019 牧場
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「さあ、着いたよ。」
門の中に入った馬車のスピードが徐々に落ちて止まると、御者台からサフランさんが振り向いて声を掛けてきたのを聞いて、アガペーネさんとエスピーヌさんが先に馬車から降りる。それに続いてルー君が降り、ウチもそれに続いた。
...ここが牧場かぁ。とても広いね。
厩舎が何棟も建っているけど、半数はとても古そう。それだけ歴史があるのかな?それにこれだけ沢山、大きな厩舎があるって事は、お馬さんも沢山いるんだろうね。
周囲を見れば、柵の中にももう一列の柵があって幾つかに分けられている。その中のひとつの柵内に様々なお馬さんが走り回っているのが見える。これだけ広いと伸び伸びと走り回れて気持ち良さそう。他の柵では小さなお馬さん、大きなお馬さんたちが分けられて、のんびりと草を食べている。あ、あっちの柵にいるお馬さんたちは親子かな?大きなお馬さんにそっくりな可愛い小さなお馬さんがぴったりと寄り添ってる♪
「へぇ~。結構大きな牧場ですね。郊外とは言え、王都にこんな広い土地を確保できるなんて...」
「ああ。元々はこの牧場も街からは離れていたんだよ。でも段々と街が広がってきて今では牧場の周りにも家が建ち始めたんだ。大きな音に驚く馬もいるから勘弁して欲しいんだけどね」
「じゃあ、この牧場はかなり古くからあるんだ...」
「そうだね。元は個人経営の牧場でね、経営が良く無くて潰れそうだったのを、商会が出資して取り込んだのさ」
エスピーヌさんの説明にルー君もウチも首を傾げた。人が増えてる王都でこれだけの規模なのに、経営が良くなかった?普通ならお客さんが増えるんじゃないの?
「ははは。疑問に思うのは当然だよね。元々この牧場では農耕馬を主体に運営してたんだ。だけど、ある時、軍から軍用馬の育成の依頼が来てね。で、それを受けたんだけど、軍用馬を育てる知識が無いから農耕馬の取り扱いを止めてまで軍用馬に力を注いでね。目出度く軍用馬の育成には成功して納める事は出来たんだけど、気が付けば農耕馬が一頭もいない。馬は生き物だから少し多く育てておかないといけなかったんだけど、一気に収めた軍用馬が次に発注が来るのはいつになるか分からない。しかし、残った軍用馬の飼育代は掛かる。しかも覚えの良い若い馬を先に収めたので、残った馬は歳を取っていくばかりで商品価値はどんどんと下がっていく。折角特別訓練を施しても老馬を戦場に向かわす事は出来ないし、そんな馬を一般に売る訳にもいかないからね。慌てて他の馬種を育てようとしたものの、既に牧場は火の車だったって訳さ」
「え?でも軍に収めたって事は結構な収入もあったんでしょ?またどうして...」
「軍用馬を育てる為に借金をしたようでね。それを返してトントン。当初、軍用馬のノウハウが無くて沢山人を雇ったから、思った以上に人件費が掛かったんだよ。牧場を立ち直らせようと銀行に掛け合ったんだけど、売れる見込みのない軍用馬しか残っていなかったから、回収できないだろうと銀行が判断してしまってね。その頃の牧場には郊外の外れという事で土地の価値が低くて担保にもならないからと、ね」
ええ~、それは気の毒な...。 苦労して何も残らなかったなんて...。
「銀行も酷いな。それまで散々儲けただろうに。金の切れ目が縁の切れ目...という事か」
「そういう事だね。まあ、銀行も慈善事業じゃないからね」
「うむ。だからこそ、我が商会が手を出せたとも言える。丁度事業を拡大しようとしていた頃だったから、お互い幸運であったよ。牧場の者もそのまま仕事に就いて貰えば、新規で興す事を考えると随分と楽だしな。その頃の牧場に足りなかったのは経営力であって、ノウハウは十分にあったんだよ。だから経営は我々に任せて貰い、馬を育てる事に専念して貰ったんだ」
ルー君のぼやきにエスピーヌさんが溜め息を吐くと、アガペーネさんが胸を張って答える。へぇ。その出来事は牧場の人たちにとって、悪い事ばかりじゃなかったみたい。ここにいるお馬さんたちを見る限り、伸び伸びとしててとても気持ち良さそうだから。牧場の人たちが辛そうなら、お馬さんたちにもそれが伝わってこんなに伸び伸びとはしないだろうから。
「今では馬の種類も多岐に渡って揃えているから、それなりの要望に答えられると思うよ」
エスピーヌさんがアガペーネさんをチラリと見てホッとした表情を見せながら、その品揃えの良さをアピールする。あ、そう言えばエスピーヌさんって、人の本音が聞こえるんだっけ。て事は、アガペーネさんの今の言葉には裏がなかったって事で、昨夜のような事になる恐れは少ないという事なんだ。
...安心しても良いのかな?いや、でもそれが作戦かも知れないから油断は出来ないよ?ルー君はウチが守(ry
ウチがむんずと掌を握って決意していると、厩舎の手前にある建物から年配の男の人が出てきた。
「これはこれは、アガペーネ商会長にエスピーヌ常務。サフランさんも、お久し振りでございます。そちらの方々はお客様ですかな?んん?」
ひょいと三人に隠れていたルー君とウチを見て、首を傾げる牧場主。うん、こんな若い子がお客さんだなんて、首を傾げたくなるよね。ところで何でここに来たんだろ?お馬さん選びがどうこう言ってたんだけど、ウチ、何も聞いてないからチンプンカンプンだよ?お馬さんを見に来ただけなら、とても忙しそうなアガペーネさんはいなくても良かったよね?
