夕食
鍋が食べたい――。
有権者一名の提案から、神谷家の夕食が決定された。
やや季節外れの容器を囲む人数は三。食欲を誘うため、コトコトと魅力的な蒸気が昇っていく。
材料の殆どは領内の畑で採れたものだそうだ。モットーは地産地消。新鮮な野菜の数々は、生産者の危機など知らぬ存ぜぬで輝いている。
「あ、おい、要。肉取り過ぎだぞ。他のやつのことも考えろ」
「へへーん、こういうのは早者勝ちでーす。……あ、体重のことは指摘しないでよ? 女の子はそういうの、気にするんだかんねっ」
「……」
領地の現状と比較して、呑気すぎる空気だった。
常々緊張感を持つべきでは、と横槍を入れたくなる。が、気にしても状況は改善しない。迫っている危機についても然り。
特に哲心は自覚した上で行っていそうだ。そもそも食事は食事。採れた物を大切にする意味でも、きちんと栄養は確保するべきだ。
ならばいざ――と動き始めた途端。スズリは眉間に皺を寄せる。
「分かってる分かってる。あ、こら、その豆腐は俺のだ」
「一個くらい許してよー、ケチ。ほら、この豚肉上げるからさ」
などと。
昵懇の間柄である幼馴染は、嫉妬したくなる空気を演出している。もはやスズリは萱の外。爆発しろ、と世間のカップルを恨む人々の気持ちに同情したい。
「何だか、凄く居心地が悪いのですが……」
呆れを半分混ぜながら、イチャついている馬鹿どもに呼び掛けた。
は? と二人は同じ顔。普通の会話だろ、と言わんばかりに、眉根を寄せて抗議中。
親友の傾向からして、露骨な態度は示さないだろうと思っていた。が、行動それ自体については例外らしい。病室でリンゴも剥いたそうだし、案外と大胆である。
「ほら、スズリも遠慮しないで食べていいぞ。祖父は夕食外らしいし、材料はまだ残ってる。でも肉は希少品だから要注意な」
「あんまりお肉食べない人が言う? 哲心、菜食主義でしょ?」
「違う、遠慮してるだけだ。二人が食べないなら全部頂く覚悟だぞ」
聞いた途端、対抗意識を燃やした要が肉を確保する。しかめっ面の哲心。遠慮はしても男なのか、最低限の量は食べたいらしい。
しかし現実は残酷だ。肉の殆どは要が確保しており、哲心やスズリの取り皿は野菜で埋め尽くされている。ちなみにスープはキムチ味で、哲心曰く飯が進むから良し、とのことだった。
その証拠、彼は二度ご飯茶わんを空にしている。再装填の度に新妻よろしく働くのは、衿月要に科せられた仕事だった。
テンポ良く減らされる鍋の中身。物理的にも温かい家庭の空気は、スズリの感性に新鮮だ。
「でも哲心、病み上がりの癖に食欲はあるんだね。これなら安心かな」
「自分でも意外なレベルで空腹だ。……スズリもおかわりして良いからな?」
「そ、そう言われましても、他人の家である以上は遠慮しますわ」
が、さっきよりも箸は進んでいる。和やかな空気に絆されてしまったらしい。
会話は呼吸のように途切れず、客人を容赦なく巻き込んでいく。学校のこと、日常のこと。差し当たりない話が、神谷家の居間を平穏たらしめていた。
「――じゃあさ、スズリのご先祖様は外国から来たの?」
「私はそう聞いております。日本で魔術同盟で起こったのも、丁度その時期ですわね。年代にすると江戸時代の末期、明治維新の頃だとか」
「ふむふむ……っていうか、魔術師の目的って何? 世界征服?」
んなわけないだろ、と白菜を咀嚼する哲心は、口の中身が無くなってから啖呵を切る。
「……魔術師の目的は、あり体に言うなら自分磨きだ。ほら、支部の入口にソクラテスの最後をあしらった壁画があるだろ? 魔術師の世界観はプラトンのイデア論がモデルだから、ああいうチョイスになってるんだ。タイプなんたら、ってメーカーの世界観にも近い」
「――後者の例については突っ込まないからね? で、プラトン? ギリシャの人だっけ?」
「紀元前300年頃の人物だな。イデア論の他、アトランティス伝説で有名だぞ。――で、俺達の世界で言う魔術師は、イデア界に向かうのを目的にしてるわけだな」
「ふむふむ」
箸を休め、饒舌に語る哲心。要は決して聞き流しているわけではなく、真剣そのもので耳を傾けている。
ただ彼と違って、鍋の中を弄るペースは落とさない。彼女、太ることを指摘したら止まるんだろうか?
