001 まただ
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ウチは感じた。
この人は他の人とは違うと。
ウチは思った。
やっと物語が始まるのだろうと。
ウチは決意した。
この人に付いて行くと。
ウチは物心つく前に捨てられた……らしい。
原因は恐らく……いや、間違いなくこの顔だろう。
孤児院の中でも、ウチはこの顔のせいで虐げられ続けた。
なのでウチは人の前ではフードを被るようにした。
この顔がなるべく見えない様に。
耐えて耐えて耐え続けていた。
そして15歳の誕生日。
成人を迎えたウチはその日に孤児院を追い出された。
いや、漸く解放されたんだ。
そしてやっと止まっていた時間が進み出すんだ。
この人と一緒に…………
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♠
いつものように深睡から急激に覚醒する。
いや、夢から覚めるのだ、唐突に。
まぶたに強い光を感じると、既に日が登っている事を理解した俺はそっと目を開ける。
ああ、またか。
先程、ベッドに潜り込んだばかりなのに……。
「おはよ、ルー君。今日は1日、晴れみたいよ?」
そんな声で、眠たい目を擦り起き上がる。
んんっ!と腕を伸ばして体を起こすと、その声を掛けてきた者と目が合う。
「ああ、おはよ。何だか寝た気がしない……」
俺はトゥルース・バレット、15歳になって一ヶ月。
そして、家を出て一ヶ月……いや、家を追い出されたと言って良いだろう。
既に開けられた窓からは、強烈な朝陽が差し込んでいるので、今日は晴れだと言うその言葉に疑う余地は無い。
「ねえ、ルー君、早めに食堂に行きたいんだけど……今なら人が少ないみたいだし」
「ん……そうだな。狩人たちは夜明け前に食って出てってるだろうし、今日は町に留まるって言ってた商隊の連中はもう少し遅いだろうから……」
そう返しながら寝間着を無造作に脱ぎ始めるが、下を脱ごうとして視線に気付いた。
「……何だよ、脱ぐのを見たいの?」
「あ、ごめんなさい!いや、そうじゃなくて……その、昨日の怪我は大丈夫?」
彼女の視線の先にある腕を擦りながら頷く。
「ああ、気にしなくて良いよ。これくらいはどうって事ないさ。少し痣になってるだけだから」
「でも痛そう……。 ごめんなさい、ウチのせいで」
申し訳なさそうにそう口にする彼女の頭にゲンコツを軽く入れる。
「気にするなと何度も言ったぞ? ニーは直ぐそうやって自分のせいにするけど、悪いのはニーに石を投げ付けた奴らだからな」
「で、でも……ウチの顔を見られたのが原因だしっ痛ッ!!」
彼女がそう言い切るが早いか、今度は強めのデコピンをお見舞いする。
「そうやって自分を貶めるな! いつもビクビクしてるから面白がられるんだよ! もっと堂々としてろ!」
「ううっ! そんな無茶言わないでよ、ルー君。これでも頑張ってはいるんだよ? いるんだけど……さ」
余程デコピンが痛かったのか目に涙を浮かべて徐々にトーンダウンしていく彼女の声に溜め息を吐きつつ、これ以上はいつものやり取りになるだけだなと結論付けて背中を向いて下を脱ぐ。背中越しに、ひゃっ!と聞こえてくるが、見てる方が悪い。
「路銀が底を尽きかけてる。この町での商談を今日中に決めなければ野宿だから」
背中越しにそう言い放ちつつ素早く着替え、振り向く。そこには彼女の後姿が…… 差し込む光に照らされた金色の髪が透けて、半分隠れている左頬辺りの肌がキラキラと輝いて見える。
「……あの夜のシャイニーは幻だったんだろうか……」
ボソリと彼女に聞こえない程の声でそう口にすると、着替えが終わった事に気付いたシャイニーが振り返る。
その顔はいつも通りのあの顔だ。
そんな事を思いながら彼女の顔を見ていると彼女が首を傾げるので、慌てて荷物を背負いドアを開ける。
