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理想論者と引き籠り  作者: 軌跡
15/19

境界線

「スズリは?」


 服の汚れを払いながら、要の問い掛けに首を振る。

 それだけで事態を察したのだろう。彼女それきり黙り込み、二階の奥へと消えていく。敷いた布団を片付けるかどうかは、想像で賄うしかない。

 ようやく帰ってきた祖父は、哲心を追い越して居間の中へ。背中は無言で来いと語っている。

 特に反対する理由もなく、定位置にある椅子へ直行。テレビの世界は既に真っ黒だ。恨めしそうに、二人の姿を映している。


「祖父さん、何か飲むか?」


「コーヒーを。ミルクと砂糖は無しで頼むぞ」


「あいよ」

 もちろん、お湯で溶かすのは安いインスタントコーヒー。お湯は沸かさないと不足しそうだ。

 なので作業にはどうしても間が開く。ただ待っているわけにもいかない。


「どうすんだ、祖父さんは」

 台所に位置を移したまま、肩越しに祖父へ問い掛ける。

 彼はしばらく、腕を組んだまま答えなかった。まさか寝ているのでは、と勘繰る哲心だったが、目はきちんと開いている。

 何となくヤカンを覗けば、湯気の前兆すら見当らない。


「徳理支部は守りを固めることで決まった。名門派はどうも、本気でワシらを潰したいらしい。二年ぶりの祭りに、招かれざる客は不要だそうじゃ」


「二年前ってとあれか? ヒトクイの大量出現か?」


「左様。……奴らは人間と自然のバランスを取るためだと主張しているが、本音はどうなのやら。せめてファティナ家の当主と連絡が取れればなあ」


「出来ないのか?」

 厳哲は首肯し、理由は分からん、と一言付け足す。

 大方クラフトの仕業だろう。スズリの不自然な失踪が、仄かに異常性を語っている。


「――まあ、折角作った交流が台無しになったことは置いておこう。一番厄介なのは、連中が徳理市を自由に闊歩しているということじゃ。ワシらが町から出ようものなら、大規模な結界で移動を封じてくる」