「ああ。大事なお客さんを連れてきたよ。馬をご所望だ」
...え?今、何て言ったの?お馬さんを...ゴショモー?ゴショモーって、まさかご所望?ご所望って...欲しいって事だよね?えっ?ルー君、お馬さんを買うの!?
目をぱちくりさせながらルー君を見るけど、言い正そうとはしてない所を見ると本当にお馬さんを買うつもりみたい。ええっ!?
「ほう、そうですか。それはそれは、ありがとうございます。私はこの牧場主のランクです。まあ、牧場主と言っても雇われの、ですがね。はははは。それで、どのような馬を?」
「ああ...今、二人で旅をしているんで、二人と荷物が乗っても大丈夫なのが良いんだけど...将来的には馬車を牽かせたいかな?」
「ほう、そうですか。お二人とはそちらのお嬢様と?」
お!?お嬢様!?ええっ?誰の事?ウチとルー君以外にも女の人が!?
キョロキョロと周囲を見渡すけど、いるのは女性ではアガペーネさんとサフランさんとウチだけ。サフランさんはルー君とは特に何も無かったし、今もそんな雰囲気ではない。それに護衛のお仕事があるし...。 とすると...も、もしかしてアガペーネさんと!?何時の間にそんな話に!?
い、いや...今まで言い寄っていたんだから、ウチの知らない合間にそんな話をコッソリとしていたのかも知れない。特に昨夜の食事の時。あの時のアガペーネさんは尋常じゃなかった。何か色々とルー君に耳打ちをしていたような気がする。きっとあの時にお馬さんを買って二人で旅をしようとか約束をしていたんだ!だから今、アガペーネさんは平然としていられるんだ!
ど、どうしよう...ウチ、このまま見てるしかないの?このままじゃ、ルー君はウチを捨ててアガペーネさんと二人で旅に出ちゃう!でも今、ウチが騒いだところで何かが変わるとも思えないよ!ウチはどうすれば...。
「ええ。今はまだ荷物もそんなに多くないけど、そのうち段々と増えてくると思うので、自由に出来るお金が貯まったら馬車にしようと」
「フム。お二人は随分と若く見える。体も見るからに軽そうなので、愛好馬や競走馬でなければ、どの種を選んでも乗れはしますでしょう。しかし、体が成長して体重が増えてきたり、荷物が重くなって来ると、そのまま乗るにはある程度は種を絞る必要があります。更に馬車を牽くとなると...その時に馬も入れ替えるかどうかで選び方は変わってきますね」
...若くて...軽そう?
え?ちょっと待って?少し(?)失礼かもだけど、サフランさんは護衛という事もあって体つきから装備に至るまで軽さとは程遠いと思う。そしてアガペーネさんは...女のウチから見ても目が行ってしまうくらい迫力のあるあのお胸、そして柔らかそうで豊かな体...軽くは...無いように見えるんだけど。
じゃあ...あれ?もしかして、ウチの事?
「ん?シャイニーちゃん、今、何か失礼な事を考えなかった?」
「む。私もそう感じたのだが...」
ウチは二人の問いを全力で否定する為に、ブンブンと大きく首を横に振った。
ふぇ!?な、何で分かったの~っ!?
