010 王都の店
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「意外と早く王都に入ったね。もう少しで到着だよ。」
外の景色を見たエスピーヌが、対面に座る俺たちに声を掛ける。その声に釣られてシャイニーと共に外を見ると、それまで見る事の無かった作りの良さそうな三階建ての建物が目に付く他、行き交う馬車や人通りも多くなっていた。
へぇ~と、その王都の様子に感嘆の音を上げる。横を見れば、隣に座るシャイニーも似たような反応だ。
「...二人とも、あまり驚かないんだね」
「え?そう...ですか?いや、十分驚いてますよ?建物は高いし、人も結構多いし。あの正面に見える背の高い建物が宮殿なんですか?」
「ああ、そうだね。あそこで式典が行われたり、国外からの賓客を迎えたりしているね。政治もあの中で行われているよ。そしてあの奥に王宮があって王族がお住まいだよ」
そうエスピーヌが説明すると、漸く興味を持ったのかシャイニーも俺と一緒に正面に見える宮殿を覗き込む。
その宮殿は周りの木造三階建ての建物とは一線を画した石造りであり、大きさも縦に横に圧倒的だった。それは敢えて言えばバッキンガム宮殿にも似た造りであり、人目を惹くには十分な外見だ。その姿はこの大通りの正面にあり、随分と手前からその姿を見る事が出来る事から、この街の、いやこの国のシンボルである事に間違い無いだろう。
そしてその姿が目前にまで迫った所で、漸く直前の小道に曲がるサフランの操る馬車。すると直ぐにその脇の建物に沿って回り込む。
宮殿の目の前の角にあった建物だけあって、大きくて王宮にも負けず劣らず立派な建物だなぁと思っていると、その建物の裏門から中へと入り込んでいく。
「えっ!?もしかして、この建物が本店なんですか!?」
俺の問いにニコリと返すエスピーヌ。まさかここの建物だとは思いもしなかったのだが、裏から見ても十分立派に見える。先程通った裏門にも門番が立っていたし、裏口と思わしき扉も雨避けの大きな庇が付いていて下手な安宿より立派だ。
ふと自分たちの服装を見て冷や汗が流れた。流石にこの格好ではこの建物に相応しくないのでは。今日は旅を始めたばかりの時の服装ではなく、道中立ち寄った小さな町で買い足した古着だ。勿論、旅の道中に着る前提なので華やかさの欠片もなく、洗濯も儘ならないので砂埃にまみれている。
「エスピーヌさん。流石にちょっとこの格好のままは...」
「ん?ああ、別にそのままでも構わないよ?私たちは相手の格好を見て商売する訳じゃないから。それにそんな事を言ってたら護衛の者たちだって大して変わらないし。どうしても気になるなら服を用意しようかい?この店なら大概の物なら揃うよ?」
そう言うと馬車を降りて、その立派な扉に手を掛ける。さあこちらへ、と促されるまま、シャイニーと共に馬車を降りて扉を潜る。中は右側が倉庫らしく、更に大きな扉が半開きになっていて、中で人が慌ただしく動いているのが見える。そして奥に続く廊下を左に曲がると、そこには幾つか小さな扉が並んでいた。
エスピーヌはその内のひとつの扉を開けて中へと誘う。商談専用と思われるその部屋には明かり採りの窓があり、とても明るい。そしてその部屋を分断するように少し低く真っ白な長机が置かれ、フカフカの椅子が対面になるように置かれていた。
部屋の角には観葉植物が置かれ殺風景な部屋のアクセントになっている他、机の上にも花が一輪置かれてあった。嫌味のないスッキリした部屋だ。余計な装飾があると目移りしてしまい、商談の妨げになる場合もあるとの判断だろう。しかし、よく見ると、机の上の一輪挿しに使われている、白であって白ではない何とも言えない色の花瓶に目がいく。挿してある花の色が際立っているのだ。中々センスが良いな、と思わず唸ってしまう。
「ふむ...トゥルース君。少し考えてみたんだけどね、やっぱりその石を今後も扱うのなら一着くらいはちゃんとした服を持っていた方が良いんじゃないかな?どうだろう、商談の前に服を見ては。シャイニーさんもそれに合わせると良い。なに、値段はちゃんと勉強させるからそんなに心配しなくても良いから」
その小さな部屋に入った俺たちに、考え直したのかエスピーヌが手を顎に当てて言うが、それにシャイニーが反応した。
「それは...ウチ、この顔だし...」
「気になる?私は気にせず堂々としていた方が良いと思うけどね。まあ、旅の途中で良く思わない人に会い続けてきたからだと思うけど、こういう商談の中では反対に顔を隠す方が印象は良くない事の方が多いと私は思うよ?」
エスピーヌの言うのも尤もだ。狼狽えながらこちらを見やるシャイニーに、俺は頷いて答える。
「ニー、俺もそう思う。ここで一着用意しよう。」
「え?でもウチ、お金を持ってないし...」
「そんなのは考えなくても良いから。」
「でもウチ、何もルー君の役に立ってないし...」
「飯の用意とかで助かってるんだけど。う~ん...じゃあ、どちらか選んで。素直にここで一着用意するか、"ここで別れる"か。どっちが良い?」
指を二本立てながら言う俺の提案に、えっ!?と驚くシャイニー。それはそうだろう、まさかの両極端な選択肢を突き付けたのだから。しかし、当の彼女はと言えば...