「で、イデア界っていうのは?」
「神様の世界みたいなもんだよ。影に対する実像、魔術師の起源であり到達点、とも呼ばれるな。魔術師はこの世界に接触して、自分の実像を引っ張り出せるようになる。これが魔術だ」
「ふーん……。ちなみに哲心が哲学書を読んでるのは、魔術師としての嗜み?」
哲心は要に負けじと大根を頬張って、頷くだけの返事に留める。
「まあ趣味もあるし、彼の思想にピンからキリまで同調してるわけじゃない。あくまで参考書だよ。自分なりのルールを見つける方が手っ取り早い」
「ほほう。じゃあさ、今それをここで語ってみてよ」
「見つかってるなら苦労はしないぞ」
得心する幼馴染の横、彼は少しばかり目を丸くする。理解の早さに驚いた――のではなく、鍋の中身が少なくなってきたらしい。たった一人の主犯は少し後ろめたそうだ。
「よし、まだ行けるし追加するか。材料は全部切ってあるんだろ?」
「う、うん。でも長ネギは無いからね? わざわざ取りに行くの面倒だったし」
「なら俺が行く。折角だし、入れた方が美味いだろ」
「だったらあたしが――」
彼の動きは提案を先行し、口上と共に台所へ。空いた裏口からは外気が飛び込む。
要は諦めて姿勢を落ち着かせた。後は変わらず、残った野菜を搾取する。
「……お庭でもあるんですの? 神谷家は」
「ちょっと離れてるけどね。スーパーで買った土付きのネギ、そこに埋めてるんだ。他にも色々、野菜とか育ててるんだよ」
「厳哲さんの趣味ですの?」
「お祖父さんって言うより……神谷家全体の趣味じゃない? 昔はお米も作ってたって話だし」
「随分本格的ですわね……」
我が家とはまるで違う。純白に輝く米粒を見ながら、スズリは感服で一杯だった。
二人きりになっても、鍋の自己主張は変わらない。立ち上る湯気の量も相変らずだ。胃はそこそこに空いているし、こっそり彼の帰還が待ち遠しい。
勿論。
「――折角だから、一つ聞きたいんだけど」
期待ばかり懐くには、二人とも真面目すぎるのだが。
スズリは箸を置いて要を見返す。が、反対に彼女はこちらを向いていない。空気を重くしないための抵抗なのか、迷い箸で鍋の上をうろついている。
架け橋が退室した今、二人に友人という括りは希薄だ。
被害者と加害者。本質的な立場の違いが、先の展開を類推させる。
「スズリはさ、どうしたいの?」
「え……」
意表を突く疑問。負の感情も匂わせず、緊張感は少し薄れた。
「犠牲を看過できないんだよね? でも現実に、その誤りは生じてる。選ばないのは無責任な以上、どっちを取るかは決めてるんでしょ?」
「それは――」
直ぐに答えられる問いではなかった。
考えたくない結末、と扱うのが至極妥当だろう。が、中立と名門の間には修復できない軋轢が生れた。次に戦闘が起こった時、この迷いは犠牲者を悪戯に増やしかねない。
自分達の成果を求めた側と、反発を決める側。深刻化する気配なんて、考察を放棄できる程度に明解だ。
誰を味方にし、誰と敵対するか。
どちらの選択もスズリの理想とは相容れない。明確な悪があって、それに対立する正義がある。同程度に単純な場合が、迷いを生じさせない枠組みだ。
しかし今回はそうじゃない。
「――分かりません」
精一杯の意思で、情けない解答を絞り出す。
「家が悪であるというなら、正すのが道理でしょう。しかし私には方法が分からない。……両親の前に立ちはだかることも、無理な相談ですわ」
「ならどうするの? 哲心のお祖父さんは、近い内に衝突が起こるって予想してる。戦力差は十倍前後だってね。……傍観者で居続けるような自信が、今のスズリにあるの?」
「ありませんわね、絶対に」
力がある分、加勢するのは容易いことだ。
無力であったなら、事実と共に傍観していただろう。しかし幸か不幸か術はある。それを知りながらでは、良心の疚しさに犯されるだけだ。
それでも何処かで、耐える時間は必要になるのだろう。
「……何も聞かず、何も起こさずにいるしかありません。傷付けないことを本当に望むならば」
「いいの? 何もしないってことは、何がどうなっても肯定するってことでしょ? スズリのご両親が亡くなっても、自分を責める権利しかない。……責任ってよくスズリは言うけどさ、それこそ無責任じゃないの?」
「……」
代案が出るわけでもなく、スズリは大人しく首を振った。
憔悴した葛藤の中、やっと友人に視線を合わせて。
「捨てる覚悟も、拾う覚悟も私は持っていません。……二年前の出来事を罪に思う以上、ここで手を引くので精一杯です」
「知ってたんだ」
「ええ、厳哲さんから聞きました」
「そっかあ……」
要は遠い目で、横に並んだ空席を眺めている。
彼らの痛みをスズリは知らない。空想は空想で、体験には遠く及ばないものだ。
しかし、いけないことだとは理解できる。
「いやはや、二年なんてあっと言う間だね。まあ思い返すのは一瞬だから、そういう風に感じるんだけどさ。哲心も色々変わったし……」
「やはり彼、昔は性格が違ったのですか?」
要は二つ返事。思わず興味を懐く自分がいた。
「子供の頃からやんちゃな人でねー。虐めっ子とかがいるとさ、正面から喧嘩を挑もうとするの。弱きを助け強きを挫く、理想論者だったんだよ」
「……根本的な部分は同じなんですのね」
「かもねー。だから昔の哲心とスズリ、結構気が合うんじゃないかな? まあ根本が変わってないから、今でも相性はいいと思うけど」
「そ、そうでしょうか……」
纏っている動機は違う。現に二人は衝突を経験した後だ。――が、一切の協力が不可能な関係だとは、今の状況も否定している。
共通の絶対的な悪。
もっとも近い相手はクラフトだが、その再来を今のスズリは望めない。
「――さ、この話はもう終わりにしよ。あんまり哲心の前ではしたくないし」
「……やはり謝るべき、なのでしょうか?」
「意味ないと思うなー。もう終わったことだ、って流されるだけだよ。我慢とか諦めじゃなくて、色々な矛盾を受け入れた上で」
「……強いのですね、彼は」
そういう人間に、自分もなれたらと思ってしまう。
要は目蓋を伏せた後――どこか、寂しそうに肯定した。
そこに哲心が戻ってくる。要は直ぐにいつもの明るさへ切り替え、愛しい人の元へ駆け出した。
幸せであることが当り前な、未来を待ち望む家族の光景。
世界で一番小さな幸福が、血の命じる理想を否定していた。