「う~ん、馬を用途に応じて買い替えていく、って事か。確かにその方が効率的かな...」
「ええ。最初に荷物だけを載せる為にロバを購入されていくお客様も多いですね。そして数年経ってから大きな馬や馬車に替えられてます。ただ、その時に良い馬がいれば良いんですが、上手く見付からない事もありますので...予算が許せば将来を見据えて最初から良い馬をご購入される方もいらっしゃいますね」
「う゛っ!う~ん...予算か...。 あるって言えばあるし、ここで奮発すれば後々苦しくなるかもしれないし...どうしよう。どうすれば良いと思う?ニー」
突然、ルー君がウチに意見を求めてきた。えっ!?ウチ?ウチに聞いてくるの!?そんなの分からないよ?お馬さんなんて今まで縁が無かったし、そもそもお馬さんを買うなんて聞いてないし。
返答に困っていると、エスピーヌさんが助け舟を出してくれる。
「まあ、先ずは基本的な事の確認からかな?トゥルース君は馬に二人で乗って移動する事を想定しているんだよね?最初は馬に荷物を持たせるだけとか、最初から馬車は想定してないのかい?」
「う~ん、先ずはそこからですよね?ハッキリ言ってまだ予算も含めて何も決めてないんです。ただぼんやりと、旅をするなら馬が欲しいなぁ位にしか...」
「ふむ。すると馬の飼育方法とかもまだ?」
エスピーヌさんの問いに頷くルー君。そうか...ルー君もウチと同じでお馬さんの事は知らないんだ。
「では、その辺りの話からかな?馬は生き物だから、人と同じように飲み食いもすれば宿でもお金が掛かる。維持するにもお金が掛かるからね。そこを頭に置いとかないとじきに維持できなくなってしまうからね。馬車だって維持費が掛かるからね」
...そうだよね。お馬さんは可愛いけど、餌やお水も必要だし、もしかしたら病気になっちゃうかもしれない。怪我だってするかもしれないんだ。それに、そもそも...
「ねぇ、ルー君。お馬さんを飼うの?ウチ、お馬さんの事は何も知らないよ?ルー君は?」
この質問には隠れた意味がある。ルー君がお馬さんを買っても、ルー君はウチと一緒に旅を続けてくれるのかどうかを暗に聞いているんだ。もしこれからの旅にウチが一緒じゃないのが前提なら、ウチがお馬さんの事に詳しくなくっても問題無いから、ルー君の答えはウチを否定する事から始まると思うんだ。何を言ってるんだ?とか、そんな事は問題じゃない、とか。そんな言葉は聞きたくないけど。
ねぇ、ルー君はそんな事は言わないよね?ウチ、一緒にいて良いんだよね?
「ん?二ーに言って無かったか?」
え?言って無かったって、何を?もしかして王都で二人の旅は終わりだって事?や、やだよ?そんなの絶対嫌だよ?
「荷物も増えてきたし、進む速度ももう少し速めたいから、馬か馬車での移動にしたいなって。ほら、途中からエスピーヌさんたちの馬車に乗せて貰ったから、一気に進む事が出来ただろ?だから...って、どうしたんだ?何で泣いてるんだ?」
ふぇ!?あ、あれ?何でウチ、涙が?さっきまで悪いように考えていたから?それとも、まだルー君と一緒に旅を続ける事が出来るから?どちらにしてもウチ、嬉しいよ!
「う~ん、やっぱりニー、今日は変だよ?休ませて貰う?」
「ううん。大丈夫だよ。ちょっとおかしな事を考えちゃって...うん、もう平気だから」
「おかしな事?またニーは自分を貶めているんか?いい加減、その癖を治せよ」
ウチが涙を拭いながら答えると、ルー君が原因を指摘してくる。それは出会って暫くしてからずっと言われていた事で...
うん、分かっているんだよ?分かっているんだけどね、もうずっとこうだったから。そう簡単には直らないんだよ。
はぁ、と溜め息を吐いたルー君。
「まあ、大丈夫って言うんなら良いか。それで、馬の世話だけど、俺もちゃんとは知らないから、ここで教えて貰う事になる。だからニーも一緒に聞いて覚えていってくれよ?」
それを聞いて少し不安になるけど、荷物が増えて二人で背負えるかが怪しい事はウチも薄々感じていた。いつもなら自分たちで運べば良い、無駄遣いだから止めようと言うところだけど、その荷物の増えた理由の一端がウチの服のせいだから言うに言えないよ。
こうしてウチとルー君のお馬さん選びが始まった。
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