「もしかしてルー君...ウチが邪魔?」
みるみると顔が青くなっていくシャイニー。しかし、何やら大きな勘違いをしているようだ。
「おいおい、ニー。俺はふたつの選択肢を示しただけなんだけど。服を用意して俺と一緒に行くか、ここに残るか...残るならサフランさんを頼ればいいんじゃないか?ニーが良いと思う方を選べば良いんだぞ?何でそんな顔をするんだよ。もしかしてどちらも嫌なのか?」
顔を顰めて聞く俺に、シャイニーはハッ!とした顔をする。
どちらを選ぶかはシャイニーの自由だけど、楽が出来そうなのはここに残ってサフランの世話になる事だ。俺はそれでも良いかとは思っている。サフランならシャイニーを可愛がってくれるだろうと想像は出来る。溺愛しすぎて家から出して貰えなくなりそうな気もするが。
寧ろ俺と一緒に旅に出ると、どんな困難が待ち受けているかも分からない。俺が彼女を守り切れるかも分からないのだから、と不安もある。であればここに残った方が良いとさえ思えてくるのだが...そうすると俺はまた一人か...
ちょっとだけ胸がチクリとする。俺は一人になるのが嫌なのか?それとも...
目の前の、何かを考え込む少女に目をやると、そっと彼女は顔を上げた。
「じゃ、じゃあ、これからも一緒にいて良いの?」
「俺と一緒に旅をするなら服を用意するって条件。たぶんここに残っても、サフランさんが同じ事をするような気はするけど。だから付いてくるかここに残るかの選択だと思うけどな」
「...分かった、ルー君に付いてく。でも何もしてないのは気が引けるから、何かして欲しい事があれば何でも言って!?ね?」
先程まで涙目だったシャイニーが、溜まったその涙を拭わないまま上目で言ってくるので、ううっ!と思わず言葉が詰まってしまったが、何とか頷いて答える。別にそんなの気にしなくて良いのに。
それにしてもいつの間にか依存されてんなコレ。まあ、最初からか。乗りかかった船だし、ここで放り出しても寝覚めが悪い。お互い納得できるまでは一緒にいよう、と決めたんだし。
「うん、うん。助け合うのは良いと思うよ。よし、じゃあ、服を選びに行こうか。お~い、サフラン!荷物の見張りを頼む!」
「ん?見張りは良いが...何処かに行くのか?」
呼ばれたサフランが首を傾げながら廊下を歩いて来る。エスピーヌが二人を店内に案内して服を選ぶと説明すると、サフランの目付きが変わり仲間を呼びつける。
「シャイニーちゃんの服選びなら私に任せろ!飛びっきり似合うのを見付け出してあげるから!」
あ、やっぱり。これは断れないパターンだ。隣のシャイニーがその勢いに目を白黒させてこちらをチラリと見てくる。たぶん、任せたら大変な事になるんじゃないか?と心配しているのだろう、特に金銭面で。しかし、心配するのはそこではない気がする。
その俺の予想はその後にズバリ当たる事になる。
ザール商会。宮殿の直ぐ目の前にあるその店内は、規模も品揃えも驚くものであった。一階は主に食料品や日用品が大量に揃っており、王都の主婦層がひっきりなしに出入りしているが、かなり繁盛しているみたいだ。
促されるまま脇の階段で二階に上がると、そこは衣類関係が所狭しと並んでいた。家族連れやカップルが楽しそうにそれらを見て回っている。
「三階は宝石類や毛皮などの高級品売場だね。後で見に行くかい?」
そう言いながらも奥の少し格式張った衣類が並ぶ一角へと連れられてきた。
「ん~、二人はまだ若いから、フォーマルスーツのようなあまりキッチリとした物は着なくても大丈夫かな?シンプルな方が相手の受けが良いと思うよ」
「うむ...そうだな。派手に着飾るのは成金っぽくて私も嫌だ。シンプルに若々しい物を選ぶとするか」
