012 片鱗を見せる少女
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「ん?何だ、言ってみてくれ。可能な範囲で対応するよ?」
俺の問い掛けに、アガペーネが笑顔で答える。俺はそれを見て駄目元で聞いてみる事にした。
「その...暫くの間、移動は徒歩でと思っていたんですけど、馬があればな~とも思っていたんです。もしかして馬の取り扱いは...流石に無いですよね?」
「...あるよ」
「ですよね~、流石に商会で馬だなんて...ってあるんですか!?」
「まあ、店先に並べる訳にはいかないから、郊外の牧場になるけどね。馬具はこの店にもあるけど、牧場でも買えるようにしてある。馬車もだね」
商会で馬...本当に何でも扱っているんだな、と只々驚く。聞いてみると老馬なら5万ウォル程度、血統の良い競走馬になると数千万にもなるが、今はそんな馬はいないとの事。一般的には10歳馬あたりの30~100万ウォルの馬が買い易く人気だという。このあたりだと既に人にも慣れ、馬車を牽く経験も積んだ馬が多いので扱い易いそうだ。馬の売買はそれなりに件数があるそうで、随分と前から牧場は存在していて、商会でも事業拡大する中で取り扱い始めていたとの事。
それから、餌代等で一頭当たり年50~100万ウォル前後掛かるので維持費の事は忘れないように、と釘を刺された。馬車も然り、だ。只、餌代は町中で飼う場合の話である。郊外へ出れば、そこいらの食べられる草の生えている場所で休憩すれば良い。注意するのは食べられない草を食べないように見ておく(事前に抜いておく)事が大事だという。
「ふむ。では馬は明日にでも見に行くとしよう。今日はもう日が暮れるからね。さて、お代はどうする?今日この場で支払っても良いが、銀行がもう閉まっているから個人で持ち歩くには不用心だ。明日でも良いかい?宿はこちらで手配しよう」
「そうですね...じゃあ、明日でお願いします。銀行の口座を作らないといけないし」
「む。新規口座をか。ではそれもこちらで手配しよう。懇意にしている担当者を通せば、手早く処理して貰えるからね。それに恐らく上客となろうから、紹介したこちらにもメリットが生まれよう」
ニヤリとするアガペーネ。至れり尽くせりかと思い恐縮したが、持ちつ持たれつなのであろう事を漏らす。それなら頼み易い。素直にお願いする事にした。
「良し、決まりだ。エスピーヌ、契約書を。」
「え?契約書?」
「この金額だ、当然だろう。それに今晩一晩、石を預かる事になるしね。翌日になってやっぱりやめる!値段が違う!と言い出す者も少なく無いし、預かった商品に何かあった場合の責任の所在の確認にもなる。勿論、こいらが預かる手前、その時の責任はこちらになるから一方的な物ではないからね、安心すると良い」
成る程、今まで契約書なんて目にした事が無かったから思わず狼狽えてしまったが、双方が揉めないようにする為の確認の為であるのか。それなら納得だ。
エスピーヌが一度退席し戻ると、用紙に商品の内容(石の大きさや数と値段)を書き込んでいく。どうやら雛形があり、簡単に書き込むだけにしてあるようだ。うん、良いなあの用紙。後で売っているか聞いてみよう、と思っていると、書き終えたエスピーヌがアガペーネにそれを渡す。渡されたアガペーネが内容を確認すると、サイン欄に日付と記名をする。そしてそれを俺の方へと手渡してきた。
「内容に間違いが無ければ右下にサインを。2枚あるが、内容は同じだよ。一枚はこちらの控え、もう一枚がトゥルース君の控えとなるよ。」
初めて見る契約書をよく読んでみるが、結構簡単で分かり難い事は無い。石の数も屑石を含めて間違いないし、金額と馬の購入で融通する事を約束した内容となっている。もっと細かい字で分かり難い書き方かと身構えたが、杞憂に終わった。これなら問題無さそうだ、とサインする。