「あ、待って! ウチも一緒に行くから!」
そう言って残りの手荷物を手に駆けてくる彼女を見て、顔を歪めた。
「……俺はどっちでも良いけど……そのまま行くつもり? シャイニー」
「え? あっ! ごめんなさい!!」
そう返しつつ慌ててフードを深く被る彼女はシャイニー、やはり15歳になったばかりだ。
シャイニーは人前に出る時、その顔を隠す。それは孤児院にいた時から、だ。顔を見られても平気なのは何故か俺にだけだった。
シャイニーと知り合ったのは俺が家を追い出されてじきだ。通り掛かった最初の町の孤児院の前で、シャイニーが放り出されている場面に出くわしたのが切っ掛けだ。自分もだが、彼女も厄介者扱いだったようだ。
厄介者扱いされたその理由は……言うのも嫌気がさすので省略。
「おや、今夜は泊まらないのかい?」
「……優雅に泊まり続けるのも良いけど、次の町が俺たちを待ってるからな」
ふっ。流石俺。カッコいいセリフを吐いたぜ! と言いたいところだけど、本当は精一杯の強がりだ。だってもうお金が尽きかけてるから。カッコ悪い。
それにここ、あまり良い宿とは思えなかった。もしこの町に留まるとしても、この宿に泊まるのはこれで最後にしたい。
「おや、そうかい? それは良かった。このままだと客が嫌がってウチが潰れちまうところだったからね」
「……ああ、そうかい。そりゃ悪かったな。”俺たちがいなくなりゃ大儲けできる”な」
宿屋の女将からのこんな嫌味が出るのは、連泊していた客が昨日急に宿を変えると言って出ていった腹いせだろう。御者や小間遣いをも引き連れた大人数のその客は、元々はあと3泊する予定だったらしい。
そんな上客を突然失った女将は昨日その客が出て行く前に泊まりに入った俺たちのせいにして、こうして嫌味を言ってくるのだ。そんなの知らんがな。チェックインした時にフードに隠れたシャイニーの顔を見た女将の顔が歪んでいたのも関係しているのかも知れない。そのせいか、昨晩の晩飯は不味く感じた。いや、感じただけではなく実際に美味くなかったのだ。
その料理を出された時に、ドスンと無造作に置かれてソースが跳ね服に付いたのだが、悪びれる風でもなく立ち去って行った。入れ替わりで出て行った別の宿泊客の様子から食事には期待していたのだが、一口スープを口に含んで顔を顰めてしまった。薄い。量もそれ程多くはなく、味付けも何だか物足りない。先程の商隊の一団だと言う客たちの満足そうな笑顔は何だったんだ?と首を傾げる程だった。
そう昨夜の出来事を思い出して溜め息を吐きつつ、出された堅くボソボソのパンと味の薄く具の少ないスープを口にする。食堂の入口に商隊のリーダーらしき男がこっそり様子を見ているのに気が付き、声のトーンを落としてシャイニーに話し掛ける。
「この町の宝石屋は2軒…… 昨日見て回った限りでは、あまり品揃えは良くなさそうだったな。次の町までの繋ぎ程度に屑石を出す程度にしよう。でも見る目の無い店主だったら、この町で売るのを諦めよう」
「……」
向かい合って座る彼女から返答の言葉は返って来ない。勿論、聞いていない訳ではないのだが……。
「……ったくお前は。他人の前に出るととたんに口数が少なくなるな。ちったあ会話に付き合えよ」
そう悪態を吐いてみたが、それには少々意見があるようだ。
「だって……ルー君、人前では口調が……態度が変わっちゃうんだもん」
確かに、二人でいる時と人前に出た時とでは口調も態度も違うが、それはお互い様だろうと溜め息を吐く。シャイニーだって、普通に話し掛けたところで人前では口数は少なくなるだろうが、と。
ただシャイニーと違い、人前で口調が変わるのには理由がある。ひとつは自分の持つ商材が特殊な物なので、弱々しい態度を取っていては良からぬ者に目を付けられ易くなると思ったからだ。自分なりに考えた自衛策である。本来であれば護衛付きである事が望ましいのだが、放り出された身なので、そこまではしない。
