顕現
「その声、まさか」
勇者がたじろぐ間に、聖剣はゆらりと剣先を勇者に向けた。その途端、剣身から爆発的に溢れ出た黒い炎のような魔力が濃く凝り、徐々に密度を増し始めた。
小屋の屋根まで届く、黒い人型となるまで、瞬く間もない。
「……魔王」
輪郭だけで、勇者にはそれが誰であるかが伝わった。
人の世に伝えられているような、筋骨隆々の巨漢でも、巨大なツノと牙が生えているわけでもない。
細身といってよい体に、彫刻めいた表情のない顔。その全ては、左右対称にどこまでも整っていく。
神々が人に似た姿を持っていても人ではないように、魔王もまた、人に似ていても非なる存在であることがここではっきりとわかった。
完璧な比率を、人は一瞬美しいと思い、そしてすぐに悟るのだ。人の持つはずがない全き美は、陶酔を伴う信仰か、絶望しかない畏怖をもたらすのだと。
だがここにいた「人」は、勇者のみ。
勇者は、人の枠からは外れた存在だ。
「相変わらず薄暗くて胡散臭いな、おい」
酒屋で見かける常連同士のような声掛けに、黒い影はユラユラと動揺を示したようだった。と思うや、後から後から、泥の滝の様に湧き出る影が蓬髪のように顔周りを覆い、ついには口元以外を隠してしまった。
「俺のことは良い」
腰に響く低音が、ボソリとつぶやいた。
「それより、娘を貶めた者が居るはず。速やかに殺してしまえ」
「娘……?」
「勇者よ、お前、お前までもが、まさか、忘れたとはいわぬよな?」
「え、おい、ちょっ」
魔王が、小屋の屋根に頭を擦るほどに膨らんで、それから、ぐっと勇者に詰め寄った。
「俺にトドメを刺したお前だけが、俺の末期の言葉を聞いたはずだ」
「待て、まお……」
「待たぬ」
「いや、話を」
「話などよい」
「いや……ほんとこの話を聞かない感じ変わらないな! 待てって!」
ぐっと魔王を腕で押し退けて、それでも足りずにさらに足で遠ざけた。
不思議な抵抗感で、するすると向こうに押しやられた魔王に、勇者は胸元の小さな膨らみを庇うように撫でた。
「気をつけろ。俺らと違って致命的な傷を負う者がここに居る」
その響きを、ソラは勇者の体から直に聞き取った。
ぽんと背中を撫でられて。
出てもいいと言われたのだと。
下手に足掻けばシャツの奥へと落ちていきそうだが、ソラなら問題ない。ピシッと出した爪を引っ掛けて、時々間違えて勇者の胸や腹を引っ掻きながら、もがいて。
「こら」
焦る勇者の声をよそに、ズボッと頭を突き出したソラは、ブルブルと頭を振った。
勇者の精一杯のこわい顔を見上げて、それからくるりと後ろを向いた。
「にゃー(変態……?)」
泥の髪の奥からじっとソラを見ていた魔王は、ソラの呟きに髪をうねうねと膨らませた。
微妙に顔体の輪郭までウネウネするので、ソラもつられて、尻尾を膨らませた。気持ち悪いからだ。
「おお……」
低い声まで震えている。
「褒めてくれるか、娘よ」
「にゃっ(褒めてない)」
「娘、だあ?」
天井の位置から滴る泥の髪がブンブンと振り回され、その隙間から長い手が伸ばされたが、ソラは勇者のシャツの中から出ようともせずに、フーッと威嚇した。
安全圏から出なければ、どこまで強気になっても大丈夫なのだ。
「おい、手を出すな」
ほら。ヒゲをそよがせるソラの顔の前で、勇者が魔王の手を弾いた。
「何をする。娘を抱き上げて何が悪い」
「いや、あのな」
「そもなんだ、娘のことを頼んだのに知らん顔をしておきながら、そんなところに娘を入れて優越に満ちた顔をしているお主こそ、道理がなかろう」
「いや、待て」
魔王に道理を説かれて勇者はイラッとしたが、今はそこが問題ではないのだ。
またジリジリと近寄ってくる魔王から、勇者はさっと距離を取った。
「魔王、こんなことは俺も言いたくはないが……。今のお前の下半身は、聖剣だ」
「……ぬ?」