「よし。問題無いな。ではこちらが控えだよ。失くさないようにね」
そう言って契約書の一枚を戻しながら立ち上がる二人。良い商談だった、と手を差し出される。俺も立ち上がり、その手を順に握り返した。
その時、ガチャリと部屋の扉が開く。入って来たのは荷物をいっぱい抱えたサフランと、隠れるようにその後ろにピッタリくっつくひとつの影...。
隠れたサフランの背中からそっと伺うように、金色の髪を揺らしながら円らな瞳がそっと姿を現す...。
「...シャイニー?」
「ほら、折角だからこの姿を見せたいと言ったのはアンタだろ。前に出て見せつけてやりな?」
部屋に入って来たサフランが首だけ後ろに向けて声を掛ける。どうやら背中をガッチリと掴まれて体の向きを変える事が出来ないようだ。何故隠れるのだろう?と首を傾げるも、向かい側に立っているアガペーネを見て気が付いた。
「ああ、シャイニーは初めてだったね。こちらはこの商会の商会長のアガペーネさんだよ」
たぶんシャイニーは知らない人間がいる事に警戒しているのだろう、心配ないよと付け加えて紹介するも、シャイニーは隠れたまま姿を見せようとはしない。
う~ん、人見知りを拗らせちゃってるのかな?サフランに慣れ過ぎちゃったのかな?少し寂しい気分だ。しかし、当のシャイニーの視線はずっとこちらを見ている気がする。目が合うと直ぐにサフランの背中に隠れてしまうのでハッキリはしないが、どうもアガペーネの方は見ていないように思うのだ。
...もしかして俺、嫌われた?と言うか俺よりもサフランの方が良いのか?まあ、同性同士の方が気が許せるのもあるし、日頃俺が彼女に優しくする事は少なかったからか...。
...もしかして以前サフランに言われた、私の子になれ!ってのを受けるつもりか!?いや、良いんだ。彼女が望むのであればそれでも。うん、父親が娘を嫁に出すのもこんな心境なのかな?まだ出会って1ヶ月程だけど。それに俺には娘は愚か嫁さんもいないのだから、そんなの知る由もないのだけど。でもこれだけは言える。笑顔で送り出そう。うん、それが彼女の幸せの為だ。
そんな事を思っていると、サフランが荷物を机の上に置きつつ溜め息を吐く。
「そんな隠れてちゃ、せっかく着飾ったのに見て貰えないだろ?早く前に出てきてビックリさせてやりなよ。大丈夫、自信持ちな?」
そう言いながら後ろにしがみつく少女を無理やり引き剥がすサフラン。
すると、俯きながらおずおずと姿を現すシャイニー。その姿に俺は息を呑んだ。いや、俺だけでなく彼女を知るエスピーヌも、だ。更に彼女とは初見となるアガペーネに至っては、ほぅ...と顎に手をやり感心の声を上げる。
その姿は、それまでの無骨と言って良いくらい色気のない旅装束から掛け離れた、煌びやかなものであった。
まだ膨らみ始めたばかりと思われる胸の谷間を強調するように開かれた胸元に、キュッと引き締まったウエストから続くヒップラインが女性らしさを引き立てつつ、僅かな動きにも反応して揺らめくスカートの端から伸びる白く細い脚。スカート丈は膝が隠れるくらいの控え目ながら、自己主張はキッチリとしている絶妙な長さだ。青と紺の合間くらいの濃い青色であるそのドレスは、落ち着いていて品良く見える色合いであり、シャイニーはお似合いである。
肩には白いショールが掛けられワンポイントになっているが、これからの暑い時期にはそれを外す事で肩のラインが露わになると分かる。
伸びかけていた髪は丁寧に編まれて後ろで結ばれていた。
足元を見れば、すらりとした足のラインを強調するようなハイヒール。ただ無理はせず、高さのある物ではない。若いのでそれで十分だろう。
