脅迫
「病室では御免ね、酷いこと言っちゃって」
食後の休憩に入った頃、要は自ら切り出した。
事の仔細を知らない哲心は、首を傾げて眺めている。が、踏み込んでくる様子はない。定時のニュース番組に夢中だ。
有難みを感じながら、スズリも一言謝意を告げる。
「正論と呼んで差し支えありませんわ。要が謝る必要はありません」
「でもさ、批判したことには変わりないよ? だから、御免。――あと、あたしから掘り出して何だけど、この話はこれで終わりね?」
「ええ」
いがみ合ったところで疲れるだけだ。当の要も、解放感に満ちた笑顔を浮かべている。
後の二人は、親しい友人に戻っていた。雑談の内容はそれこそ他愛ない。変化と言えば時折、アナウンサーの声と映像が気になるだけだ。
哲心は二人に無防備な背中を向けている。食後のほうじ茶は、この家で日常的な光景らしい。
「――あまり現代の若者っぽくはありませんわね、彼」
「そう? ゲームだってするし、アニメとかサブカルチャーも好きだよ? この前だって専門店に行ってたし」
「意外な……」
「そういうスズリは? おうちの人、結構厳しめだったりする?」
「いいえ、娯楽関係は自由も自由。試しにスプラッター系の映画を居間で見たことがありますが、文句は言われませんでしたわ。……まあ、心底意外だと顔には書いてありましたが」
「放任主義なの?」
一拍の間を置き、多分、と付け足してからスズリは頷いた。
幼い頃はさすがに違ったが、最近では意見してくる機会がかなり減っている。教えることは既に教えた、と父も以前語っていた。
それが既に、彼らの術中なのかもしれないけど。
「ところで、厳哲さんはどのような人物なのです? 仕事上の付き合いは何度かありましたが、個人的な領域は何も知らなくて」
「うーん、結構流行り物に弱い人、かなぁ。昔は本、今はパソコンとか一年に一台新しいのを買うかな。人生迷子じゃー、とか本人は自虐してたけど」
「……神谷家は意外性を秘めておくのがポリシーですの?」
さあ? と要は肩を竦める。
テレビはトップニュースが終わった頃。一段落と見てか、哲心は廊下への扉を開く。
「風呂洗ってくる。順番はどうするよ?」
「一番はパス。寒いし」
「了解。スズリは?」
「さすがにそこまでお世話になるのは……」
ところが、最後でいいんじゃない? と要が余計な提案を。意思確認を取ろうとする哲心だが、幼馴染が彼を廊下に追いやった。
「折角なんだし、入っていきなよ。ついでにボディチェックもしてあげましょう」
「ぼ、ボディチェック?」
「そ。裸のお付き合いってやつだねー。哲心に近付く女の子はあたしが全員監理しておかないと」
「そ、そんなつもりはありませんわよっ! やっぱり私、お風呂は遠慮します!」
「えー! 一緒に入ろうよー」
廊下に向かうスズリを、後ろから抱きついた要が止める。
駄々を捏ねる仔猫と化した友人に、意思は呆気なく折れていた。――胸に忍び寄った両腕は、遠慮なくはたき落とすこととする。
そんな対応に笑いながら、彼女は廊下へと踵を向けた。
「どちらに?」
「ん? お布団敷いてくるの。昨日も泊まったんだし、同じ部屋でいいよね?」
「え、ええ、問題はありません。ですが私も――」
「いいからいいから」
問答無用で、静かにドアが閉まっていく。
残ったのはスズリ一人と、観覧者がいないまま流れるニュース番組。
今報道しているのは、数時間前に発生した徳理市アーケード街の悲報だ。どうも大規模な火災が起こったらしい。消火活動はようやく終わったそうで、火元の特定を急いでいるそう。
「……」
死者数十名。
ヒトクイとの関連性を思わない程、スズリは魔術に距離を作っていない。嫌が応でも興味が湧き、情報を一字一句逃すまいと前に出る。
カメラは人混みを映していた。火が確認されたのは日が沈んだ頃。スズリや哲心が、支部で治療を受けていた時の事件になる。
「――カメラにヒトクイって映るんですの?」
よく考えてみた上での疑問に、映像は確たる証拠を与えない。
しかし基本、一般人には見えない現象だ。テレビカメラに神秘の差異を特定する能力はないし、一縷の望みに終わるだろう。
結果は案の定だった。カメラがスタジオへ戻り、事の詳細が述べられていく。
「っ」
――違う。
そう叱咤せんばかりに、携帯はメールの着信を告げていた。ディスプレイに映る差し出し人は父。
