013 甘い誘い
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「おおっ!こんな方法が!?」
燭台の火だけが頼りになり薄暗かった小部屋の中に、青白い炎がふたつ立ち上がって揺らめく。近くにあった燭台を少し遠ざけると、それまで青く怪しい光を照り返していた石が昼の色である赤色へと染まった。
アガペーネがエスピーヌに持って来させたのはアルコール分のきついラム酒だ。それを小皿に少量移して火を点けると、青白い炎がゆらめいたのだ。
「ふふふ。やはり変色石は面白い。こうして楽しむ事が出来るからね。さあ、記念に一杯飲もうじゃないか」
アガペーネがグラスにラム酒を注いで手渡してきたのを止める。
「いや、俺たちまだ15だから。お酒はまだ...」
「ん?私が15の時はガブガブとはいかないまでも少しは飲んでいたよ?でもそうだね...いきなりラム酒では少々きついか。ならこの火を点けてアルコールの飛んだのであればどうだい?」
まだ青白い炎の点いていた小皿にもう一枚の皿を被せて火を消すと、それを俺に差し出してきた。そしてアガペーネは、もうひとつの青白い炎を立てる小皿も同じように火を消してシャイニーの方へと差し出す。気が付けば赤く染まっていた石は、光源を失って青色に変化していた。
「さあ、乾杯をしようじゃないか。これだけの額の商談は新規としては久し振りなんでね、とても気分が良い。」
「...会長、まさか変な事は考えてないよね?トゥルース君もシャイニーさんも、無理だと思ったら飲まなくて良いからね?」
乾杯しようとアガペーネがグラスを突き出すので、じゃあ一口だけでもとその小皿を手にすると、エスピーヌがアガペーネに牽制の目を向けつつ、俺たちに声を掛けてきた。まあ、初めてのお酒なので最初から味見だけのつもりだ。それに火の勢いは随分と弱まっていたのでアルコール分も弱くなっているだろう。目を合わせた俺とシャイニーは、アガペーネに誘われるままにその小皿を同じく突き上げて乾杯する。
少しだけ舐めてみるとやはり少々アルコール分を感じるが、飲めない事は無さそうだ。クイッと少量だったその小皿を空にする。甘い香りが鼻を突き抜けるのに、苦い...いや、辛いと言った方が良いのかな?これが大人の味か。隣を見るとシャイニーも飲んでも大丈夫と判断したのか、小皿に口を付けて飲み干していた。
それを見たアガペーネは目を細める。
「うん、良い味のラム酒だ。胃にキュッと来る。さて、出来れば今後も、と言いたいところだけど、これだけの量を持ち込んだ上に馬が欲しいという事は暫くは此処へは戻ってこないって事かな?勿論更に持ち込んでも変わらず値は付けるけど...どうなんだい?」
「そうですね...今後については何も決めてはいないけど、今まで村を出た事が無かったので世界を見て回りたいとは思ってます。なので国外に出る事も考えようかと。でも石の仕入れがどれだけ出来るかにもよるかな?少しの間はこの国内を回るかも」
「そうか...なら、旅先でザール商会を見掛けたら立ち寄って欲しいな。こちらからも支店には通達を出しておくが、この木札を渡しておこう。これがあればザール商会ではお得意様扱いとなる。だからと言ってあまり虐めないでくれよ?」
くくくっと笑いながら差し出してきた木札を見ると、アガペーネとエスピーヌのサイン入りだった。成る程、この二人が認めた相手だと証明されるという事か。これは良い物を貰ったな、と有難く木札を受け取ると荷物の中へと仕舞い込んだ。勿論、これが第三者に悪用されないように俺の名前入りだ。
「さて、あまり遅くなるのも悪いから、宿へ案内しよう。直ぐそこだから歩いていけるよ。夕食も手配済みだからね」
そうアガペーネが言うと、小部屋の扉を自ら開ける。廊下にも燭台の火が入り、薄暗くはあるが問題は無いようだ。
「...トゥルース君。こういう時は、男が女性をエスコートするものだよ?荷物はサフランが持つから、心配しなくても良いからね」
「えっ!?エスコート!?」
荷物を持ってアガペーネに付いて行くつもりだった俺たちに、後ろからエスピーヌが声を掛けてきた。確かに今、俺たちの姿は正装に近い格好だ。それに王都の、それも中心街にある宿への案内である。普通の安宿である筈が無い。まさかそれをも見越してこの服装を勧めてきたのか?と驚く。エスピーヌは中々の戦略家の様だ。
俺は緊張しながらも言われるままに腕をシャイニーに差し出すと、やはり緊張しているのか顔を紅くして戸惑いながらも腕を絡めてくる彼女。二人とも初めてなので、随分とぎこちないものだったが、それでも何とか入って来た裏口から出ることが出来た。店の方は日暮れで閉店しており、表からは既に出られないからだ。
外に出るとその開放感からか、ぎこちなさが幾分抜けてリラックスして歩けるようになってきた。慣れないであろうハイヒールを履いたシャイニーの歩調に合わせて歩く。どうやら彼女も緊張が抜けてきたようだ。
先を歩くアガペーネとエスピーヌがすぐ近くの建物へと吸い込まれていくのを追いつつ、腕を組む少女とほんの僅かな散歩を楽しむ。空には満月が昇ってきていた。
前を歩く二人に続いて目的地だろう建物に入ろうとし、ふとシャイニーの方に目を向ける。
そこには着飾って化粧をした、薄っすらと笑みを浮かべた美しい姿の彼女の姿が。ここまでの短い距離で、すれ違う人々がチラチラと見てくるのに気が付いてはいた。空は暗くなっていたが、王都の中心街だけあり外灯で顔を認識出来る位は明るいので、彼女の姿を見た人々が一体誰なのだろう?と見てきていたのだろう。
が、俺はその姿を見て思わず息を飲んだ。
そこには昨夜にも見た気がした火傷のような痕の無いシャイニーの顔が。しかも今日は化粧をしていて、昨日の比ではない美しさだ。今度は見間違いではない。額や目元の爛れたような痕が全く無いのだから。歩を緩めた俺を引っ張るような形になり、つんのめった彼女が訝しむように覗き込んでくる。
「ん?どうしたの?ルー君」
「...いや、何でもない。何でもないよ、ニー。さあ、入ろう。」
だがそこには、先程までと同じ化粧で痕を誤魔化した彼女がいた。
ついさっき見たシャイニーは本当に美しい、誰の目にも可憐に映るであろう姿だったのだ。しかし今、その姿は見られない。
一体どうして... 何があったんだ? どうしたらその姿が見られるんだ?