俺はその姿を見て言葉を失った。その目を瞠る程美しく見えるドレスにだけでない。その顔にも、だ。
シャイニーの顔には見慣れない人には不快感を与える程の、額から右頬に掛けて顔の半分を占める醜い火傷の様な痕がある...のだが、今、目の前にいる彼女の顔にはその痕が分からなくなっていた。いや、よく見ると分かり難くなっているだけで治った訳ではない。しかし、人への不快感はかなり薄れている事は確実であろう。
「どうだい?可愛いだろう。化粧品売り場の皆を集めて全力で当たらせた。やはり女の子は可愛く見せないとな。」
男勝りなサフランからの言葉がとても違和感を感じるが、俺の耳には届いていなかった。
「色は迷いに迷ったよ。変色石に合わせて青系統か赤系統と決めていたんだけどね。トゥルース君のそのスーツの色を見てこちらに決めたんだ。」
そう言われた俺の服は所謂栗色だった。やはり取り扱う石の色を意識して紺色と迷ってのチョイスだ。しかし、今はそんな事はどうでも良かった。やはり昨夜、月光下で見た気がした彼女に近い顔がそこにある。見間違いではなかった!?と思うも、今まで彼女は化粧などした事がない...と言うか化粧品を持ってはいなかった。化粧をしたのは今日が初めてだと思われるから、やはり昨夜の事は幻だった?と、また考えが振り出しに戻る。
「...ルー君。やっぱりウチの顔、変?」
そう、折角綺麗になった顔を歪ませて俯き、目を潤ませて上目で問い掛けてくるシャイニーに、漸く今の状況に気が付いて首を横に振る。
「...えっ?あっ!いや、ごめん。見惚れてた。うん、綺麗だよ、ニー。見違えて言葉が出なかった」
「...ホント?」
不安げに覗き込んでくるシャイニーに、本当だ、丸で何処かの姫様みたいだ、と頷いて答えると、シャイニーは途端に顔を紅潮させ再び俯いた。思わず出た自分の言葉に、俺も顔から火が出そうだ。これでは丸で口説いているようじゃないか。
そのやり取りを静かに見ていたサフランが、背筋を真っ直ぐにしないと美しくないよ!?と背中を叩いて顔を上げさせる。
「ほら、私の目に狂いは無かっただろ?もっと自信を持ちな、シャイニーちゃん!」
ニカッとしながらシャイニーの顔を覗き込むサフラン。すると、それまで不安げにしていたシャイニーの顔もいつの間にか明るいものに変わっていた。恐らく出会ってから一番の笑顔がそこにあった。
女は化けると言うが、正にその通りだと実感する。実際、目の前にいるシャイニーは大化けしていた。よく見れば薄っすらと火傷のような痕が浮かび、特に右目の周りは左目に比べれば整っているとは言えないが、それもこの笑顔の前では気にする者は殆どいないであろう。
「それにしても随分と時間が掛かったね?それに荷物が多くないかい?」
首を傾げるエスピーヌ。確かに女性の買い物は時間が掛かるものだとは思うし、化粧も施して貰っている。しかし、それでも時間の掛かりすぎだろう、外はもう薄暗くなっているのだから。
「ああ、それは化粧品を選んでいたのと、下着も見ていたからだ。この格好では今までの下着じゃ見えてしまうからな」
それを聞いたエスピーヌは、聞いて悪かった、と詫びを入れる。そして俺は聞かなかった事にして横を向いた。
「それに、日常の下着を自分で作るからと、生地と裁縫具も買い足しに回っていたからな」
更にサフランが付け加えて袋を指差すが、一言余分だ。顔が熱くなるのを感じながらも、ふとシャイニーの方を見てみると、やはり彼女も顔を紅くして俯いていた。
うん、出会ってから彼女の双丘が大きくなっているような気がしてはいたのだが、下着は最初の町で買ったきりだった。だってさ、何も言われなかったんだもん!そんなの男の俺じゃ気付かないよっ!そうだろ?ってか、そんな事を男の俺から聞かれたいか?下着買う?って。そこんところどうなのさ、世の中の女性諸君よ!