文面には短く、外で待つ、と。
信じたくはないが、神谷家前で待機しているのだろうか。騒ぎを起こすのも気が引けるし、迎えに行くとしよう。お茶目な悪戯だったらそれでもいい。
仄かな暖気に後ろ髪を引かれながら、外出の準備を整える。
家の中からスイッチを入れれば、玄関先を魔術師らしからぬ光が包んだ。
しかしガラスの向こうに人影はなし。奥にいるんだろうか、と靴を履きながら推測する。
スズリは迷いなく、ガラス張りの質素なドアを動かした。
誰もいない。
横切る風に、スズリは僅かな寒気を思う。
果たしてそれは温度によるものか、第六感による予測なのか。
暗闇から放り込まれた何かに、意識は一瞬で切り替わった。それが何の危険もないと分かった後も、張り詰めた心は予断を許さない。
当の物体は足元に。見開いた目が、悲鳴の代わりに驚愕を代弁している。
腕だった。
肘から先だけの人体。切り口を塞いだ包帯は、真紅の色で染め尽くされている。
どんな意図があるのか、その指先は携帯電話を握っていた。
頭の中、冷静な自分が音を立てて崩れていく。落ちている腕の持ち主が誰かさえ、思考は踏み入ろうとしなかった。
まるでゴミのように粗雑な扱い。色の変わり始めた皮膚は、もはや腕である名残さえ消していた。――温もりが帰って来ないことを、そう呼んでいいのだとすれば。
「誰の物かは、説明せずとも分かるだろう?」
威圧する、厳格な声。
同じ名前を掲げる老人以上に、彼の存在は悪辣だった。
「クラフト……」
「君の両親は、私が人質に取らせてもらった。我々の未来に少々邪魔だったのでね」
「……」
抑揚には一片の謝意もない。
いつも通りの冷たさで、男は闇から具現化する。無機的な顔が皮肉で笑っているさまは、彼を人間以外の何かに例えていた。
「用件については言わずとも分かるだろう。例の火災、原因はヒトクイなのでな」
「償いをしろと、そう仰るのですか……?」
「そうだ」
「――」
あらゆる感情を通り越し、身体は玄関に縫われるだけ。復讐の願望も頼れない。下手な真似をすればこの瞬間に死ぬと、本能だけが躍起だった。
「私はこれでも多忙な身でね。ここに来るだけでも、監視を数名殺さねばならなかった。ああ、もちろん敵の、だがね」
「そんな、対立を煽るようなこと――」
「手段を選ぶべきではないのだ。今我々は、同盟の重要な分岐に立ち会っている。敗北など許される筈がないだろう? 統治者に相応しい者は、生まれた時から決まっているのだ」
そんな熱心な持論も、彼の盲目性を示唆するだけ。
説得は無意味か、とスズリは身をもって認識した。
「両親の命を救いたければ、私と一緒に来たまえ。君がいれば、ヒトクイの被害拡散も効率的に防げる。救世主の名誉を共にしようではないか」
「っ――」
提案、のつもりだろうか。
無意味な温情に腹が立つ。肉親の盾さえなければ、今直ぐにでも叩き切ってやりたいくらいだ。
しかし、叶う筈も無い望み。
下賤な笑みは、唯一の選択肢を喜んでいる。新しい玩具を手に入れた、悪戯小僧のような顔。大人気ないとしか評価できないが、この男はそういう人格なのだ。
「理解は及んでいるのだろう? もはや事は手詰まりまで来ている。君はこの犠牲を、何も知らない人々に押し付けるのか?」
「脅しが入っているのは何故です?」
「単なる付属品であり、保険だよ。主人の目的と我々の目的に齟齬が生じた。利用できるなら利用しようと、片腕を拝借したまでさ」
「……そうですの」
平静を掻き集めて、スズリは一歩を踏み出した。父がこんな状態にあれば、母も無事ではすむまい。決断は潔く、覚悟の上で行われた。
こうなった以上自分は、際限なく間違っていくのだろう。
根付いた歪み、世界との摩擦。対立が対立を呼ぶ環境で、すべてを救うなんて馬鹿げている。――哲心は、それが分かっているから無関係を語った。
第一に覚悟の不足。第二に入り組んだ動機。
とどのつまり、予定されていた結果だった。
「……抵抗はしません。ただ、両親の無事だけは約束して頂きます」
「お安い御用だ」
「本当に、お願いします」
主従を裏切ったこの男に、口約束が通じるとも思えないが。
スズリは重い両足でクラフトの元に歩いて行く。後方、一軒家を包む光は、不純を寄せ付けない守りのようで。
見ていた夢を覚まさせる、不思議な輝きを放っていた。