「包囲された以上は籠城戦、か。……まさか町中で戦闘はしないよな?」

 魔術師は世間からの干渉を好んでいない。基本で考えるなら、徳理市の表で戦闘はしないだろう。

 逆説的に、基本を破れば問題はクリアできる。

 しかしさすがの厳哲も、孫の追求には抵抗感を示していた。


「一般人を巻き込んでたまるものか。これは中立全員の意思じゃ。――無論、名門派は躊躇などせんがな」


「やっぱりか……要のやつ、ここに残した方がいいかね? あの結界がきちんと起動してるのかどうかは知らんけど」


「いや、問題なく機能しておる。不思議なことに、クラフトには反応せんようだが」


「それは――」

 彼の仲間に、神谷家の関係者がいるということ。

 言葉を飲み込む哲心に代わって、厳哲はその推論を否定した。


「話を変えるが、クラフトの魔術は見たな?」


「見た。スズリからの説明は半信半疑だったけど、本当に何種類も使うとは……これまで誰を喰ったんだ?」


「分からん。行方不明になっている魔術師も計上に入れねばならんしの。――ただ、楓は犠牲者の一人だったようじゃ」

 何となく予想できた結果だが、改めて聞くと言葉が出ない。

 確かに妹は死の直前、会話もままならない状態だった。虚ろな焦点と希薄な存在感。人間としての中身が残っていないと、直感したのを覚えている。

 厳哲の咳払いで、哲心は過去の情景を棚にしまった。


「そいうわけで、クラフトは領地を自由に通過できる。結界の誤作動についても同じじゃな。残り続けるのは厳しいぞ」


「だったら図書館に移動か?」


「……要君が人質に取られる可能性を考慮すれば、その方が安全じゃろう。学校が終わり次第、こちらで迎えを出す。さすがに奴らも日中は攻撃すまい。夜は知らん」


「じゃあ今夜も危ないか……。なんだったら俺、適当な時間まで起きてようか?」


「いや、ワシが引き受ける。早朝には支部へ向かわねばならんからな」


「爺さん、歳なんだから少し自重――」

 と、タイミング良く足音が降りてくる。やはり布団を片付けていたようだ。

 居間に入ってくるなり、要は首を傾げて台所へ。入る手前で、歩きが駆け足に変化する。沸かしているお湯の存在は、頭の隅に追いやられていたらしい。


「えっーと、二人とも何か飲むの?」


「俺コーヒー」


「ワシもコーヒー」

 はいはい、とカップを用意する要に、哲心は腰を上げて協力する。が、ジェスチャーでさっくり拒否された。

 席に戻って、話が続く。


「明日の夜が決戦になるじゃろう。しかし間者によれば、奴らはヒトクイの本体召喚に使う門を確保できていないらしい。上手く動けば、人を逃がす隙はあるかもしれん」


「……確か、オカエリ、って連中に囁かれるんだっけか」


「噂が正しければな。二年前に楓が代役となったように、油断も許されん」


「諦めてくれるのが一番なんだが……」

 それで片付くなら苦労はしない。

 門に該当する人間を始末できれば一番確実だろう。あるいはこの間にも、調査と執行が始まっているかもしれない。

 一方で後ろめたい気持ちもある。該当するのが名門派の関係者であればまだしも、一般人だって確立はゼロじゃない。


「門については、ギリギリまで情報を集めておく。哲心は哲心で、好きにするといい」


「……んじゃあ、門を壊す係りで。確かそっちを消せば、出てきてるヒトクイも連鎖的に消滅するよな?」


「イデア界との接点が断たれるからの。領民を取り戻すのに、唯一とも言える方法じゃな。……ただ、ワシらの方は防衛で手一杯になる。そちらに協力は出来んぞ?」


「分かってる」


「――そうか」

 頷く祖父は、何か言葉を飲み乾したようだった。

 胸襟を開こうとも、叶う筈のない望み。眦を決した厳哲からは、逆にそんな理解、同情も見て取れる。


「はい」

 運ばれてきたコーヒーは、誇らしげに湯気を吐き出している。それがこの時間だけの意地にも見えて、少し笑いたくなってしまった。

 と。


「うおっ」

 哲心の手から、カップが唐突に落下する。

 幸いにもテーブルに落ちただけだった。被害は最低限だが確かにあって、白いワイシャツがコーヒーで染まっている。


「済まん要……あ、布巾頼めるか?」


「う、うん。ちょっと待って」

 一瞬の異変に、自身の指先を訝しむ哲心。

 しかし感覚はいつも通りだった。外見上もおかしな部分はない。


「……」

 一人、厳哲だけが事実を掴んでいる。


「限界のようじゃな」


「? 何が」


「お主の身体が、だ。魔術の過度な使用で、魂が肉体を消滅させに掛かっておる。……このまま以前通りに魔術を使えば、天上の世界へ案内されるぞ」


「……爺さん、もっと直接的に言ってくれるか?」


「魔術師として完成し、死ぬぞ。以上じゃ」


「……」

 実感が沸かないにも程がある。

 しかし見れば、瞬き程度の時間で指が消えた。死と呼ぶよりも消滅に近い。

 内心は騒ついているが、元に戻るのを確認するとホッとした。


「はい、これ」


「どうも」

 要の持ってきた布巾で、汚れてしまった部分を拭き取る。

 テーブルを濡らしたコーヒーは、酷く罪悪感を駆り立てた。折角入れてくれたのに、と。

 要が横にいる間は、さすがに話す気も湧いてこない。反応は想像できるし、両親だって危険な状態にある。彼女を思うなら心配の原因は増やせない。


「――済まん要君、ワシの部屋から支部の見取り図を持ってきてもらえんか? 孫に説明することがある」


「あ、はい」


「頼んだぞ」

 もっともらしい理由で、厳哲は要を追いやった。

 見取り図の実在については問う必要もない。少なくとも哲心は初耳だ。悩んでいる眉間も、その証拠を語っている。

 しかし直ぐに切り替わる面貌。峻厳な形が、内容の真剣さを訴える。


「……魔術師は精神を磨く過程で魔術を習得し、イデア界への到達を目指していく。お主が今陥っている状態は、そのゴール手前まで来た証拠じゃ」


「一応名誉なのか、これ」


「普通はベテランの魔術師に起こる現象じゃがな。一説では、寿命を迎えないと発生しない、とも考えられておる」


「成程……」

 嬉しさなんて微塵もない。

 いや、意味を理解できないという方が正確だ。魔術師における極北だろうと、それが死に直結するのは納得しかねる。まるで、地上はお前に相応しくない、と言われている気分だ。