両親からは微々たる路銀と、ちゃんと売り捌く事が出来れば中古の小さな家が買える位の商材を渡された。一言添えられて。
~その儲けを元に、どこかで暮らすも良し、商材を仕入れにまた戻ってきても良し~
だが仕入れに戻ったとして、その元手は売上金からである、と釘を刺されている。以後は商材の仕入れにしても、その商材の売買は親子ではなく対等の立場でしか交渉しない、と。なので商材が売れたからと言って使い込んでしまったり、野盗に襲われ奪われてしまえば、後は野垂れ死のうと関知しないと両親に申し渡されている。
だが俺としては、それだけでも十分な条件だった。何しろあの商材の仕入れに関する交渉権までは奪われていないのだから。
「ったく、しゃあねぇな。兎に角、午前中に2軒とも声を掛けて見て、反応の良かった店には午後にもう一度当たる事にすっか」
「……一度じゃ駄目なの?」
「本当なら何時間も掛けて交渉するんだけど、まだ俺にそんな交渉力は無いからな。仕方ねぇから数回に分けるんだ。交渉する価値があれば野宿してでも何日か掛ける事になるから覚悟しろよ?」
その言葉に、深く被ったフードの中で諦めの溜め息を吐くシャイニー。どうやら折れてくれたようだ。
彼女の顔には焼け爛れた様な醜い痣のような痕がある。
その痕は額から右頬に掛けて、ほぼ顔半分に及んでおり、鼻先や右目、右頬の周りがそれに侵食されていて人からの印象を酷く悪いものに変えている。
孤児院に預けられる際に医者の診断を受けたところ、驚く事にそれは火傷等ではなく元からではないかとの事であったそうだ。それが本当であれば、生まれながらの痕に両親は戸惑ったに違いない。そして育つにつれそれが治るどころか、見るに堪えられなくなり……。
そんな捨てられた理由が容易に思い浮かぶ事に不憫でならない。そして周囲の者たちはそんな事すら思う事なくシャイニーを虐げ続けてきたのだ。そんな不遇な生い立ちの彼女に声を掛ける様なモノ好きは誰もいないだろう……。
俺もその内の一人だと思うのだが、何故か今、彼女と一緒にいる。それも俺が家を出る際に餞別として貰ったなけなしの路銀を使って、二人で飲み食いをし夜を共にする。
宿がない時は野宿となるのだが、基本焼くことしか料理の基礎がない俺に対して、シャイニーは様々な料理が出来たのは嬉しい誤算だ。食材の買い出しにしても、パンと肉類に塩味しか頭に無かった俺。対して、シャイニーは様々な野菜類や調味料、時には果物も買い込んで行く。当然のように調理器具も増えた事で荷物も増えたが、元々荷物の少なかった身だ。この位は許容範囲である。
そして寝具。雨露を避ける為のテントを自分の物だけでなくシャイニーの分も買い足そうとしたところ、彼女に止められた。荷物になるし、お金を使うのが勿体無いと。男女別が当たり前と思っていたが、孤児院でも同じ部屋だったから平気だと押し切られた。確かにその方が身を寄せ合うので、冷える夜も温かく直ぐに寝る事が出来る……のだが、女性らしい柔らかい感触に俺がいつまでも平気ではいられないような気がする。まあ、ある理由から余程の事が無ければ俺がシャイニーを襲う事は無いと思うけど。逆に言えばその理由により彼女が俺の寝込みを襲うなり、荷物を持ち逃げされる可能性の方が高いと言える。
そんな事を思いつつ、噛み千切るのを諦めたパンを薄味のスープに浸して口に放り込む。いつの間にか様子を見ていた商隊のリーダーらしき男は姿を消していた。
とても腹を満たしたとは言えない朝食を食べた俺たちは、その宿を後にすると遠い方の目的の店を目指す。近い方の店では時間的に早過ぎる為だ。のんびりと歩いていけば開店に丁度良い時間帯だろうから。
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