考えたところで分からない事だらけだ。そう言えばエスピーヌが呪いの話をしていたけど、本当にシャイニーにも呪いが掛かっていて、それが解ける事があるのか?いや、その呪いが本当にあったとして、彼女の本来の姿はどちらなんだろうか?そんな事を本人に聞いたところで本人だって分からないだろう。
「...何か変だよ?ルー君。やっぱりウチの顔、変?」
宿の中に入っても上の空の俺が気になったのか、シャイニーが顔を歪ませる。折角、化粧をしたせいか良かった彼女の機嫌を損なう訳にはいかないと、俺は慌てて繕う。
「いや、そんな事は無いよ。その逆だよ。ニーがこれほど変わるだなんて思ってなかったから、少し戸惑ってるんだ」
するとシャイニーはその意味が直ぐには分からなかったのか、首を傾げた後にみるみる顔を赤くして俯く。顔を隠そうとしてフードが無い事に気付くと、ワタワタとして後ろを付いてくるサフランの方を見るが、サフランは何があったのかよく分かって無いようで首を傾げた。
「さあ、チェックインは済ませたよ...って、どうしたんだい?」
受付で手続きを済ませてくれたアガペーネとエスピーヌが振り向いて声を掛けてきたが、様子のおかしい俺たちを見て首を傾げる。何だこれ。首を傾げる人に囲まれてしまったぞ?
それから荷物は先に部屋に運んでもらうよう宿の係員に預けると、食堂へと皆で移動する。夕食はこのメンバーでとるようだが、会長のおごりだそうだ。心なしかサフランが喜んでいる気がする。
「さあ、改めて乾杯しようか。食前酒のワインはラム酒よりアルコールが弱いし、少量だから問題ないよね?勿論気に入れば別途ワインを用意させるから、遠慮なく言ってね」
「そう言いつつ、会長はいつものワインを注文するんでしょ?」
「む。バレたか」
その一言で笑いが起こるのを見ると、どうやらいつもの事の様だ。釣られて俺も笑うが、隣のシャイニーも慎ましいながらも笑っていた。そう言えば彼女って俺以外の者の前で笑顔を見せた事ってあったっけ?いや、それは問題ではないから良いか。流石は大商会の会長という所か。和ませるツボを分かっている。
「では、出会いと商談成立を祝して...乾杯!」
「「「「乾杯!!」」」」
クイッとグラスに口を付けると、芳醇な香りと共にほんの僅かな渋みを感じるがとても軽くて飲みやすい味だった。あ、これなら飲めそうだ。隣のシャイニーを見ると、やはり飲みやすいと感じたのか、少し驚いた顔をした後に表情が緩む。
早速、テーブルに置かれた最初の一皿に手を付ける。何か可愛らしい料理がスプーンに乗っているので、そのままそれを口に運ぶ。
瞬間、生ハムの強い塩気と香り、そして特徴のある甘く柔らかな食感が口の中で躍る。この味は...桃?うん、これはワインに合うよう桃と生ハムの大きさが調整されている。甘過ぎず、しょっぱ過ぎず。もうこれだけで此処の食堂の良さが分かる。思わず残っていたワイングラスを空にすると、どうやらシャイニーも気に入ったのか顔を緩めてグラスを空けていた。
「どうだい?ここは泊まる者だけでなく、食事だけの客にも人気なんだよ。時に国外の要人も泊まる程の宿だからね。この後も期待してくれて良いよ。さあ、次の料理が出てきた。私はワインを飲みながら食べるとするけど、二人もどうだい?」
上機嫌なアガペーネが問い掛けてくるが、俺は驚いていた。この宿は国賓クラスも泊まるような高級宿だったのだから。そんな所には、自分たちだったら先ず泊まらないだろう。聞けば浴場も完備しているという。安宿では滅多な事では浴場なんて無い。あればそれだけで客寄せになる位だ。宿泊代の事は気にするなと言われたけど、この食事代も合わせていくらするんだろうと気になってしまうのだ。
そんな俺にアガペーネがどうしたんだ?と聞いてくるが、どうも俺たちが驚いているのを楽しんでいるようだ。ニヤニヤとしている。くそっ!態と教えたな?こんなの飲まずにいられるか!と、大人が言うのが分かるよ。
「さっきのみたいな飲み易いワインを貰えますか?」
「...ルー君、大丈夫なの?」
「ああ、さっきのワイン位ならアルコールも少ないのか飲み易いから。ニーはどうする?」