 しかし、それで行動を止めるのも道理が合わない。

人間なんていずれ死ぬ。訪れる結末を必死に避けようとするなんて、それはそれで滑稽じゃなかろうか。

 ましてや今、動くべき瞬間に入った横槍なんて。


「意思に変わりはないか?」

 率直な、肉親としての詰問だった。

 要を追い出す必要はなかったろうに、と内心で一人ごちる。彼女の存在を意識させれば、考えが変わる可能性は否定できない。


「ああ」

 未来すらひっくるめて、頷く方向は決まっていた。

 厳哲の言わんとしていることは分かる。が、自分の性格もあるし、ここで守ることを放棄するのも馬鹿馬鹿しかった。

 ここで行動しなければ、領地の人々を救えない。それにまだ、消えると決まったわけでもない。

 仮に傍観を選んでも、哲心と要は身の危険に晒される。名門派は徳理支部を征圧した後、本格的に領地を簒奪すべくやってくるだろう。今の段階で無事なのは、相手取るだけの価値がないだけだ。遅かれ早かれ、暴力は自然とやってくる。

 逃げられないし、逃げたくない。

 悔やむものがあるとすれば、要に安心を約束できないことだろうか。

 故に彼女へ話す勇気はない。本来ならそうして然るべきだが、情念が束になって妨害している。

 理性で抑えるべき、人間の弱々しい感覚。

 どれが正しくてどれが悪いのか。何を義務にして、何を願望とするべきか。

 探し物に苦戦する要の声が、善悪の概念を忘れさせた。


「……決意が固いのであれば、ワシから言うことは何もない」


「――了解」

 言い終えた厳哲は、年齢を感じさせないほど速やかに席を立つ。彼の私室がある方向からは、何やら本の崩れる音が聞こえていた。

 言うことは何もない。

 その宣言通り、肯定も否定も来なかった。祖父が今夜中に発つのだとすれば、別れの挨拶もしないだろう。

 本音で認めているのか、あるいは反対か。十数年の付き合いでも、態度から考えを連想するのは難しい。せめて傾向が分かるくらいだ。

 厳哲は今、孫に魔術を教えたことを後悔している。

 要を連れて帰ってきた空虚な笑みに、そんな感想を懐いていた。




 日常は極めて穏やかに。普段通りのランニングは、戦いの舞台すら飾れない。

 既に二人は、既定のルートを回った後だった。

 ジャージ姿の足音はいつも以上に統一感が取れている。少女も途中で別れることなく、哲心の家に転がり込んできた。


「しっかしスズリも酷いよねー。あの後、メールしても返事寄越さないんだよ?」


「何かの用で忙しいんじゃないか? 彼女、一応名門の娘だし」


「かもしれないけどさ、挨拶くらいは欲しいんだよね。気になっちゃうじゃん?」


「……まあ、気持ちは分かる」

 でしょ? と頷く横顔には、杞憂の類が見られない。

 親や哲心が魔術世界の人間とは言え、基本的に要は部外者だ。今日の出来事についても、面倒なことが起ころうとしている、程度の情報しか伝わっていない。――あるいはこの平静さが、信頼の裏返しか。

