009 油断大敵
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前方で小競り合いが始まるとほぼ同時に、後方でもそれは始まった。
「ふんっ!お前らが束になろうと、俺たちが負ける筈がない!どこで手に入れたのか知らないが、大人しく降参しないと自慢の刃物がズタボロになるだけだぞ!?」
「くっ!くそっ!何で3対1なのに圧せないんだ!?」
「はんっ!馬車1台に油断したんだろうが、生憎だったな。こちとら警官の訓練に呼ばれる身だ。お前ら程度なら5人でも相手出来るぞ!」
盗賊たちの悪態に、笑みをも漏らして答える後方の護衛。そう、サフランたちはその腕を買われて警察組織からも特別招集を受け、訓練によく参加していたのだ。
対して、この盗賊たちはどうやら刃物をチラつかせて脅すだけの只の小物のようだ。腕が丸でなっちゃいない。これなら制圧するのも時間の問題だな、と思った矢先だった。二人同時に襲い掛かってきた相手を捌いていた隙を突いて、もう一人が脇をすり抜けて馬車の方へと走った。
「あっ!この野郎!!」
どうやら馬車に残る3人を人質にでも取って形勢を覆そうと考えたのだろう。しかし、その男を止めようにも他の二人がなりふり構わず襲い掛かって来るので対処が出来ない。しまった!余裕を見せず一気に制圧しておけば!と思うも後の祭りであった。
その声は前方の盗賊を相手にしていた二人にも耳に届いていた。そして二人もまた、圧倒的力量差で押さえつけていたにも拘わらず、余裕を見せて制圧せずにいたのだ。しかし、ここで声のした後方に支援しに向かえば、残った者が四人を相手にしなくてはならなくなる。戦場や一人でなら兎も角、守るべき者を抱えているとなるとそれは悪手でしかない。先ずはその場を制圧するのが先なのだ。
二人は時間を掛けてしまった事に思わず舌打ちをして、一気にその場を制圧しに掛かろうとしたその時、馬車の後方で何やら分からない打撃音と相手の一人と思われる男の発する、うげっ!という声が聞こえてきた。
だが、そこで振り返る訳にもいかない。相手に隙を与えてしまう事になる。状況の確認がしたいのを我慢して目の前の盗賊たちを制圧する事に集中するサフランたち。
振り回される短剣のタイミングに合わせて迎え撃つトンファーの圧を上げる。今までは軽く往なしていただけだったが、今度はその短剣を無力化する為の打撃に止まらず、相手の行動力をも奪う一撃だ。
これには流石に誰一人抗う事が出来ずに、短剣を折られ鳩尾を押さえる等して倒れ込むしかなかった。
「ここは頼むぞっ!!」
サフランがもう一人にこの場を任せ、慌てて馬車の後方に向かう。すると後方でも仲間が二人を制圧していたが、その視線は馬車の方だった。いや、正確には馬車の後方1メートルの地面に鼻血を流し白目を剥いて横たわる男に、だ。
「...お前がやったのか?」
眉間に皺を寄せてサフランが後方護衛の仲間に問うが、仲間は首を横に振った。
「いや、俺じゃない。中に乗り込もうとしたそいつが吹き飛んできたんだ」
「吹き飛んできた?って事は...」
それを聞いたサフランが馬車の中を見やると、幌の奥で小さくなっているシャイニーが目に入ると同時に、入り口近くで盗賊の男を仁王立ちで睨み付けるトゥルースの姿があった。一体何が起こったのか...と横たわる男とトゥルースを交互に見やるサフランだったが、トゥルースの足下に盗賊の物と思われる短剣が踏みつけられているのを見付ける。
「...これはアンタが?」
「ええ、登ってこようとしたんで。あおりに両手をついた瞬間を狙って顎に蹴りを入れました」
確かに馬車の荷台は飛び乗るには高さがあり容易ではないので、乗るには御者席を足場にして上るか荷台のあおりを開けるか別途梯子等の足場を掛けるのがセオリーである。勿論、盗賊たちが素早く後方からその荷台に飛び乗るには、余程の身体能力の持ち主か、男がしたように両手を着いてよじ登るしかないだろう。そう考えれば正に絶好の攻撃のチャンスだろう。
「...そう、か」
しかし、だ。だからと言って簡単に盗賊に向かって動ける人間がどれだけいるだろう。現にシャイニーは今でも馬車の奥で小さくなっている。そしてエスピーヌは御者台で手綱を手に後ろを見て目を白黒させている。普通の人間なら動けないのが当たり前だ。動けるのは場馴れした者か、只の命知らずだろう。この少年はどちらだろう、と目を細めるサフランだった。
「いやぁ、久し振りに出たね、盗賊。少しヒヤッとしたけど、まあ結果が良かったからヨシとしよう」
一行は捕まえた盗賊たちを縄で縛り、馬車に繋いで走らせた。コイツらを大切な荷物の載る荷台には乗せる気も無い。走らなければ引き摺るだけだ。引き摺ったところで簡単に千切れる縄ではないから引き摺られればミンチだろう。盗賊たちも必死に走らざるを得ない。まあ、次の町までゆったり目の馬車で残り20分程度の距離だ、頑張れば何とかなるだろう。