「あれ? スズリ?」
二階の物音に検討をつけながら、哲心は居間に戻っていた。
名前を呼んでも反応はない。洗面所やトイレにも明りは点いていないし、居間にいて不思議はないと思うのだが。
二階を手伝いに行ったのか――噂通りの真面目な性格を信じて、階段へと向きを変える。
丁度、要の姿だけがあった。
「スズリは?」
「? 居間にいないの?」
「いんや。……勝手に出歩いたりはしないよな?」
「あの子の性格でそれはないねー」
だったら何処へ消えたのか。
何処へ向かった、と思わない辺り、少し危機感が滲んでいるらしい。が、領地の結界はきちんと機能している。通れるのはヒトクイに吸収された領民と、神谷の人間だけだ。
なら、クラフトが来る心配は無用――と思えたら楽だろう。
結界の占拠を体験した後だ。予想を立てた時に転がる方向は、どう見積もってもマイナス側。厳哲が補強を施していた筈だが、不安をすべて払拭するのは難しい。
「ちょっと外、探してくる。万が一ってこともあるだろうしな」
「暗いし、気をつけなよ?」
「ああ」
ストレートに玄関へ向かうと、一枚のメモ書きが目に入る。
急用が出来ました。
達筆な、その後に何も続かない淡白な挨拶。彼女のイメージとはどうも結び付かない。お陰で、予感は確信にならざるを得なかった。
「――おいおい」
出た先に血痕を見付ければ、急を要しているのが更に分かる。
外への最短ルートで哲心は疾走した。普段から静かな森も、一層閑静な空気で満ちている。
文明を寄せ付けないのではなく、排除した後の寂寥感。木々の向こうにありそうな団欒の光景も、想像することさえ許されなかった。
獣と聞き間違う様な足音。近道と称して通った獣道は、幼子が持っていた庭の一つだ。
自然の領域を掻い潜って作られた林道が、やっと薄闇に映ってくれる。
「……ふん」
男は、やはり待っていた。
二年前と相変わらぬ風貌。沸き上がってくる憎悪を圧し留めて、少女の姿を網膜に探す。
「スズリはどうした?」
「先に送らせた。……君が追ってきては、台無しになりかねないと思ったのでね」
「利口なこった」
「ふふ……」
研ぎ澄まされる臨戦態勢。一瞬でも隙を見せれば、その一方が殺される。
手を下すことに躊躇はなかった。殺人行為には批判的な哲心だが、クラフトについては例外中の例外である。因果応報、どんな終わりだろうと文句は言わせない。
要が見れば目を背けるような、濃密な殺意が腕に籠る。
「しかし意外だったぞ。うちの領地に仕掛けてくるなんてな」
「手頃な狩場だったのでね。革新派の方に手を出すと、全面戦争に陥りかねん。規模の小さい君達中立であれば、そう問題にはなるまいさ」
「火に油を注いでくれるのは有り難いけどな。こっちも色々と吹っ切れた気分だ」
「それは良かった。私にとっても、中立派は邪魔で仕方がない。わざわざ潰す必要もなかったが、羽虫が飛んでいると耳障りなんだ。特に正義へ従わない者にはね」
「俺も分かるよ、その気持ち。主人を裏切る奴は地獄に落ちろってんだ」
「ああ。上の都合に従わない者など、共生する価値もない」
挑発につぐ挑発。が、どちらも臨界点には達しなかった。
互いの実力を分かった上での判断――というわけではないだろう。人狼化を含め、戦闘はクラフトの方が有利だ。迷宮で再現されただけのミノタウロスとは、何段階も格が違う。
スズリの話を信じるなら尚更だ。彼の能力上、同程度に厄介な魔術が他にあるかもしれない。
「――まあいい。時間稼ぎもここでお開きとしよう。明日にはもっと大掛かりなパーティを用意しておくから、期待してくれたまえ」
瞬間、彼の肉体が霧を纏って変化する。
呼吸にも等しい起こりだった。融合する理性と殺意。最大多数たる自然に身を委ね、男の理が枷を外す。
人狼。月下に照らされる、狩猟の表徴が具現した。
「――!」
手を出したのはどちらが先か。
呼吸も合致させて、二人は戦端を開始する。
魔方陣は既に回復した後だ。四枚すべて修復済み。暗闇に紛れる漆黒の人狼も、必殺の凝視で薙いでみせる。
連結する全層。一秒たりとも、彼を大地に留めておく気はなかった。
敵は先手必勝と見るや否や、怪物の一歩で大地を跳ねる。
加速は銃弾にも等しい勢い。しかし、人の双眸は獣を逃がさなかった。照準の補正すら、刹那の間で施行する。
「吹き飛べ……!」
鼓膜さえ貫かんと、砲声が歓喜に揺れた。