 家の中に戻った二人は、うがい手洗いを済ませそれぞれの部屋へ。

 学校の制服に袖を通すと、ようやく朝を迎えた気分になってくる。

 居間に入っても出迎える人はいない。厳哲は予定通り、早朝に徳理支部へと向かった。

 二人だけの家。これまで、何度か経験したことのある環境だ。

 しかし今日という日に限っては、何か特別なものに感じられる。

 視線はどこか落ち着かず、この風景を必死に収めようとしていた。死の実感がなかろうと、感情の面では別らしい。


「っ」

 姿勢が崩れる。

 問題なく床に手を突く哲心だが、転倒した原因は見当らない。床は整理整頓が行き届いており、非常時の客とて迎えられる状態だ。

 とするなら、自分の足。

 右のズボンを撒くってみると、確かに形が消えている。無造作に置かれた靴下は、投げ捨てられたような侘しさも持っていた。

 実体が戻ってきたのは、それから数秒挟んだ後。

 誰かが階段から降りてくる。哲心はハッとして、急遽靴下を履き直した。


「さて、準備完了! 朝ごはん作るから、ちょっと待っててね」


「ああ」

 後は変哲のない光景。台所へ向かう要に感謝して、読書の世界に沈んでいく。

 まな板を打つ音が遠い。それは読書に集中する証か、あるいは聴覚すら消えているのか。

 五感もどこか緩慢だ。手にくる文庫本の重みも、何か空気を掴んでいる錯覚に代わる。目には、ちゃんと指先まで映っているのに。

 しかしこれが魔術師の目指したモノ。物質を捨て、真実を追求した魂の結果。

 故に神は去れと告げる。ここは似つかわしくないから、我々に戻って来いと誘ってくる。

 それは正しいことなんだろう。名門派との戦いを乗り切っても、平穏に戻れる理屈はない。何の悪にも手を染めたくなければ、決定的な乖離を得るのが一番だ。

 だったら何故、要を置いて行かねばならないのか。


「あ、哲心。あたし委員会の仕事あるからさ、少し早めに家でるね」


「俺も手伝うか? 何するか知らんけど」


「いいよいいよ、大したことじゃないから。それよりもご飯、そろそろだからね?」

 今度はしっかりと、明るい声色で哲心は動いた。

 ある程度は協力しなければなるまい。おかずを運ぶ彼女の横で、炊きたての白米をよそっていく。

 これが最後かと、無言の表情で吐き出しながら。




 スズリにとって、これほど陰鬱な朝はなかった。

 いつも以上に早い一日。意外を見つめる生徒達も、今はひたすら関わりたくない。

 教室は冷たい空気の中に。親友の姿が見つからないことへ安堵して、スズリは指定の位置に腰を降ろした。

 学校へは授業を受けに来たわけではない。生贄の埋め合わせが足りないと、クラフトに要求されてやってきた。

 昨日の火災もそうだが、まだヒトクイは餓えている。妨害に対して、釣り合いを取るのが難しいレベルに。

 だから学校を使う。非道だと認識していようが、その判断に揺るぎはない。

 天秤には両親の命と、生徒達の命。

 不思議と感情は捨てられた。逆らえば親の命はないと――クラフトの脅しが、これ以上ない効果を発揮している。一番大切なもので脅されるなら、仕方ないと。三桁にも上る人数を、片手に収まる理由で潰そうとしている。

 自分の理念に反していることは、目で見る以上に明らかだった。

 しかし疑問はない。そういう風に育てられたから、だろう。固執してきた選択方式は、いとも容易く捨てられる過去だったらしい。

 でも考えれみれば、それが正しい顛末だ。

 スズリはファティナ家を存続させるべく育てられた。大勢を守るのも、両親の命を優先することも同じ。確実に未来へ繋がる方法こそ、幼い頃から叩き込まれた正体。

 生かすべきは権力。労を惜しまないのは、体裁の意地に固執するから。

 だからこんなに迷いがない。だからこんなに冷徹だ。


「気付いたところで、変えることなど出来ないのに……」

 抵抗の意思すら感情に沈めて、鞄から一冊の本を取り出す。

 魔導書だ。ヒトクイの誘導、魂の蒐集が記述されており、魔力を流し込むだけで動くらしい。

 結界の機能も備えているから、あとは放置で構わないと。そうクラフトは言っていた。

 室内に誰もいないことを確認して、スズリは教室を出ようとする。

 ふと、廊下に出る直前で足が止まった。

 脳裏を過る教室の日常。あれがずっと続いていればと、後悔が覚悟を濁らせる。

 ――あったとすれば、それが最後の機会で。

 しかし彼も誰も、スズリを止める者はいなかった。

 目指すのは校舎の裏庭。最中には、胸中を知らない一般の生徒達。せめて登校の時よりも明るく、いつも通りの笑顔を配っていく。

 裏庭は直ぐだった。普段から人気の少ないそこは、少女の来訪を拒むように一層暗い。

 所定のページを開いて地面に置く。目撃者に注意しようとは考えなかった。この瞬間に見られたとしても、気付いた時にはイデア界へ帰っているだろう。


「そもそもこの時間では、生徒数も少ないですしね」

 無意味な独り言は、自分で決めた唯一の我儘だ。

 この時間帯なら要と哲心は登校して来ない。悪を自覚するなら、それだけはやっておきたかった。魔術師の方はともかく、親友は巻き込まずに済むだろう。


「――」

 魔力を流す。


「あれ? スズリ?」

 しかし校舎から聞こえる、親しい人。

 驚く頃には、日常との別れが始まった。

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