そしてキッチリ20分。町の入り口近くにある警官詰所に盗賊たちを引き渡すと、エスピーヌたち行き付けの食堂に入って昼食をとった。
「むう...面目ない。あまりにも手応えがなかったから油断した」
「全く。肝が冷えたぞ。とは言え、私も人の事は言えんな」
後方を護衛していた者が頭を掻きながらエスピーヌに謝罪すると、サフランも溜め息を吐きながら自戒する。結果オーライで慢心し笑い話にする事もなく、キチンと反省する二人。外で馬車の見張りをしているもう一人も気を引き締めていた様なので、同じ過ちはもうしないであろう。
今回の反省点は警官相手の訓練とは違い、守るべき対象の有無による対応の違いを区別しなかった事だろう。いや、最近盗賊の遭遇率が極端に少なく警官の相手ばかりしていた事による弊害が出た結果だ。今後は警護対象ありきで物事を考えないといけない。
そんな反省が出来るのであれば今回の不手際は水に流そうと思うエスピーヌ。しかし、と横目で馬車に乗り込もうとした盗賊を撃退して見せた若者を横目で見る。
当時、エスピーヌは前方のサフランたちが盗賊たちを圧倒している様子を安心して見ていた。ところが後方の護衛が声を上げたのを耳にし、何事だ?と振り返った時には、既にトゥルースは盗賊の男に蹴りを入れているところだった。その一部始終は恐らく一緒に馬車の幌の中にいたシャイニーしか目にしていなかっただろう。そう思いを巡らしながら問うエスピーヌ。
「トゥルース君は何か武術をやっているのかな?」
「いや、偶に帰って来る叔父から身を守る術を...と言っても2~3年に一度、それも滞在は5日前後だったから、そんなに大した事は習えませんでしたけど」
「ふぅん...それにしては一発でのしちゃうなんて大したもんだと思うけどね。本当にそれだけ?」
エスピーヌがそう問い掛けるが、トゥルースはそうですと首を縦に振る。成る程、一応手ほどきをしてくれた者がいたのかと納得はするものの、やはりしっくりはしない。この歳で2~3年に一度、それも数日のみでは大して腕を上げる事は出来ないであろうが、動くべきタイミングさえ合っていればそう言う事も有り得るのだろうが...それにしても出来すぎじゃないのか?と首を捻るエスピーヌだったが、これ以上は目新しい事を聞く事は出来ないだろうと質問を切り上げて食事に集中する事にした。
その店は方々を出歩くエスピーヌたちが行き付けるだけあり、庶民的ではあるが新鮮な材料を使った美味しい料理が並ぶ。それでいて決して高くないところが高得点だ。
トゥルースやシャイニーも高級店で食べるよりも落ち着くようで、昨夜の夕食や今朝の朝食は残していたようだが、この昼食は確りと食べきれそうな勢いであった。特にシャイニーは食が細い方だったが、ここの料理は口に合ったようで珍しく顔が弛んでいた。
その様子を見ていたエスピーヌは満足したように頷き、残りの道程を簡単に説明する。
「ここからは殆ど町中を走る感じだよ。今までのように道が荒れている所は少ないし、日中なら盗賊が出てくる心配も無い。何も問題が無ければ日が暮れる前には王都に着いちゃうと思うよ」
その話を聞いたトゥルースが頷きながら、いつの間にか先に食べ終わって席を立ったサフランたちを目で追う。店主や他の旅商に声を掛けているのを側耳を立ててみると、王都までの情報を聞き出しているようだ。勿論、先程捕まえた盗賊の情報を対価として流しているようだが、勿論、何も無いと言うのも立派な情報だ。
「工事中だった所はもう終わっているそうだ。余分な検問もここ最近はないらしい。すんなり行けそうだな」
店主に話を聞いて戻ってきたサフランが安堵した顔で報告して来る。しかし、旅商から話を聞いてきたもう一人の護衛は首を傾げながら戻ってきた。
「王都で何かあったようだ。王宮への出入りが少し厳しくなっているのと、軍の大型馬車が何台か出ていったらしい。でも本格的な軍事行動でも無さそうで、通常の訓練が変わらず行われているって...」
「ん?何だそれは。よく分からんな。取り敢えず道中や街中には影響ないんだな?」
サフランの問いに頷く護衛。店主からの情報には無かったので、然程大事ではなさそうだ。その事にエスピーヌも気付く。
「ふむ。大型馬車が出ていったと言う話はよく分からないが、王宮内で何かあったのは間違い無いだろうな。その辺りは本店の方が何か掴んでいるかも。まあ、こちらには特に影響は無さそうかな」
そう結論付け予定通りで問題無いと判断したエスピーヌたちは昼食を済ませると、早々に店を後にするのだった。
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