てか、いつ作るつもりだろうか?普段、時間いっぱいまで移動に時間を使って夕食食べた後、風呂があれば入って、無ければ直に寝てしまうのに。それもいつだって寝床に入ったらパタンキューだ。たぶん何しても起きないだろう、俺と同じく。起きるのは少しだけ早いみたいだけど。いつも俺が起きる頃には着替えをして洗濯を済ませてくれている。
「なあ、ニー。作ってる時間が無いと思うんだけど。その位は買っても良いよ?お金も出来たし」
「...それ、ルー君のお金だよね?私のお金じゃ無いし、それに...下着って結構高いの。特に胸当ては自分で作った方が良さそうだし。」
顔を真っ赤にして俯いたままそう答えるシャイニー。そう言えば孤児院で下働きのような扱いを小さな頃からずっと受けてきたと聞いていた。料理は当然、掃除に洗濯、衣類の修繕もしていたと言っていたから裁縫も得意なのだろう。
う~ん、これは何を言っても聞かないパターンだな。今まで贅沢は全く出来ない生活を強いられてきた彼女だ、そう簡単に贅沢が出来る訳がない。まあ、俺も突然大金が手に入って浮かれそうになっていたかも知れない。良い戒めになったかも。
「はあ~。分かったよ、ニー。でも必要な物があったら必ず言って欲しい。ケチり過ぎて旅に支障を来すなんて馬鹿馬鹿しいから。」
俺が折れる形で話を締め括るが、一応釘は刺しておくと、分かった、と素直な返事が返ってくる。
「よし、その話は終わったな。じゃあ、これ、宜しく。言っとくが、これは私が強要したんであって、シャイニーちゃんは要らないと拒んでいたから。安心しな、ちゃんと確りと値引きさせてあるから、ね♪」
ポンとサフランから紙切れを手に握らされた。ん?何だろう?とそれを開けて見たら...。
「...請求書?って、追加で...は?9万8千ウォル!?」
ナニコレ!?ええっと内訳は...俺の服一式にドレス、ショール、ハイヒールは今ニーが着ている服だよな?ベール?ああ、顔を隠す為のものを用意したのか。化粧が上手くいかなかった時用かな?で?下着が数点と化粧品...ってこんなにするんだ。ちょっと驚きな値段だけど、まあこの顔を見れば仕方ないなとは思う。後は...ん?衣類が数点?そう言えば入って来た時にサフランがえらく多そうな袋を持ち込んで来たけど...と思い、机の上の袋を見る。
「言っておくけど下着も袋の中に入っているから、中味を見ようとしたら容赦しないよ?」
「ルー君...ごめんなさい。断りきれなかったの。」
「何言ってるんだい。シャイニーちゃんはこんなに可愛いのに、濁った色の可愛くない服ばかりじゃシャイニーちゃんの可愛さが半減だよ。そんなに大量じゃないから良いだろ?これでも厳選したんだよ?」
謝るシャイニーを止めて俺に詰め寄るサフラン。その有無を言わせない態度に溜め息を吐く。
良いだろも何も、これ程のシャイニーを引き出して見せてくれたサフランの目を信じざるを得ないじゃないか。末尾の生地と裁縫具セットの値段がとても可愛く感じる。恐らくシャイニーが黙ってたら、購入する下着が更に増えて白金貨1枚の追加じゃ足りなくなっていただろう。
男勝りでありながら、こうしてそれまでオシャレの一つもしてこなかったシャイニーを一気に一人前の女性へと変貌させた挙句、俺の懐にクリティカルヒットを叩き込んできたサフランと言う護衛職の女性に戦慄しつつ、俺は黙って懐から白金貨を1枚取り出して、机の上に置くのだった。
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