少し心配気味なシャイニーに、俺は大丈夫だと伝えると、じゃあウチも少し、と追随の言葉を発する。
二人の返事に更に気を良くしたのか、アガペーネがエスピーヌやサフランにもワインを勧め、出てくる料理に舌鼓を打ちながらグラスを空けていく。俺たちも少しずつではあるが、嗜む程度にワインを口にしながら前菜である様々な具の乗ったチーズや、コンソメスープ、パンを口に運ぶ。勿論、それらは今までに口にした事がない位に美味しいものであり、皆で顔を綻ばせるのだった。
その後、魚のムニエル、ソルベにはリキュールの入ったシャーベットが出てきて俺たちを驚かせる。
「ふふふ。良い反応だね。驚いたかい?(それにしても意外だねぇ。二人とも多少の迷いはあったけど、作法が全く分からない訳ではないようだね)」
俺とシャイニーの驚く顔に満足しているようだ。
今の時期、冷やす為の氷は北の高山や燐国から取り寄せる必要がある。そこまでして?と考えていると、近くで大きな地下を掘って氷室にし、冬に雪をかき集めているそうだ。最早、開いた口が塞がらない。
ふと見ると、エスピーヌはサフランとワインを飲みながら楽しそうに歓談していた。酒が入り随分と気が弛んでいるようだが、それはこの宿に入った事でその使命の必要が無くなったからだろう。この宿には専門の護衛があちこちに就いており、館内の安全を保障しているのだから。
そしてシャイニーは余程ソルベが気に入ったのか、ふわふわと揺れながら幸せそうな顔で少しずつシャーベットを口に運んでいた。
「さて、トゥルース君。この食事の後、私と今後について二人きりで話をしないかい?」
生クリームで真っ白に仕上げられた柔らかな仔牛とホクホクじゃが芋のフリカッセを口に運んで顔を綻ばせていると、アガペーネがこそっと声を掛けてきた。先程から少し顔が熱くなり頭がボーっとなっていたので、ふぇ?と男らしくない生返事を返してしまう。今後について?いや今後も何も、暫くは方々を旅するつもりだから王都へは暫く来れないと思うんだけど?さっき話したよな?と思うも、それ以上の事が深く考えられない。どうやら少し酔ったようだ。だが、それ程飲んでないと思うので、悪酔いではないと思うんだけど...。
そんな事を考えつつも、頭がふわふわとして考えが纏まらない。ふわふわ?そう言えばシャイニーも先程ふわふわしながらシャーベットを口にしてたな...と思い出していると、アガペーネがテーブルに肘をつきこちらに寄って来た。や、ちょっ!む、胸元から谷間の奥が見えて、ちょっと目の行き場が無いんですけど!?
「ふふふ。どうしたの?トゥルース君。顔が真っ赤だよ?少し酔っちゃったのかしら。ねえ、私も部屋を取ろうかしら。この後、二人っきりで話をするにも都合が良いし、ね?」
ツツッともう一方の手が俺の太腿を這い、耳元で甘い声を溢す。頭の中がクラっとして目にパチパチっと電気が走ったような気がしたが、それに抗う術を俺は持ち合わしていない。甘い息が俺を包み込んでいく。
これが大人の女性の誘惑と言う物なのか。このまま俺はアガペーネに為すがままにされるのだろうか?
遂に太腿を這っていたアガペーネの手が、股の奥に入り込んできた。正になすがままに翻弄され続ける。目の前にはシャンデリアの火に妖しく照らされた彼女の妖艶な赤い唇が、何度も俺の頭をクラクラさせる言葉を紡ぐ。
既に俺は彼女の発する言葉が理解できなくなっている。これは酔っている為だろうか?酔っている?何に?アルコールに?彼女の発する香りに?彼女の言葉に?
体が、頭が、痺れたように絆される。
腕に何か温かくて柔らかいものが絡みついてくるが、頭が全く働いていない。ええっと、何だっけ?どうして俺はここにいるんだっけ?
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*お酒は20歳から!
何故か評価と感想がブックマより先に付いた本作品w
意味分かんないよw
いや、ホントに有難い話ですけどね、ブックマーク付けずにこっそり読んでいる人が多いって事で。
...ブックマ、お願いしまーす!(本音
ところで今日のはR15に収まってるよね?
次話もR15に引っ掛からないよね?gkbr