じゃあ、始めるか!と腕捲りをするサフランに腕を掴まれて女性服売場へと連れられていくシャイニーを見送るが、若干ドナドナされていく子牛のような目をしていた所を見ると、この後に何が行われるのか漸く気付いたようだ。思わず手を振って見送ってしまった。頑張れ、シャイニー。
「さて、シャイニーさんはサフランに任せるとして、トゥルース君は私が見るか、この売り場担当に見て貰うか...どうする?」
「え?ええっと、どちらでも良いんですけど...そんなに違いますか?」
「まあ、大きくは違わないだろうけど、担当の方が細かい所に気を使うから無難な中にセンスが光るチョイスをすると思うよ。時に流石だな、と感心する事もあるからね。担当を呼ぼうか」
言っていて徐々に苦笑の顔を深めたエスピーヌが担当に目配せをして呼び寄せる。成る程、この売り場担当らしく嫌味の無いスッキリしたスーツでありながらネクタイやタイピン、カフスボタンにまで手を入れてオシャレに演出している。そう、彼が見本となって、服だけでなく小物の購入を促しているのだ。
「おや、エスピーヌ常務。いつお戻りで?明日のお帰りだと聞いていたのですが?」
「ああ、先程だよ。ちょっと大きな商談になるからって、急いで帰ってきたんだ。こちらの彼とあちらのサフランがお相手しているお嬢さんが商談相手なんだけど、商談に相応しい服を用意して欲しい。見てやって貰えるかい?」
「え?こちらの方が?わ、分かりました。因みにご予算は?」
「そうだね...トゥルース君、上限を決めて選ぶ?それとも予算は決めずに方向性を決めて選ぶかい?」
「えっ?ええっと...予算を決めずに選んだとして、どのくらい見ておけば良いんですか?」
エスピーヌの思わない振りに、少しビビりながら聞いてみる。適当に選んで目玉が飛び出るような請求書を渡されては敵わない。
それにしても驚いた。今まで只の商隊の長だと思っていたエスピーヌが、まさかの常務とは...。 そんな事を頭の中で考えていると、そのエスピーヌが笑う。
「ははははは。心配しなくても良いと思うよ。オーダーメイドする訳じゃないから。一着づつなら余程高い物でも2~30万じゃないかな?まあ、態と高い物を選べば50万どころか100万を越えるだろうけどね。でも今回は初めての一着だから、そこまで気合いを入れなくても良いと思うよ?それにある程度は勉強させるし、ね?」
そう言いながら担当者にニヤっとするエスピーヌ。暫く考えた俺は、折角だからと予算を決めずに選ぶ事にした。
まあ男の服なんてある程度は決まっているのだから、それ程は迷わずに決めてしまう。基本的な色にサイズ、後は中に着るシャツやネクタイ等の小物類。シャツとネクタイは数本合いそうな単色物や柄物を。全て出来合いなので思ったよりは高くなく、結構負けて貰えたので全部で10万を超える位だった。いきなり良い物で揃えず歳相応のチョイスで、という方向性だ。その服は着たまま商談に挑む事にする。今までの服は移動用として今後も着るつもりなので、別途袋に入れて貰った。
後はシャイニーの方だが、フィッティングルームの前の試着用ハンガーラックに何着か服を追加するサフランに、女性服の担当者が口元をヒクつかせている所を見るとまだまだ時間は掛かりそうだ。頑張れ、シャイニー。
一先ず、まだ決まってないシャイニーの服の分を含め30万ウォルを店員に預けて、足りなかったら商談室に請求書を持ってきて貰うよう言うと、更に服を漁るサフランに先に商談を始める事を告げ、エスピーヌと共に下の階に戻る。その際、紳士服担当者に、社長を呼んで来るよう言い付けているのが耳に入った。
...勘弁して欲しい。これ以上、話を大きくしないでくれ。
その願いも虚しく、戻った商談用の小部屋に間もなく品の良さそうな淑女が入って来たのだった。
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