極太の閃光が人狼へと迫る。哲心の思想を体現した一撃は、あらゆる矛盾を浄化する人の宝刀。
だが、それを言うならクラフトは暴君。自由の排斥にこそ、彼は意義を見出すだけだ。
直撃する。
濁流は足元の影さえ呑み込んだ。続く照射が神経を焼き、敵の意識さえ奪っていく。
「――っ!」
響く雄叫びが、一つ。
直後に砲撃は霧散した。原因は何の理屈もない衝撃波。現実では測ることの出来ない肉体が、強引に作り出した破砕槌。
相殺の結果、哲心に届くのは強風だけ。しかし油断は許されない。砲撃を組み直す間に、人狼は肉薄してしまうだろう。
それでも受け身な思考は認められない。
真っ正面から捩じ伏せる。この敵には、他に勝てる道理がないのだ。
「っ!」
間合いの臨界点は早急に。空間ごと打ち抜きかねない正拳が迫る。
巨大な落石にさえ感じるソレを、肉体の反射神経が対処した。
よって趨勢は変わらず。それどころか横へと位置を移す間に、魔砲の準備は整っていた。
轟音と共に、風が舞う。
人狼の回避は一瞬。
打ち消す余裕はさすがに無かったらしく、大きく視界から消えている。――既に、轢殺の用意を整えて。
四枚での連結砲は再使用まで僅かな間を挟む。どうやっても次は間に合わない。
ならば一枚で仕留めるまで。射程僅か一メートルでの、大胆不敵な発想だった。
本能が命じるのか、狼は血色の口を開いている。もはや哲心の目と鼻の先。
だがその一瞬こそ、肉を貫くチャンスだった。
竜退治の騎士宜しく、口内へと狙いを定める哲心。噛み付かれるのは御愛嬌。この場でクラフトを倒せるなら、寧ろ恩の字と喜べる。
巨躯が作る圧倒的な運動量。大きな的は、火力を別にすれば十分狙える。
刹那。
彼の肉体は、人のそれに戻っていた。
意図はまったく分からない。顔の位置は少し下がったが、まだ砲撃の範囲内だ。回避策には好ましくない。
哲心の動きは止まらなかった。
照準は確実に敵を捉え、そして。
「!?」
発射と同時、威力は散り散りに消えていた。
クラフトの顔面。何やら巨大な盾が浮かんでいる。防がれたのは言うまでもなく、人狼化とは似ても似つかない能力だ。
「ちっ……!」
時を移さず、人狼の威容が再誕する。
当初からの密接。繰り出された爪は、欲望のままに哲心を切り裂こうと――
予想も出来ない衝撃が、真横から哲心の身体を飛ばした。
宙を裂く凶器。被害者は薄皮を抉られただけで、致命的な負傷を逃れている。
不意打ちに近かったため、受け身を取ることは無様にも出来なかった。これが敵の攻撃であれば、次の瞬間に首を刎ねられているだろう。
しかし当の人狼は動かない。哲心の反対方向、点々と光る乱入者を直視している。
飛来物は、哲心の魔術に近い射撃だった。
「ふん」
クラフトは人の姿に戻ると、鼻で笑って盾を展開する。射撃は凡打に留まり、彼の表情へ機微すら起こせない。
反撃できる――無防備な背中を見ている哲心にすれば、またとない機会の到来だった。
しかし、それは唖然の念で潰される羽目になる。
出し惜しむ気配もなく、クラフトは魔方陣を出現させた。狙いは樹林の壁。潜んだネズミを一掃すべく、一挙一動に闘志が灯る。
高音を立てて陣が駆動した瞬間、機関銃のように魔砲が発射された。
薙ぎ払われる暗闇。叫びすら混ぜて、戦場は凄惨な有り方を増していく。
加勢した何者かの安否は気になった。が、隙は隙。迅速に連結を行い、直撃狙いで魔砲を放つ。
ぶつかる視線に、躱される未来を見たとしても。
「っ……!」
右だ、と哲心は直感した。
横目に映る獣の四肢。照射を止めることなく、身体の向きを変更する。
魔力の塊は木を横殴りに打撃した。繊維は魔力に飲み込まれ、一切の抵抗を残さない。
人狼を吹き飛ばそうとした、その直前。
「がっ!?」
最初にお披露目した衝撃波が、哲心を森の奥まで吹き飛ばす。
あまりの威力に四肢は麻痺していた。視線にも力は籠らず、夕方の痛みがぶり返している。
負けだと、そう思ったなり。
クラフトはまた、己の変態を解除する。瞑った瞳は何かへの集中か。
「……さすがにこの数は無理か」
彼は哲心へ蔑視を残し、夜空の彼方へ飛び去った。
代わりに訪れる喧騒。集団を構成する魔術師の群れが、領地内に入ってきているらしい。
長嘆息して立ち上がった先には厳哲が。
いつになく真剣な眼差しで、脅威の認識を語っていた。




