないでしょ?ルー君、人が悪いなぁ。」
「いや、確かにシャイニーの顔の傷痕が消えて見えたんだ!嘘じゃない!その横顔に見惚れていたのは本当さ!」
「見惚れ...えっ?」「えっ?」
思わず言ってしまった言葉に赤面する。それはシャイニーも一緒の様だが、二人ともそう言う事には慣れていない。月光下で赤面しながら俯く二人。こういう時、もう少し経験があればと思うが、良い言葉が見つからない俺はカーテンを捲って手にしていた石を荷物の中に戻す。シャイニーもその間にカーテンを捲ってこちらの方へと戻ってきた。
するとその時、ドアをコンコンとノックする音が聞こえてきた。
「おい、何かあったのか?少し騒がしかったみたいだけど」
サフランが心配したのかドア越しに声を掛けてきた。
「あ、済みません。何でもないです」
「...本当か?シャイニーちゃん」
「あ、はい。本当に何でもないです。心配してくれてありがとう」
「...そうか。何かあれば声を出しなよ」
そう言うとまた少し離れていく気配を感じる。どうやら俺の言う事は信じて貰えないらしい。苦笑するとシャイニーも苦笑で返す。良かった。さっきのは気にしてないようだ。
「...寝るか。今日は少し疲れた」
「うん。明日は1日馬車の上だって言ってたしね」
俺が布団に入ると、ベッドが2つあるのに当然のように同じ布団に入ってくるシャイニー。折角良い布団なのに...と苦笑するも、その体温と柔らかな感触を感じてホッとする俺がいる。それはシャイニーも同じの様だ。いつも通りぴとっと俺の胸の中に納まると、じきに寝息が聞こえてくる。人の事は言えないけど、寝付くのが早いな。そんな事を思いつつ、俺も時間をおかずに微睡の中に落ちていく......
ピピピッ ピピピッ ピピピッ
微かな意識の中、耳障りな音が静寂を切り裂く。
ああ、またか。
先程、ベッドに潜り込んだばかりなのに...。
んんっ!と腕を伸ばして体を起こすと、目覚まし時計を止める俺。
「ああ、朝か。何だか寝た気がしない...」
俺は起き上がると、手早く着替えて昨夜の内に用意しておいた学生鞄を手に、ドアを開けて階段を降りるのだった。
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